余話 ソウルフードを求める話
本編後、サエとルンがいちゃついてるだけ。
ふと、猛烈にあるものが食べたいと思うことってないだろうか。
私はある。今現在、絶賛思っている。
「カレーライスが、食べたい」
スパイスたっぷりの本場のカレー、麺とも合うスープカレー、そして我が母国のとろとろなあのカレーライス。あの味が恋しい。
いや、もっと言っていいなら、もちもち白米だとか味噌とか醤油とか漬物とかしょっぱいもの食べたい。日本人で連想されるありとあらゆるソウルフードを食べたい。
でもまず、なにはともあれ、カレーライスが食べたい。
カレーを欲する舌になっているのだ。
「料理ならあるだろう、何が不満だ」
仁王立ちでこちらへプレッシャーをかけるコモス様を見返す。
その前には、フルコースと言っても差し支えないほどの料理の数々だ。食欲をそそる香りのとおりに間違いなく美味しいだろう豪華な昼の食事。
けれど、今の私の心を揺さぶるには及ばないのだ。
「んうー……私の真に食べたいものじゃないんです」
「なんだと」
気色ばむコモス様だが、これは怒っているわけではなく未知の味をもっと説明しろというやつだ。
ロクタックの地に永住することとなって、なんだかんだと仲良く付き合わせていただいている、身内のような上司の一人である。嫌でもわかるようになるというもの。
言葉だけはかろうじて敬語をつけていても、くだけた態度だったりこうしてだらけていても「まあ……サエだからな」と半眼で見られて終わるようになった。
ちょっとばかし諦めと呆れと見下しも混じっているとは思うが、親しみやすさもアップしているのは間違いない。お咎めもないし、なんだかんだと構ってもらえるし。
コモス様は、見かけこそ悪役プロレスラーもかくやの人相だけども、面倒見はいい。言動も一見どころか、よくよく接してみても傲岸不遜のマイペースなのは間違いない。でも、良い人ではある。
だから私が唸って昼食も手をつけずにテーブルにつっぷしていると、目の前に移動してどっかと椅子に腰を下ろしてくれる。
「おい、サエ。お前の言うその料理とやら、俺に再現できないとでも思っているのか?」
「だって、材料がないですもん。世界も違ったらまったく同じとはいかないです」
もどきな料理は出来ても、そのものは出来ない。
いくらコモス様でもそれは無理がある。魔法使いでもないのだし。
「それに、メルーにもちょっとばかしお願いしたら「サエ姉のお願いはもう聞きました」って! うう……白米、じゃがいも、ニンジン、玉葱、カレー粉ぉおお」
唯一、この世界で万能では疑惑のある義理の妹ことメルーにも頼んだが、にべもなく却下された。もともとダメ元だったけど、悔しい。
「奥域の存在に気軽に物申すほうが困難だと思うがな。おい、そんなことはどうだっていい」
「どうだってよくないです。食べられないってわかると食べたくなるもんです」
「まあ、わからんでもない。それで、その料理はなんだ。言ってみろ」
「だからカレーライスですって。とろっとした辛みとうまみの凝縮したルーとお米の! あっ、もちろんお米は白米も玄米もいけますけどバターで炒めたバターライスや香辛料と炒めたサフランライスもいいですよねえ……はあ、食べたい……」
「もっと俺にわかるように説明しろ」
面倒見がいいとさっき説明したけども、やっぱり単純に未知の味に目がないだけかもしれない。明らかに私の心配より新たな料理名に興味がいっている。
こういうとき、ルンがいたらさりげなく興味を逸らしてくれたり口を挟んで補足してくれたりするのに。
そんな私の可愛くて格好いい恋人様であるルンは、現在オウィノー様に連れ去られている。
新しい服が出来たからと言われ、引っ立てられるように衣裳部屋に行ってしまった。
なお今回は、私の世界での服アレンジを試してくれるらしい。新たなルンの姿が見れるのは、ドキドキワクワクだ。
楽しみにしてるねと期待をたくさん伝えたら、照れ笑いで「はい」と言ってくれた表情を思い浮かべてみる。
そうすることで、ないものねだりが収まるかしらと思ったのだけれど……それとこれはまた別だった。
「おい、サエ。説明」
向かいでコツコツ机を指先で叩くコモス様のおかげである。
まあ、これも生活するうちで慣れた。むしろもっとひどいときは首根っこを掴まれて素材採集傍ら「この味か。違うのか。じゃあこっちか」と食材を口につっこまれる。四つある腕をふんだんに使って味見させてくる。
まだまだとても優しいほうだ。しびれを切らせる前に素直に話すが吉。私は学んだ。
「そもそもスパイスとか香辛料ってあるんです?」
「ダンジョン産もあれば、自然のものもある。辛みはそれか」
「匂いや風味とかも補助する役割もあったような。色付けとか、あとはお薬調合みたいに色々混ぜてました」
「つまり多くの香辛料を混ぜ合わせる料理か……お前、貧相な味蕾のわりに贅沢品を食っていたのか」
