星廻りの夢7「決意」
1日1章、アップしています。
一章の分量を調整したので、平日でも毎日書き綴ることが、難なくできています。
今回のテーマは、成長・三角関係・戦争です。
中盤以降は、ちょっとシュールになってきます。
最後までお付き合いよろしくお願いします。
ブクマ、感想、誤字脱字、反応が励みになりますので、よろしくお願いします。
文字のレースをしている感じです。
※
サナレスが自分の気持ちに折り合いをつけて客間に戻ると、ルカはいなかった。
先に帰ったのかと確認すると、レイトリージェは申し訳なさそうに頷いた。
「ごめんなさい。思っていたよりも早く父が帰ってきてしまって……」
皆まで言わなくても、承知した。
この家は、自分に姉妹どちらかを娶れと提案してきたそのままの傍若無人さで、娘の気持ちを蔑ろにする。
先日ルカがレイトリージェに気持ちを打ち明けたことをサナレスに告白してきたので、場の雰囲気で察知した。
元々、フェリシア侯爵は爵位を取り上げられたルカを軽んじている。
おそらく爵位のないルカとレイトリージェが付き合うことなど、認めはしない家だった。
貴族は結婚相手を恋愛感情ではなく、更なる高位のものと関係を持つことを望み、政略的に相手を決める。特に娘達は、そのための道具にしか過ぎない扱いだ。
1日でも王族のお手つきという恩恵を受ければ、本来の幸せとは別に貴族の各位が上がり、言い訳が立つのだ。正室でなくとも、王族の側室となることで、民からの奉納品の数も桁違いに増えるのである。
だから王族の義兄達が15歳で成人すると同時に、数十人の婚約者候補達が名乗りを上げ、皇子達は忙しくその中から正室や側室を選んだ。無論、貴族家長がそれを決めるので、女達は相手選びに自己主張できない。顔も見たことのない相手に、望まれるがままになる貴族の女達。ーーそれが貴族社会の現状だ。
「じゃあ私もそろそろ帰ろう」
ルカはさぞかし嫌な思いをしただろう。追いかけて気を晴らしてやりたかった。
「ーーそれがあの……。サナレスが来ていることも言ったから、父が会いたいって。お風呂から上がったら、執務室に連れてくるように言われているのだけれど……」
露骨に嫌な顔をしたサナレスに、レイトリージェはうつむき加減にごめんなさい、と謝った。
「君が謝ることはないのにな」
吐息混じりにサナレスは言った。
「ーー服はある?」
「ええ、まだ完全に乾いてはいないんだけど……」
「いいよ。ありがとう」
手渡された学院の制服を見て、サナレスは更に憂鬱になった。
一定の集団に属することが決められた服装。王族に生まれてしまい、どこまでも纏わりついてくる、ラーディア一族。制服は、そんなものを象徴するように思えた。
「服を着たら行くから、先に行っていて」
サナレスは言った。
フェリシア家の公爵から言われるだろうことに察しがついていて、胸の奥がチリチリと痛んだ。彼は自分の娘との縁談話を諦めてはいない。サナレスが館にやってきたことを耳にして、これ幸いと下心を出してきたに違いない。
サナレスは、ムーブルージェとの縁談を望まないわけではない。
このまま王族としてダイナグラムに留まる決心ができているなら、病弱な彼女を守って、公爵家の婿として後見役を引き受けた。
現実を見るなら、初恋の相手と結婚できるという好条件が揃うことなど、貴族社会においてはまず無いに等しい。
自分の夢さえ諦めてしまえば、何の不足もない話だ。
ーーだから聞きたくなかった。
気持ちがぐらつくのだ。
彼女との縁談を断ることは、サナレスにとっても決心が要ったことだ。
蒸し返されることで、彼女との決別を覚悟した気持ちが鈍って、また揺り動かされてしまうかもしれない。
自分は彼女が好きで、手に入れたくて、手に入れられないからこそーーその気持ちはいつの間にか男女の愛情に変質していった。
この地を出て自由になり、世界を見てみたい。
そんな羽の生えた夢さえ見ることがなければ、渦巻く欲望を抑えられないほど、サナレスは彼女が欲しい。
それでも。
そうーー。
貴方のために、自分の心は、行先を変えられない。
私のために、貴方の心も、行先を変えはしない。
厳しい表情で、心が揺れないように、もう一度気を引き締め直す。
いくら好きでも、体が弱いムーブルージェを連れて、ラーディア一族の外へ出ていくことなど不可能なのだ。
彼女はラーディア一族での文化的な貴族社会でしか生きられない、生粋の貴族だ。旅をして、満足な医療がない世界へ、連れ出すことは不可能だった。
ーー初恋は、初恋のまま思い出にすればいい。自分の心は少し冷たくて、時々驚くことがあった。
こんなだから自分は、ムーブルージェに合わせる顔がないのだ。
彼女が自分にしてくれたことを思い出すと、胸の奥がまだ痛む。
