「やってみたいことがある」
2045.9.8
セレクトリア王国領王都ヴァルハラ市行政区画ハンターズギルド前
舞意 祐二 (ユージン)
「俺、全感型になったら、一度やってみたい事が有ったんだよ」
小柄な彼女の肩を掴んで、その顔を覗き込みながら。
久々に見たVRの彼女は、どういうわけかその真白の髪と見比べてわかりやすいほど、その頬を上気させて。
どこで間違えたのか、俺の思惑とは別の方向へ向かいつつありそうな、何かを期待するような目で、俺を見上げる。
あれ。 おかしいな。ほんと――どこでまちがえた?
時間は少しだけ遡り。
俺は期待に胸躍らせながら、PCを立ち上げ、藤堂氏より承った全感投入型ログインデバイス――なんかヘルメットみたいなヘッドギア――を装着し、ベッドに体を横たえた。
ThebesWorldOnline
VRフィールドログイン待機中…………スタンバイ
姿勢を安定させ、定型文を発語してください。
「TWO ログイン」
短くそう呟くと、一瞬で俺の意識は途絶え、本来体を動かすはずの電気信号が遮断され、VR空間での俺の体、アバターの"ユージン"に疑似的に再接続される。
まぁこのへんの蘊蓄はほぼ藤堂氏の受け売りだが。
その、藤堂正明博士から、ようやくマナの状態が安定し、VRへのログインが許可できるようになったとの知らせを受けたのが、今日の昼頃。
俺とマナはSNSで時間を決めて、夕方、TWOのヴァルハラ市で落ち合う約束をした。
最初に彼女のもとを訪れてから一週間くらいだ。
ほぼ藤堂氏の予定通りと言えよう。
俺はその間もリアルで病院に通い詰めていたが、いつまでもバイトも休めないし、何しろ毎日学校帰りに20駅往復はなかなかハードだ。
俺は、マナに会う為ならそれも厭わなかったが、やはり連絡を受けてホッとしたのも確かだ。
そうこう思い返すうちに、視界が開ける。
雑踏。
喧噪。
俺はヴァルハラ市、商業区はマーケットの一角でログインした。
全感型でのログインはこれが初めてではないが、やはりなんというか、独特の空気感に違和感を感じてしまう。
リアルの感覚そのままに、と言う意味で在れば半感覚型よりよほど違和感を感じないはずだが、さすがに皮膚感覚がないまま4カ月もこちらで過ごせば、この感覚も今更と言うもの。
今日は金曜。
そう言うリアル事情もあってか、週末へ向けたゲーム内のマーケットも人でにぎわっていた。
その独特の埃っぽさも、なんなら新鮮で、そのままマーケットをぶらつきたくなるが、今日、俺にはやる事が有る。
"マナが帰ってくる"
それだけで、ほとんどログインしなくなっていたTWOがまた楽しくなってくるのだから、現金なものだ。
俺はそそくさと移動し、ゲートクリスタルを介して最寄りの場所へ。
そこからは徒歩で、とある場所を目指す。
そう言えば、ここから出てきたことはあったが、歩いて此処へ向かうのは初めてだ。
"始まりの庭"
そう呼ばれる、新しくゲームを始めたプレイヤーが最初に現れる場所。
石畳の道から外れて、水路をまたぐこれまた石造りの桟橋を歩けば、向こうから駆けてくる人影。
一瞬、目当ての人物かと思って身構えたが、どうにも人違いらしい。
なにしろ、新規のプレイヤーは皆ここから出てくるのだ。誰が出てきても不思議ではない。
Tシャツにハーフパンツのラフな格好した、黒髪の少年が感嘆の声を上げながら、こちらへ駆けてくる。
「すっげーッ!! なんだこれ本物みてー!」
そして目の前まで来た少年が、そこでようやく気が付いたように、俺を見上げる。
しばらく無言で見つめ合うが、少年がぼそりと、呟くのが聞こえた。
「人間……すげぇ、めちゃくちゃリアルじゃん……」
放心したようにそう呟く少年に、やれやれ見世物じゃないぞと苦笑しながら、手を振って会釈する。
「やぁ」
とたんに驚愕に眼を見開いて、少年。
