それからの、万屋荘2
『万屋荘は、にぎやか』の本編後日談。アリヤにすごい年の差の弟が出来たよ小話。カップルがいちゃついてるだけ。
【101号室、数ヶ月後】
「弟が、出来た?」
思った以上に、驚いた声が出た。
皓子が目をぱちくりと瞬かせて、報告をしてきたアリヤを見る。アリヤは、ひどく微妙な表情でうなずいた。
季節は冬。
朝方には霜が降り、吐き出す息も白くなる寒い日が続く。このまま行くとクリスマス前に雪が積もるだろうというニュースに、そろそろこたつを出すべきかと考えていた日のことだ。
もはや恒例となっている、毎日マメに送ってくる恋人からのメッセージを確認すれば、何やら相談があるという。直接口で言いたいからと学校帰りの夕方、アリヤの部屋に皓子は訪れたのだった。
夏から交際を始めた間柄だが、アリヤが向けてくる好意は目減りすることはなかった。
なんと言えばいいのか、アリヤは自分の過去を反省しているのか、疑いを挟む暇を与えないほどに皓子への愛情表現はストレートで開けっぴろげである。皓子は半年経った今でも、未だに慣れない。アリヤは「全然慣れなくて良い。慣れても良いけど。いやどっちでも好きだけど」と早口で頬を赤らめていたので、反応に関しては全く問題はないようでほっとしている。
初めて付き合う皓子以上に、アリヤは皓子との日々を大変に楽しんでいるようで、あれこれと予定を立てるときは非常にウキウキとした様子であった。
それが、今日のメッセージではそのウキウキ加減が見当たらなかった。
何かがあったのだろう。そう予測を立てるに容易であった。
「皓子ちゃん、急にごめんね。それに、面倒なことに巻き込んじゃいそうで」
申し訳なさそうに言うアリヤに、首を横に振る。
確かに呼び出しは急であった。放課後、できれば直ぐに会いたいというメッセージが来て、そのまま皓子はやってきたのだ。ちょうど暇だったのもあるし、アリヤがそう強請るのは珍しく感じたのもある。それに、好きな人のおねだりは叶えたいものだ。安請け合いするなと吉祥にはどやされそうだが、皓子は「ううん、大丈夫」と返した。
そして、話は先のことに戻る。
アリヤに弟が出来た、らしい。
聞けば、実の血の繋がった弟だという。
義理の弟ではないのかと思ったが、皓子の疑問はアリヤも同様に持っていたようで、何度も確認したそうだ。
アリヤの母、有乃が身ごもった。現在、妊娠四ヶ月目。来年の六月にはアリヤの十八歳下の弟が出来る。高齢出産と久しぶりの妊娠で不安だ。ついては、緊張を和らげる力があるという皓子の助けが欲しい。
万屋荘での生活のなか、最近は実家に顔を見せていなかったというアリヤに、そんな電話の連絡がきたそうだ。
電話口で報告を受けたアリヤの動揺はいかほどだったのだろう。なんとなく遠い目をしている。
「……おめでたいことだし、祝福したい気持ちもある、んだけどさあ。父さんも母さんも、気づくのも俺に言うのも遅すぎるし、受験について話したついでの話題に上げるものじゃないと思うんだよね」
「それは、驚いたねえ。ええと、おめでとう?」
「うん、ありがとう。皓子ちゃん、甘えていい?」
長い足を折り曲げた三角座りで、アリヤは大きく溜息をついた。端正な面立ちが拗ねた表情を浮かべている。上目遣いで横に座っている皓子を見てくる様子に、きゅうと胸が鳴る。
(ううっ、アリヤくんが可愛く見える……格好良いのに可愛い……)
アリヤが皓子を可愛い可愛いと連呼してくるが、そのアリヤこそそう呼ぶにふさわしいのではと思えてしまう。
こうしたふとしたときの様子や言動にキュンとくるようになり、十二分に絆されまくっているのだと自覚させられる。
自分で良ければとうなずけば、そのままアリヤの体は傾いて膝に頭が乗った。明るい茶髪がさらさらとスカートの上に流れて、もぞもぞと位置を調整するように動かれてくすぐったい。満足いく位置に納まったのか、やがてまたアリヤは大きく息を吐いた。
甘やかしてとのことなので、そろりと手を伸ばして頭を撫でる。柔らかな髪質だ。アリヤの父のマロスは固そうな短髪だが、母似なのかもしれない。そんなことを考えながらも手を動かしていると、アリヤの耳が赤くなっているのが見えた。
(おお、照れてる……可愛い……)
自分から言い出したのに、と微笑ましい。うっかり笑いをこぼさないように堪えて撫で続けていると、ごろりと仰向けになったアリヤがじとりと皓子を見た。
「……声、出てるからね。皓子ちゃん」
「えっ、うそ。あの、ごめんねえ。アリヤくんが可愛くて、つい」
「まあ、皓子ちゃんの可愛いも格好良いも俺で埋まるならそれはそれでやぶさかではないんだけども……はあー……段階飛ばしてしたい……」
「アリヤくん、アリヤくん、本音漏れてる」
「聞かせてんの。俺、今もすごい耐えてるから褒めて。はー、好き。皓子ちゃん好き……」
(耐えるくらいなら、膝枕しないほうがよかったのでは?)
