15. ユリアの錬金術
ユリアの口から出てきた提案は、レイラが予想だにしないものだった。
大宰相、しいては帝国政府にお金を貸す――――。
これが他の誰かであれば、冗談か酔っぱらっているのかと笑い飛ばすところだが、あいにくレイラの目の前にいる女は普通じゃない。
「レイラに言われて気づいたんだけど、大宰相だって何も未来永劫ハーレムを潰そうだとか、そういう話じゃないんだよね。ただ単に、一時的に金が無い。だから当面の工面をするために、経費を節約してお金を浮かそうってケチな発想してるだけで」
大宰相の事をケチ呼ばわりとは大した肝だが、そこはレイラも同感なので突っ込まない。何やら面白そうな話になってきたのを感じ、腰を据えて先を促した。
「つまり、大宰相はお金に困ってる。お金を必要としているなら、必要な分だけ貸せば問題ないはず」
ユリアの話を聞くと、レイラも神妙な面持ちになる。
「話は分かったけど、いくら必要なの? 噂じゃハーレム経費の2~3割っていうけど、そんな大金いくら小遣い稼ぎしたって用意できないわよ」
身も蓋も無い正論でばっさりと斬ってみると、ユリアの方も思い付きだったせいか反論できるはずもなく、「そうなんだよねぇ……」とがっくり肩を落とす。
「そんな大金、このハーレムで持ってる知り合いなんて……」
「いるじゃないですか」
横から口を挟んだのはミーナだった。全員の視線が集まり、言い出しっぺのユリアも身を乗り出す。
「いるの!? 誰!?」
「ユリア様ですよ」
名指して呼ばれて、思わずぽかんとするユリア。
「正確には、ユリア様のご実家ですが。たしか金貸しをしていて、たいそう儲けていると聞きました」
「あ、あぁ……そういうこと」
そういえば、ユリアの実家であるヴィスコンティ家は屈指の資産家だ。家業の銀行業は血も涙をも無い取り立ててで有名であり、扱う資産額は軽くリグリア政府の税収の倍はある噂されるほど。父テオバルドがその気になればハーレム経費の2割程度、出せない額ではない。
ただ、問題はその方法だ。
「娘の私が言うのもなんだけど、ウチの父親って巷で言われてる通りの守銭奴なんだよね。娘だろうがなんだろうが、儲け話にならない金は一銭も出さないっていうか」
父テオバルドは銀行家であって慈善家ではない。出資ならしてくれるだろうが、寄付はしてくれない。そしてこの違いは、サイード教においては重要な意味を持つ。
―――サイード教徒は、利子を取ってはならない。
これは聖典にも記されており、それを破ることはご法度となる。そのためタンジマート帝国において銀行というのは全て無利子の半ば慈善事業のようなもので、寄付や無利子の融資は善行として奨励されるが、それを金の貸し借りによって労働なくして富を得ることは許されていない。
もっとも西方のリグリア共和国や神聖クライス帝国でも、つい最近までは教会が利子つき貸借を禁止していた。しかし200年ほど前に起こった大規模な宗教戦争によって教会の力が衰えると、代わって力をつけてきた世俗諸侯や商人たちによって徐々に金融の自由化が進展していったという経緯がある。
「利子つき融資ならしてくれると思うけど、神学者に睨まれたらそれこそ宗教裁判で解雇どころの話じゃないよ。やばいって」
「そこを何とか」
「何とかって言ったって……」
明確な脱法行為である。ミーナも意外と腹が据わってるな、とかどうでもいい感想を持ちつつ、ユリアは思案を巡らせるも、やはり良い案は浮かんでこない。
「どんなルールにも抜け道はあるはずです。ユリア様なら出来るはずです」
「いや、ルール破りで持ち上げられても」
「それとも全員で売春宿に行きたいですか?」
「ミーナちゃん……」
ぐいぐい押してくるミーナに只ならぬ気配を感じ取り、思わず後ずさるユリア。たしかに売春宿には入りたくない。高級娼婦ならまだいいが、運悪く街角で人さらいにでもあって安いとこに放り込まれでもしたら、どんな病気にかかるか分かったもんじゃない。
(そういえば売春も一応、聖典だと禁止だったっけ)
一応、と但し書きが付くのは、実際にはそこら中に売春宿があるからだ。聖典において性行為が可能なのは夫婦のみとされ、既婚者の不倫はもちろん婚前交渉まで禁じている。
だが、いかに高尚な道徳を掲げたところで人類最古の職業と客がそう簡単に姿を消すことも無く、どうにか抜け道を作って快楽を追求するのが人の性だ。
特にタンジマート帝国はサイード教を掲げる国家の中では戒律が緩い方で、繁栄を極める帝都アルラシードにある娼館は数知れず、そもそもハーレムの存在それ自体が原理主義者にとってはアウトな存在である。
そんな帝国でどうやって売春をやっているのかというと、「むしろ夫婦の子作りは応援する」というルールを利用して「偽装結婚」を行うというのが一般的な方法だ。
まず偽装結婚のために婚姻届けにサインしてそれを仲介業者に見せ、結婚の際には持参金を払う必要があるので客はそれを娼婦に渡し(実質的な料金)、行為が終われば離婚届にサインして偽装結婚を終了させる、というもの。もし異教徒であれば、結婚の前に偽装改宗が追加で必要となる。
ハーレムでも世継ぎが生まれて正式に結婚するまでは、おおむね上記のような方法でスルタンは女奴隷たちと情事を楽しむのだ。
(そういや、ここに来てからミーナにそんなこと教わったな)
「法治主義」なんて言葉もあるが、ルールというのは結局のところ「言葉をどう解釈するか」だ。条文に「Aを禁ずる」と書かれていたところで、「そもそもAとは何か?」という言葉の“解釈”は時と場合による。
だからユリアの前世でも「売春は禁止だけど、お風呂屋の女性店員とお客がイイ感じになってヤッちゃうのは売春じゃないからセーフ」だとか、「賭博は禁止だけど、金払ってスロットマシンで遊んで当てた銀色の弾を、近くにあるオモチャ屋で交換するのは賭博じゃないからOK」みたいな超解釈で世の中は回っていたりする。
(つまり、重要なのは「実質“利子”だけど“利子じゃない”」って解釈が出来ればいいってわけか!)
ユリアの瞳に、光が燃え上がった。
「ルールはルール」なんて言葉もありますけど、結局ルールに書かれた言葉を「どう解釈するか」は人なんですよね。なので法治主義と人治主義とかってありますけど、あれって対極ではなくて地続きの上での程度論なのかなと