星廻りの夢9「軍議」
1日1章、更新継続中です。
1章の分量を減らしたので、下手すると2章アップしています。
気分転換に、現代から異世界転生した人たちの話も書き始めてしまった。
そちらはうんと今風のライトノベルとして、余計なものを削ぎ落として書こうと意識しています。
こっちはウンチクや、短歌・俳句の流れを意識しているので、この文章の流れが嫌いな人には受け入れてもらえ無いかもしれません。回りくどいんだと。
好きな作家は小川洋子さん。分野は違えど、憧れです。
皆様の反応を励みに続けます。
※
このところラーディア一族の謁見の間では、軍議ばかりが執り行われていた。
「公・候・伯・子・男」の五爵を基準とした分類の貴族たちと、王族、高位の神官が頭をそろえ、一様に深刻な面持ちでジウスの周りを囲んでいた。
「アド殿下の部隊が苦戦している」
口調が重々しい。
「まことかーー?」
問い返した主も、戦況について耳にしていないはずはない。
だが多少芝居がかった様子になっても、この場に沈鬱な空気を作り出すことに徹していた。
今日の会議の主たる議題がそれだからだ。
ラーディア一族の第一皇子アドは、ラーディアの兵二千人を率いて戦地へ出向いた。
神の氏族であるラーディア一族は、海産物の流通を取り戻すため、ドレイク共和国に軍議で援軍を送ることに決定したのだが、隣接するウル国の王の勢力が強く、あろうことか神の氏族が人の子の国に押し負けているという。
「アド殿下は王位継承権第一位、時代の世継ぎの可能性がもっとも高い方だ。もしものことがあっては困る。更なる援軍を送るべきでしょう」
「ええ。アド殿下を失ってはいけない」
「それはそうだが、先日二千の兵を出したところだ。ダイナグラムには常に三千の兵士を置いておかねばなるまい。更に人を集めるとなると、――これは民からの出兵も考えなければなるまい。」
ラーディア一族の総兵力は戦える国民全てを入れても十万人程度だ。
人の国ほど民の数は多くなかった。
ラーディアの兵は、百名程度の少数精鋭の小部隊ケンリュウス。トルニウスは三百人の中隊、トルニウスを二隊合体させた五百人〜六百人のプリウス。そして千人隊のトゥリという大隊があった。最大の兵力は一万人隊のケニファーだが、トゥリ以上の兵は皆、民からの人手を募る事になり、死傷者が多くなれば国力は弱り、景気を悪化させる事になる。
百人隊長はケリオーと呼ばれ、常に部隊の先端で戦うため、勇猛果敢な武将が任に着く。
アドはトゥリの大隊を左右に従えて出陣したが、ウルの王は三千人の兵を持って、これを押さえた。アド王子はいったんラーディア一族の協定国であるドレイク共和国の大統領地に陣を構え、兵の立て直しとともに、更に二千の援軍を望んできている。
「トゥリを更に二隊出すとなると、貧しい民にまた負担をかける事になるが」
「国民の兵など、何の役にも立ちますまい」
「プリウスぐらいの勢力でなんとかならないのか」
「ーーけれど万が一アド殿下を失ったら」
誰もが顔を曇らせている。
一人の子爵が提案した。
「ーー我が兄弟氏族、ラーディオヌ一族に援軍を頼んでは?」
一人の貴族が、かつては同じ神の血を引くラーディオヌ一族の民のことを口にする。
だが間髪いれず、他の貴族が否定した。
「馬鹿な。あんな怪しげな漆黒の集団と共に戦うなど有り得ない」
「そうだ。あれは神の氏族と言うよりも、どちらかと言うと魔族……」
炎上しそうになる軍議の中、ジウスが「黙れ」と一喝した。
「ラーディオヌ一族の民は、元は我が一族の民。方針が違い、袂を分つことになってしまったが、兄弟とも言える一族。ーーそれ以上口さがなく言うことは、わたしが許さん」
日頃から温厚なジウスが、声を荒げたこともあり、謁見の間はしんと静まり返る。
最高権威であるジウスに反論できるものなど、この場にはいない。