しかし、アリヤに言ったなら、それはそれこれはこれと文句を言われるだろう。以前、似たような問答があったなと口を閉じる。無責任な行為はまだできないからと、直前までのぎりぎりを攻めたあれそれをされたことまで思い出したからである。確かあのときは、受験前だからと一線を越えるのを阻止できたのだった。代わりに受験が終わったら覚悟しておけと、しつこいくらい言われた。
余計なことまで思い出してしまって顔が熱い。
撫でるのを止めた手を握られて、頬ずりされた箇所も熱い。エアコンが効いているせいだけではない熱さに、皓子は雰囲気に流されないように話題を戻すことにした。
「あの、アリヤくん。それで、いつ私は会いに行けばいいのかな。妊婦さんが不安なのは良くないし、早いほうが良い?」
「ん、皓子ちゃんが良いならいつでも。不安っていうより、あの口ぶりは絶対に皓子ちゃんに会いたいだけの口実だよ。皓子ちゃんの癒やしがほしいってうるさいくらい言われたし……俺の癒やしなのに」
そうは言っても、アリヤは実際その場にいれば、きっと甲斐甲斐しく世話をするだろう。
なぜなら皓子のなかでのアリヤ像はマメで優しくて良い人なのだ。面倒だと口にしたとしても、ちゃんとすることはしてくれる。気遣いだってなんのそのなパーフェクトな男の人。他の者が聞いたら、そんなに一生懸命になるのは皓子限定だろうと突っ込まれる内容を真面目に考えて、皓子は軽くたしなめる言葉を言う。
「でも、未来の弟だよ。私も仲良くできたら嬉しいな」
「未来の義弟……」
は、とアリヤが目を見開いた。
「……家族の顔合わせと思えば? まあ、うん、いいか……いや、癪だな……でも」
なにやらアリヤがためらっている。
(これは、俗に言う、独占欲……!)
あまり嫉妬深いのは格好悪いし、皓子に窮屈な思いをさせるからと、前に言われたことがある。できるだけ、皓子に不自由はさせたくないと。
とはいえ、普通に嫉妬もされるが。
子どもじみた独占欲を表に出すのは、これでも控えているつもりらしいアリヤの葛藤する様子にまたもやきゅうと胸が高鳴った。好き好きと常日頃言われて、一心に愛情を注がれ続けばこちらの愛情もすくすくと育つのだ。
いつの間にか指を絡められていた手に軽く力を入れて握り、視線をこちらへと向けさせる。
「あのね、アリヤくん。私も、アリヤくんの家族にちゃんとしておきたいなあ。それに、お母さんが大変なのは本当だと思うの。私で気持ちが落ち着く助けになるなら、喜んで行くよ」
「……皓子ちゃん」
「なあに?」
にぎにぎと絡めた指先に触れながら、アリヤは真顔で言った。
「うち来てそう言うことを迂闊に言ったら、間違いなく結婚確約コースだから、覚悟しといて」
「うん?」
どういうことだと聞き返したつもりだったが、ぱっとアリヤは表情を和らげて笑う。
「そっか。それなら、安心して行こっか。皓子ちゃんがそのつもりなら、俺も嬉しいし」
そう言って、手を離すと今度は皓子の左手の指先を取ってなぞった。薬指に触れられて、は、と気づく。
「それに、あっちは俺の将来の相手として呼んでるつもりだと思うよ。めちゃくちゃうざく絡んでくるだろうから、嫌になったら遠慮せずに嫌って言っちゃっていいからね」
リップノイズをさせて指先に口づけられた。抗議が出るより先に、首元に腕を回されて屈まされる。抵抗する間もないまま、軽く数度唇が重なって離れた。
それから起き上がったアリヤが皓子を抱えて、ぎゅうと身を寄せる。あとはもう、アリヤの独壇場である。
ちらと壁掛け時計を見れば、まだまだ夕飯には遠い。我が身の貞操の無事を祈りながらも、皓子はついついこの流れを許してしまう己の甘さからは目を逸らすのであった。
