神様の手先の手先 おまけ小話3
本編後よりおよそ五、六年後あたりのゆるふわ小話。
カップルがいちゃついてるだけ。
「あのね、ズヤウ。ポーティアはここから遠いかしら」
ミレイスが好奇心を抑えてたずねると、えも言われぬ表情をしてズヤウは返した。
「遠い」
「そ、そうなのね。でも、そのアセンシャさまの道具を使えば行ける……のよね?」
途端、ズヤウはむっつりと黙った。口は真一文字に引き結んで、じろりとミレイスを眼差しが刺す。家でくつろいで居たところだからか、いつもの装備である目を覆う布地はそこになく、朝焼け色の美しい瞳が露わになっている。
この瞳は魔法の瞳だ。
事実、魔力の集中を乱す魔眼だが、ミレイスにとっては思わず目に留めてしまうようなハッとするような魅力のあるものなのだ。じ、と見つめ返せば、ズヤウの上がっていた眦は緩やかに下がる。
「行けるが、それがどうした」
「お出掛けを、したくて」
お出掛け、の時点でまたたちまちズヤウの眉間に皺が寄った。見るからに嫌そうだ。
それもそうだとミレイスは内心で溜息をつく。ズヤウは自他共に認める人嫌いだ。ポーティアは水の国の現王妃の生家がある場所、すなわち人が賑わう場所である。嫌がるだろうな、とは予想していた。
「一応、理由を聞こう。そんな顔をするな」
頬に手を当てられた。柔らかくあやすように撫でる仕草に、優しさを感じる。言葉はつっけんどんでも、態度や眼差しで十分に甘やかされているとわかる。
「フリエッタ様からいただいたお手紙から、素敵な催し物があるって知ったの」
「催し物? ポーティアで?」
「ええ」
頷けば、ズヤウは口元に指先をあてて、やがて思い至ったのか、また眉間に皺を寄せた。
「……それは、あれか。例の、競争のやつか」
「知っているのね、ズヤウ。伝統的な競争なのですって」
「まあ、昔からあったから……まだ続いているのか、あれ」
「もうすぐ行われるそうなの。最愛を運べ競争!」
ミレイスがはりきって言えば、「だろうな」とズヤウが呟く。
「本当に名付けもどうかしている」
「そうかしら? わかりやすくて、とても良いと思うわ。それでね、ズヤウ」
その時点で予想できたのだろう。ズヤウは、ことさら嫌そうに言った。
「参加したいと?」
「はい! ズヤウを運びたいわ!」
「嫌だ。そもそも、僕がお前を運ぶの間違いだろう」
「最愛を運ぶのだから、私でも構わないはずだわ。いつもズヤウにされているので、私もしてあげたいんです!」
ぐっと両手を握りしめて言えば、ズヤウが黙る。
「一番好きな人を示すことができる素晴らしい催事なのでしょう? カイハンからも、そう聞いたの。フリエッタ様もどうにかしてイマチくんを運べるよう参加をがんばるのですって」
「あの鳥のことは忘れろ。それと、王妃には思い直すよう言っておけ」
説得を重ねると、力強くズヤウは言い返した。断固拒否の姿勢である。
だが、ミレイスとて諦めるわけにはいかなかった。それもフリエッタの発破もあるが、カイハンの助言もあるのだ。
――ズヤウは、ミレイス嬢と出会って人並みに幸せを享受できるようになりました。この調子で他の人との交流もほどほどに援助してあげてください。あの執着激しい格好つけの人嫌いにはいい治療になります。
(ズヤウの助けになるの、よね)
それならば、数度断られても粘るくらいは容易いことだ。これほどまで慈しんで、愛おしいと接してくれる相手に返せる好意があるのならば、しない手はない。
気合い新たに見上げるミレイスは知らないが、この言葉は、カイハンがズヤウの相談に散々のった後にこっそりとミレイスを呼び出して言ってきたものだ。つまり、カイハンの腹いせである。だがそれを知る術はミレイスにはなく、単純に受け取って完全なる善意から行動を起こそうとした、というのがことの始まりであった。
一歩近寄る。
そのままズヤウの胴に腕を回す。
「ミレイス?」
相手の腕が回されそうになる前に、くっと力を入れる。
