それからの、万屋荘
『万屋荘は、にぎやか』の本編後日談。御束アリヤファンクラブとアリヤの一コマ。
【「御束アリヤの会」改め「御束アリヤくんの健やかな毎日を見守る会」】
彼女が出来た。
素晴らしい言葉だ。
浮き立つ心地で、何度も反芻する。どこまでも気分が良くて、何をするにしてもついつい機嫌良く表情が緩む。
恋に恋する関係は直ぐに冷めると聞くが、本当だろうか。皓子と付き合いだしてから少なくとも一ヶ月が経過したが、アリヤの中では一向に熱は冷めない。
高校にも入れば、いやでも聞く。
誰かと付き合っただの、別れただの、そういった話はよくあるという。高校生カップルは長続きしないのだ。それが世間一般の評価らしい。
大学受験があって、就職して、たくさんの出会いや別れを経験して、続かないのがほとんだそうだ。彼女持ちのクラスメイトが優越感の混じったしたり顔で「ま、俺は違うけどな!」と言っていた。そのときは、興味なしと聞き流していたが本当だとすると気をつけねばならない。
なにせ、アリヤ自身の経歴というか、やってきたことが問題なのだ。
きちんとした彼女を作ったことはなかったが、遊び歩いたのは事実。言われるがまま、乞われるがまま、お茶をしたりデートをしたり、それ以上もしたことだってある。単純な好奇心、暇つぶしもあって、と言い訳をしたとしても無かったことにならない。
信頼というものは、築くことが難しく崩れることが容易である。
ひとたびアリヤが他へ目を向けようものなら、やっぱりという目で見られかねない。そして、そんなことをした日には、確実に万屋荘の恐ろしい保護者と口うるさい彼女の親がお出ましになるだろう。
何より、アリヤ自身が皓子に疑われたくない。
我ながら嘘みたいに、皓子が好きなのだ。
じわじわと落ちて、嵌まって、抜けだせないところまでどっぷりと皓子に対して好意を抱いている。毎日好きが更新されるし、駄目なところもちょっとイラッとしても最終的に可愛いに上塗りされている。傍目から父のマロスと似た愛情表現となっているが、皓子には嫌がられてないので改めるつもりはない。血筋なのだろう。
(……あー、早く会いたいなあ)
ぼんやりとすれば、可愛い可愛い彼女のはにかむ顔や美味しそうにものを食べる様子、照れた風にそっぽを向く姿が浮かんでまた自然と口元が緩む。
離れた高校で授業を受けながら、早くも帰って会うことばかり考えてしまう。
アリヤは、夏以来、かなり心ここにあらずで過ごしていた。
新学期が始まって以降、情感たっぷりに古典の恋の和歌を読み上げてクラスメイトの動悸を逸らせたり、物憂げに窓を眺めて新たなときめきの犠牲者を生み出したりなどやらかしている。文化祭のクラス企画に行う出し物も、普段なら逃げるだろう客寄せパンダにいつのまにか任命されていた。
そんなことをしていれば、察する者も出てくる。
「み、御束、くん! お時間よろしいでしょうか!」
昼食のために展望テラスの食堂へ向かう準備をしていると声をかけられた。
化粧をした女生徒と清潔そうな見た目の男子生徒。クラスメイトではないが、顔見知りの同級生だった。印象深かったので記憶に残っている。
彼らはアリヤのファンクラブの設立者である。
よく感極まって涙目でカメラを構えたり拝まれたりしているので、嫌でも覚えてしまった。名前は女生徒が会長の音無、男子生徒が相生だったはず。そこまで思い返して、アリヤは返事をした。
「いいよ。何?」
「う……! 本日もご尊顔を拝謁でき恐悦至極です。お返事もくれるなんて、なんて……尊い……!」
「音無、気をしっかり! 気持ちはわかる、わかるが、聞かなければ!」
返事一つで感極まられても困るのだが。
基本理念がアリヤの高校生活の平穏を維持するというものなので、そこそこ現状の快適さに役立っている。そのため愛想はまいて損はない。にこ、と愛想笑いで促せば、恍惚に震えながら互いを支え合った体勢で質問をされた。
「プライベートをお聞きするなんて、おこがましいことこの上ないのですが、あの、ですね」
「うん」
「お付き合い、始められました?」
案の定、いつかくるだろうと思っていた質問だった。
緊張した様子でアリヤをうかがう二人に、ぱちりと目を瞬かせる。
(隠すつもりはなかったけど、どうしよっかな)
本音を言うなら、言いふらしたい。
自分の彼女は、そりゃあもう可愛くて、愛らしくて、素晴らしくて。そう惚気てみたい。
妬みや嫉みが皓子に行くことは、あるかもしれないが、皓子は遠隔地で過ごしている。それに皓子の体質で害は及ばないだろう。
(うーん……でもなあ、俺がはっきり言ったことで皓子ちゃんが悪く言われるのは、腹立つし……いやでもノルハーンさんが言ってたな)
言い方は悪いが、世流一家の旦那と妻は、派手な美女と地味な男性の組み合わせだ。ノルハーンの美しさにやっかんであれこれ言われることもあったそうだ。