いつ訪れても、優しく包むように微笑んでくれて、嫌なことがあったときは側にいて励ましてくれた。
ある時など、皇子でいることが嫌なのだと告白すると、意外そうに目を見張った彼女は、私も病気がちなのが嫌だと本心を打ち明けてくれた。笑い合い、二人で運面や天命について何時間でも語り合ったものだ。
彼女は唯一自分を理解してくれる人。
そして、運命の相手だと思った。
望まなくても、不条理を与えられるやるせなさを、人は背負っって生きている。
そんな彼女との間柄だから、自分が縁談を断った理由を、彼女は理解しているはずだった。
ごめん。私達は違う道を選んだのだ。
吐息をついた。
サナレスは姿勢を整え、フェリシア家の主人の執務室の扉を開けた。
「ご無沙汰しております。イルサ、フェリシア」
応接のために揃えられている、布張りの椅子に座り、フェリシア公とレイトリージェが向かい合っている。
サナレスを見ると、フェリシア公は立ち上がり、右手を胸に当て、肩膝を折って挨拶した。
「よくいらしてくださいました。今日はご活躍なされたと、伺っております」
「いや。好ましいことではないことぐらい、わかっているよ」
「何をおっしゃいますやら。ここのところ妓楼にばかり遊びに行かれていると、残念に思っておりましたが、やはり殿下は立派な青年でいらっしゃいます」
サナレスも椅子に座ると、使用人から紅茶が出された。
「お酒の方がお好みでしたら、そちらをお持ちしてもよろしいのですが」
フェリシア公はやんわりと含みのある微笑みを見せた。
妓楼に通っていた噂は、この館にも伝わっていたのか。
レイトリージェは、自分から目を逸らし、横を向いている。レイトリージェの潔癖さからいうと、自分の行動は許容範囲外になるのかもしれない。
「――ムーヴルージェ様はお元気ですか?」
「息災だ、といいたいところだが、……相変わらず完治は難しい。貴族の血によって生きながらえているが、良くなる兆しはない」
フェリシア公は渋面になり、首を振った。
「その件についてはすまないことをした。王族である殿下のお子を身籠らなければならない女子として、役割を果たせるような体ではなかったな。婚約者候補に推薦したことを、すまなく思う」
「――何を……?」
「本来は家を継ぐのは長女の役割。けれど我が娘のムーヴルージェにとってはそれも重荷だろうと、次女のレイトリージェに継がせることを決意した」
相変わらずレイトリージェは顔を背けている。
サナレスははっとした。彼女の瞳が心なしか赤い。
――泣いていたのか?
父親と言い争ったのだとしたら、内容には心当たりがあった。
「そこでだ、サナレス殿下。――下の娘の方であれば、健康体だし、知らない仲でもないだろう。もう一度フェリシア家の跡継ぎの婿として、我が娘の事を考えてはくれないか?」
この父親は何を誤解している!?
レイトリージェと父親がもめたのも、この案件だ。
彼からの言葉に、机を叩きつけたい衝動が生まれたが、拳を握りしめることでぐっと我慢する。
ルカとレイトリージェが付き合い始めたことを聞かされているサナレスとしては、二人の気持ちにも気を配りたかった。
最大限、真摯に言葉を選ぶことに注力する。
「ーー私は、公爵家の娘ならどちらを選んでもいいと言われたことに気分を害しているのです。私にとっては御息女のお二人は、大切な幼馴染なのですから」
怒りに声が震えるのを、うまく隠すことはできなかった。
感情をコントロールするのは難しい。
サナレスは伝えたい言葉を探すために、長いため息をつき、きっぱりと本心を口にした。
「私は、この一族で生涯を終えるつもりはありません。ですから王位は継がない。このような世間知らずですから、大切な御息女を娶ることが叶わないのです」
ムーブルージェが健康であれば、自分の夢のためにさらって行ってでも、幸せにしたい。
彼女が欲しい。
できることなら一生一緒にいたいのだけれどーー。
彼女は病気がちでそれを許さなかった。
そして貴方のために、自分の心は、行先を変えられない。
だから二人の未来は途絶えてしまった。
初恋というには想いは大きくなりすぎている。
この館は、一歩足を踏み入れた時からムーブルージェの匂いがした。
彼女を抱きしめたくなり、サナレスは思いを堪えるために自分の二の腕をぎゅっと掴んで立ち止まった。
発作的に会いたくなって、今にも走り出しそうだ。けれど気持ちのまま走ってしまえば、結果的に彼女を苦しめることでしかないし、自分の未練を断てなくなる。
ムーブルージェを抱きしめたい。
昔みたいに自分に正直になって、時間を忘れるほど語り合いたい。
そう思いながら、一方でサナレスは自分自身を自制する。
「申し訳ないがフェリシア公、出来の悪い私を許してくれ」
サナレスは言った。
「破れた夢の先は、三角関係から始めます。」
星廻りの夢7:2020年9月2日