「"セーラム"」
2045.9.17
県庁所在都市某総合病院併設実験棟
舞意 祐二 (ユージン)
「セーラムに……会ったと言っていたね」
藤堂氏が重い口を開く。
その表情は消して明るいものではなかった。
俺達から、あの西の大庭での最後の戦闘の話を聞いた藤堂氏は。
当時、一瞬だけその目を見開き、何かを言いかけてすぐに口を噤んだ。
流石に気になって問いただそうとしたが、「今は彼女の回復を待ちたい」と、マナの方へと視線を移されれば、俺とてそれ以上の追及はできなかった。
あの会話から、約2週間ほど。
回復したマナを連れて、各所へ挨拶回りに奔走していた俺達もひと段落。
満を持して。そんなタイミングだ。藤堂氏からの連絡があったのは。
例の総合病院の併設実験棟。その一室で在る、藤堂氏の執務室。
俺達が呼び出されたのは普通の診察室と何ら大差ない、そんなこじんまりとした部屋だった。
回転するタイプの、簡素な丸椅子に、マナ――藤堂 学人と一緒に腰を下ろす。
「セーラムに……会ったと言っていたね」
今までにない重苦しい雰囲気に、俺とマナはごくりと唾を飲む。
藤堂氏は心底言いづらそうに、だがぽつりと。
「彼……いや、"彼女"の事を詳しく話すと……うーん、場合によってはTWOの運営継続も危ぶまれるんだ。君たち、ここで話したことは一切口外しないと誓えるかい?」
口を開いたかと思えば、第一声からこれである。
俺とマナは思わず顔を見合わせ、そしてお互い苦いものを滲ませながら、頷き合う。
そりゃ俺達だって、いまさら熱中しているゲームを、その半ばで取り上げられたくはない。
「お、お願いします」
代表する様に俺が頷いて返すと、藤堂氏は頬を掻きつつ苦笑い。
「最悪、僕と、主要開発メンバーが"逮捕"されちゃうかもだからさ。んー、そうだな、何から話したものか」
そんなことを言うものだから。
俺もマナももう、冷や汗たらたらだ。
なんなら、いったいどんな犯罪の片棒を担がされるのかと。
此処でおさらいしておこう。
セーラム・テリィ・フォース。
一言でいえば"原作最強の暗殺者"である。
ゲームの中で、その原作たる「Thebes」の熱烈なファンである、ヴィアーネ嬢やケンちゃん氏にそう説明された。
金髪ポニーテールの華奢で小柄な女性の様な外観。
それでいて男性。
どういうわけか、どのエピソードにも"十代後半"と言う表現の外観で登場する。
柔和な笑みのまま、まるで無感動に殺すことができる。
不意打ちの成功率は並み以下。
そのくせ仕事の成功率自体はほぼ完全。
即ち、暗殺者のくせに正面から全ターゲットを殺害。
"最強"たる所以。
"殺す為の剣"だとか、単に"殺し"と呼ばれ、差し向けられればほぼ例外なく殺害される。
要人間では死神の様な象徴。
ちなみに、ここから藤堂氏の補足も入るが、原作のファーストエピソードの主人公は、シルヴェリア人の16歳の青年で、失踪した父親の足跡を追って、南端から北上し塔を目指す。
名を。
アルバート・バリィ・フォースという。
語り手であるアルバート青年の言によれば。
セーラムは彼の父親という事になる。義理の、だが。
そのエピソードの最後で、設定どおり十代後半の女性の姿をしたセーラムに対し、アルバート青年が「父さん」と叫ぶシーン。
答える様に微笑むセーラムの、その美しい金髪が鮮やかな青に変わって、ファーストエピソードシリーズの既刊最後の物語は途切れている。
続刊待ちのまましばらくお預け状態らしいが、「Thebes」を読み込んでいる読者であれば、気が付いたろう。
"ああ、セーラムは忘却のエルフ病だったのだ"
"忘却のエルフ病"というのは、正確には病気ではない。