精霊の膂力は人を軽く上回る。ズヤウくらいの体重ならば容易に持ち上げることも可能だ。ぎゅうと体を持って抱き上げれば、達成感にミレイスは誇らしくなって微笑んだ。
「ほら、私だってできるわ!」
「……そうだな」
「ズヤウ? あの、私、できていない? 私も貴方を大事だって示したいの」
「……ああ、うん、できている」
溜息混じりにゆっくりと返された。努めて優しくズヤウを掲げた腕をとんとんと触れられる。言外の、下ろせ、というサインだ。そんなに駄目だったのだろうか。目が合えば「怒っていないから」と促された。
そろりと下ろせば、今度は逆にズヤウがミレイスを抱き上げる。背面から腕を回して、もう片方の腕は膝裏へ。丁寧に横抱きにしてから、耳元に口を寄せた。
「ミレイス、この競技の抱き方は決まっている」
「あっ、そうだったのね。じゃあ、もう一回」
「嫌だ」
つれなく返して、ズヤウはミレイスを抱えたまま足を動かした。向かう先は魔法が掛かった鏡だった。アセンシャから贈られた大きな姿鏡には、鏡面に木製のドアがはめ込まれている。そのドアをくぐれば家からあちらこちらへと移動できるという便利な道具である。よくそれを利用して様子を見にカイハンがやってくるのだ。
ここへ移動したということは、どこかへ向かうのだろうか。だが、ミレイスはきっと置き去りだろう。
この家に住み始めてから、ミレイスを一人で出すことにズヤウが拒否を示すからだ。外は危ないだとか、また魔物が出てきたらといけないからだとか色々言われたが、それでも納得できなくて何故と問い重ねれば、もっと理由は単純だった。
――帰ってきたとき、お前が僕を迎えてくれることが嬉しいから。
居場所になって欲しい。そう真摯に見つめながら言われれば、ミレイスも承諾せざるを得なかった。嬉しかったのだ。ミレイスが必要とされて、誰かの拠り所となれることが。それも自分が好きな相手に願われたのだから、叶えたくもなる。
以来、一人で出かけたいとは言わずに過ごしてきた。今回は、実に久しぶりの外出願いだったのである。
(やっぱり、駄目みたい)
いつもここから出かけるズヤウを何度も見送った。
だから、今回もそうなるのだろうとミレイスは残念に思いながら自分に言い聞かせた。ズヤウを困らせたいわけでも、嫌な思いをさせたいわけでもないのだ。
そう思っている間に、ズヤウはミレイスをゆっくりと下ろして仕度を始めた。馴染みの肩掛け鞄に、厳重に目を隠す覆い布をして外套をテキパキと着込んだ。かと思えば、ズヤウはミレイスにも同じ鞄と外套、それから指輪を手に取って指先にそうっと嵌めた。仕上げとばかりに身だしなみを一瞥して確認し、またミレイスを横抱きにした。
鏡面に嵌まったドアのノブにズヤウが触れたところで、ミレイスは我に返って問いかけた。
「あの、ズヤウ? どうしたの?」
「出かけたいんだろ」
ドアノブに手をかけたまま、ズヤウがぽつりと言う。半分隠されたズヤウの表情ははっきりとは見えないが、声音から妥協や渋りが感じられた。
「僕はお前を閉じ込めたいが、お前の願いを無視したいわけじゃない」
「えっと、一緒に行ってくれるの?」
「……水の王都で良いか。今ならカイハンもいる」
「は、はい!」
「掴まってろ」
言われるがまま首元に腕を回す。
じいっと見られている。ミレイスが見上げると、まだ不満そうな顔をしたズヤウが鼻先を寄せて、軽く触れるだけの口づけが落とされた。一瞬の暖かさがくすぐったくて支えてくれる胸元に頭を寄せる。
「ありがとう、ズヤウ」
「ああ。ずっとそうしてろ」
そして小さく軋むドアを開けて、ズヤウが一歩を踏み出した。
ドアをくぐると、いつか見たような不思議な通路が広がっていた。
辺り一帯は靄の中で、道らしき道がない。
(ああ、マネエシヤ様と通ったあの道と似ているんだわ)
神々のおわす宮殿へと移動する際に通った道。今でも、あの時の緊張を手に取るように思い出すことができる。移動の魔法か何かがかかっているのだろうが、この道を通るならば勇気がいりそうだとミレイスはぼんやりと感想を抱いた。
