14. 人員整理
オルハンによるハーレム改革(という名の歳出削減)は、ほどなくしてハーレム中の女奴隷たちが知るところとなった。
歳出削減となれば、恐らく人員整理もその中に含まれる。外界から完全に孤立した世界であるハーレムで長く過ごしてきた女奴隷たちにとって、ハーレムの外に身ひとつで追い出されるということは死活問題であった。
「どっ、どどっ、どうしよう!?」
噂を聞いてザラは、早速わたわたと慌てふためいてる。
「アタシ、売られてきたから実家には帰れないし、生活とかどうすればいいんだろ!?」
「落ち着いてください、まだ大宰相の改革案は提案中で詳細までは決まってません。人員削減があったとしても、貴女がクビになると決まったわけじゃないですし」
「そうだけど不安だよぉ……」
ミーナがテンパるザラを宥めているのを横目で眺めつつ、ユリアにとっても他人事ではない。
運が良ければ家族が亡命している神聖クライス帝国に帰ることは出来るかもしれないが、道中で盗賊なり海賊なりに襲われるリスクの方が高い。この時代は、女性の一人旅というのは非常に危険なものだった。
下手をすればそのまま人攫いに捕まって、どこか異国の地で外国人娼婦としてその日暮らしという結末すら有りうる。
「しゃーない。こうなったら……」
困ったときこそ、持つべきは友人である。ハーレムに身一つで放り込まれたユリアにとって唯一といっていい財産が、ここで築いた人間関係だ。コネとも言う。
「というわけでレイラ様、何か良い感じのお仕事はございませんでしょうか」
「見え透いたゴマすりをありがとう。こうも急に畏まられると、やっぱり気持ち悪いわね」
案の定、ユリアの浅はかな思い付きは見透かされていた。前世の記憶を頼りに誠意を見せるべく土下座してみせたものの、返ってきたのはレイラの呆れ顔と盛大な溜息であった。
「まぁ、仕事が残ってれば紹介してやらんでも無かったんだけど。ちょっと遅かったわね。私に仕事の斡旋を頼んできたの、アンタで9人目だから」
レイラ曰く、既に転職先の内定は前の前の依頼人で定員に達したという。世の中、同じことを考える人が数人はいるものである。
「そこを何とか!このとーり!」
「祈るなら、唯一絶対神に祈りなさい。こっちは定員オーバーなの」
「チッ」
「何か言ったかしら?」
ぶんぶんと全力で頭を振るユリア。やはり信じるべきは自分しかいない。自己防衛、知り合いなんてアテにしちゃダメである。
「やっぱ有力派閥に入って解雇リストから外してもらうしかないのかなぁ……」
「それがいいでしょうね。入るなら最大派閥のテオドラ様か、第2派閥のカーヤ様がオススメよ」
テオドラ派は保守派で、しかも皇后フランツェスの後押しがある。カーヤ派は革新派に属するが、人数では倍以上の開きがある。ただ、カーヤ自身が切れ者で背後には帝国有数の大貴族と、セリムのお気に入りという強みがあった。
「どっちがいいと思う?」
「私だったらテオドラ様かな。なにせ背後にいるのが軍部だし」
テオドラはセリムの拡大政策を支持すると公言しており、また皇后フランツェスの紹介もあって軍からは好意的に受け入れられてる。帝国において「国家の中の国家」とも呼べる軍の支持があれば、大宰相オルハンとて容易に手出しは出来ないはずだ。
「テオドラ様の方でも、積極的に人材を探してるみたいよ。派閥の数が増えれば、それだけ大宰相に対して強く抵抗できるし」
数は力とかなんとか言った政治家はどこの国にもいるのだが、事実としてハーレム側がオルハンの改革を阻むには一丸となって抵抗するのが一番だ。
東洋には「3本の矢の逸話」というのがあるそうだが、ハーレム中の女奴隷たちが一丸となって抵抗すれば、オルハンの改革そのものを潰すことも夢ではないはずだ。
レイラ自身、そうなってくれるのが一番ありがたいと考えていたのだが、ユリアの反応は意外なものだった。
「そんなん夢物語だって。人間なんて危なくなったら、団結するどころか仲間割れするもんよ。第一、あの戦争好きのセリムが軍より女を選ぶわけ無いし。軍拡は既定路線よ」
これはユリアこと由梨亜しか知らない設定だが、原作ゲームにおいてセリムは基本的に戦争屋でどのルートでも必ず軍を率いてリグリア共和国まで進軍し、選択肢次第では戦争になって攻略相手が戦死する。