「Thebes」の世界では、相当な昔から森の妖精族、つまりエルフ種が存在し、既刊エピソード群の何世代も前から、混血種が存在する。
ハーフエルフだの、クォーターエルフだのであれば、その特徴は色濃く表れる。問題は途方もの無い過去にただの一度混ざったような妖精の血が、今になって色濃く発現する現象だ。
これを"忘却のエルフ病"と呼び、発現した人間種は、その大半が十台のうちに外観的成長が止まる。
若さを保ったまま寿命を謳歌できる、と言えば聞こえはいいが。
その実、妖精族の様に長寿であるかと言えばそうでもなく、また最悪子供のような姿のまま見た目が固定されるリスクが有る。
そして、一様に、鮮やかな青い髪をしている。
つまりそれが、全ての既刊エピソードにおいて、セーラムが十代後半の見た目で登場する種明かし。
「さて、おさらいはこの程度」
藤堂氏の声で、ふたり、我に返る様に。
放、と、物語の世界から、呼び戻されるように。
「僕等がこのThebesをゲームにしてしまおうとしたのは、もう何年も前の話だけど、君たちもよく知る様に、全感覚投入型ログインデバイス。あれができるまでに、ちょっと色々あってさ」
「わかっての通り、脳信号の身体への伝達遮断とアバターへの疑似接続。これの可逆性が実証されない限り、安全の証明は有り得ない。"もし、アバターに接続されたまま脳信号を戻せなくなったら"だなんて、もちろん考えたわけだ」
藤堂氏の言葉に、不安が。
とある不安が、どんどん膨らんで。
「ま、さか。 開発の過程で……事故が」
「なかったさ」
拍子抜けするその答えに、思わず体が滑る。
「え」
「特に事故らしい事故もないまま、全感覚投入技術ってやつは完成して、その安全性も確立された。Thebes――WorldOnlineのゲームサービスは今年2月、滞りなく開始された」
じゃあ、いったい最初の"脅し"は何だったのかと。
肩透かしを食らったように、俺も、そしてマナも。溜息を一つ。
しかしながら、藤堂氏はそこで、少しだけイラついたように頭を掻いて。
ポケットからボックスの煙草を取り出して口にくわえ、慣れた手つきで使い捨てライターに手を伸ばす。
伸ばしたところで。
彼はぴたりと動きを止め、マナの方へ目を向けたかと思うと、ため息を吐いた。
「ああ、すまない。 つい……な」
「いいよ」
藤堂氏のそれは煙草に火をつける直前まで、無意識に。
それは、手術後の義理の娘を思いやって、寸でで止められ。
しかしながら当の本人によって許される。
とっさの気の使い合いに、俺は目を白黒させるが。
「博士。煙草、呑まなきゃ普通じゃいられないような事? いいよ。 それで安らぐなら、僕に気を使わないで」
マナは、真っ直ぐに、義理の父親を見つめてそう言った。
「やれやれ、どこまでも強いな。君は。……一応聞くけど、祐二君も大丈夫かい?」
「え、あ。 ええ。 かまいませんよ」
「それじゃ失礼して……」
そんなふうに、申し訳程度断りを入れて。
藤堂氏は一度止めた手を再び動かして、慣れた手つきで煙草に火をつける。
初めて会った時の様に、一息でほとんどを吸い尽くし、フィルター近くまで燃え尽きた其れを、灰皿に押し付ける。
そして椅子を廻してくるりと後ろを向くと、俺達の居ないほうへと煙を吐き出す。
再びこちらを。
どういうわけか首だけ廻してこちらを向いた藤堂氏は、俺が言うのもなんだが非常に情けない顔をしていて。
「だからさ。安全性は実証されたんだよ。変に脳信号が肉体から切断されっぱなしになったりしない。ちゃんと可逆性をもって、誰もが帰って来れるはずで、で、実際帰ってきたんだ。僕だって、他の職員だって。鳥山くんだって、御影くんだって。何回やったって帰ってきたじゃないか。だからこそ、国だって全感覚投入型に認可を下ろしたんじゃないか。それを――」
