「カ――なんとかさんの後日談」
2045.8.10
セレクトリア王国領ユリシャ市ターヴァ区画薔薇十字の兄弟陣営
×× × (カ○○)
時系列的にThebesWorldOnline 終章 第131回 「――になってくれたら教えてあげる」の直後からの場面となっております。そちらからお読みいただきますと、場面の把握がスムーズです。
逃げる様に。
天幕を出て、少しだけ小走りに、その場を離れて。
でも、名残惜しむ様に、振り返って。
涙が零れそうになる。
それを、唇をかむ様に、堪えて。
それから、自嘲気味に、口の端を吊り上げて。
「ふ……ふ……」
自分の口から、震えた笑い声が漏れるのが。
その声が震えているのが悔しくてたまらない。
"彼氏になってくれたら、教えてあげる"
――だ、なんて。
我ながら酷い当てつけだ。
"彼"の心は変わらないだろう。だからこそ、それは"一生教えてやんない"って言ってるのと変わんなくて。
それでも彼――ユージン君、だったっけ。
なんだかんだ自分とて誤魔化して、"英雄君"だなんて呼んじゃってさ。
名前呼ぶの恥ずかしい――照れ隠しでやってるのなんて、バレバレだったろう。何ならそれも腹立たしい。
そう、その"ユージン"には散々弄ばれたのだ。
少しくらい……やり返したっていいじゃない。
死んでいく私を抱き上げて。
どうせ生き返るのに、まるでほんとに死んじゃうみたいに涙を流して、私の顔を覗き込んでさ。
"あきらめないでくれ!!"って。
なんなの。
そんなの。
惚れるじゃん。
ドキッとするじゃん。
王子様かよ。
て、なるじゃん。
そんなことしておいてさ。
私のこと、あの一瞬で惚れさせておいて、あとから確かめてみれば、当の本人はまるでこっちの事なんて見てなくてさ。
マナ。マナ。マナ。マナ。マナ。マナ。マナって。
"歌姫"のことばっかり!
ちょっと、意地悪しちゃうくらいいいでしょ?
ねぇ。
とぼとぼと、夜の陣営を呆けた様に歩く。
彼等を。
"彼"と"歌姫"をフェアリーズランドへ送り届けるため、私たち薔薇十字の兄弟は当時紅鉄の剣騎士団の占領下で在ったターヴァ市へと侵攻した。
紆余曲折の末、拠点交換と言う形に落ちつき、そしてそのまま、私たちはターヴァ市へと腰を落ち着けた。
慣れ親しんだローズウッド市ではない。
祭事式典公園基地でもない。
慣れないターヴァ市の、街を貫く主幹道路の果てに在る緑地公園基地。
天幕から逃げ出た私は、当てもなく歩いた。
いまだ把握しきれていない緑地公園基地の陣地内を当てもなく。
やがて少し小高くなった、天幕を見下ろせる丘の上に、屋根付きの休憩所を見つけて腰を落ち着けた。
簡素な間仕切りで仕切られた表と裏。その天幕を見下ろせる側に座る。
一人だと自覚した。誰も見ていないとわかった瞬間に、止めようもなく涙があふれた。
「ひ……っく……ひっく……ぅぅぅ……」
こんなことで泣いてしまうのが何だか悔しくて、眼を硬く閉じるも、それは抗いようもなく頬を伝う。
自分でも惚れやすい性格だとは思う。
私の言う"好き"だ等と、他の人のそれに比べれば本気のそれではないのではないか。薄っぺらい物なのではないか。
でも好きなんだ。
好きに、なってしまった。
あのユージンという青年が気まぐれに見せた一面だけで、本当に惚れてしまうんだ。
でも、自分のそれを薄っぺらいと思うからこそ、わかる。
彼、ユージンは自覚して眼で追ってみれば見るほど、"あの一瞬"以外はこちらの事等一切見ていないのだ。
ならどっち向いてんだって、決まってる。ずっと"歌姫"を見てる。
私の言う"好き"等霞んでしまうほど、全力で、全身全霊で"歌姫"が好きだって、わかっちゃう。
さっきだって、居ないはずの視界の中に、彼女をずっと探してる。
歌姫にしたってそう。こちらは――多分――盛大に依存してる。彼女のそれは、きっと取り上げられたら生きて行かれないほどだ。
なんで――居なくなってしまったのかはわからないけど。
だから、どう比べたって私のそれは。
私の"好き"は薄っぺらい。
でも。だからって。
じゃあ諦めるのが当然かって。
そうじゃない。そんな、それほど単純でもない。
悔しくて。
でも、あれほど愛し合っている二人の間に割って入る勇気はなくて。
なんならその事自体も悔しくて。
石造りの冷たそうな長椅子に足を上げ、魔術師用の外套の裾ごと膝を抱える。
顔を埋めて、泣いた。
嗚呼、その時だ。
ごそり、と。
すぐ近くで何かが動く気配。
誰も居ないと思っていた、間仕切りの向こう。
「!」
息を飲んで、警戒しながら間仕切りの方へ注意を向ける。
ここは占領後間もないとはいえ、味方であるはずの"薔薇十字の兄弟"の陣営内。
しかしながら、あからさまな敵ではないとはいえ、一人で啜り泣く女子を影から黙って眺めているような悪趣味な奴だ。
"人の恥ずかしい部分をよくも"
「あーいや、その、出て行き辛くて。 盗み見るつもりはなかったんだが、ええと。 弁明……させてもらえないか」
