余話 釣りとケガの話
本編最終話あたり~同室になる前あたりの小話。
「痛みがにぶい?」
私が聞き返すと、ヌワは重々しく頷いた。
「本人がはっきりと言ったわけではないが、おそらく間違いない。ルンの痛覚は、我々が思う以上に働いてはいないだろう」
「単純に、ルンが我慢強いとかは?」
「それもあるが、痛みを無視した動作が目立つのだ」
「そういえば……」
思い返すと、納得できる。
でないと、自ら火だるまになったり刃物で切っても平然としてたりしない。あとメルーに攻撃されておきながら、大したことないなんて言わない。
あと、最近では鍛錬だとコモス様たちに可愛がられているらしいけれど、そのときも生傷が絶えなかった。そういうものですから、なんて言うから突っ込まなかったのだ。
私なんて、イノシシもどきにぶつかっただけ泣いちゃうくらい痛かったのに。
「だから、サエも気にしてやってくれ。お前が見ているなら、ルンも気をつけるだろう」
「そう、そうですね。ルンってば、無茶するから」
「……まあ、そうだな」
なんだ、ヌワ、その目。
お前も無茶をするからなと言うような暖かな眼差しをされた。まあ、自覚はあるので黙って受け取る。
「ハリオス様につかまっているルンも、そろそろ戻ってくるだろう。戻り次第、出発するとしよう。もたもたすれば、コモス様のご機嫌を損ねかねない」
「釣りは時間かかりますからねえ」
そうなのだ。
新たな発見がここのところあった。
空に浮かぶロクタック領地の中に、ちょっとした大きさの湖が発見された。
領地を見回っていた使用人頭のバティストさんのお手柄である。コモス様が食材のチェックにと、発見以来あまりに入りびたるので領主フィドモン様に制限令を下された場所だ。
けれど、それで諦めるコモス様ではない。
助手である私やルン、臣下であるヌワをつかまえて、かわりに私たちが行くようにと言いつけたのであった。
これには特に反対がなかった。
おそらくだけど、ルンが「湖……きれいな水場があるのですね、はじめて見ます」と言ったのが大きいと思う。私もヌワも、なんなら他の人だってそれなら見せてあげなきゃと考えるもの。コモス様、悪知恵が働く。
意外と細かな作業が得意だというヌワがいそいそと釣り具を用意してくれたので準備はばっちり。
現在は、赴く前にとルンがハリオス様に呼び出されてしまったため、待っているところだ。
暇つぶしにとヌワと話していたけれど、ルンがそんな状態だったと気づかなかったことが悔しい。いっぱい気にかけてあげよう。いや、そうしたらルンは気にしすぎてしまうだろうか。
うーん、と腕を組んで考えていると、こちらへ駆け寄ってくる足音がした。
ぱっと音のほうを見れば、細身の青年がこちらに向かってきている。ルンだ。
「お待たせして、申し訳ございません」
息を整えながらもお詫びを優先するとは。
今日も今日とて、真面目控えめさは相変わらずだ。とりあえず気にしてないよ、と笑って首を横に振る。
「ううん、大丈夫。ルン、ハリオス様に何か頼まれた?」
「水場には他の生物が寄るから気をつけろと、図録を見せて注意をされました。ヌワ様だけでは負担だろうから、知っておくようにと」
「へええ」
ハリオス様は文官タイプというか、母親のユウェタース様ゆずりで物知りだ。
生物も詳しいのか。
いや、でもちょっと待ってほしい。
「私には何も言われなかったけど」
確か、私とルンに挨拶をしてから、見比べてルンを手招いて連れて行ったのだった。
「サエには私からの口頭で伝わるはずと言われたので……サエのところの、ヘビやカエルといった生き物がいるとのことです。以前、読んでいた本にあったかと」
「ヘビにカエル……ふうん。わかった、あの本のか。それなら見たかも」
そういうことなら仕方ない。
ルンのいた世界では動物が人間以外ほとんどいないというし、どんな生き物って言われてもわからないことが多いはず。それに私が前に読んでいたとハリオス様が知っていたなら、言われなくてもまあ、わからないでもない。
……私よりもルンのほうが注意深いと思われてるってのもありそうだけど。
納得いかない気持ちもあるが、慰めるみたいにルンがそろりと手に触れてきてくれたので、全部許した。恐る恐るといったルンの手先を逃がさないように握りしめて絡める。
ほのかにほっぺが赤くなるのが可愛い。
にこにこ眺めていたら、視線がうろつく。そしてそろっと合わせてきて、ふにゃりと表情が緩む。
可愛い。私の恋人やっぱり可愛い。好き。
「サエの機嫌が治ったところで、そろそろ向かうがいいか」
「機嫌はもともとよろしいでーす。行きましょ行きましょ」
ルンと繋がった手を緩く振りながら、苦笑いしていうヌワに明るく言い返す。
「それは悪かった。では、参ろうか」
快活に笑って、大柄な体を揺らしてヌワが進む。
石像の体だと高低差に弱いヌワは、人間の姿に変化しての外出だ。
石の肌だったときはよくわからなかったけれど、日によく焼けた褐色肌はお母さんであるウータさん譲りらしい。背丈は二人と似ていないくらい大きい。
足の歩幅も私たちとは違うけれど、合わせるようにゆっくりと動いている。ヌワの気遣いがありがたい。
その後ろを仲良く手を繋いで、跳ねるような心地でついて歩く。
さくさく進みながら、ふと思う。
これ、ガイドさんつきのデートでは?