「わ。 わ。 ほ、他のプレイヤー!? ……あ、し、失礼しましたァ!!」
そう言って、俺の脇をすり抜けて、街の方へと駆けてゆく。
その背を追いかける様に、呟いた。
「ヴァルハラへようこそ。 君のセカンドライフに幸あれ……ってね」
恐らく聞こえてはいなかったろう。
なんとなく、4カ月前の自分を見ているようで眩しかった。
苦笑し、踵を返して始まりの庭へ。
2ヵ月前にあいつが消えた場所。
其のままで在れば、きっとここに現れるだろう。
朽ちかけた神殿。
夕日に照らされた噴水の水がきらめいて。
無数に咲き誇る花たちをなるべく踏まない様に、奥へ向かう。
あの時あいつを見送った、あの石造りの台座。
その形に見覚えがあって、俺はそこに腰を下ろして待っていた。
ほどなくして、目の前が青く輝き始める。
まるでスキャンでもするように頭頂部からゆっくりと実体化していくのは、見紛うことなき俺の相棒。
完全に実体化し、直ぐに気配を察知してこちらを振り向く。
「おかえり。 マナ」
「ただいま。 ユージン」
花が咲いた様な、満面の笑顔の彼女が、其処に居た。
◇◆◇◆◇
で、二人でいつものハンターズギルド前のベンチに移動して。
さぁどうする?
って、今に至るわけだ。
ああそうだ! 俺、全感型になったらやってみたい事が有ったんだよ!
って。
ああ、そうだな。
勢いで、マナの肩とか掴んでそう言ったのがまずかったよな。
マナはなんていうか、こう。
少し潤んだ眼で俺を上目づかいに見上げてさ。
もうその目がモノ申してやがるんですよ。
"キス? キスなの? やってみたい事って。 ねぇ!"
みたいな感じだ。
スゲー期待の眼差しで見られてんだよ。
そりゃ、以前成り行きでやってしまった初キスは、俺だけが半感型で、ただ"そうした"っていう事実に戸惑いこそすれ、その唇の感触はわからないままなのだ。
あとになって、マナだけは感触をもってそうしていたと知って、爆発しそうになるくらいの羞恥に悶えたが。
どうすんだ。
今更。
"せっかく味覚が有るんだから食べ歩きしたい"
とか。
言い出せない。
◇◆◇◆◇
「もぅ。 そこで流されて勢いでしちゃわないのはユージンのいいとこだけどさ……」
「ごめん。 ごめんて。 そ、そう言うのはまた改めて……」
数分後。
膨れっ面で前を歩くマナを追いかける様に付き従って歩きながら、先ほどの事を謝り倒す。
結局、俺は正直な気持ちを打ち明けたのだった。
――TWOで飯が食いたい。
"準備万端"のマナにそう告げるのは気が引けたものだが、こいつとのやり取りで、そう言う後ろめたさを感じたくなくて。
マナは一瞬ぽかんとした表情になって。
それからなんだか顔を赤くして。
あ、ムカついてんだけど、勘違いしてたのは自分だから~見たいな葛藤が。
と、思ったところで、軽く涙目のマナに頬をむにーんってつねられて終わった。
頬をつねられるって、割と何度もあったシチュエーションで油断してたんだけど、そりゃそうだよな。今の俺は皮膚の接触感も有れば、味覚だってあるしもちろん――
「――いひゃい」
と、マナがため息を吐いて振り向く。
「ほんと、正直なひと」
「う、す、すまん」
「うぅん。 どうせ僕に嘘つきたくないとか、そんな風に考えてくれたんでしょ? ……それも、うれしいから」
苦笑に、苦笑で返す。
そうさ、焦ることはない。
こいつとの時間は。
これからいくらだって――
そんな感慨に、俺が目を細めて。
夕日に照らされた彼女を眩しく眺めていると。
ふと、思いついたように、マナが手を打つ。
「そういえばさ、最初の頃、お金稼ぎの途中で買った、あの"串焼き肉"、すっごい美味しかったよ?」
「あ、食いたい食いたい」
そうやって、また彼女と他愛ない話ができることに幸せを感じながら。
二人、飲食街へと足を向けるのであった。