19. 報い
それからというもの、ユリアはしばしばサルマンの頼みに応じて彼に快楽を提供した。
しかし、こうした3人の秘密にはリスクが付きまとう。サイード教では男色は重罪とされており、いわゆる“女役”の男の方がその罪は重い。
ましてや「女に男が犯される」などといった行為はそれ以上の重罪であり、バレればサルマンに待っているのは全身の肉を少しづつ削ぎ落されるという残忍な刑罰だ。
それでもサルマンがこの秘密の行為を止められなかったのは、去勢してなお一部の男は性欲を失うどころか、それが歪んだ形でさらに拗らせてしまうという、人間の果てしない欲望ゆえであった。
こうした行為は宦官長サルマンの地位を脅かしかねないほど危険なものであったが、逆にそれこそが興奮をさらに高める材料だったのかもしれない。
詳細は宦官長サルマンしか知らないが、いずれにせよ一夜の情交がキッカケでユリアは彼とも親しい中になった。
スルタンと大宰相に次いで、皇后、ジャニサリ長官、白人宦官長に神官長と並ぶ5大政治勢力の一角の覚えがめでたくなったことは、ユリアにとっても損ではなかった。
そしてもう1つ、ユリアにとって大きかったのはハーレムの謎が1つ解き明かされたという点である。
「ミーナの謎人脈と謎情報網に謎資金源って、出所あの人だったんだね」
どの派閥にも属さず、それほど高い地位にいるわけでもないミーナが、比較的自由にハーレムで行動できていた理由。ハーレムの管理人たる宦官長と裏で通じていると分かれば、それも不思議はなかった。
「最初は普通に、ただの情報提供者だったんですけどね。まぁ、色々とありまして」
「色々あり過ぎでしょ」
いかに絶大な権力を持つ宦官長いえども、やはり目と耳は必要である。情報の重要性はユリアも十分に理解しているだけに、サルマンがハーレムの管理にミーナのような情報提供者を潜ませるメリットは理解できた。
「ちなみに馴れ初めは?」
「サルマン様の部屋を掃除した時、片付け忘れていた道具を偶然、見つけてしまって」
「あのオッサン、そういうとこなんだよなー」
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こうして宦官長サルマンという強力な後ろ盾を得たユリアであったが、ミーナと違う点があるとすれば彼女は使える物は何でも使う主義であるという点であった。
能ある鷹は爪を隠す主義のミーナと違い、ユリアはさっそく持てる力を使ってハーレムの改革に着手する。そのために必要なことは、何よりもまず足場固めであった。
(やっと、これで……)
ユリアは毒で殺されかけたが、なんとか生き延びた。犯人は分からなかったが、目星はついている。
だが、相手も証拠を残すほど間抜けではない。数日間にわたって追求が行われたが、ついに決定的な証拠を掴むことは出来なかった。
しかし、相手は1つ失念していた。
今のユリアは単なる下っ端の新人ではない。成り上がり者という意味では新入りだが、いずれにせよ相手は1つだけ決定的なミスを犯した。
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「では、また明日に」
その日の晩、いつものようにファラフナーズは食後の団欒を終えて自室に帰った。彼女もまた、個室持ちであり、寝室は優雅に1人で落ち着いた時間を過ごせる場所である。
だが、この日は彼女の他に客がいた。それも、招いた覚えのない客が。
部屋を出るときに閉じていたはずの窓が、どういうわけか開いていた。眉根を寄せつつ窓によると、夜風に吹かれてひらひらと舞うカーテンの中に、なにやら大きな影が見えた。
―――今さらユリアが復讐にでもするために乗り込んできたのだろうか。
「ど、どなたかいらっしゃいますの!?」
影に向かって叫び、ランタンを掲げる。
「……サルマン様?」
そこにいたのは、宦官長サルマンだった。知己であったことに思わずファラフナーズが安堵の表情を浮かべると、サルマンもまた悪戯に成功した少年のような微笑を浮かべる。
「サルマン様、こんな夜に何の用事でしょう?」
答えの代わりに返ってきたのは、背後で扉が閉じられる音だった。振り返ると、音もたてずに待機していた屈強な2人の宦官兵が目に入る。
「っ……!?」
ここまで来ればファラフナーズにも何が起こっているのか理解できた。
証拠を見つけられなかったユリアは、サルマンたちを買収したのだ。ここにいる3人だけではないだろう。口止め料も含めて、他にも大勢に賄賂を贈ったはず。下手をすれば大宰相オルハンが関わっている可能性すらある。
今のユリアには、それだけのカネとコネがあった。ルールそのものを捻じ伏せ、乗っ取り、自分に都合よく変えてしまうだけではない。
金はかかるが、ルール違反ですら揉み消せるほどのパワーがあった。そして彼女はその威力を誰よりも理解していて、かつ誰よりも効果的に使うことに長けていた。
「誰か助け―――」
懸命に助けを呼ぼうとするファラフナーズの口を、宦官兵の1人が素早く大きな手のひらで塞ぐ。命の危険を感じて必死にもがくものの、体格と筋力の差は明らかだ。
「やれ」
「うぐっ―――けほっ……!?」
サルマンの冷たい声と共に、もう一人の宦官兵がファラフナーズの鳩尾に肘鉄を決める。あまりの激痛に悶絶し、体を動かすことも、声を上げることもできない。まな板の上に置かれた魚のように、弱弱しく痙攣するのが精一杯だった。
息も絶え絶えになったファラフナーズには、意識こそあるものの、もう抵抗する気力は残されていなかった。
その後の彼女がどうなったかについては、詳しいことは分からない。
ただ、次の日から変わったことが1つある。
その日から、ユリアはもうイジメや派閥抗争には悩まされなくなった。皇帝セリムと大宰相オルハンの2人がわざわざ丁寧にお触書きを出したからだ。
もしユリアが警備の宦官兵に身体に付いた傷のひとつでも見せれば、その日の晩にはハーレムから幾つかの麻袋――ちょうど人間が一人はいるぐらいの―――が運び出され、海峡に住む魚の餌になる。
(あいつ、やっぱクロじゃないか……)
この一件でレイラは確信していた。その後も何度かユリアの過去の話が蒸し返される機会はあったのだが、彼女は決まって拗ねたような顔で「イジメなんてしてませんー」と可愛らしく抗議する。だが、それを見つめるレイラの視線は生温かった。
「まぁ、ファラフナーズの自業自得だよね。今までのツケが回ってきたんだよ」
ザラはすっかりユリアに懐いている。彼女に目にはきっと、頼もしいお姉さまとでも映っているのだろう。
「そうね。法では裁けぬ悪を裁いてくれた英雄に、乾杯でもしましょうか」
ミーナも自分と同じで薄々感づいているようではあるみたいだが、敢えて咎めようとは思っていないようだ。
「個室のお礼もあるしね」
レイラの皮肉にザラたちが気づいたのかは分からない。ただ、気づいたところで気には留めなかっただろう。確かにファラフナーズはやり過ぎた。
彼女の派閥トップのテオドラが庇おうとしなかったところからも、身内にすら疎まれていた可能性が高い。遅かれ早かれ、鉄砲玉として使い捨てられる運命にあったのだろう。
これまでのイジメの報いを受ける形で。
やられたらやりかえす、100倍返しだ!(割とガチ)