ジウスは圧倒的権力と支持により総帥として君臨し、彼の一喝でラーディア一族の貴族の地位を剥奪する権限を持っていて、逆らえば一瞬でお家は没落する。
「ーー申し訳ございません。出過ぎた発言でございました」
ラーディオヌ一族を魔族と言った貴族が、床に這いつくばって低頭する。
ジウスがどう出るのか、何を発言するのか、貴族たちはしばらく固唾を飲み、緊迫感で硬直している。
「ーーでは、こういうのはいかがですか?」
沈黙を破ったのはフェリシア公爵だった。
周囲の注目を集める中で、彼はうやうやしくジウスに最敬礼の姿勢をとって提案した。
「ラーディアにもラーディオヌ一族のような術力を使える民がいるではないですか。彼らを伏兵として戦地に送り、活躍していただくというのは如何でしょう?」
どこかトゲのある提案だったが、神官達は感心したように何度もうなづく。
「けれどーー。納得して戦地に赴くものなどおりましょうか?」
恐れ多くもと、現実的ではないのではないかと苦言を述べようとした貴族の意見を奪い、公爵家の家長は微笑んでいた。
「それでは、褒美を与えればいい。彼らは現状、肩身の狭い思いでラーディアに留まっている。貴族ならば爵位を回復させてやればいいし、ーーなんとでもやりようがある。これは彼らにとっても挽回のチャンスになろう?」
問いかけは、男の確信。強い主張だった。
「さすがはフェリシア公爵!」
公爵家のイソギンチャク、つまり利益相反のある貴族はすぐに賛同する、
最近では百人に一人という出生率が減少した銀髪の容姿。それでも老若男女含めれば、百人程度なら集められるはずだと言い出した。
「そうだ。呪術部隊でケンリュウスを組み立てればいい」
公爵家と利害関係になる一族は少なくはない。空気を読む貴族らが競うようにに発言する。
「百人大将のケリオーは誰に抜擢する?」
「アド殿下のご兄弟のライダ皇子は?」
「第三皇妃の息子、サナレス殿下もいらっしゃるが」
口々に候補を並べてたてる。
だが王族の後継は、非常に少ない。
「私は、ーーこれ以上王族に負担をかけるべきではないと、思う」
ここでもフェリシア公が発言した。
本来は神官長が軍議を仕切らなければならないというのに、完全に高位の貴族である彼のペースで軍議が進行していく。
「私は一人、推薦したい若者がいる」
公爵が言った。
「先日ラーディオヌ一族の呪術者試験で、地道士の最高位に昇級し、もう半年もすれば爵位を回復するであろう、有望な青年がいるんですよ」
「ほう。それは誰ですか?」
取り巻きが、興味津々で調子を合わせていた。
たくわえた髭を触りながら、公爵は答える。
「シルヴァ伯爵家の次男。私は彼が適任だと考えている。ねぇ、シルヴァ伯爵。ーー天道士になった折は、もう一度伯爵家にお迎えするご予定なのでしょう?」
試すような視線が、伯爵の方に向く。
神経質そうにとがった顔の伯爵は、痩せた顔で眉根をぴくりと動がした。
フェリシア公爵はさらに畳み掛けた。
「近々天道士になられる。また、前回の学院の公開年度末試験においても、非常に優秀だったと聞いている。ケリオーは聡明でなければ務まらない。ーー伯爵の血筋にいる者が、適任じゃないでしょうか?」
「おっしゃる通りですな」
合いの手を入れたのは、年度末試験で彼に負かされ続けている子供を持つ男爵だった。子供の代わりに復讐の機会を得たとばかりに、嬉しそうにニヤついている。
「シルヴァ伯爵は優秀な息子をお持ちになられましたな」
いや、羨ましいと男爵は皮肉を口にする。
「シルヴァ伯爵はどうお考えだ?」
ジウスを頂点にして、この場の貴族の最高位であるフェリシア公がたたみ掛けた。
早くに出家させた息子、ルカの父親であるシルヴァ伯爵に、その場に居た五十人あまりの視線が集中し、伯爵は周りを見渡した。
