余話 ひそやかならず
現在連載部分(30・31話部分)の裏側小話。
サエの元気がない。
沈痛な面持ちで切り出した少年は、いたって真剣だ。
途方に暮れて、散々悩んだのだろう。どういった対応がよいものなのかと苦悶を絞り出すように相談されて、アタシも一緒に唸ってしまった。
兄どもじゃなくって、このアタシ、オウィノー・ロクタックを相談相手に選んだことは褒めてあげたい。けれども、アタシにだってどうしようもないこともある。
サエの元気がないっていうのは見ればわかる。
それが即座に元通りになれるものじゃないのも勿論わかる。
悩める少年、もとい、ルンも理解はしているはず。ただ、それ以上に動揺しまくっているだけ。
帰ることを望んでいたサエは、帰れなかった。
奥域の扉の前からルンがサエを抱えて戻ってきたこと。それから、サエが童女みたいに泣いて手がつけられなかったこと。それを目の当りにしたら、ああ、だめだったのね、とすぐわかった。
ちょっと話を聞いただけのアタシでも、仲のいい家族がいたそうだし、元の世界の希望も多かったのだと知っているから、余計にやるせないことだろう。
この状態のサエを放置できないから一度戻らせてほしいと提案されて、お城に戻ったのはいいけれど、それ以来ふさぎ込んでしまっている。
受け答えはしても覇気も元気もない。
ちょっと騒がしいくらいの可愛い威勢の良さもなりを潜めていて、心配になるのも、まあ無理はない。
かくいうアタシも、あんまりに哀れっぽいから気遣ってあげなきゃいけないわって思うもの。
でも、こういう場合ってそっとして見守るのも一つの手段なのだけども……まあ、ルンはそれどころじゃないのでしょう。
なにせ、とてもとても大事な子を落ち込ませたままでいるわけにはとアタシを訪ねてきたくらいですものね。
「んー……んんー、そうねえ」
唸ってごまかしながら答えを濁す。
いや、正直、ルンが傍についてるだけでいずれ回復することじゃないかしらとも思う。多少追いつめられて周りが見えなくなっているけれど、飲まず食わずで自暴自棄にまではなっていないのだから。
それに、古傷は残りはすれ、薄まるもの。だから、サエの意識を塗り替えるほど、真心をもって尽くしてしまえばいい。
サエは屈折とは程遠い、正直な性格だもの。情けや好意を疑って否定して、勝手に被害妄想を繰り広げるような子ではない。
アタシがかつて社交界で相手をしていた、腹の中に化け物の一つや二つ飼っているような、精神複雑骨折した者どもに比べたら、とっても素直で可愛らしい。単純ってわかりやすくて素敵。
「あんなに、泣いているのは初めて見て……生憎、私にはそういう女性の対応がわからないので」
そういうルンはとても悔しそうだ。
というより、とても真面目。自尊心の権化と捻じ曲がった兄弟愛が形を持った奴にも見習わせてやりたい。
こういうところ、アタシの愛すべき旦那であるヌワとも通ずるものがあるわね。こう、芯があって意外に頑固で……腰が低くてアタシを立ててくれるのもいいわ。
ウータも呼べばよかったかしら。いえ、でも、ちょうどバティストと城内を見回っているところだし、無理ね。ハリオス兄様がお父様たちが使っていた部屋一帯を確認したいとおっしゃっていたもの。当分戻ってこない。
「そうねえ……難しいところねえ」
しかし、困った。
アタシの所感は言えたとしても、その年頃の女の子の普通や対応は幾久しくわからない。
今どきの子って何するの? これでもアタシ、数百年地下育ちだから、普通も大分薄れてきているのだけれども。
ひとまず腕を組んで、うーん、と悩むそぶりをする。
そもそも、ルン、サエのことはあからさまに大事な扱いしているけれど、これ、そういうアレよね。いわゆる、アレよね。ああもう、本当に、こういうときにウータってばいないのだから。
心配も勿論あるし、なんとかしてあげたいってのも本当だけれど、またそれとこれとは別でそわそわしてしまう。
「難しいということは、やはり、すぐにでもできることはないのでしょうか。それとも、恥を忍んでほかに意見を聞くべきでしょうか」
「それだけはおやめ。おやめったら。いいわ、考えがあります」
あんまりないのだけど、あるって言ってしまった。
でないと、あの情緒のかけらもない兄どもに淡く柔らかな美しいものが無残に散らされてしまうに違いない。
アタシよりも幼くって可愛らしい子たちが育むものが壊れたらどうするのだ。まだ何も始まってもいないのに、ここから恨み言を飛ばしてしまったことはともかく。
