18. 宦官長の秘密
それから1年は、ザラにとってもミーナにとっても、レイラやあのファラフナーズですら平和な年だった。もちろんユリアにとってもだ。
相変わらずユリアはセリムのベッドに呼ばれることは無かったが、新しい“愛人”が出来たという噂が立つまで時間はかからなかった。
もちろん“愛人”というのはハーレムの女性たちがつけた仇名で、当然ながら実際にユリアがスルタン以外の男と男女の営みを実際にしたわけではない。そんなことをすれば例え相手が大宰相であろうと文字通り首が飛ぶ。
しかし何の因果かユリアの愛人と噂された相手こそ、タンジマート帝国の若き大宰相オルハン・アフメト・パシャその人であった。
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リグリアからの融資が成功し、財政改革が軌道に乗るとハーレムもその恩恵にあずかった。
平たく言えばオルハンが人員整理の話を撤回し、無駄遣いを減らすよう忠告と僅かな予算カットに留まったのだ。皇后フランツェスをはじめハーレムの女奴隷たちは諸手を挙げてこれを歓迎し、サルマンら黒人宦官たちも同様だった。
宦官長サルマンは皇后フランツェスの取り立てで出世した黒人宦官であり、彼女の操り人形だというのがもっぱらの評判である。しかし権力に取りつかれて媚びているというより、むしろ面倒ごとを嫌うタイプでその野心の無い俗物な部分を評価されての出世だった。
そのため今回の騒動に際して政治勢力としての黒人宦官たちはハーレムに同調し、自らの権力基盤たるハーレムの既得権益を守ろうとオルハンに反対していた。それが撤回されたとあれば、自然とその立役者であるユリアへの態度も変わろうというものだ。
「しっかし、どこから漏れたのかねぇ」
ユリアが首を傾げる。
厳重に秘匿されているわけでもないので、当然といえば当然だが、予想以上に噂の広がりが早い。今回の件に限っていえば、噂が広まってもユリアに損はなく、むしろ得をしている。ただ、逆にいえば悪い噂もすぐ広まるため、注目されることと情報伝達速度の速さは良い事づくめではない。
「まぁ、いいじゃないですか。宦官長も今回の件で感謝していましたよ」
訝しむユリアとは対照的に、ミーナは珍しく嬉しそうだった。そこそこ長くハーレムに住んでいた彼女にとって、リストラ撤回は喜ばしい事だったのだろう。騒動の間は落ち着いているように見えて、やはり内心は気が気でなかったのかもしれない。
「そういえば、今度サルマン様がお茶でもどうかと」
「……ヒマなのかな、あのオッサン」
どうにもこの頃にになると、サルマンはユリアをマスコット扱いし始めるようになっていた。暇があればユリアとお茶を飲みながらだべるようになり、時には父親気どりで自分の武勇伝やら人生の教訓とやらを説くようになっていた。
サルマンは女の尻にしかれるようなタイプではなかったが、親しくなった相手を無下にできるほど酷薄な人間でもなかった。それに何より、ユリアに弱みをひとつしっかりと握られていた。
―――下半身事情だ。
スルタン以外にハーレムに入れる男は、数十人から数百人と女奴隷の1割程度だった。その多くはサルマンのような黒人の宦官で、彼らは奴隷としてスーダンあたりからナイル川の水路、もしくはラクダで砂漠を横断して帝都まで運ばれてくる。
黒人宦官は白人宦官と違い、完全な去勢手術を受けた。
つまるところ根本から男の象徴を切り落とし、尿道に管を通して傷口を煮沸した油で焼き、傷が回復するまで砂の中に首まで埋めるという荒っぽい方法だ。
猛暑の中で傷口が膿んで死亡する者も少なくなかったが、逆にそういった過酷な手術を耐え抜いた頑健さが、黒人宦官たちの売りでもあった。
こうした黒人宦官に比べて白人宦官は軟弱だと考えられており、彼らには睾丸だけを切り取る不完全去勢を受けることが多かった。そのため不完全去勢の多い白人宦官はハーレムの外で、役人や神学者といった文官として活躍する者が多い。
しかしハーレム内に出入りすることは認められており、しばしば女奴隷と肉体関係を持つ者もいた。睾丸を切り取られているため子供こそ出来ないものの、欲情すれば勃起することは可能である。
むしろ子供が出来ないために妊娠する心配がなく、夫に先立たれた皇后フランツェスなどは若くてイケメンの白人宦官からなる愛人を複数人、ほぼ毎晩のようにベッドへ連れ込んでいた。
女奴隷の中にはスルタンの皇妃をなることを諦め、皇后フランツェスの侍女として仕える道を選ぶ者も少なくはない。
もちろんお目当ては皇后の愛人で、皇后の方も褒美として自らの愛人に彼女たちを抱くよう命じ、ハーレム内の権勢を掌握している。
