14・深海メルヘン
海の中のマンションが安く売りに出されていたので、メルウは三階の六号室を買った。この建物は海底から生えており、三階はまだ深海部だ。
「いい物件があって助かったわ」
メルウは酸素ボンベを背負い、前の家から持ってきた鍋やこたつやスパゲッティを運び込んだ。紙の書類は全部濡れて使い物にならなくなってしまったが、どうせ読まずに捨てるものばかりだ。
「私の部屋!」
青い壁に波の模様が描かれた空間で、メルウはしばらく横になっていた。潜水艦に揺られているような、宇宙に放り出されたような気分だ。
そうこうしているうちにお腹がすいてきた。食べ物はスパゲッティしか持ってきていない。買い物に行くにはまた酸素ボンベを背負い、陸まで泳いで行かなければならないのだ。
「他の人はどうしてるのかしら」
メルウはスパゲッティの束を手土産に、隣の部屋へ行ってみた。隣の部屋にはアクアマリンが住んでいて、青く透き通ってとても綺麗だった。
「はじめまして、私はメルウよ。あなたは誰?」
「わしはアクアマリンじゃ」
「名前は?」
「サンタマリアーネ藍玉リッゾベリルオーシ轟木」
覚えられなかったので、アクアマリンさんと呼ぶことにした。
アクアマリンさんは若い頃はいつも泳いで買い物に行っていたが、最近は宅配弁当を利用しているという。
「それって高いんじゃないの?」
「いや、一食百円じゃ」
「本当? じゃあ私も申し込む!」
メルウは部屋に帰り、さっそく弁当屋に電話をかけた。
「はい、深海弁当屋のアクアマリンです」
「あなたもアクアマリンなの?」
「アフリカーニョルズ水谷泡田曽です」
「アクアマリンさんでいいわね。宅配弁当をお願いしたいの」
「かしこまりました。お届けします」
受話器を置いて一分も経たないうちに玄関のチャイムが鳴った。ドアを開けるとアクアマリンが立っていた。隣の老人よりも一回り小さく、輝きが強い。弁当箱の下敷きになっていてもまぶしいくらいだ。
「メルウさんですね。松弁当をお届けに上がりました」
「松? そんな高いの頼んでないわ、梅でいいのよ」
「今日は松しか作っていないんです。明日は杉、明後日は檜です。アレルギーのある方には別途ヘビとネズミを用意します」
メルウは百円を払い、松弁当を受け取った。
緑茶を入れて弁当箱を開けると、中には松ぼっくりが三つ入っているだけだった。
「何これ! 私は猿じゃないわよ!」
しかし、松ぼっくりはとてもいいにおいがする。炊き立てのご飯とパンとうどんとチョコレートアイスを足したような素晴らしいにおいだ。
顔を近づけてみると、松ぼっくりの表面はつやつやと肉厚でいかにもおいしそうだった。傘の一枚を指でつまむと、思ったより柔らかい。松ぼっくりのようで、松ぼっくりではないのかもしれない。きっとそうだ。メルウは傘をむしり、口に入れてみた。
木片のような味しかしなかった。
「正真正銘の松ぼっくりね。仕方ないわ、ここはアクアマリン中心に回ってるみたいだし」
陸では三年前からダンゴムシが増え始め、今ではほとんどの土地がダンゴムシのものになっている。メルウが前に住んでいた家も、無料でダンゴムシに譲らなければならなかった。
当然、スーパーや商店街もダンゴムシが経営している。一つだけ良くなった点は、人間よりもレジ打ちが速いのであまり並ばなくて良いことだ。
「よし。ひと休みしたら泳いで買い物に行ってこよう。私はまだまだ若いんだし」
メルウは暗い海の色をした窓のそばに松ぼっくりを置き、お茶を飲み干した。
ダンゴムシともアクアマリンとも、つかず離れずうまくやっていけばいい。陸も海も空も、もともと誰のものでもないのだ。