3・プラナリアとビッグバン
「……ようやく読み終わった」
赤い表紙の『プラナリアとビッグバン』という本を閉じ、ひな子はソファーの上で余韻に浸っていた。しばらく現実には戻れない。そんな気分だ。
とても面白い本だった。主人公のプラナリアが七分割されても生き残り、世界に散らばって大革命を起こすシーンでは胸が躍った。クリオネとの恋は甘くせつなかった。黒幕の正体がナマコなのかナメコなのか、最後までわからなかった。
読み終わったら親友ののえるに貸すことになっていたが、これはお母さんからもらった本なので、まずはお母さんに感想を伝えたかった。
ひな子は本を持って台所へ行った。お母さん、と呼んだけれど誰もいない。
玄関にもお風呂場にも、お母さんはいなかった。
ひな子は家を出てスーパーへ行った。パンや総菜売り場を探したけれど、やっぱりお母さんはいなかった。
早く感想を言わなければ。
ひな子の頭の中でプラナリアが分裂していく。
感想がばらばらに散ってしまう。
美容院。洋服屋。歩道橋。公園。あちこち歩いて、とうとう学校まで来てしまった。校門から花壇に沿って歩き、げた箱まで来るとようやくお母さんがいた。
ひな子は手を振り、走っていった。お母さんは六歳ぐらいの女の子になっていた。おかっぱ頭で黄色いワンピースを着て、ランドセルを背負っている。
「ひな、来てくれたの?」
「お母さん! この本ありがとう」
ひな子が『プラナリアとビッグバン』を見せると、お母さんは嬉しそうに目を見開いた。
「やっと読んだのね。面白かった?」
「うん。あのね……」
待って、とお母さんは人差し指を立てた。
「私はまだ小学生なのよ。だからその本を知らないの」
「そうなの?」
「その本はあと二十年ぐらいしないと出版されないもの。盛大なネタバレになっちゃうわ」
お母さんはくるりと背を向け、学校の中へ歩いていこうとした。ひな子は慌てて呼び止めた。
「ハッピーエンドかバッドエンドかだけなら言ってもいい?」
「そうねえ」
お母さんは野球やサッカーの試合をリアルタイムで観戦せず、結果を知ってから録画で見るのが好きだ。本の結末だって同じようなものだろう。
「やっぱり聞かないでおくわ。私はまだ小学生だし、きっとよくわからないわよ」
「そう、残念。でも本当に面白かったよ」
お母さんはふわりと笑った。頬がつやつやで丸く、前歯が一本抜けている。それでもやっぱりお母さんだった。




