星廻りの夢8「迫害」
1日1章投稿しています。
応援よろしくお願いします。
これは文庫本一冊ぐらいの分量で終える予定の話です。
比較的短編にまとめるつもりですので、お付き合いよろしくお願いいたします。
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早々にフェリシア公爵邸を退出したサナレスは、夕陽に染まった赤い道を歩いていた。
自分の影が長く伸びて、うつむいたままそれを見る足取りが重い。
彼の脳裏には、まだレイトリージェの悲しげな顔が焼き付いていた。
サナレスとルカとレイトリージェ。ーー幼い頃から本当の兄弟よりも心を通わせた仲間。
それなのに、ーー月日は人を変えていく。
少しづつ、しかし着実にーー。
疲れた顔でサナレスは夕陽を見上げた。
フェリシア邸の庭でいろいろな遊びをした。
追いかけっこ、かくれんぼ、木登り。
ムーブルージェはその様子を二階の窓から眺めていて、3人が疲れるとお茶に招いてくれた。本を読んでもらったり、昼寝をさせてもらったり、彼女は、サナレスとルカを妹のレイトリージェと同じように親しみを込めて優しくしてくれた。
淡い思い出の日々の中に、それぞれの思いがあったことなど、微塵も気がつかなかった。
ルカがレイトリージェを、自分がムーブルージェをーー。
そしてレイトリージェは?
すぐに喧嘩越しになる、気が強い幼い女の子は、無理やり決められる縁談話に唇を噛み締めていた。
フェリシア公に、再度縁談を断った時、彼女はじっと自分を見つめた。
真っ赤に腫れた物言いたげな眼差しは、悲しそうに細められた。
彼女は泣き出すのを堪えているようだった。
ルカが住む場所はダイナグラムの中心地を西にはずれた住宅街だ。
坂道を登っていくと、ダイナグラムの市街地を一望できたし、右手には白が見えた。
サナレスは苦い思いを胸に詰まらせながら、ルカの家を訪れた。
伯爵家から出家させられたルカの住まいは、ラーディア一族で最高位の呪術師、ラァ・アルス・ラーディアの元だった。彼女の寿命は2000年と少し、王族にして最高齢、ーージウスの母親に当たる女だった。
廃位された皇太后、別名大母と言われる。国を代表する母神のその後を知る者は、王族でも限られている。
ジウスがこのラーディア一族を統治する前、ラァの力は絶大で、右に出るものはいなかった。ジウスの兄弟数名の子種を残したラァは、呪術が疎んじられる一族になったラーディア一族の日陰で、廃位した後の生活を営んでいる。
ラァはサナレスを見ると、お前は本当に若いときのジウスそっくりだと目を細める。
「やめてください、私のなりたい者の対極にいる人を似ているなんて」
とんでもないことだという謙遜と重荷を、サナレスは同時に感じていた。
「1000年も前の話だ。ジウスの若い頃をお前は知らないだろう」
彼女は嬉しそうに笑っていた。
貴族の寿命が尽きかけている彼女は、人の寿命でいうところの50歳ぐらいになった容姿で、サナレスを出迎えた。
これで領地内の呪術具を取り扱う高級店を何店舗か経営する立場にある。一度人の上に立つことを覚えた者は、廃位されても場所を変えて権力を得ていた。
「ルカは? 戻っていますか?」
サナレスが聞くと、ラァは困ったように肩を竦めて、奥の部屋を指さした。
貧しい暮らしぶりではないが、貴族の館のような華やかさはなく、何十人かの弟子が共同で暮らすその場所は、学生寮のようだ。
「何があったのかは知らないけれど、今日は荒れているよ」
わかっていた。
頑張りすぎるルカは、それでもまだ足りないことを得ようとして足掻いている。いっそ立場を入れ替われたら、彼はレイトリージェを手に入れ、自分は自由を手に入れた。
「誰にも会いたくないようだけど」
ラァはそう言って、サナレスを止める。けれどルカとの間柄はそんなものだとは思っていない。日頃は彼には辛辣だ。冗談と受け止められる関係だから、言いたいことを口にする。
けれど彼が辛い時は、何もできなくても、ただ側にいたかった。
領地内でラァが所有する建造物は、一階より上が店舗になり、地下が居住区だった。