そして、ノルハーンはアリヤに向けてアドバイスと秘訣を教えてくれた。
――わたくしのほうが、心底、惚れ込んでいると示していれば、周囲のうるささなんて気にもならなくなりましたわ。本当のことですし、周りにも伝わるので良い手ですわよ。
父も確か、自身にまつわることで母を困らせていた。
あれはおそらく喧伝が足りなかったのだ。母は父の愛情表現を照れくさがって外ではあまり受け取ろうとしない。それゆえに、つけいる隙があると思われ、今になっても父に言い寄る女が現われるのだろう。夏の皓子を招いたときの食事で母が言っていたが、父も気づかないのが問題であった。自分はそうはなるまいと我が身を省みて、思考する。
(俺が好きと言っても、皓子ちゃんは困らずに嬉しそうにするし。なにより可愛い。よし、ノルハーンさんに倣おう)
黙ってアリヤの出方を待つ二人に視線をむけ、微笑んだ。
皓子のことを浮かべれば、自然と溶けるみたいに甘く表情がほころぶ。
「うん。わかっちゃった?」
「ひえ」
「ひいい」
小さな悲鳴と息を飲む声がする。容姿に見惚れているのは理解するが、化け物のように扱われている気さえする。もう慣れはしたが。
「すごく、すごく可愛くて、好きなんだ。俺の方がベタ惚れしてアタックして、やっと付き合えたところ」
「はわわ」
「ほああ」
そしておもむろに音無はハンカチを取り出して目元にあて、相生は口元を抑えて震えている。
「だから、これまでみたいにあんまりサービスは出来ないかも、だけど。俺が彼女に誠実でいたいから」
「い、いいえ! いいえ、いいえ! そんな!」
否定されたのかと、口を挟んだ音無を見る。音無は勢いよく首を振って、真っ赤にした顔のまま握りこぶしを振った。ハンカチが吹っ飛んでいる。
「我ら、御束アリヤの会は、正式名称を『御束アリヤくんの健やかな生活を見守る会』と言います! ので、ご安心ください! 彼女のことを語る御束くん最高です。ありがとう、ありがとうございます! エモい!」
「……そう」
そんな名称だったのか。
言いたいことを飲み込んで笑みを保つ。相生も音無の言うことに賛成なのか、何度も頭を縦に振っている。
もっと拗れるかと思ったが、存外あっさりとすんだ。これも運の成せる業なのかどうなのか。気圧されるアリヤを前に、音無たちは興奮冷めやらぬ様子で互いに激励を送っている。
(そういや、皓子ちゃんがいう優しくて良い人って、こういう場面でも適応されるのか?)
皓子はアリヤ自身をそう評価してくれている。
どこをどう見てそう思ってくれたのか、アリヤにはいまいちわからない。だが、キラキラとした瞳で自分のことみたいに嬉しそうに言ってくれる彼女の姿を浮かべれば、かくあるようにと行動することも嫌ではない。できうる限り皓子の理想でありたい。惚れた弱みである。
「あー……えっと」
声を出せば、びしりと姿勢をただして忠犬よろしく二人がアリヤの言葉を待つ。
皓子が居たなら「ここまで好かれるのも、アリヤくん自身が魅力的だからだねえ」とほわっとした口調で言ってくれるに違いない。アリヤのなかの皓子がアリヤを褒めるのを浮かべて、今までしなかった気遣いの言葉を探す。
「あまり、無理はしないでいいよ。いや、活動をやめてほしいってわけじゃなくて……俺のこと好きでしてくれるのはありがたいけど、俺がちゃんと身の周りのことも出来るようにして、彼女を安心させたいから。あまり、人を適当に使うのって誇れないからさ。ほどほどで。それと、これまでありがとう。こんな俺でもよければ、またよろしくね」
お礼で締めくくると、言葉を失った二人がまた震えた。互いに肩をたたいて何やら感極まっている。言葉も出ずに何故か手を合わせて拝まれて、泣かれた。
そしてクラスメイトも何故か口元に手をあて、乙女のような顔をしてアリヤを見ている。
(……ひとまず、愛想ふっとこ)
ひらりと手を振り、昼食を取るねと断って教室を抜けた。
気遣うことがそんなに珍しかったのだろうか。柄でもなかっただろうか。
考えながらも、ひとまず皓子に報告でもしようかなと足取り軽くアリヤは展望テラスへと向かうのだった。
数日後。
「御束アリヤの会」の会報誌を手にした皓子に、アリヤは事情説明をしていた。
表紙にでかでかと「生まれる信仰心」と怪しいアオリ文が書かれ、内容は彼女について惚気るアリヤの話題でもちきりであった。身構えていたものの批判はこなかった。しかし、妙な仕上がりとなった。新たな怪しい宗教かと出来上がった冊子を献上されたとき思ったものだ。
そしてその惚気文であるが、皓子の名前は出していない。
そのため、万が一誤解があってはいけないと、懇切丁寧につまびらかに言葉をつくさねばとアリヤは皓子を捕まえたのだった。
最初はやや困惑していたが、だんだんとアリヤの言葉に顔を赤くして照れて逃げようとする皓子は非常に可愛らしかった。
思わぬところで、アリヤは会報誌のあらたな使い方を学んだのであった。