惚れた弱みなのだから、しょうがない。そう言い訳をして。
*
結局、皓子たちが御束家に再度訪問できたのはクリスマスイブとなった。マロスたちの予定と上手くかみ合わなかったのだ。
ちなみに、万屋荘ではクリスマスは恒例の酒盛りが行われる。もちろん二十歳以下を除いてである。聖人の記念日ということに吉祥が嫌な顔をするため、馬鹿騒ぎの日という風にとらえて行うのだ。そのため、イブやクリスマス感はあまりない。ケーキや肉はでるが、パーティーみたいなものだという認識が強い。
イブだから恋人でどうこうというのは、ドラマや小説から知ってはいる。だが、アリヤが二人で祝いたかったのにと不満そうな様子を目の当たりにして現実にあるのだと妙な感動を覚えてしまった。
アリヤに言わせると「恋人同士のイベント代名詞みたいなものじゃん」とのことだ。照れくさそうに言われて、またえもいわれぬときめきが皓子を襲ったのは言うまでもない。となるとイブもクリスマスも大人数で過ごすことになるので、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになってしまった。来年は叶えてあげたいところだと、密かに決心しておいた。
久しぶりに会って話すアリヤの母、有乃は皓子が思っていた以上に元気そうだった。
皓子が御束家に来たことを大変に感激されて、抱きしめられ、たくさんの料理まで呼ばれてしまった。身重の体なのにいいのかと戸惑ったものの、「皓子ちゃんにしてあげたくてたまらなかったの!」と張り切られた。幸運なことにつわりもひどくないそうで、にこにことアリヤと一緒にいる皓子を眺めてはひどく嬉しそうにしている。
「うふふ、アリヤに言いまくってよかったわあ。皓子ちゃんがうちに来てくれるなんて、とても嬉しい……アリヤ、ぜっっったいに! 逃がさないのよ。ひかりさんの可愛い娘さん、いえ、私の未来の可愛い娘のためよ」
「興奮すると体に障るんじゃないの」
呆れた様子で言うアリヤに、有乃は高笑いで返した。そんな有乃の様子を慈愛溢れるまなざしでマロスは見ている。相変わらず楽しい一家である。
「ほほほほ! なんとでもお言い! ざまあ見やがれよ、織本大門! 私のまともで可愛い可愛いひかりさんを手込めにした罪は重い!」
有乃と皓子の父である大門は、未だにちくちくと言い合う仲らしい。
多少親子仲が修復された現在でも、大門は有乃の息子であるアリヤに険のある態度をとるのだ。吉祥によると、昔かららしいので、仲が悪いというよりいっそ仲良しなのではと皓子は思っている。
「あ、皓子ちゃん。なんなら泊まっていっちゃってもいいからね。アリヤの部屋掃除してるからね。セーフティもうけるなら有り寄りの有りよ」
「なしよりのなしだよ。親にばれてるなかでやるわけない……ってか、何言ってんの? ほんと、何言ってんの?」
「アリヤ、有乃はちょっとハイになっちゃってるんだ。そんなところも可愛いだろう?」
「可愛いで済ましてたまるか。だから連れてきたくなかったんだよ」
(開けっぴろげに言うのお母さん似かなあ)
思わず思考の逃避行をはかってしまった。
まさかの親公認のゴーサインは予想外である。吉祥や水茂が皓子の貞操を案じて、口を出してくれていてよかったのかもしれない。
にぎやかな御束家を眺めつつ、気を落ち着けるためにコップのお茶を飲む。
そしてしばらく続いた一家の楽しい言い合いは、有乃のつわりで中断された。転じて介抱しだしたマロスたちに駆け寄って、手伝いをする。言わんこっちゃないと顔に書いたアリヤが片付けをするなか、マロスが有乃を抱える。少しでも気が楽になるならとベッドルームまで付き添えばうるうると涙目で感謝をされた。