対して黒人宦官たちの居住区はハーレムの入り口の傍にあり、もっぱら仕事場はハーレムの内側にある。その最上位に位置する宦官長は「女たちの頭」と呼ばれ、現宦官長アクバルはスルタンや大宰相に次ぐ強大な権力を誇っていた。
宦官長はスルタンと大宰相の連絡係として両者の間を自由に行き来できる他、スルタンと皇太后の連絡係としてハーレムの内外を自由に出入りすることが許されている。
そのためスルタンの目に留まりたいと望む女奴隷は宦官長によって選別され、罪を犯した女奴隷は宦官長によって刑の宣告を受けてるのだ。
ところがサルマンはその特権的地位を利用し、これまたハーレムの女に手を出していたのである。
もちろん男の象徴は完全に切り落されているため、一般的な男女の交わりは出来ない。しかしながら去勢されても性欲は残り、変則的な形での情交をかわすことは可能である。
そういった特殊な性癖に応じられる女奴隷は稀なのだが、皇后フランツェスとは別に宦官長アクバルに媚を売って彼の特殊性癖を満たすことで、皇妃になるのを諦める代わりにハーレム内で様々な便宜を図ってもらおうという女性がいないわけでは無かった。
(しかし、まさかミーナが通じていたとはねぇ……)
ユリアが2人の関係を知ったのは、実に偶然の出来事だった。たまたま夜間に急用でサルマンに会いに行ったところ、見事に行為の真っ最中であった2人に出くわしたのである。
本来であれば宦官長の許可なしには夜間外出は認められておらず、ミーナは報告の為にサルマンから許可を得て面談しているとの体裁でバレないはずであったのだが、警備の宦官兵たちもすっかりユリアに恩を売りつけられていたため、つい部屋まで通してしまったのだ。
そこでユリアが見つけたのは、仰向けに手足を縛られたサルマンと彼に覆いかぶさるようにして耳元で妖しく睦言を囁くミーナの姿であった。
「なっ、何をしておる!」
「いや、こっちが逆に聞きたいんですけど……」
慌てたサルマンが大声で吼えるも、変態プレイ真っ最中の格好のまま言われてもイマイチ迫力がない。本人もそれに気づいてか頬を赤く染め、改めて何かを言おうとしたところでミーナがそれを阻んだ。
「この儂に――――いぎっ!? んほぉッ!」
「サルマン様、お静かに…………いいですね?」
丁寧な言葉遣いにニッコリと笑顔を浮かべているが、その間にもゆっくりと腰を振って有無を言わさぬ圧を加えるミーナには、実に背徳的な妖しさがあった。
「ミーナ、けっこう進んでるんだね……」
大抵の事では物怖じしないユリアではあるが、流石に親友の一人が「偉くてキモくてデブのオッサン(竿&玉なし)」とハードなSMプレイに興じているとあっては、どうにも顔が引きつってしまう。
「じゃ、じゃあお楽しみのとこ邪魔しちゃったみたいだし、明日でもいいから私はこれで――」
「ユリア様」
出来れば見なかったことにして退散しようとしたユリアを、ミーナが低い声で呼び止めた。
ひっ、と振り返れば、ミーナが今まで見たことも無い微笑みを浮かべて自分を見つめている姿が目に入る。その頬は興奮に上気しており、細められた紫の瞳に目が合うと思わず動揺してしまう。
「よければ、ユリア様も一緒にどうです?」
「「え」」
まさかの提案に、思わずサルマンとユリアの声がハモった。
「……マジ?」
「マジです。せっかくなので」
けっこうストレス発散になって楽しいですよ、と結構な真顔でのたもうミーナ。特に騙そうだとか、罠にはめようといった裏もなさそうだ。
「………」
ユリアは悩んだ。悩みに悩み抜いた。30秒ぐらい。
そして――。
「よっしゃ!いっちょヤッたるか!」
もちろん、好奇心旺盛なユリアがこんな面白イベントを見過ごすはずもない。ノリよく応じたユリアに、ミーナも嬉しそうに笑う。
「では、後ろは私が責めますので、ユリア様は開発済みの乳首から――」
なんだかここまで来るともう、サルマンの方も「どうにでもなれ」といった感じであった。自分から進んで腰を振り出す宦官長の情けない姿に、思わず本音をぽろっとこぼすユリア。
「うわ、宦官長キモ……」
「ひんッ」
「あ、そんな感じです」
口ではそう言いながらも、なんだかんだ深夜のテンションで楽しんでしまったユリアである。ミーナから手ほどきを受けつつ、2人で楽しくサルマンを何度も絶頂に導いていると、気づけば朝であった。
どうにも身体の相性は良かったらしく、ユリアは次の日から宦官長サルマンがこれまでとは違う目で自分を見ていることに気づく。
男が女を貪ろうとする、嘗め回すようなねっとりとした視線ではない。女が媚を売る時の陶酔的なそれであった。
宦官の下半身事情、色々と根深いものがありそう。