ネトリ勇者ヤスシの冒険
目を開けるとそこは、どこまでも続く真っ白な空間だった。
何もなさ過ぎてここで三日程過ごせば確実に精神を病むだろうその空間に、俺は察する。
あぁ、これは異世界転生か転移の前置きが行われる神様辺りが居る空間だと。
だってこの空間で気が付く前の最後の記憶が、朝仕事に行こうと一歩家を出たら、突っ込んできたスクーターに撥ねられて地面に頭を打ち付けたと言う物だったので、転生か転移じゃなかったら普通に死後の世界に来てしまった事になってしまう。
俺はまだ死にたくないのだ。
だからこの空間は、俺を異世界に送ってくれる神様が居る空間に違いない。
叫ぶ様に、或いは祈る様に、俺がそう認識した時、フッと何もなかった空間にそれは現れた。
「えぇ、正解です。やはりあの世界の人間は状況把握が早いですね。優秀です。花丸をあげましょう。新たな勇者よ」
現れたのはちょっと俺の語彙では表現に困ってしまう位に美しい、一人の女。
いやもうこれは間違いなく女神様だった。
そう、異世界転生とか転移の始まりと言えば、やっぱり女神様である。
白髭の優しそうなお爺さんの神様も悪くはないが、女神様の魅力には敵わない。
ましてや詳しい説明やチートの付与もなしにいきなり異世界に送られるなんてのは論外だ。
これから俺はこの女神様に異世界行きを頼まれるのだろう。
返事は勿論OKだ。
例えお願いごとが魔王の討伐だったとしても、異世界に行けるのならば喜んで引き受ける。
でも折角異世界に行けても、誰かに殺されてしまう様では意味がないから、チートは山盛りでお願いしたい。
異世界と言えばチートとハーレム。
こればっかりは譲れない。
けれども女神様は、俺の決意に少し困った様な笑みを浮かべて、
「いえ、今の魔王は魔族と人間を停戦させる為に尽力してくれているので、倒されてしまうと困るのです」
なんて風に言う。
はて、では俺は勇者として、一体何をすれば良いんだろうか?
魔王を倒さないのなら、別に勇者である必要はなさそうな物だけれども。
思わず首を傾げてしまった俺に、女神様は一度頷いてから微笑む。
それは実に優しい笑みで、そんな表情をされたなら例え頼み事が何であっても断れやしないだろう。
「根鳥・安史さん、貴方にはネトリ勇者として、パワハラ幼馴染、逆ハービッチヒロイン、女魔王の三人を寝取って戴きたいのです」
……でもそんな笑顔でされた頼み事の内容は、それはもう酷い物だった。
勇者として寝取れって頼み事も大概酷いが、ラインナップも酷い。
何だよパワハラ幼馴染とか逆ハービッチヒロインって。
いやまぁ何となくわかるけれども、比較的まともそうなのが女魔王だけって言うのはどうなのだろう。
或いは、この流れだと女魔王も実は酷いのだろうか?