無意識に体が強張りでもしたのか、緊張を感じ取ったのだろう。安心しろとでも言わんばかりに、ズヤウの腕はミレイスをさらに抱き寄せて、それから緩めた。
それから少しの間歩けば、靄は次第に晴れてまた扉が見えた。木製の、鏡面に嵌まったドアとまったく同じ形のものだ。
ドアノブを回して開くと、豪華な部屋が現われた。
壁は落ち着いた乳白色に塗られ、天井は様々な絵が描かれている。吊るされた照明具は、花と風を模した華やかな装飾が施され、淡く輝いている。窓は少なく、たっぷりとした毛織物のカーテンが垂らされ、外気によって揺れる窓の振動で僅かに揺られていた。
(……この部屋も、どこか見たことがあるような)
きょろりと辺りを見回すミレイスを抱えたまま、ズヤウは躊躇わず毛皮の絨毯が敷かれた床を踏んで進んだ。
後ろで、小さな音を立ててドアが閉まった。それと同時に、一陣の風が吹く。外から入ってきた旋風はミレイスたちの目の前に留まると、やがてその中から見慣れた姿を表した。
白と灰色の羽毛に包まれた猛禽類の頭。首から下はなく、人の子の頭ほどある大きさの鳥頭はくるくると回って止まった。ぱちりと明々とした知性を感じる橙の瞳を瞬かせてクチバシがカチカチと鳴った。
「おや、ようこそ二人とも」
「カイハン、こんにちは」
「ええ、こんにちは。ミレイス嬢」
陽気な溌剌とした声音でカイハンは器用に鳥頭を下に傾けて礼の仕草をした。
「この懐狭い男を言いくるめていらっしゃったようで。よかったですね、外出できて」
「お前の差し金だろうと思っていた」
褒めるカイハンに、ズヤウは苦々しく言った。
「それで、ミレイス嬢を運んできたということは出るんですか? お前が?」
「出るわけあるか」
機嫌がどんどんと悪くなり、吐き捨てるように言い出すズヤウは、それでもミレイスを下ろすつもりはないらしい。ミレイスがズヤウの首に回した腕を外して、降りようと足を動かしても、逆に抱える腕に力を入れて抱き寄せるのだ。さすがにこのままというのも困る。
「あの、ズヤウ。おろしてほしいのだけれど」
「何故だ?」
「えっ、だって、もう着いたから」
「着いたから、なんだ。何か困るのか」
「困りはしないけれど……その、ちょっと、恥ずかしいわ」
「そうか」
さらにぎゅうと力を入れて抱き寄せられた。
胸元に両手をあてて押すが、甲斐はない。
「別にそのままでも私はとやかく言いませんが、ずっとこの場所から動かないのであれば障りがありますよ。ここはかの陛下の私室ですので」
カイハンがそう言うと、ズヤウがぴくりと動いた。それから、渋々、実に渋々とミレイスを丁重に下ろした。礼を言えば、軽く頬に口づけて、腰回りに腕を回された。
「陛下?」
「ああ、ラルネアン陛下ですよ」
ほっと人心地ついてたずねれば、カイハンは軽やかな口調で答えた。
「ラルネアン・イマチ・ミクノニス陛下。在位六年目の水の国の王陛下ですとも」
「あっ、イマチくんのお部屋なのね! 勝手に入ってしまったけれど、いいのかしら」
「いいと思いますよ。立場は貴女方の方が上ですし……それで、結局どんな用で?」
にこやかに言った後で、カイハンの頭がズヤウの方を向く。ズヤウはぶっきらぼうに「王妃に」と言った。
「ははあ、なるほど。では私が案内しましょうか」
「いや、先に伝えてきてくれ」
「いいでしょう。ではゆっくり向かってきてください」
こくりとズヤウが頷けば、カイハンは優雅に旋回して飛び進んだ。その後をズヤウに促されながらミレイスも続いて歩く。
「ええと、ズヤウ?」
「件の競争にはお前を出したくない。あんな人目につくところでお前を見世物のようにするなんて、冗談じゃない」
「そんな、見世物だなんて」
「お前がそう思っていなくても、僕はそう思えてしまう。だが……その競争を誘った相手と話すくらいなら、別に構わない」
「つまり、フリエッタ様とお話をしていいということですか?」