マロスの作品が飾られた夫婦の寝室は、なんだかそわそわと落ち着かない。
顔色悪く横になる有乃は、ベッドサイドに腰掛けたマロスの介抱を受けながら皓子の手を握った。
「ああ、来てくれたのにこんなザマになっちゃって、ごめんなさいね。はしゃぎすぎちゃったみたい。でも、本当、皓子ちゃんが居てよかったわ……ホッとする」
「えと、お役に立てたならよかったです」
「ふふふ、マロスやアリヤからも聞いてるけれど、その力抜きでもよ。ひかりさん譲りね」
「有乃さん……」
名前を呼べば、くすぐったそうに微笑まれた。
「いやあね。お義母さんと呼んでちょうだい。皓子ちゃんはうちのお姉さんになるんだから」
「え、と……?」
「そうよね、マロス」
「もちろんだとも有乃」
うっとりするような笑みでマロスが肯定する。
気が早すぎる。
ぎゅっと握られた手に力が入れられた。眉をひそめて、弱々しい表情の有乃は懇願するように言う。
「こんな年でまた妊娠なんて、本当はとても怖いし、不安なの。だから、だからね皓子ちゃん」
「は、はい」
「嫁でも婿でもいいので、アリヤをよろしくお願いします。そして出来れば、たまに会いに来てほしいわ」
妊娠の大変さはノルハーンを見ていたのでなんとなくわかる。それに、いくら経産婦でも十八年も経てば不安にもなるだろう。
皓子がもしその立場だったらと、想像しきれなかったが、大変だということだけはわかる。それに高齢出産となることはリスクもともなう。保健の授業で教師が豆知識として話していた。
いつかは経験することだと考えて、ふとアリヤの顔がよぎって首を振って余計な考えを追い出す。握られた手を包み込むようにして両手で挟む。
「はい。私で良ければ。有乃さんの」
「お義母さん」
「あ、はい。その……お義母さんの助けになれるのなら、私も嬉しいです。妊娠の大変さも改めて学べますから」
訂正されて、言い直せば、みるみるうちに有乃の表情は晴れやかに変化した。マロスも感涙している。
「言質よマロス!! ありがとう皓子ちゃん!」
「やったね、有乃! ありがとう皓子ちゃん!」
喜び合う夫婦に、次々に感謝をされた。戸惑うなかで、あとはもう大丈夫だからと返されて、頭を捻りながらダイニングに戻れば、微妙な顔のアリヤが迎えてくれた。
「あ、アリヤくん。お手伝いすることある?」
「特にないよ……まあ、うん、頑張ろうね皓子ちゃん」
そっと言われた。なにやら含みがある。
頑張るのは皓子ではなく御束家だと思うのだが、どういうことか不明である。ぱちぱちと目を瞬かせて、わからないながらもうなずいておく。
「母さん大丈夫だと思うけど、どうだった?」
「今は落ち着いているかな。もう大丈夫って」
部屋の様子を浮かべて答えれば、アリヤはそっかと返した。安心した風に見える。口ではああでもやはり心配だったのだろうとわかった。
「お母さんになるって、大変だねえ……いつかを考えるなら、アリヤくんの言うとおり頑張らないとね」
しみじみと感想を口にすれば、アリヤがはたと動きを停止した。じわじわと頬が色づいて、皓子を凝視している。
「アリヤくん?」
「…………煩悩の悪魔倒してるからちょっと待って」
(えっ、変なこと言ってないよね?)
つられて赤くなってしまった頬に手をあてる。
なおも視線は飛んでくる。
「皓子ちゃんは、やっぱり悪魔の血を継いでるよなって思う」
そして、ぐう、と唸るように言われた。
マタニティハイと皓子の体質の会わせ技。ハイが終わったあたりで、有乃に平謝りされた。
なお生まれた男の子は、両親と兄と義姉にかわいいかわいいともてはやされ、自己肯定感あふれる「僕カワイイ!」を公言する子になった模様。