咳払いをして姿勢を正す。できるだけ威厳があるように、女主人としてふさわしいふるまいで済ました声を意識する。
「わたくしが、ヌワに命じておきます」
「ヌワ様、ですか?」
きょと、と幸薄そうな顔が不思議そうに変わる。
優雅にうなずいてみる。昔から困るとついヌワ頼みにしてしまう。あの兄たちに囲まれて、真面目にまっすぐアタシを好きと言ってくれた彼ならば、きっとなんとかしてくれる。例えば、贈り物を考えるとか、鍛錬するとか……あら、鍛錬、いいじゃない。
サエやルンの世界での常識は知らないけれど、鍛えて相手を見直させて、それから贈り物をすれば、サエも多少の気がまぎれるかも。アタシも服でも贈ってあげようかしら。あの服変わっていたけど、サエはとても嬉しそうだったし、ああいう服を数種類作るのもいいわね。
我ながらいい考えだわ。
「ええ。ルン、今以上に体を鍛えなさい。そして、ダンジョンで贈り物をするのです」
「……なるほど」
とたん、救いを得たみたいに表情が晴れるのね。やっぱり素直だわ。ああ、こういう年下の兄弟が欲しかったのよ、アタシは。腹の中を探り合うでもなく、けなしあうでもなく、我が家の兄弟みたいに仲良くて穏やかな関係を築ける友人もしくは下の兄弟。
ロクタック家以外の縁戚は信じられたものでもなかったし。嫌なことを思い出してしまった。
「それなら、はい。頑張ってみます。オウィノー様、時間を割いてくださり、ありがとうございます」
丁寧にお礼を言うルンに、鷹揚に手を振る。
「よくってよ。サエのためですもの。早く元気になるといいわね?」
「はい……あの、このことは」
「ええ、言わないわ。ところで、ルン」
そっと声を潜めてたずねてみる。
好奇心がつい、抑えきれなかった。
「あなた、サエをどう思っていて?」
「どう、とは?」
聞いたことを聞き返すルンは、質問の意図が飲み込めないみたいな反応をする。じれったい。
「だから、サエよ。サエ。思うところがあるのではない?」
「え……と? 心配していますし、少しでも気が晴れたらいいと……」
「違う」
「えっ?」
「ルン、聞くわよ。あなた、サエが大事よね?」
「はい」
これには即答が返ってきて、よしよしと腕を組んでうなずいておく。
「それって、アレよね? サエのことを思ってるってことよね」
「思うのは、確かです。サエは私にとって、光に近しい人ですから」
「あら、いいじゃない。その表現は詩的で素敵よ」
「はあ、ありがとうございます」
「光闇のような存在として長く共にありたいは、常套句よね。いいわ、いいじゃない。ありふれた好きという言葉だけより、飾っているのも悪くないわ」
「そういうものなのですね……長く見守れるのなら、それはいいのかもしれません」
淡く笑うルンが遠くを見るようだ。予想と違う答えをしたことに、あら、と内心で首をかしげる。
もうちょっと照れるかと思ったのだけれど。
だけど、鋭いアタシは何か食い違っていると、気づいた。
「見守る?」
「はい?」
「え、それだけ?」
「はい……? ほかに、あるのですか? 十分すぎるのではないでしょうか」
きょとりとして、わからないと顔面に出したままルンが肯定した。
あっ。
ああっ。
あーっ、なるほど。そう、そういう!
とんでもない罠を起動してしまうところだったわ。
この子、無自覚だわ! わかってない!
よりにもよって、ここまで思っておいて? 尽くそうとしているのに?
ああこの気持ち、共有したい……ウータ……いえ、ウータは大興奮して語りちらすかもしれないわ。こういうとき同じ年ごろの女性がいたならいいのだけど、肝心の当人になるサエだもの。お母さまがいたなら、よかった。
はあ、なんだか貴重なものを見てしまった気分だわ。
思えば、ルンの過去はそういう機微どころじゃなかったでしょうし。ルンは知らないと思い至ってもよかったのに、全然アタシったら気づかなかった。
これ、うかつに突っつけなくなってしまったわ。
せめて、アタシにできるのはひそやかに見守ることくらいかしら。
心配半分、じれったさ半分で緩みそうになる口元をこらえてほほ笑む。
「そう、そうね。ええ、わかりました。ヌワにも伝えておきますから、あなたは一人で鍛錬するなりコモス兄様に頼んでサエへ料理を渡したりしなさいな」
どういうことだったのだろうと不思議そうなルンの背を押して部屋から押し出す。
サエのことは心配なのは本当。心から案じている。
けれども、それ以上に。
「……いや、なんなのあの子たち」
この感想に尽きてしまうのだった。