穏やかな天気の元、大自然の中を恋人と歩いてればもはやデートでは?
ちらっとルンのほうを見てみる。ごく普通の、いつものルンだ。
長いまつ毛に縁どられた藍色の大きな瞳。出会った頃は憂鬱そうだった伏した目つきも、今では彼の謙虚さを現した魅惑的なパーツの一つにしか見えない。小ぶりの鼻や口もチャームポイントだ。とっても可愛い。素敵。
私に見られていることに気づいて、にこっとしてくれるのもいい。そしてゆるく手を握りしめ返されるのに、きゅんとする。
ちょっとした仕草や態度で、ああ、好かれているんだなとわかると嬉しい。
まあ、そう浮かれていたからこそ、ルンのことに気が付けなかったのだが。
ヌワが気づいて私が思い至れなかったのはやはり悔しい。というより、情けない。好きな人のことなら気づきたかった。
握って絡めた指先を動かして、ルンの手の甲を撫でてみる。ぴく、と動いたので感覚は機能しているはず。前にくすぐったときは、こそばゆいと言っていたし触覚に問題はなさそう。
しかしルンの肌、すべすべしている。
私たちの改造された体は、回復能力がずば抜けているので、ちょっとしたお肌のトラブルとは無縁なのだ。そのせいもあるけれど、地肌の明るさもあるのだろう。うらやましい。下手すると私よりも綺麗なのでは疑惑すらある。
「……サエ、その、触れてくれるのは嬉しいのですが」
「あっ、ごめん。つい」
考えながら、つい無心に触ってしまっていた。ルンのことなので怒るということはないだろうけど。
見れば、頬を赤らめて困ったような、けれど何かを期待するような眼差しで私の方を向いているルンと目が合った。
「いえ、ただ、私がたまらなくなるので……」
「えっ」
「あなたを欲してしまうから」
視線から火がついてしまいそう。
「サエは私を可愛いと言ってくれますが、今のあなたのほうがその言葉に相応しい。可愛いです、サエ」
「ひ、ひゃい……」
「……本当に、耐えるのが辛いくらい」
愛おしそうに頬を寄せてはにかまれては、もう私はいっぱいいっぱいである。
ヌワと一緒でなかったら、ぎゅっと抱き着いて告白してたかもしれない。ヌワが居てよかった。聞こえているだろうに、気を利かせてわざとらしく空を見上げている。
でも小さく「さすがハリオス様」と言っていたのは聞こえた。
そうだ。
控えめ丁寧で奥ゆかしいルンだけど、好意の言葉や表現はハリオス様直伝だった。
いい仕事をしている。しすぎているくらい。
そして真面目で物覚えも良いルンは、頬と頬を離したあとで一大決心でもするみたいに緊張しながらも、頬に触れるだけのキスをしてきた。
震える唇の感触に驚いてみれば、ますます照れた顔のルンがいた。
あっ。なるほど!?
恋人同士はするものと私が言ったからか!