「……本当は嫌だが、僕とばかりではお前も気が滅入るだろう。狭量な夫で、すまない」
そんなことは無い。思わず口にしてすぐ横にある腕に抱きついた。
「いいえ、いいえ。ズヤウは優しいもの。気を遣ってくれて、嬉しい。そういうところも、私は好きです」
「そうか」
進む足が止まって、優しく頭を撫でられた。
「ゆっくりしてくださいと言いましたが、いちゃつけとは言っていませんからね。廊下で」
戻ってきて冷静に指摘するカイハンに、はっと我に返る。熱くなる頬を隠すようにうつむいて、ズヤウの腕をミレイスは引いた。
「ズヤウ、行きましょう?」
返事はなかったが、ちら、と見上げたズヤウの口元は楽しそうに緩んでいた。
***
「ようこそ! いらしてくださったのね!」
気安く声をかけてきたのは、王妃であるフリエッタだ。
他の者たちが、御神の手先、かの戦での御使いの方々と遠巻きに見る中で、実に親しげに旧来の友人であるように振る舞った。かの王妃の傲岸不遜具合に口を挟もうとした者もいたが、嬉しそうに「フリエッタ様」と言うミレイスに開いた口をそのままに立ち尽くすだけであった。
とやかく周囲から言われなかったのは、ズヤウやカイハンがミレイスの傍らに立って周囲に圧をかけていたのもあるが、ひとえに親しげな二人の女性の様子があったからが大きかったのだろう。
人払いをすませた謁見の間、玉座に腰掛けたイマチの隣にいるフリエッタは立ち上がり、ミレイスの前まで足早に歩いてくると軽く抱擁をした。
「まあまあ、久しぶりだこと。文は交わしても姿は見えないのですもの。私、貴女のことは姉のように思っていましてよ。たとえ尊い御方だとしても、仲良く話したことを忘れたくはありませんわ」
「ええ、私も。長く会えませんでしたが、お元気でしたか?」
「もちろん。貴女も健やかに過ごしているようで、安心しました。またミレイスと呼んでもいいのかしら?」
「はい、そう呼んでくださると嬉しいです」
「私のことはフリエッタと呼んでちょうだい。ねえ、聞いてくださるミレイス。私、フリエッタ・フリエッタ・ミクノニスと名乗っているの。愛しの陛下を射止めた女の名前を広めるにはちょうどいいと思ったのだけど、どうかしら?」
「とても素敵だと思います、フリエッタ」
ミレイスはにこりと微笑んだ。
自分の姿形は精霊であるために、変わらない。だが、目の前のフリエッタは豪奢な美女へと変身を遂げていた。自信溢れる魅力的な女性となったフリエッタは、輝かんばかりの魅力をもっていた。意思の強いつり目は輝いて、燃えるようなうねった赤毛が輪郭を縁取る様は、彼女の力強さをそのまま表したようだ。
(アセンシャ様が見たらお喜びになるような、素敵な女性になったのね)
それはフリエッタが、かねてからの願望を叶えたからだろう。
王族の責務は大変だと、かつてカイハンたちと勉強した最中で見聞きしている。それでも明るく楽しそうに、幸せそうな姿は嘘に見えない。ズヤウもカイハンも口を挟まないし、苦々しい様子もないようだし、きっと問題もないのだ。
ただ戸惑った様子なのは、イマチの傍に控えている年若い男のみのようだ。ミレイスの見覚えのある人々、フロウリーに、ケアレの主要な護衛たちは置物のようにじっと控えている。ただ、ミレイスの視線が向けば、それぞれ目礼を返してくれた。
また玉座へと視線を戻すと、フリエッタも後ろを振り返り手を差し出した。ついで、イマチが立ち上がった。
立派な衣装を身に纏ったイマチは、もう服に着られる子どもではなく、しっかりとした若者だ。かつての面影を残しながらも、洗練された見事な身のこなしは、驚くほどの成長を感じさせた。フリエッタの差し出した手を取ってエスコートするように立ったイマチは、ミレイスたちを前にして軽く礼をした。
「王座に立つ者のため、簡略した礼儀となることを、許していただきたい」
声もすっかり変わっているが、目がいたずらっぽく光っている姿は、かつてを思い出させてほっとした気持ちを抱かせた。