「ふふ、流石に戸惑われてしまうようですね。では一つ一つ説明させて貰いましょう。まず貴方には私が勇者として創り出した肉体に宿って戴きます。……元の身体は、ごめんなさい。流石に一度死を迎えた肉体をそのまま使う訳には行かないんです」
女神様の口から聞かされたのは、やはり俺は死んでしまったのだと言う事。
薄々察してはいたが、はっきりと言われればやはりショックは大きい。
だけど自身の置かれた状況が確かになった事で、異世界に行かなければ自分に未来はないのだと再認識が出来た。
多少、……多少? 果たすべき使命は酷いけれど、やってやろうと、そう思う。
「但しご安心下さい。新しい肉体は、私が頑張って調整した一級品です。スクーターどころか、トラックに撥ねられてもへっちゃらですよ! 外見も、誰から見ても魅力的に見える様に仕上げましたし、安史さんが馴染み易い様に日本人に少し寄せてもあります」
それに女神様も色々と俺の事を気遣ってくれてるらしいし、落ち込んでばかりも居られない。
決意を新たに一つ頷けば、目が合った女神様は本当に嬉しそうに微笑んだ。
「安史さんが異世界で、私の世界で転移される場所は、始まりの村の教会です。神託を受けた司祭が勇者として出迎えてくれるでしょう。本当はシューティッド村って言うんですけど、まぁ何度も訪れる場所ではないので、あまり名前は重要じゃないですね。スタート地点だとの認識で充分です」
女神様の話は更に続く。
と言うよりも、ここからが本当の説明になるのだろう。
村の名前がどうでも良いとか、村人からすれば噴飯物の発現だろうが、確かに俺の立場に寄せて考えるならスタート地点としか言い様はない。
「始まりの村の村長には一人息子がいて、実はその子、ログレンには類まれなる農業の才能があります。本当ならログレンが発見する新農法や、開発した新型農具はいずれ訪れる大飢饉に打ち勝ち、数十万の人の命を救うのですが……」
女神様は、そこで一瞬言いよどむ。
あぁ、成る程。
そう言う事か。
「ログレンの傍には何時も彼を全否定するパワハラ幼馴染が存在し、ログレンは委縮して何も新しい事に取り掛かれないでいます。パワハラ幼馴染の目的はそのままログレンを自分の意のままになる夫とし、村を好きに差配する事。その野心と行動力は決して否定されるべき物ではないのでしょうが、手段と犠牲になる物が多過ぎるのです」
だから女神様はこう言うのだ。
俺にそのパワハラ幼馴染を寝取って欲しいと。
女神様の話は続いたが、長いのでサラッと纏めよう。
パワハラ幼馴染は勇者が現れた時点で、その外見と権威に惹かれて何かと迫って来る。
そのまま口説いて連れて旅立てば、ログレンはパワハラ幼馴染から解放され、立ち直って多くの人を救う。
引き離して数ヶ月もすればログレンの目は醒めるので、その後は別にパワハラ幼馴染を放流しても良いらしい。
勿論俺が構わなければそのまま連れ歩いても良いそうだが。
次に王に会う為に王都に向かう。
その際に、王都の学園で王太子、近衛騎士隊長の息子、宰相の息子、大商人の息子等を相手に逆ハーレムを築こうとしてるビッチヒロインを寝取って欲しいそうだ。
何でも王太子も、近衛騎士隊長の息子も、宰相の息子も、既に婚約者が居るにも拘らず、逆ハービッチヒロインに篭絡されかかっていると言う。
そのまま放置すると彼等は自分の婚約者との縁を切り、逆ハービッチヒロインが王太子妃になるらしい。
勿論そのままで問題が起きない筈がなく、王太子が王に、近衛騎士隊長の息子が近衛騎士に、宰相の息子が宰相補佐になる頃、国は破滅する。
王太子が王位継承の際に忙しくなり、逆ハービッチヒロインに構う時間が減ると、彼女は近衛騎士隊長の息子との間に真実の愛に目覚め、国の宝物庫から財貨を持ち出した挙句、他国に亡命するらしい。
どうやら元々、逆ハービッチヒロインはその亡命先の国で仕込まれた女性スパイだったのだ。
天性の才と仕込まれた手練手管で、王太子等を骨抜きにしてたのだとか。
そしてその後、愛する人を繋ぎ止められなかった王太子を、宰相の息子が見限って引き落としを図り、それを父の後を継いだ大商人の息子が支援するそうだ。
その結果、王国は逆ハービッチヒロインの本当の祖国に攻め込まれて、あえなく滅亡すると言う。