普段とのギャップがありすぎてますますどうにかなってしまいそう。口と口はさすがに避けたのだろうけど、それでもルンにとっては頬へのキスも勇気がいることだったのだろう。
私の恋人のポテンシャルが凄い。ハート泥棒だ。手を添えて感心してしまった。
「あの、サエ。前を見ないと危ないので、気をつけてください」
「あ、はい」
ときめきながらも、なんとかうなずいた。
小さく前から笑い声がする。
ヌワめ……でもしつこく茶化すような人でないのが救いだ。
気を取り直して、火照りを冷ますべく顔を上げる。息を吸って吐いて、またさくさくと道を進むのだった。
目的の湖は、森を突っ切った先にある。
コモス様が何度も出入りしているためか、踏み倒された草や低木が目印となっているのでわかりやすい。
行きがけには野生の動物の姿をあまり見なかった。ひょっとしなくてもコモス様によって警戒心を植え付けられたのではなかろうか。ありえそうだ。
道は意外と長くはなかった。森に入って体感十分か二十分くらいだろうか。
先に陽の光に反射する湖面が見えた。どうやら到着したらしい。
青々とした葉が生い茂る木々を抜ければ、辺り一帯に広がる湖と対面した。
「これが、湖」
感嘆の声をこぼしたルンが微笑ましい。
未知のものに好奇心がわいたのだろう。きょろりと辺りを見回している姿にほっこりする。ヌワもきっと同じように思ったのだろう。
「広さはそれなりであるが、深さはさほどない。もっと広い湖もいつか見に行くといい」
「あ、私も見たい。一緒に海も見れるといいね、ルン」
「海……はい、一緒に」
ぱちぱちと不思議そうに目を瞬かせて、ゆっくりとルンがうなずいた。
「では、早速はじめるとしようか。ルン、一度吾輩が教えるが、わからなければ遠慮せず聞くがいい。サエは説明がいるか?」
「大丈夫です。こう見えて経験者ですから! ルン、わからなかったら私も教えるからがんばりましょ」
アウトドア経験はだいたいあるのだ。家族の趣味に付き合っていたので、簡単なサバイバルは出来る、つもりである。
胸を張って言えば、ヌワは頼もしいと笑った。
「ではサエは道具を取ってくれ。ここに棲む生き物はそこまで暴れはしないので、安心して釣るといい」
「暴れるんだ……はあい、気をつけます」
「うむ。ここで獲れるのは、プサプサとスィゴガマがほとんどだろう。他のものがとれても、コモス様は喜ばれるのは間違いない。取れれば釣り籠へ入れてくれ」
「わかりました! 任せてください。ルン、先に行ってくる。説明が終わったら一緒にやりましょ」
プサプサは私の世界でいう青魚っぽい生き物。スィゴガマはでっぷりと太った魚に、ひれ付きの短い手足が生えたような生き物だ。
グロテスク度でいうとスィゴガマは割と好き嫌いが分かれる見た目なのだけれど、美味しい。分厚いステーキにすると、肉汁たっぷりで舌の上でとろけるくらい美味しい。
食欲には勝てないので、満足な食卓のためにも張り切らねばなるまい。
気合十分に釣り具を手にすれば、張り切り過ぎないようにとヌワにすかさず言われた。この感覚、ヒロ兄や楓太兄を相手にするみたいだ。
懐かしい気持ちになったがゆるく頭を振って気を取り直す。ルンたちに後でねと手を振って、よし、と釣り竿片手に湖面へと赴いた。
「おお、いっぱいいる」
外敵が少ないのだろう。
透き通った綺麗な水の中を泳ぐ魚影がいくつも確認できた。大体ヌワが言っていた通りにプサプサとスィゴガマばかりだけれど、ほかにも違う形の魚のような生き物が見える。
あれ、美味しいのかな。
コモス様に頼めば美味しく調理できるかしら。
適当な場所に腰かけて、釣り竿の先をたらしてみる。
釣り針の仕掛け具はヌワとオウィノー様の夫婦による合作である。リアルな芋虫が水の中で泳いでいく。
さっそく興味を示した魚影が群がって、あっという間に食いついた。何かフェロモンでも出ているんじゃなかろうか。
力もここの世界に来てから十二分すぎるほどあるので、ひょいっと力をいれたら簡単に釣れてしまった。私、釣りの才能があるのかもしれない。そう自惚れてしまいそうになるくらいのあっさり具合だ。
