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ハーレムの中の悪役令嬢  作者: 永遠の国
下剋上編
13/28

13. 常備軍と財政再建


「――これ以上、民衆の税を増やせば大規模な反乱が起きます。増税の前に、まずは政府の出費を減らすことから始めて頂きたい」


 先日の御前会議で、財務官僚たちの声を代表してオルハンは緊縮財政を提案した。


 当然、予算を減らされたくない軍や他の官僚たちから「財務長官の陰謀だ!」といったブーイングの嵐で、大宰相いえども海千山千の長老たちを宥めるのに苦労した。



 **



「失礼します」


 宰相の執務室をノックする音がして、扉から顔を出したのは白人宦官長のフサインだった。いかにも頼りなさげで卑屈そうな宦官そのものといった風貌だが、面長の顔にある2つの青い瞳だけが光を反射して異様にぎらぎらと輝いている。


「先日、頼まれていたハーレムの予算削減の見積もりが出ました」


「どのぐらいだ?」


「少なくとも、2割ほどの歳出カットが必要かと」


「2割か……」


 セリムの片目がぴくりと痙攣する。無理をすればゴリ押しできなくもない数字だが、宮廷の一大勢力であるハーレムを敵に回すのと引き換えだと思うと、割に合うか微妙な数字だった。



 予算そのものの大きさでいえば、ハーレムの経費は帝国の財政支出全体からみれば5%ほどでしかない。最大の予算である軍事費が65%ほどを占めているのを考えると、ほんの僅かな数字だ。


 ちなみにこれ以外だと文官および神官に払う給料が10%ほど、皇室関係予算も同じく10%ほど、その他の公共事業などが残りの10%ほどとなる。



「これまで公共事業の削減でどうにか凌いできましたが、さすがにもう限界です。これ以上、公共事業予算を削減すれば、道路や橋といったインフラの維持に支障をきたし、経済活動に悪影響を与えます」


 そうなっては税収が減り、本末転倒というものだ。オルハンは頭を抱えた。


(既に文官たちには無理を言って、給料を一律10%カットさせてある。更なるカットは難しい……)


 歳出削減の言い出しっぺである以上、オルハンは率先して給与削減に自らの支持基盤である文官たちにも協力してもらったが、それでも限度というものがある。政治的な事情もあり、必要以上に自身の支持基盤が弱体化することは避けたい。


 皇室関係予算については、セリム自身がそこまで派手好きでなかったことから、なんとか3割ほどカットできた。とはいえ、それも文官の給料削減と合わせて全体から見れば4%のカットでしかない。



「やはり、最終的には軍の予算を減らすしかないでしょう」


 フサインが呟く。


「特に金食い虫の常備軍・ジャニサリは今すぐにでも改革すべきです。今のジャニサリは反乱を抑えるどころか、彼ら自身が反乱の火種みたいなものです」


 フサインが、やや意気込んで語気を荒げる。彼自身、常備軍の存在意義そのものは否定していないが、非効率な組織の構造改革は急務だと感じていた。



 ――帝国の常備軍『ジャニサリ』は、世界でも特異な軍隊として知られている。



 当初は異教徒の戦争捕虜からなる奴隷軍であったが、帝国が広がるにつれて国内に住む異教徒から優秀な青少年を徴集するデヴシルメ制度が考案され、定期的な人材供給が行われるようになる。


 ジャニサリに配属されることが決まった者は、まず改宗の手続きがとられた後、サイード教徒の農民家庭に配置され、農業労働に従事するとともに帝国公用語を習得させられた。



 その後、首都などに兵営を持つ新兵軍団に配属され、次いでジャニサリの増員・欠員補充の必要性に応じて軍団に編入されていく。

 彼らは君主直属の主力軍団として原則的に首都にある兵営に住まわされ、また妻帯することを禁じられるが、同時に高い俸給を与えられ、免税など様々な特権を享受した。



 ジャニサリは長官であるジャニサリ・アース以下、部隊ごとに分かれて強い規律を持ち、今日までのタンジマート帝国の軍事的拡大に大いに貢献した。同じ頃に西方で銃が普及し始めるといち早くこれを取り入れ、組織的に運用したことも大きい。



 そして軍事技術の革新のため各国で火器を装備した常備歩兵が重要視されるようになり、タンジマート帝国では必然的にジャニサリが拡充される方向に向かい、人員が膨張すると同時に、首都のみならず帝国領内各地の都市に駐留させられるようになった。



 しかしジャニサリの急速な拡大は、軍事組織の構造に変化をもたらした。



(帝国の領土が急拡大すれば、それだけ多くの兵士が必要となる。だが、急ごしらえの兵士を増やした結果、質の低下は目を覆わんばかりだ……)