どうやら顔に出ていたらしい。
間仕切りの向こうから現れた人物は、そんな言い訳をしつつ頭を掻いた。
泣き顔等、そう晒して気分のいいものではない。
私は袖で乱暴に涙を拭いつつ
「女の子が泣いてるのを覗き見だなんて、ずいぶんな"悪趣味"ね」
そう強がったような言葉を投げかける。
宵闇から、ぼんやりと姿を浮かび上がらせるのは、自分と同じような薔薇十字の一般魔術師が身に着けている外套。やや明るめの茶髪に、強烈なパーマ髪。
しかしながら心底申し訳なさそうな声音と裏腹に、その眼差しははっきり言って"何考えてるか分からない"レベルの半眼。
この顔、覚えがある。
たしか英雄君の――
そんな会話ともつかぬやり取りをしながら、いよいよお互いが月明りに姿をさらす。
感情の読めないその表情を一切崩すことなく。
いやいやしかしながら。
しかしながら、だ。
英雄君のリアルの友人であるというコイツ。
たしか"魔術師サイード"は、私の顔を見るなり
眼だけ。
そうその特徴的な"眠そうな半眼"は一切揺るがないくせに
それ以外の部分はこう、なんて言うか"びっくりして固まってしまった"みたいな。
なんならぽかんとだらしなく、口を開けて。
"なんだ、その反応は"
そんな反応をされて、私とて思うところの一つもないわけではない。
未だ、涙の後の残る目じりを、もう一度袖で乱暴に拭って。
「なによ」
「む」
私が睨み付けて見せると、彼はたじろいだ様に軽く仰け反る。
面白いことに、眼だけがずっと表情を変えず――いや、よくよく見ると少しだけ目を見開いて。そのせいでわかりにくい表情の変化は、何故だか私には伝わって。
"全然顔変わってないのに、しどろもどろなのがわかる"
ついには困り果てた様に、顔を背けようとする彼に、現金なもので俄然調子づいてしまった私は、顔を寄せて詰め寄った。
なるほど類友とでも言おうか。
英雄君が英雄君なら、こいつもこいつ。
顔に似合わず初心な様子。
――嗚呼、私はひどい奴だ。
この、リアルでは英雄君の友人だとかいう彼を、先ほど英雄君に決定的に振られた腹いせに虐めてしまおう……みたいな。
自分自身、そんなに顔を寄せたら恥ずかしいのを隠し隠して、大胆に覗き込む。
宵闇。静寂。状況はどこまでも間延びを許し、少しだけ余裕を取り戻した私は、クスリ、と。含み笑いひとつ、彼の反応を待った。
でも。
その唇が何かを言いかけ、そしてやはり寸でで噤まれるのを、見た。
私はその瞬間――何故だか――再び余裕をなくし。
つまりその所作に反感を抱いて。
どういうことかと言うと。
多分。きっと。コイツ、今、私に遠慮、した。
英雄君もコイツも。私には本気になってくれないくせに、そんな気遣いだけはしてくれるのだ。
その"生殺しの気遣い"が、私は悔しくて。悔しくて。
なんならまた、拭った目じりに涙がにじむのを自覚しながら、私は衝動的に、彼の胸ぐらを掴んで引き寄せていた。
「言いたい事が有るなら、言ってみなさいよ」
あの目は変わらない。
意図の読みづらいその半眼はこの期に及んでそのままに。
それでも彼は一瞬息を飲み。
「いや……あー。すまない。言う――から、手を放してくれないか」
やがて観念したようにそんなことを言う彼、サイードを解き放つ。
襟を正しつつ、咳払い。
驚いたことに。
――驚いた、ことに。
あれほど揺らがなかったサイードの目が、へにゃりと。
なんとも自信無さげに歪み。
続いてその口が何を言うかと思えば。
「――キミの泣き顔があんまり可愛くて」
え。
「は……は?」
つい間抜けな声を上げて、ぽかんと口を開けて放心してしまう私に。
魔術師サイードはその目こそ再び半眼に戻りつつも、赤ら顔を隠す様に顔を背け、頬をかきかき。
「正直、一目惚れ……したんだが。それを今、キミが泣いてるこの時に言うのは――」
なんなら、彼のこんな顔、私しか見たことないのではないか。
言葉の最後を吐き切るときには、もう平静を取り戻したように、感情に読めない顔に戻っていて。
戻って、いて。
戻って、いるのに。
「――なんだか、ズルい気がしてさ」
ああくそッ!!
惚れたッッ!!!!
俯いて、拳を握り締めて肩を震わせる私をどう思ったろう。
彼は一歩、私に歩み寄り
「返事は、キミが冷静な時でいい。 オレはサイード。 キミともっと話がしたい。 今は、ええと……名前だけでも、聞いて……いいかな」
そんな言葉をささやく。
何も言えないでいる私に、彼は早々に諦めたのか、すん、と溜息ひとつ。すれ違う様に天幕の方へ歩いて行ってしまう。
私は――とっさに。
「か、香取 優ッ!!」
振り向きざまに我が口から放たれたのは、どういうわけか本名。
あ、彼がぎょっとした顔でこっち見てる。
"あの"サイードが。ぎょっとしてる。
「あ……か、カトリ! TWOでは、カトリ……です」
慌てて言い直す私に、彼はすうって。
眼を細めて。
ほんとに。
なんだ。
そんな顔。
出来るんじゃん。
ってくらい自然に、微笑んで。
「――斉藤……卓也」
そう答えた。