「私を崇める国の一つが、そんな愚かしい最期を迎え、私を信じる民が不幸になるのは、流石に見過ごせないのです。王太子達はボンクラですが、婚約者達は皆が出来の良い子達ですので、逆ハービッチヒロインさえ引き離せばちゃんと手綱を握ってくれるでしょう」
なんて風に、女神様は言う。
いずれ国が滅ぶのは仕方ないにしても、滅び方って物があるのだろう。
唯一つ俺が気になったのは、逆ハービッチヒロインを悪しきとして扱う女神様が、俺がハーレムを築く事を許してくれるのかと言う事だったが、
「えぇ、私は別に、ハーレムも逆ハーレムも否定はしません。それを築き、維持出来る実力があるならば、それも在り方の一つです。但し、王が複数の異性を囲うのは構いませんが、王配にそれが許される筈がないでしょう」
どうやら問題はないらしい。
まぁ言われてみれば、それも当然の話である。
逆ハービッチヒロインが女王であるなら、囲った男性のどの種で子を孕もうが、産んだ子が正統だ。
しかし王配が複数の男性を囲おう物なら、産まれた子が王家の血を惹いた子供かどうかもわからない。
可能性が皆無でない辺りが、余計に性質が悪いだろう。
「あの国の王権は私が授けた事になってますから、出来る限り正統を保ち、国の維持に努めて貰わないと困ります」
頬を膨らませて言う女神様は可愛らしいが、同時にとても恐ろしかった。
だって彼女にとってその国の王権は、何時でも取り上げる事が可能な代物と言う認識だったから。
因みに勇者の出現には逆ハービッチヒロインの祖国も興味を示すだろうから、彼女に接触すればそのまま旅に連れ出せるだろうとの話だった。
また引き離して数ヶ月もすれば、王太子等の目も少しは醒め、婚約者達が手綱を確り握るだろうから放流しても良いらしい。
勿論俺が構わなければそのまま連れ歩いても良いそうだが。
……つまりパワハラ幼馴染と同じ扱いと言う訳だ。
そして残る一人の女魔王は、
「女魔王、カミーレは、亡き夫の遺志を胸に人間と魔族の融和策を講じていますが、今のままだと三年後に、人類抹殺派の魔王軍幹部に心の隙を突かれ、洗脳されて寝取られます」
他の二人と比べて物凄く話が重かった。
それから女神様の口からちゃんとした名前が出て来たのも、三人の中では彼女だけである。
「本来ならば魔王であるカミーレには洗脳魔法なんて通じないのですが、夫を失って一人で困難に立ち向かっている疲れや寂しさが、彼女の心に隙を生むのです。だから安史さん、カミーレの心を亡き夫から寝取って下さい!」
でも重い。
本当に重い。
ひたすらに重い。
だって別に女魔王も、亡き夫とやらも何も瑕疵がないのに、その心を奪わなければならないのだ。
「えぇ、酷なお願いをしていると言うのはわかります。でも貴方がそうしてくれなければ、カミーレの心と身体は魔王軍幹部に奪われ弄ばれ、亡き夫の遺志とも真逆の行為である人類抹殺に駒として使われてしまいます。当然、多くの命が失われるでしょう」
だけど俺には退路はなかった。
そうしなければならないと言う理屈が、わかり易過ぎたから。
だが俺は、俺は、別に元の世界でそんなにもてた訳じゃないし、って言うか寧ろもてなかったし。
外見だけじゃなくて心もイケメンじゃなかった。
何と言うか自信がないし、後やっぱりそんなひどい事はとてもし難い。
だからせめて、言い方を変えて欲しい。
寝取れなんて言い方じゃなくて……、だって寝取れだと、その魔王軍幹部としてる事は同じで、どっちが早いかってだけの話になる、
それが誤魔化しに過ぎなくても、女神様には他の言い方で背を押して欲しかった。
例えば、そう、
「えぇ、安史さん。お願いします。彼女の、カミーレの心を、埋めてあげて下さい」
そうそう、そんな風に。
それなら喜んで俺も旅立とう。
勿論、最後の一人、女魔王に関しては、放流は許されない。
女神様が良いよと言っても、俺の心が許さない。
俺が旅立ちを心に決めれば、女神様は笑みを浮かべて頷いた。
「ありがとうございます。安史さん、どうか良い旅を」
その言葉と共に、俺の視界は暗転する。
次に目を開けた時、そこは……、名前は忘れたが始まりの村だろう。
ネトリ勇者、ヤスシの冒険が、今まさに始まろうとしている。