「あれはーー出家させた身で、今は私の息子でも貴族でもありません。引き受けるかどうかは本人次第で、私が賛意を表すものではないと考えております」
親として、冷酷な言葉だった。
けれど貴族としては当然の態度だった。
「ではフェリシア公、其方が交渉人を引き受けよ。彼が承諾したら、もう一度集まろう。今日のところはこれで軍議を終える」
この場の長であるジウスが決定した。
この決定がとても残酷なことであることを殿上人であるジウスは配慮しない。
ジウスは適任者を選抜することを軍議の目的にしていたからだ。
「はっ。必ず引き受けていただくように力を尽くします」
フェリシア公が跪くと同時に、貴族達全てが平身低頭した。
※
「姉様、昨日はサナレスが来ていたんですよ」
レイトリージェは姉の部屋のカーテンをパッと開けた。
朝の陽光が降り注ぎ、綺麗な姉のブロンドの髪が輝いている。
けれどまた、痩せたのではないかと思う。筋張った手の細さは異様で、日に日に痩せ衰えていくのがわかる。
サナレス、という言葉に、ムーブルージェはピクッと反応し、飲み物を口に運ぶ手が止まった。
「ーー知ってるわ。彼の声が聞こえたもの」
白湯を入れた湯飲みを、胸の下に両手で持って、ムーブルージェは微笑んだ。
「懐かしくてーー昨日はつい、ずっとそこの扉に張り付いて、彼の声を聞いていた。彼はーー、会いに来てはくれなかったけれど……。」
寂しそうに呟いて、彼女は笑う。
サナレスが側に来てくれるのを、ここでひとり待っていたのだろうか。
「姉様は、サナレスのこととてもお好きなのよね」
窓辺から振り返り、何食わぬ顔で微笑み返そうとしたが、レイトリージェの笑みは歪んでいた。
嫉妬心がちくりと胸を刺してくる。
こんなにも弱っている姉に対して、自分は意地悪な気持ちを抱えている。レイトリージェは軽く歯を食いしばった。昔からサナレスが、姉しか見ていないからだ。
ムーブルージェは少し驚いたように眉根を寄せた。
「ごめんねレイトリージェ。私みたいなのが姉で」
「ーーそんなこと言わないでよ。早く良くなって。そしたらサナレスは、姉様を選ぶわ」
胸の中に焼けるような熱さがあっても、レイトリージェはそれを隠していた。
サナレスの声を聞いただけで、姉は少しでも彼の声を聞きたくて、ほとんど起きられないほど心身ともに弱っていても、寝台から降りて行った。それだけ聞いても、彼女がどれだけサナレスを求めているのか、わからないレイトリージェではない。
「たくさん食べて、療養して、病気なんて早く治しちゃってよ」
ムーブルージェは苦しそうに首を振った。
咳き込んで、口元を押さえる。
「治らないの、知っているでしょ?」
「……ごめんなさい」
でも治ってほしい気持ちが強くて、レイトリージェは泣きそうになる。
どんなに自分がサナレスを好きでも、自分がサナレスに気持ちを打ち明けられないのは、二人が思い合っていることが明らかだからだ。
レイトリージェがサナレスを好きだと気づいた時、既にサナレスは一心に姉を見つめていた。そしてこの病弱な姉も、サナレスのことだけを見つめていた。
初恋だと気づいたけれど、自分が間に入る隙はなかった。
お似合いの二人の関係は、見ているといつも神々しかった。
お互いにお互いを必要としながら、相手の領域に入らない、何処か余所余所しい、それでも惹かれ合う関係。
「レイトリージェ、私の夢を聞いて。ーー多分叶わない夢だけれど」
そう言って姉は喉の調子を整える。
あー。あーー。
「私の夢は、歌姫よ」
ムーブルージェは歌い始めた。
透き通るような歌声が、館中に響き渡る。
天使の歌声だ。
この声をレイトリージェは知っていた。
金髪の小さいサナレスが、軽い足取りで庭先を走り回る。
その姿を姉は窓越しに見守り、歌を歌っていた。
