13・危険な町
数日前から、ルミナはストーカーに狙われている。
暗くなると、どこからともなくストーカーが現れる。ルミナの足下のマンホールから生えてくることもあるし、信号待ちの途中に走ってきた車がストーカーに変わることもある。
「嫌だわ。早く帰らなきゃ」
闇に潜む影が、全てストーカーに見えてしまう。
ストーカーがいつから存在していて、なぜストーカーになったのかは謎に包まれている。ストーカーというのは職業なので、おそらくどこかから派遣されているのだろう。
「ルミナさん」
上空から声がした。小型ドローンに片手でぶら下がり、中肉中背のシルエットが月に照らされている。ルミナは身を固くした。
「ルミナさん、俺だよ俺、さっき事故起こしちゃって百万円必要だから今日は何色のパンツに賭けますか? 病気になってからでも入れる保険は新色も出ました」
「ごめんなさい、間に合ってます」
ストーカーではない。知らない人だった。
町にはストーカー以外にも危険が溢れている。おとうふ学会で紛争が起きたり、すぴすぴ薬局の後継者がいつまでも決まらなかったりで、苛立っている人が多いのだ。
「ああ疲れた。あっちを通るとハクビシンが競馬をしてるんだったわ」
ぐるぐると道を回り、ようやくアパートにたどり着く。階段を上り、ドアを開けると湯気がふわりと顔を包んだ。
「お帰り、お姉ちゃん」
妹のリリカが肉じゃがを作っていた。豚肉とグリーンピースと玉ねぎとじゃがいも、そしてふわふわの厚揚げをじっくり煮込んだ肉じゃがは、ルミナの大好物だ。
「ただいま、リリカ。ストーカーは?」
「今日はまだ来てないわ。さっき隣の家で超新星爆発があったから、巻き込まれたのかも」
ルミナはどさりとバッグを落とした。顔から血の気がひいていく。
ストーカーというのは、常に危険と隣り合わせだ。標的に近づくためには道も手段も選ばない。針の山でも紛争地域でも真っすぐ前進するしかないのだ。
「お姉ちゃん、肉じゃが食べよう」
「待って。ちょっと見てくる」
ルミナが出かけようとすると、押し入れからそろそろと人影が出てきた。
「あの……窓から入らせてもらったんだけど、だめだったかな」
ルミナとリリカは同時に悲鳴を上げた。
ずんぐりとした体に、丸い眼鏡をかけた男が立っていた。ゆるくカールした髪はところどころ焦げ、白いシャツにも煤がついている。
この男こそがストーカーだ。そして同時に、ルミナの弟のアラスでもある。
「どこ行ってたの!」
ルミナは目を吊り上げて言った。アラスはもっさりとした仕草で頭を搔く。
「いや、だから姉さんたちより早く帰ってたんだよ。保険屋さんにパンツの色を聞かれて、答えたらドローンがもらえたからさ。ちょっと使ってみたんだよね」
「危ないじゃないの。誰かの上に落ちたりしたらどうするつもり?」
「それは大丈夫。でもなんか爆発があって、押し入れまで吹っ飛ばされちゃってさ」
見ると、ベランダの窓ガラスが割れて破片が飛び散っている。なんてこと、とリリカが両頬を押さえた。
「道理で寒いと思ったわ。肉じゃがを強火にしても猛火にしても核融合させても寒かったのよ」
アラスはすまなそうにうつむきながら、先に肉じゃがをよそって食べ始めている。
「忙しいんだよ。朝は新聞配達、昼はコンビニ、夕方からは姉さんのストーカーをしないといけないからね」
「ストーカーなんてやめなさいよ。だいたい何のためにやってるの?」
アラスは口いっぱいにじゃがいもを頬張り、それ以上何も答えなかった。
ストーカーには守秘義務がある。たとえ家族が相手でも、仕事のことは話してはいけないのだ。特に個人情報については、一人一人が厳重に管理しなければならない。
「私のストーカーなんだから、私には話したっていいじゃない」
アラスはもごもごと何かつぶやいたが、結局話せないらしい。
「ほら、お姉ちゃんも肉じゃが食べて。よく火が通ってるからおいしいわよ」
「ありがとう。リリカはいいお嫁さんになるわ」
「そうかしら。私、すぴすぴ薬局の後継者を目指してるんだけど」
三人はガラスのない窓のそばで食卓を囲み、太陽のように熱い肉じゃがを食べた。
外ではエチレングリコールの風が吹き、罵声や鎌や豆腐が飛び交っている。
時々、どこか遠くへ行きたくなる。でも、料理上手な妹とストーカーの弟がいるこの部屋に、ルミナはきっとこれからも住み続ける。