時間を置かずに、一匹、また一匹と釣りあげて釣り籠へと運んで入れる。
結構な大きさの釣り籠は、短い間に半分も魚でいっぱいになった。
ヌワの説明を受けたルンも私と合流して、どんどん釣っていったおかげである。
「ルン、楽しい?」
遊んだことといったら、影遊びや手遊びと言っていたルン。これがアウトドアの遊びよ、と思いながら聞いてみる。
「そう、ですね。はい、楽しいです」
「本当? よかった」
「はい」
淡く控えめに微笑むルン。木漏れ日が当たって、線の細い美青年がますます映える絵面になっている。ここまで元気になったルンを見ると、感慨も一入だ。私が育てましたと言ってもいいのでは。
しかし、初めてとはいえ、ルンの釣りの腕前もなかなかだった。
今でも私と会話しながら器用に釣りあげている。
釣りは感覚、と楓太兄が格好つけて言っていたけれども、指先や釣り竿の感覚が鋭いほど有利なのではと私も思う。
ヌワが行く前に教えてくれた、ルンの痛覚とはあまり関係ないのだろうか。
しかし、触れる感覚はわかるのに痛みは鈍いだなんて不思議。メルーのせいかしら。
「あ」
考えてるうちに、ふと私の釣り竿がしなった。
みしみしと音を立てている。
今まで以上の獲物がかかったのだ。慌てて湖面に視線を戻してふんばる。
「おお、大きい獲物だな。網を用意しよう」
「いや、ほんと、けっこう大きいです! ヌワ、早めにお願いします!」
様子を見に来ていたヌワがよっこらせと荷物を取りに行く背中に声をかける。
「ぐ、ぬぬ、折れそうかも」
オウィノー様印の特別性の糸で補強していても、しなり具合がすさまじい。
立ち上がって足を開いて、力の入れやすい姿勢で耐える。お出かけだからとひらひらフリフリの可愛らしい服でなくてよかった。
とてもじゃないけれど、森を出歩くには動きやすい恰好が向いている。いつもの服アレンジなので、大股だろうと足を折り曲げて踏ん張ろうと大丈夫だ。
「サエ、手伝います」
湖面と格闘していると、横からルンが手を伸ばしてきた。自分の釣り竿を置いて、近寄ったルンは私の手にそえてくれるのかしらというトキメキをよそに、糸の先を掴んだ。
釣り糸はひときわ頑丈に出来ている。
どのくらいかっていうと、コモス様が糸で物体を切るデモンストレーションを見せてくれたくらい。使い用によっては鋭利で危ないのだ。
なのにルンは、それを躊躇いもなく素手のまま掴むと、食い込む糸にちょっと顔をしかめながら手繰り寄せた。
すっぱりと指が落ちないのは、私たちの頑健さあってのものだろうけれど、それでも血が滲んでいる。
ルンよりも、むしろ見ている私のほうが、眩暈がしそうだ。
食い込んだ糸が皮膚を切っている。絶対痛いはずだ。なのに、ルンはさらにと手に力を入れている。
「る、ルン!? 手が」
「はい、早く掴まえるのならこちらのほうがいいはずです」
「いやそうじゃなくて、ヌワ! ヌワー! 早く! ルンが」
「サエ、動くとうまく手繰り寄せが」
「あーっ!? もう! 血が落ちてるじゃない! ルン、いいから手を放して!」
「ですが、サエ、逃がしてしまう」
「ああもう、いいから、もう!」
こうなったら私の可愛らしい乙女心を捨て去ってでもどうにかしなければ。
大股で腰を低くして力を籠める。ルンのためだ、えんやこら。
「どっこい、しょお!!」
ぐっと思いっきり力をこめて引っ張る。ルンごと動いて私のほうに来た。
糸の先はしなって、ひときわ大きなカエルっぽい生き物が飛び出した。おのれ、これのせいでルンが怪我したではないか。
勢いのまま振り回していると、「サエ! こっちだ!」とヌワが声を張り上げた。
「ルン、離して!」
ルンの手がやっと離れた。血がぱたぱたと散っていくのが痛々しい。憎き巨大スィゴガマが空中を泳いで、重たい音を立ててヌワの網へと飛び込んだ。
それを確認するやいなや、私は釣り竿を放り投げてルンの腕を掴んだ。
「手、やだ、ちょっと、ルン!」
裂けてぱっくりと割れた皮膚はじわじわと治っていっているものの、見ているだけで眉が寄る怪我だ。