本人ルートでもバッドエンドでは名誉の戦死を遂げ、トゥルーエンドでは戦場に乗り込んだヒロインの説得によって諦めて撤退するということになっている。
つまり、どのルートだろうが開戦そのものは避けられないが、どれだけ被害を抑えられるかがヒロインの選択肢によって決められるのである。
(一応、トゥルーエンドであっさり撤退する背景設定として、戦争のし過ぎ&無茶な軍拡で帝国財政が火の車とかいう理由があったんだけど、まさかそんな細かい設定がここで効いてくるとはね……)
何の気なしに呟いた言葉だったが、レイラはある言葉に興味を惹かれたようだった。
「今の“軍拡は既定路線”ってどういうこと?」
「え? そのまんまの意味だけど」
「じゃなくて。なんで軍隊の話題が入ってくるわけ?」
レイラに言われて、ユリアも彼女の疑問に気づいた。そういえば、オルハンのハーレム改革は表向きは別の理由が掲げられていたからだ。
「今回のハーレム改革、大宰相は表向き“風俗の乱れを正すため”なんて言ってるけど、あんなのこじつけよ」
そもそも女は政治に関わるべきではないと言われていた時代である。皇后や皇妃ともなれば多少は関わることもあるだろうが、下っ端の女奴隷ともなればハーレム外の政治には疎くて当然だ。
「大宰相の真の狙いは、財政再建よ。軍事予算は聖域で削れないから、こっちにお鉢が回ってきたというわけ」
そして政治の中でも、財政といった金が絡む話題となれば、一介の女奴隷であれば知らなくて当然だ。
有力貴族でさえ、金銭については部下に丸投げして戦争にかまけている……というのは流石に言い過ぎだが、戦争によって国土を拡大したタンジマート帝国は、そういう意味で良くも悪くも武勇の国であった。
対してユリアの祖国、リグリア共和国は商人の国である。貴族の中にも商人出身者が多く、金融で財を成したユリアの実家などはその最たるものだ。
ユリアにしても前世記憶はもちろんのこと、父テオバルドの教育方針――曰く、結婚したら嫁ぎ先の女主人として財布の紐をしっかり握っておけ――で、徹底的に経済やら金融やらの勉強を叩き込まれていた。
「男の子ってのはですね、幾つになっても偉くなってドヤりたいもんなんですよ。だからセリムにしたって、金が無い中で戦争かハーレムか決めろって言われたら、前者を選ぶに決まってます」
「ふぅん……事情は大体わかったけど、よく知ってるわねぇ」
「そりゃあ、こう見えても大銀行やってる大貴族の娘ですから」
ユリアの説明を受けて、レイラにも状況が読めてきた。彼女も仕入れ担当をやっている手前、言われればある程度の状況は理解できる。
「成程ねぇ……確かにウチの帝国は戦争に強いし、一時的な金欠で軍隊に反乱起こされる危険を冒すぐらいなら、戦争を選ぶと。なんだかんだで、勝てば名誉も賠償金もぶん捕れるわけだし、陛下が軍隊を選ぶのも言われてみれば当然か」
「………あれ?」
「軍隊に投資しておけばいつか金になるかも知れないけど、ハーレムに投資しても金は生まれない。世継ぎなら生まれるかもしれないけど、今すぐは必要ないでしょうし―――……って、ユリア?」
レイラが首をかしげる。
いつもだったらこの辺でユリアから、「何うまいこと言おうとして滑ってるんですか」みたいなツッコミが入るところなのだ。
しかしこの時はまったくのノーリアクションで、レイラが不審がってユリアを見ると何やら一人でぶつぶつと呟いている。
「ユリア?」
「………」
声をかけてみるが、反応がない。さすがに心配になってくる。
「ちょっと、どしたの?」
「お金か……」
「え?」
レイラの声などまるで耳に届いていないかのように、ユリアは呆けたように一人でブツブツとリグリア語を呪文のように唱えている。
そして次の瞬間、がばっとレイラの方に向き直った。
「そうだよレイラ、お金だよ!」
「いや、だからユリアが自分でお金の問題だって言ってたじゃん」
「そうじゃなくて!」
ぽかんとするレイラをよそに、ユリアはいささか興奮気味だ。
「大宰相が欲しいのはお金。だからハーレムを潰そうとしている。逆にいえば、お金さえあれば大宰相もハーレムには手を出さない」
「そりゃあ、まぁ」
なら、とユリアは続けた。
「私たちがお金を用意して、それを大宰相に貸せばいい」
次回、ユリアの金策です。