02. ハーレム(後宮)の新人
「早速だが服を脱いでもらおう」
「え」
いきなり見知らぬ相手にそんな事を言われ、ユリアの喉から何とも間の抜けた声が漏れた。奴隷が口ごたえすることなど許されないと頭では理解していたが、あまりに唐突過ぎてつい口が滑ってしまったのだ。
宦官長サルマンは一瞬だけ虚を突かれたような顔をしていたが、すぐに顔を紅潮させるとみるみる内に赤黒くなっていく。
(これ、殴られるパターンじゃ―――!?)
ユリアは冷や汗を流しながら身構えるが、予想に反して宦官長は激昂することも手を出す事も無かった。しばらく頬に手を当て、やがて合点が言ったとばかりに手を打つと、再び尊大な態度で口を開く。
『女、たしかユリアといったな。服を脱ぐのだ』
どうやら単純に言葉が通じなかっただけだと思ってくれたらしい。見た目に反して教養はあるのか、サルマンは流暢なリグリア語で再びユリアに脱衣を促した。
(良かったー……………じゃなくて!)
――やっぱ脱ぐの? わたし?
(そりゃハーレムといえば皇帝の性欲処理場みたいなもんだから、身体検査ぐらいやるんだろうけど……)
何も男に検査させなくてもいいのではないだろうか、とユリアは思う。もっとも去勢された宦官を男を呼べるかどうかは議論の余地があるだろうが。
とはいえ、ここで抵抗しても状況は好転しないだろう。今のユリアはもはや公爵令嬢ではないのだ。身を守る地位も財も家臣も居ない。ハーレムに入ってしまった以上、自分はしがない女奴隷でしかないのだ。
『はい、宦官長様』
とりあえずタンジマート語が使えないフリをして、リグリア語で返事をする。全ての服を脱ぎ終わると、サルマンはユリアの身体をまさぐり始めた。
『よし、次は壁に手をついて腰を突き出したら、そのまま脚を広げろ』
『は、はい……っ!?』
逆らえるはずもなく、サルマンの言う通りにするユリアであったが、恐怖と不安は募る一方だ。どう考えてもこの体勢、完全に望まない子作りを強いられる前座にしか見えない。
(私の身体にナニ突っ込む気なの―――!?)
『身体には何も入れてないな? 言っておくが何かあったら最悪、斬首だからな』
(え、ちょ――――ッ!?)
何をされるのかユリアが気付いた時にはすでに遅く、サルマンは容赦なく彼の仕事を実行した。ぺっと指に唾を吐き、でっぷりとした浅黒い腕がユリアの股の間へと延びていき、そして―――。
『…………ふぅ。ここは何も無いみたいだな。よし、じゃあ次はこっちだ』
『ウソでしょ!? そんな、待っ――――』
『暴れるな奴隷女。力を抜け、さもないと切れるぞ』
『っ~~~~~~~ッ!?』
色々と耐えがたい時間がしばらく続いた後、やっとサルマンは満足したのかユリアから離れた。袖の中からハンカチを取り出し、指についたユリアの粘液を拭き始める。
貞操の危機的には、限りなくアウトに近いセーフ……いや、やっぱり主観的にはアウトであった。
(うぅ……痛いし気持ち悪い………ていうか指太いし、あと唾じゃなくてちゃんとした潤滑油使って……)
もっとも念入りにされたらされたで生理的に気持ち悪いので、事務的に粛々と進んだだけマシなのかもしれない。とはいえ、最悪の気分であることに変わりは無かった。あまりにショック過ぎたせいで、ついまた口が滑ってしまう。
『もうお嫁にいけない……』
『そう卑下するもんでもない。日々、美を磨き続ければいずれスルタンのお目に適う日も来るであろう』
遠い異国に売られた元公爵令嬢を憐れんでいるのか、サルマンが慰めるように言う。案外、横柄なだけで悪い人では無いのかもしれない。もっともスルタンの嫁、もとい寵姫になんて成りたくはないのだが。
「扉を開けろ」
最終チェックを終えたサルマンが衛兵に命じた。重々しい扉が再び音を立てて開かれ、サルマンが「ついて来い」と命令する。
この扉を潜り抜ければ、ユリアは正式にタンジマート帝国のハーレム(後宮)の一員に加えられるのだ。
ハーレムはスルタン自身の居住区である内廷と黒人宦官長の私室の間にあり、400以上の部屋が皇太后の中庭を中心に取りまいていている。ハレムと外界をつなぐ唯一の通路は、内側からは宦官兵、外側はジャニサリと呼ばれる常備軍兵士によって厳重に守られていた。
その中に、数百から数千人の「オダリスク」と呼ばれる女奴隷が住んでいる。絶世の美貌とプロポーションを誇る彼女たちは、すべて誘拐されたり買われてきた異国の女であり、一度ハーレムに入ると原則として死ぬまで外に出ることはできない。
ハーレムの女奴隷たちの目的はただ1つ、スルタンの目に留まって夜伽を務めること。
彼女らは皆、それを夢見て毎日のように香油で肌を隅々まで磨き、マッサージやダイエットといった美容体操に明け暮れ、男を悦ばせる夜のテクニックを磨き続けるのだ。
**
「これがハーレム……!」