呪術を生業にする者は、好んで地下に住まいを構えることが多い。万が一呪術で襲撃されたときに、影響を受けにくい場所を選んでいるのだという。
クの字形の建造物の廊下を曲がり、地下通路をすすむ。日が暮れかかっているため、燭台や蝋燭をガラスで囲った手元灯ぐらいしかないため、地下の住まいは殊更暗かった。
店舗の片隅から地下の居住区に降りる道が続き、サナレスはルカに会いに薄暗い階段を降りた。
伯爵家の暮らしとは違う営みを受け入れたルカ、ーー理不尽な境遇でも決して諦めずに、レイトリージェに告白したルカ、ーー同い年の彼は急速に成長している。
サナレスが誇れる、模範となる友だった。
もし自分がルカであったなら、貴族に出家させられたその足で、ムーブルージェを伴侶にした。彼女が健康で、自分との道を歩んでくれるなら、迷わずに手を引いて、さらってでも一緒に連れて行ったのに。現実は残酷だ。
「ルカ、入っていいか?」
彼の部屋の前で、サナレスは声をかけた。
部屋には鍵がかかっていなかった。扉を開けても、明かりがついていない。
サナレスは一歩中へ足を踏み入れ、ルカの姿を探した。
「ルカ……。どうしたこんな暗がりの中……」
ルカが返事をしないので、側に近づこうとした。
「来るな!」
短く鋭い声が、サナレスの足をその場に釘付けにした。
「悪い……サナレス。一人にしてくれ……」
きつく言ったことを恥じるように、弱々しい声で頼んでくる。
机に肘をついて頭を抱えるようにして顔を隠し、動かない。
ルカらしくはない様子に、サナレスは言葉を失った。
初めてみる儚げな彼の姿を目の当たりにして、立ち去ることができなかった。かと言って側に近づくこともできない。
泣いているのかーー?
泣き顔を見たわけではないし、声を聞いたわけでもない。
けれど彼の心の悲鳴が聞こえてくる。
フェリシア公に何を言われたのか。銀髪に生まれただけで迫害される一族の中で、公爵家が言いそうなことは想像できる。
「レイトリージェが、……気にしていた。おまえにすまないことをしたと」
サナレスは開けた扉の枠にもたれかかり、ルカと反対方向を見て声をかけた。
「彼女が悪いんじゃない」
「ああ」
「彼女はいつも私に気を使う」
「ああ」
「ーーけれど、それも辛いな」
「ああ」
レイトリージェの気遣いは、ルカにダメージを与えている。自分の親兄弟から出家させられた運命でさえ、「いつかは認めさせてやる」と立ち上がった気丈なルカを知っているだけに、見ていてやるせ無い。
レイトリージェが悪いわけではなく、ルカもそれをわかっている。
「サナレス……、明日には普通に戻るから」
低くうめく声は、彼の心の吐息に思え、サナレスはなんと声をかけていいのかわからなかった。
「銀髪が疎まれていることぐらい知っている。中傷されることにすら慣れてしまった。ーーそれなのに、こと彼女が絡むとどうしても平静じゃいられない。それがなぜかずっとわからなかった。けれど最近になってやっと、私が彼女を好きだからと気付いたんだ。こんな簡単な事に気づくのに、ずいぶん時間をかけてしまった」
だから彼女に告白した。そして更に強い関係になろうとあがいている。
「こんな差し障りのある髪色でも、彼女だけは他の男に渡したくない」
堅い決意を口にする親友の存在が、サナレスは自分からずっと遠いところにいるように感じた。
「なぁサナレス、おまえはどうなんだ?」
自分だけ周囲から取り残されたような孤独感を感じていた。
わたしはーー?
なぜ人は人を愛するのだろう、とサナレスは考える。
サナレスもムーブルージェを求めている。ルカやレイトリージェのことも大切だ。
ただサナレスは、ルカがレイトリージェを望む気持ちほど、異性に気持ちを傾けることはない。
見たこともない世界に出て、旅をして、様々なものを見て、大勢の人と出会い、生きていきたい。燃えるような思いは、果てない夢だ。
人との関わりよりも、ずっと心惹かれるものがある。
もしかすると私は欠陥人間かもしれない。
「わたしは……、人を愛することはないーー」
サナレスは瞳を閉じた。
「破れた夢の先は、三角関係から始めます。」
星廻りの夢8:2020年9月3日