「あー、一粒で黄金並みの価値があるって昔いってましたねえ」
「つくづくお前の居た世界に渡れんのが悔やまれるな」
コモス様の指トントンが止んだ。一対の腕を組んで、余った腕は顎を撫でたり茂った頭部の草木を掻いている。考えをめぐらせているところの癖だと、お付き合いの中でなんとなくわかった仕草だ。
そしてこういう後のコモス様の行動も読めてきた。
「香辛料の獲れるダンジョンなあ……種子や果実はここでもとれるが……ラウェイ、フサラ、タァメ、メスメスス、クンダリ、彼方海の向こうの植物からもあったか……なら」
ぶつぶつ言いながらコモス様は私のことなんて眼中から消し去ったみたいになっている。そしてそのまま立ち上がるとおもむろに外に出かける準備を始めた。
「よし、この俺、コモス様に不可能はない。ひとまず香辛料を一通り集めてくるから大人しく待っていろ。そこの料理はヌワとルンにも食わせるように。残していいのはそことそこだ」
せわしなく指示を残して、振り返りもせず食堂から出て行った。口を挟む隙すらなかった。
まあ、予想通りである。
というかコモス様、少し前にも新種の素材があるらしいといって飛び出して行ってバティストさんに連れ戻されていたような。
その素材の最適な利用を探ると昨日今日と作り続けているのが、目の前に並んでいる料理たちである。
帰還後にはさらに増えるんだろうな。
しかし、これ、私も怒られるかしら。
すでに姿の見えないコモス様は、ヌワの静止をものともせずに下界に下りちゃっているはず。ヌワは下界に繋がるドアの番をしているので、おそらく巻き込まれていそう。
そして、ヌワを巻き込んだことでオウィノー様もおかんむりになるかもしれない。
むこうしばらくお着換えや服のお話に付き合うことでどうにかなるだろうか。
怒られることを前提として回避方法を考えていると、足音がした。
石畳を小走りでやってくる音に入り口のほうをみれば、見慣れた姿が現れた。
「サエ、今コモス様とすれ違ったのですが」
言いながら入ってきたルンは、机に並ぶ料理の数々を見て立ち止まった。
そして、またかとでもいいたそうな顔をするとゆっくりと歩いてこちらに来る。
恰好はこの世界では見慣れない類の……つまりは私に馴染みがあるものだった。
スーツベスト!
ブラウスタイに、細身のスラックスパンツ。色合いも形も完璧だ。
私とルンの恰好だけ数世紀先の文明にいったみたいでちぐはぐだけど、それはともかく。
スマートな体型のルンにとてもよく似合っている。あちこちの町で布を買いあさっていたオウィノー様に感謝しなければ。
よく私の簡単な絵からここまで仕上げてくれたものである。さすがオウィノー様。ルンに似合うものがよくわかっていらっしゃる。
近くにきたルンをまじまじと上から下まで眺めて軽く拍手する。
「ルン、似合ってる。格好いいじゃない!」
「えっ、あ、あの、はい。ありがとうございます」
ぱっと頬を赤らめてお礼をいうルン。目の保養だわ。
珍しく髪型もいじっているみたい。普段あまり出さないおでこも見えていて新鮮だ。
見て世界! 私の恋人めちゃくちゃ素敵。
浮かれた頭で、ひとまずと隣の席を勧める。大人しく腰かけたルンは「それで」と若干照れは残った顔のままで聞いてきた。
「コモス様はまたどこかへ?」
「香辛料を集めて新料理を作ってやるから待っていろだって」
「それは……サエ」
ルンがじとっとした目で私を見ている。
あっ、私がなんか言ったんじゃと思われているな、これ。
正解なので、あいまいに笑ってごまかしてみる。
「……あとからオウィノー様やウータ様から言われることは覚悟しておいた方がいいかと」
「うっ、やっぱり?」
「ヌワ様も連れていかれたので、午後のお茶会ができないと仰っていましたので」
「ああ……あー、わ、わざとじゃなかったんだけども……そっかあ」
はあ、と息を吐く。
元をたどれば私のカレー食べたい愚痴だったし、コモス様がのらないわけがないとわかっていたはずだった。
あ、思い出したらまたカレーが恋しくなってきた。
また溜息を吐き出せば、ルンが小さく首を傾げた。
「今度は何を作ろうとしたのですか」
「カレー。スパイスをかけ合わせた液体をお米にかけるやつ」
「あまり、想像はしづらいのですが……サエがいうのなら、きっと美味しいのでしょう」
「うん、そりゃもう。はあ」
目の前の料理たちも勿論美味しいとわかるけれど、思い出の味というものはどんどん美化されるのか恋しくなってくるのだ。
食べろと言っていたので、手を合わせていただきますと料理に手を伸ばす。
豪勢すぎる昼食のうち、コモス様が手を出すなといったものをルンに教えつつ口に運ぶ。
やっぱり美味しい。美味しいけれど、ちょっと違う。
表情に出てしまうのだろうか。そんな私にルンが気を利かせてか、あれこれ取り分けてくれた。
お隣の素敵な恋人のおかげで心は潤うけれども、食べたい気持ちと恋しい気持ちはまた別なのだ。