はじめて足を踏み入れるハーレムは、ユリアの想像と少し違った。ハーレムというと、要するに好色な権力者の男が性奴隷の女を侍らせるのが目的の、薄暗くて怪しい煙とかが漂ってるエロい空間だとばかり思っていたのだが、
(明るいし綺麗だし、普通に健全な空間だ……)
たしかにエロい目的のために使うのも多分に男にとっては重要なのだろうが、同時に「世継ぎを作るため」の場でもあるため衛生管理にはそれなりに気を使っているようだった。
宦官長の後について建物の中に入ると、まず目に入るのが大きな中庭だ。ちょっとした運動場か公園ほどあるかもしれない。
中庭には世界中から集めたであろう色とりどりの花が咲き誇っており、よく手入れされた芝生の緑が太陽に照らされて綺麗に映える。噴水、ベンチ、彫刻、魚の泳ぐ池などもあった。
そして中庭の周りをぐるりと囲むように柱廊があり、2列の列柱の中庭側が回廊で奥が部屋になっている。部屋には廊下側の反対にも大きな窓があるせいか、日陰であってもだいぶ明るい。
しばらく歩いてからサルマンは2人の女性の前で足を止めた。くすんだ金髪の小柄な女性と、健康的な小麦色の肌をした娘だった。
「お待ちしておりました、宦官長さま」
最初に口を開いたのは金髪の女性の方だ。小柄な上に丸顔で童顔、髪は後頭部でアップにまとめてあり、スタイルも女性というより少女のそれなのだが、胸はそれなりにあるようでニッチな需要があるのかもしれない。
「ミーナ、こっちが新参の娘だ。齢は17歳、名をユリアという。今日から正式にハーレムに配属される。よく教育しておくように」
ミーナと呼ばれた女性は慣れた様子で一礼した後、表情を変えずに事務的に答える。灰色の瞳からは何も読み取れず、可愛らしい顔に反して愛想のよいタイプではさそうだ。
「心得ました。礼儀作法から裁縫に踊り、タンジマート文字の読み書きから詩までみっちり教育させていただきます」
「ふん、そうだと良いがな。とりあえず後は任せた」
なにせ忙しい身だからな、と言い残してサルマンは立ち去って行く。残されたユリアたち3人はサルマンを見送った後、互いに目を見合わせた。
「よ、よろしくお願いします」
今度はしっかりとしたタンジマート語で挨拶をするユリア。公爵家の令嬢“ユリア・ヴィスコンティ”はタンジマート語など4か国語をマスターしている。
(みたいな設定が、そういえばあったなー)
ゲームの中では一回しか使われなかった設定だった、とユリアこと由梨亜は内心で呟く。たしかタンジマート帝国からの留学生ルートで、その正体は大使の息子と偽った第2皇子だったが、結局そのルートはプレイできていない。
「……タンジマート語が話せるのですか」
ミーナが少し驚いたような顔になる。が、すぐに元のポーカーフェイスに戻ってしまう。可愛いのに勿体ない、なんてユリアが考えている間にもミーナは淡々と自己紹介をしていく。
「先ほど宦官長から聞き及んでいると思いますが、ミーナと申します。しばらく貴女の教育係を担当させていただきます」
話している間にも、ミーナの灰色の瞳はじーっとユリアを見つめていた。決して敵対的では無いのだが、どこかよそよそしい。
抜け目のない商人が貴族相手に宝石を売りつけようとしているような、心の奥底で値踏みされているような感覚に耐えきれなくなり、ユリアはさっと作り笑いを浮かべる。
「ぜひ、よろしくお願い致します」
出来るだけ好印象になるよう、精一杯に愛想を振りまく。なにせハーレムでの生活などユリアの知識の片隅にも無い。初対面から敵をつくる訳にはいかないのだ。
幸い、自分を魅力的に見せる術をユリアは知っていった。愛嬌もまた貴族の社交界における女性の必須スキルであり、それをいかんなく発揮した………つもりであった。
「………」
ミーナは相変わらず無表情のまま。凍り付いたかのように、じっとユリアを見つめるばかり。なんとも気まずい空気が流れていく。
「で、こちらが後輩のザラです。しばらくは彼女とも一緒にいてもらいます」
(露骨に流された!)
どうにも上手く返す言葉が見つからなかったのか、ミーナは会話ごとザラと呼ばれた女性に丸投げした。意外とちゃっかりした性格らしい。
会話を投げられたザラの方は、興味津々といった様子でユリアを見つめている。
「ども、ザラでーす。よろしくー」
「よ、よろしく」
初対面で警戒されるのもやり辛いが、かといって距離を急に詰めてこられるのも腰が引けてしまう。
ザラは健康的な印象そのままに、分かりやすくユリアに対する興味を態度で伝えていた。
背は標準だが、等身が高いのでスタイルはずっとよく見える。健康的な小麦色の肌にはハリがあり、うっすらと筋肉が透けていて全体的に引き締まった印象だ。琥珀色の瞳は吊り目がちで、軽やかな動きと相まって猫を連想させた。
――かくして、新人ユリアは女奴隷として後宮の一員となったのであった。
宦官はアレがないからバー〇ン・チェックしてもセーフ理論