 有り体に言えば、規律の乱れである。


 ジャニサリの特権目当てで入る、生まれながらにサイード教徒であるタンジマート系の者が増えた。さらに禁じられていた妻帯も普通に行われるようになって、その子供を入隊させるようになったため、事実上の世襲となり、軍紀が乱れるもととなった。



 ただ、当初の厳格な規律が維持されていた頃のジャニサリは2万人が限界であり、建国初期ならいざしらず、帝国の版図が拡大するにつれてどうしても数が必要となる。


 妻帯や世襲化もその意味ではやむを得ない部分もあり、こうした“規律の乱れ”のおかげで12万まで拡充された常備軍が各地に駐屯することで、どうにか地方の反乱を抑制できていたともいえよう。



 しかしジャニサリは各都市においてギルドと結びついて顔役・無頼のような行動をとり、政治にも介入した。特に首都ではしばしば反乱を起こし、ときには宰相を更迭させたり、君主に廃位すら迫るようになっていく。


 セリムの時代では既に旧式軍であるジャニサリは帝国の反改革・保守派勢力の牙城と化しており、その専横は目に余るものが多く、すっかり帝国内における改革の妨げとなっていた。



 こうした事情から、オルハンたち改革派が最も力を入れてた事業は軍制改革だった。特に常備軍の近代化は財政的な問題だけでなく、安全保障の観点からも急務といえた。



 だが、フサインら若手官僚の期待に反してオルハンの声は弱い。


「皇后にもその話をしたのだが、色よい回答は得られなかった」


「そうでしょうね。皇后は軍の支持が厚いですし」


 生真面目なフサインがフン、と鼻を鳴らしたのは政敵であるという以上に、生理的な嫌悪感と軽蔑の感情からだった。


 軍隊というむさ苦しい男社会において、見目麗しい女性は存在するだけで無条件に肯定の対象となる。


 フランツェスもそのことをよく知っていたから、先代皇帝が健在だった頃から軍への慰問は欠かさなかった。その色香に惑わされたといえば語弊があるが、いずれにせよジャニサリ軍団の実態は「皇帝陛下の兵士」というより、「皇后フランツェスに付き従う男ども」といった方が真に近い。


 皇后フランツェスの方もまた、事あるごとに軍隊を頼りにした。大勢の寵姫の中で彼女が生き残ったことと、ジャニサリ軍団による無言の政治的な圧力は決して無関係ではない。



 今回の件に関して、フランツェスはまだ動きを見せていないものの、ジャニサリ軍団から陳情があればオルハンに対して敵対することを厭わないだろう。


 彼女の性格上、ジャニサリと共にオルハンを非難するといった直接的な手段は好まないだろうが、より多くの政治勢力を改革反対派に統合して圧力を加え、スルタン直々に改革の中止を命じざるを得ない状況を作り出す……といった、間接的アプローチで締め上げてくることが予想された。



(神学者の爺たちとて、あの色香を前に冷静な判断をするとは思えない………商人たちも、外国の外交官すらも、彼女がその気になれば大抵の男は惹きつけられてしまう)


 そのための付き合いを日頃から欠かさず、思わせぶりな態度を小まめにとっているフランツェスには、いざという時に動かせる手駒には事欠かない。


 「政治は数」というが、まさしく彼女は卓越した政治家であった。実績はそこそこも馴れ合うことで巨大勢力となり、既得権益で結ばれた共同体はそれ自体が自己保存的に振る舞う。




「今、彼らと対決すれば君も私も失脚させられる。もう少し機会を伺うしかあるまい」


 オルハンの前にも何人かの心意気のある官僚たちがジャニサリの改革を訴えたが、ことごとく反対にあって失脚してしまった。歴代スルタンも、常備軍の予算だけは聖域として手を出すことが出来なかった。




「まずは予定通り、ハーレムの改革からだ。幸いにも、セリム陛下の関心は女よりも戦争にある。軍事予算を減らさないことを条件にすれば、陛下とジャニサリ長官からも協力を引き出せるだろう」


 加えて、セリムはハーレム改革にも細心の注意を払うことにした。皇后フランツェスは自身の損得には敏感だが、そこさえ触れなければ必要以上に手は出してこない。


「皇后と親しい女奴隷は解雇リストから外せ。彼女と疎遠な者から順に、整理の対象とする」


 かくして大規模なリストラが始まった。そしてオルハン自身は一人一人に注意を払っていなかったが、解雇リストの中にはユリア・ヴィスコンティの名も記載されていたのであった。

  

常備軍『ジャニサリ』、モデルはオスマン帝国の『イェニチェリ』。

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― 新着の感想 ―
[一言] OH!戦争をしているわけでもないのに、軍事費が…!北朝鮮や、大日本帝国よりひどい!!崩壊しか未来が浮かばない。 (; ・`д・´)
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