「そういうのはいらない。カイハンから先触れで聞いているだろう」
「聞いています。いと情厚き双翼の君様からの令とあれば、喜んで」
「その呼び方、認めたつもりはないが」
「ご存知でしょうが、人はいつでも勝手に申すものなので」
ふん、とズヤウが鼻を鳴らす。
いと情厚き双翼の君とは、ここ数年で民衆の口に上がるようになった尊称だとミレイスは聞いた。新たな神々の御使いとして言われてはいるが、まるでアセンシャやシギと並び立つみたいで畏れ多い。ただ、時折ミレイスのもとに訪れては話をするアセンシャは、いいじゃないとご満悦そうだった。ズヤウに聞いたところによれば、シギも笑って、むしろ存分に語れと推奨したらしい。お怒りがない分マシだが、聞く度に居心地が悪くなってしまう。
「お二方と久しぶりにお会いできて、光栄です」
「え、ええ。イマチ、くん? でいいのかしら」
「好きに呼んでもらって構いません。俺は……いえ、私は、慣れないでしょうがこのままで」
「そう。とても、がんばっているのね」
そう言えば、イマチはにこりと笑った。しっかりと責を持ち、なにかを笑みの裏に隠す表情だ。それは寂しくもあるが、イマチの覚悟した結果なのだろう。しかし、孤独ではないはずだ。イマチの手を握り、勇気づけるように胸を張るフリエッタがその証拠だった。
「ミレイス。お茶はお好き? 好みの菓子はありまして? ドレスは? 私に貴女のお話を聞かせてくださる?」
代わりに話しかけてきたフリエッタは、相変わらずだ。ミレイスが横にいるズヤウを見上げると、軽くうなずかれた。
「あとで迎えに行く」
「はい」
するりと腰に回った腕が離れると、待ってましたとばかりにフリエッタがイマチの手を外して一歩近寄る。長手袋をした手がミレイスの手を取った。すべらかで上質な生地だわと、相手の身分を実感するよりも先に、その行動力に笑みがこぼれてしまう。
「行きますわよ、ミレイス! 私、話したいことが神々の御山ほどありますわ!」
「はい、フリエッタ」
「ええ、よろしくてよ!」
ほほ、と軽やかに笑いながら手を取り合って駆け出す。王妃の身のこなしではないが、駆け抜けるフリエッタは異様に楽しそうである。
跳ねるような足取りに、ミレイスは久方ぶりの浮き立つ心地がした。
***
「涙ぐましい好感度稼ぎですね」
「うるさい」
一方、残された男性陣はこそこそと話していた。
呆れた様子を隠そうともしないカイハンが、姿を少年へと変え、ふよふよと空を散歩するように浮く。
さらに護衛を外に出し、渋る侍従も遠ざけ、イマチのみを残した謁見の間は静かである。ズヤウは不機嫌そうに顔をそむけるなかで、カイハンはなおも続けた。
「おや、そんなこと言っていいんですか。お前の相談という名の愚痴を延々と聞いている私に、言いますか」
「うるさい」
「というかもう片手を越える年数を過ごしているのに、まーだ手出しできないとは情けない。殿下が陛下になって成婚されて、すっかり先を越されてしまってますが」
「えっ」
思わずといった風にイマチが声をだして、つぐんだ。ズヤウの顔がイマチの方を向いている。そして、その隠された目の布の下で間違いなく睨んでいると理解したからだ。
「何か、僕に、言いたいことが?」
「いえ……いや、何も」
「羨ましいと思うなら、見習えば良いのでは? 陛下に聞いてみたらどうです? なんならカヒイのオトイラ殿にでも」
完全にからかう調子になったカイハンが回り込んでズヤウへと囁けば、黙ったズヤウが手を伸ばした。そのままカイハンの頭部を掴むと、綺麗に投げ飛ばした。柱に重く鈍い音を立てて、王城が揺れた。その時間、一秒も満たない僅かの間であった。
沈黙。
こんなに静かな空気が居たたまれないと思うのは、王になってはじめてかもしれない。イマチが心の内で冷や汗を掻きながらそっと顔を逸らす。
「あー……忍耐強いのは素晴らしいことだと思います」
舌打ちされた。
早くも、立ち去った女性陣が戻ってくるのを切望し始めるイマチであった。