お礼を言いつつ、ひとまずの舌鼓を打つのだった。
あらかた片付けも済んだ後。
ヌワ用のものも確保したところでルンがこう切り出した。
「サエ、よければ私にもそのカレーを教えていただいていいですか」
「え、それは全然いいけど。ええとね」
「あ、いえ、あなたの言葉も聞きたいのですが、それではなく」
若干言いづらそうにまごついている。両手の指先をもじもじと動かして、落ち着きなく言った。
「あの、誓ってやましい気持ちは……ない、とは言い切れ……いえ、違って。サエの記憶にあるカレーの知識や味わいを共有させてもらえたらと。それほどまでにサエが求める味が気になって。ですので、その」
「あ、額?」
「はい」
なんだそんなこと。
前髪をささっとよけて、さらす。至近距離はどきどきするものの、ルンの文化ほどいけないことみたいな意識はない。改まってとなると、私よりもルンのほうが余程緊張しているように見えるのが可愛いなと思う。
「ん、どうぞ」
「ええと、では、なるべくそのカレーのことを考えてもらえると伝わりやすいので」
「オッケー。今カレーの口だから簡単だわ」
カレー。美味しいカレー。
しゃばしゃばだろうとぱさぱさだろうと、今ならなんでも大歓迎だ。
固形ルーがいかに万能素材だったか。大概のものをカレー粉で煮たり炒めたりするだけでなんでも美味しくなるのだから。
思いをはせるべく目を閉じる。
その少し後に、こつんと控えめに額に当たる感触がした。
微かに聞こえる息遣い。そろっと目を開けて見れば、集中しているようなルンの顔が間近にある。
いや、やっぱり素敵だわ私の恋人。
カレーも確かに恋しいけれど、ふっと感想が思わず浮かぶくらい良い。
材料さえあればなあ。私が作って、ルンに食べてもらうなんてできるのに。
美味しいって言ってくれたらいいな。いや、ルンは優しいし多少の忖度はしてくれるけど、いやでもカレーだぞ。カレーならこの顔もぱあっと明るくするくらい美味しいと思わせるのも可能なはず。
スパイシーな香りと味わいのカレーライスを一緒に食べる夢想をしていれば、ぱちりと目が合った。
「あの……サエ。できれば集中してもらえると」
言いながら、ルンの顔は徐々に赤くなっている。ああ、意思疎通が出来るとかの手段だから思ったこと感じたことが感覚的に伝わってしまうのか。
ルンに告白されたときを思い返す。つまりはあんな感じで私のさっきまでの思考が筒抜けだと。
ためしに、ルン好き! と念じてみた。
すると小さく「私も好きですが、今はその」ともごもごルンが言う。
「ルン可愛い」
「っあ、さ、サエ、今はそのすぐ収まらなくなるから、ちが、収めるのでまって」
ますます赤くして、ルンがぎゅうっと目をつぶった。同時に頭へ情景が飛び込んできた。
――サエ、好き! 私を頼ってくれて嬉しい! 愛している!
例えるならこんなことを言われている。間違いない。
いつかの好意の概念みたいなものより、もっと浮かれてる。そう、すぐわかる桃色とカラフルな幸せのような色彩に包まれる。
もう全方位から好きと叫ばれてるような。そんな愛の告白じみた感覚が怒涛に流れ込んできた。
「えっ」
「あっ、ああ、未熟で申し訳ありません!」
慌てて離れようとしたルンは、今にも目を回して倒れてしまいそうだ。意図しないことだったとは分かるものの、こうも可愛い反応をされるとちょっぴり意地悪な気持ちがおこってもしょうがない。
「ええっと、ルン」
「はい……」
逃げようとするルンの肩を掴んで、にこっと笑ってみる。
「ちゅーする?」
ひゅっと息を呑んだ後、ルンは左右を何度か見て深呼吸をした。
そして、か細い声で答えた。
「……したいです」
カレーの前に、思わぬ御馳走にありつけた気持ちってこうなのかしら。
軽く唇を何度か重ねる。ついでにいっちゃえと抱き着けば、抱き返してくれる。私は満足したものの、ルンはおもむろに自己反省をしだしたので背中を撫でておく。
奇妙な達成感がわいてしまった。
なお、カレーに関しては曖昧ながらもこういうものとどうにか伝わったらしい。
帰ってきたコモス様に巻き込まれる中で、私よりも正確に物申してくれた。私は味のイエスノーマシンに徹するだけであった。
結果は、まあ、お察しというところ。
完璧なカレーはできなかったが、限りなく近い何かは出来上がった。やっぱり案の定のもどきだ。
でも、カレー風味の料理はひとまず完成はしたのだ。ご機嫌斜めのオウィノー様の注意を受けつつもみんなで囲むカレーは、新しい思い出の味になった。
特に、ルンがちょっとだけ表情を輝かせていたのは良かった。
まだまだこんなものじゃないわよとだけ返して、こっそりと耳打ちをする。
「また味を思い出した時に、ルンに頼っていいかしら」
額合わせのあれそれを思い出したのか、ほのかに照れながらうなずいてくれる。
私の好きな人は今日もとっても素敵だわと改めて実感するのだった。