天使の歌声に、天使のような輝きを放つサナレスが跳ねまわる。
その情景を、自分は鮮明に覚えていた。
決して割って入ることができない、神聖で、時を止めたくなるような時間。
「姉様……」
驚くような声量で歌った姉は、ものの数秒で咳き込んでしまう。
このところ人の子の近隣諸国で戦乱が起こり、姉が常に服用している薬も入手が困難になっている。
気休めかもしれないが、漢方薬を煎じて飲ませると、いっときは彼女を楽にしてあげられるというのにーー。素材が手に入らず、それが叶わない。
「こんなんじゃ歌姫は無理ね。ーーサナレスは、世界を旅して回りたい。私は、ーーそんな彼に付いて行って、死ぬまで彼の横で歌っていたい。あなたが言うように、わたしの病気が治らないと叶えられないわね」
潤ませた目で微笑まれると、レイトリージェの心が痛んだ。
どうしてこの人は、弱っていく心細さをサナレスに伝えないのだろうかと、切なくなる。
会いたいくせに、頼りたいくせに、ーーいっさい口に出さない。
「レイトリージェ、あなたもサナレスが好きよね?」
不意に核心を突かれて、レイトリージェは表情を固くした。
「私が知らないとでも思っていて?」
そう言って姉は、自分をそばに呼び寄せた。彼女は自分の頭を撫でる。
「辛い思いをさせて、本当にごめんね。昨日お父様が、家督もあなたに譲って、サナレスを貴方の伴侶にするという話を聞いていたわ」
本当にごめんなさい、と姉は詫びた。
「私のことがなければ、貴方が幸せになれたのに。それにサナレスも、貴方となら一緒に夢を叶えられたのに」
私が居てごめんなさい、と彼女は謝る。
どんな思いで、病の縁で彼女は昨日のことを聞いていたのだろうか。想像しただけで、涙が出そうだった。
「姉様!」
レイトリージェは姉に抱きついてしまう。
姉が考えているのは、いつもサナレスが望んで進む行先だけだ。
そして妹であるレイトリージェの幸せを願ってくれている。
「お願いだから姉様」
サナレスのことを諦めて、死を受容してしまっている彼女は、穏やかに笑う。
お願いだから姉様、私のことを許さないで。
私のことなんて考えないで。
レイトリージェは、ドロドロとした感情を自分の中に持て余していた。
サナレスの伴侶になりたい。
姉が適していないのであれば、公爵家の次女である自分が、サナレスの伴侶になれるかもしれない。
ドス黒い感情は、ずっと心の奥底で燻っていて、妹として病弱な姉の幸せを願うよりも、サナレスと自分の未来を優先しそうになる自分を許せない気がしていた。
どこか、安堵している。
どんなにサナレスが姉を好きでも、ムーブルージェはもう長くない。
汚いことをしなくとも。ムーブルージェの先は長くないのだ。
そして彼女は、サナレスとの未来を諦めている。
その事実。
だからこそ自分は姉の側で今も、微笑んでいた。ーー献身的に姉に仕えることができていた。
憐憫からくる心の安心に、レイトリージェは姉ムーブルージェに食事の準備をしていた。
「ごめんね、レイトリージェ」
姉の言葉が棘のようにレイトリージェの心に刺さったけれど、首を振って応えていた。
レイトリージェにはわからなかった。
サナレスとの未来を諦めた姉がこんなふうに笑えるほど精神を回復するまで、どれくらい苦しんだのか、想像もつかないでいたのだ。
「私は、サナレスや、貴方が幸せであれば、もう何も望んでは居ないわ」
きっぱりとそう言えるまで、彼女は何を捨ててきたのか?
「ただ命尽きるその時まで、歌うことは止めないけれど」、とムーブルージェは目を細めた。
「音楽にも心が宿るから、これだけは許してちょうだい」
ムーブルージェはいつもの優しい微笑みを浮かべていた。
その横顔は、とても気丈夫で美しかった。
「壊れた夢の先は、三角関係から始めます。」
星廻りの夢9:2020年9月3日