いきなり早口にまくしたて始めた藤堂氏は、自分では止められないかのように、まるで言い訳でもするかのように。
「博士」
マナが、いつの間にか椅子から立ち上がって、藤堂氏の手を取っていた。
藤堂氏ははっとしたように押し黙り、やがて何かを振り払う様に頭を振った。
「あ、ああ、すまない。――問題は、さ。 正式サービスが始まった後に起こったんだ」
そこで藤堂氏は徐に立ち上がると、俺達の間を割って、部屋の入り口に立つ。
「見せたいものが有る。 二人ともついてきてくれ」
そう言って迷いなく歩き出した藤堂氏を、ふたり、慌てて追いかける。
どこへ向かっているかもわからない。彼の足取りには迷いがない。
俺達としては、ただついていくしかない。
「二人とも、"未帰還者"って言葉を、知っているかな」
言葉の意味は分かるが、単語として聞いたことのない表現だった。
俺達が答えられずにいれば、藤堂氏はその答えを語り出す。
「元々、大昔の映画に使われた表現だった。ビデオゲームが本当にローテクの時代でね。今でいう"VR"は夢のまた夢みたいな技術で、そんな中未来のゲームを扱った映画があってね」
「今でいう、全感投入型で仮想体に接続して、VRの中で戦争する……見たいなお話でね。仮想世界だから、本当に死んじゃうわけじゃないからって、プレイヤー同士本当に遠慮なく殺しあっちゃったんだ」
「劇中ではそのうち、VR内で壮絶な死に方をした人が、ショックで魂を仮想体に捕らわれて、ゲームから"出て来られなくなる"なんて事件が起こり始めてね。その映画ではそう言うゲームの世界に捕らわれたヒトの事を"未帰還者"と呼んでいたわけだ」
「一方で僕らの技術は完ぺきだった。全員戻って来れた。何度やっても事故なんか起きなくて。国にも安全性を認可された」
「だから僕らは、正式サービス開始直後、とあるイベントを開催したんだ。開発スタッフがさ、"原作キャラクター"に扮してログインして、ゲームを盛り上げる……みたいなやつ」
ああ、なんとなくわかる。
わかってしまう。
これから俺たちが、何を見せられるのか。
こういう時だけいやに察しの良い自分に辟易としながら、それでも藤堂氏の後について、歩く。
「大盛況でさ。僕も"紅蓮の魔王"を演ったんだけど、なかなか受けが良かった。原作好きには気の利いたイベントとして、それは成功の内に終わった」
「――はずだった」
やがて藤堂氏の口が停まるのと同時、とある病室を前に、その足も止まった。
藤堂氏が、徐にその戸を引けば、中には電子機器や点滴のつながった、ひとつのベッド。
そしてそこに横たわる、ヘッドギアで顔を隠された、女性と思しき小柄な体。
「世良 風香。開発スタッフの一人だよ。イベントの時、"セーラム"のアバターでログインしていた」
予想通りと言えば、予想通りの。
なんだかやるせない結末に、マナは口に手をやって絶句した。
俺も、何だか見ていられなくて、眼を背けた。
「戻って来られるはずなんだ。彼女が望めば。――でも帰ってこなかった」
ゆっくりとベッドに近づいた藤堂氏が、ヘッドギアから露出したその女性の頬を撫でる。
「彼女はあのイベントから、かれこれ7ヵ月もの間、ログアウトしていない」
「なんで、とか、いろいろ考えたよ。 でも結局わからなかった。 彼女は"未帰還者"となってしまった。 なぁ、キミたち、今度"向こう"で彼女に会ったら――」
「――そろそろ、帰っておいで、と、言っておいてくれないか」