荷物を取ってくるのももどかしくて、袖でルンの手の血をぬぐう。せっかくのオウィノー様が作ってくれた私の白いパーカーが汚れたけれど、しょうがない。しかしそのことに私よりもルンが申し訳なさそうな顔をした。
「サエ、服が」
「服より怪我! 治るからっていって、そういうことをしないで」
ぎゅうと握りしめる。
「ねえ、痛くないの?」
「大したことはありません。痛みも、耐えられる程度です」
「じゃあやっぱりちょっとは痛いんじゃない」
「はあ……ですが、本当に大したことでは」
言いかけてルンが目を瞬かせた。そして、しどろもどろに慌てだした。
「あ、あの、サエ、そんなにいけないことでしたか」
「……いけないに決まってるでしょ」
むすっと返したつもりだった。
けれど、はっきりした声というより涙声になっていた。思った以上にショックで涙が出てきてしまったのだ。じわっと目に涙がにじんだなと思えばあっという間に涙腺が緩む。
「私、痛いのは嫌。ルンが痛い思いをするのも嫌。下手に怪我をしたら、怒るから」
「気をつけます。だから、泣かないでください」
困りきっておろおろとルンが私の目元に手を寄せようとして、握りしめられたままなことに気づいてまた困ったように私をのぞきこむ。
「サエ。こんなことで、これほどあなたが心を割いてくれるなんて思わなかったんです」
「それ、侮辱だわ」
「……はい。申し訳ございま」
「謝るのも違うでしょ。私、怒っているんですからね」
「はい」
しょぼんとしたルンに、本当にわかっているのかしら、と睨んでみる。だけどもますますしょぼんとするばかりだ。
下手なことをしないように手を寄せて、ぎゅっと抱き込んでみる。
途端、ルンはあからさまに体をびくりとさせた。
「え、あ、サエ?」
「ヌワから聞いてるの。あなた、痛みが鈍いって。でもちょっとでも痛いのは確かなんでしょ」
「は、はい……あの、サエこの態勢は」
「痛みは生きることのお知らせみたいなものよ。もっとちゃんと、大事にして。じゃないと許さないから」
「それは、はい、気をつけます。だから、サエ、この態勢を」
「このまま帰る。ヌワ、いい?」
前から囲んで抱き上げた。ルンが大きい体でなくてよかった。力がある今の私ならば、ちゃんとばっちり抱っこをして歩ける。
ヌワのほうへとルンを抱っこしたまま歩けば、ひどく微妙な顔をしたヌワがルンを見た。
「吾輩は、同情こそするが甘んじて受けろとしか言えない。ルン、以後慎み気をつけるのだぞ」
「……はい」
「耐えろ」
「…………がんばります」
そして重々しく言って聞かせていた。ルンはうるんだ瞳のまま顔を赤くしてうつむいていた。やはり抱っこは男のプライド的なものに引っかかるらしい。まあ、無茶をしたばつとしてはいいだろう。私は怒っているのだ。
「さて、サエ。けっこうな成果が出たことだ、コモス様も満足なさるだろう」
「あのでかいの早速調理してもらいましょう、ヌワ。もう、すぐにでも」
「うむ、まあ、余すことなく使ってくださるだろう」
抱っこしているルンから、羞恥の呻きが聞こえるけれど気にしない。むしろもうちょっといじめてやろうとさらにぎゅうっと抱き込んだ。
抗議に弱く腕が押されたものの、胸元に触れるとわかったのか、さらに顔を赤くして撃沈していた。ちょっときゅんとして許しそうになってしまったが、心を鬼にして見ないふりをした。
「さあ、このまま帰るわよ、ルン」
「……うぁ、う」
「お返事」
「は、はい」
消え入りそうな返事をしたルンに、そろっと頬を寄せてみて、ついでに唇も寄せて離す。
ますますルンが呻いている。いじめすぎたかもしれない。
「サエ……ほどほどにしておくのだぞ」
見かねたヌワが、哀れみを含んだ視線を向けてきた。
「ルンが目いっぱい反省したらやめます」
「うぅ……サエ」
「訂正します。もっと満喫するまでやります」
ますます憐れみのこもった視線でヌワはルンを見て、私を見た。
「ほどほどにな」
そしてまた、同じことを言って、ヌワは荷物をまとめて立ち上がった。
古城帰還後からしばらく。
この件が相当に堪えたのか、私が見る前でのルンの怪我率は激減したのだった。




