11・オアシス
ラクダとサソリを乗り継ぎ、チェルシーは砂漠を渡る。茶色い巻き毛をツインテールに結い、あどけない笑みを浮かべた顔は、砂漠の民たちを一瞬で魅了する。
今夜も月の下で、チェルシーは虹色のドレスを揺らし、歌って踊る。
『わたしは 鳥よ
自由な 盗人
夜が 明ければ
飛び去り 燃え尽きる』
人が増えてくる頃を見計らい、チェルシーは懐からナイフを取り出す。歌に合わせて両手でぐるぐると回し、光と風を起こす。人々は思わず顔を覆う。そして次の瞬間、家畜や金品が跡形もなく消えているのだ。
『わたしは 鳥よ
気ままな つばさ
水を 求めて
どこまで 飛べばいい』
ずっとそうして生きてきた。家畜はみんな可愛いけれど、商人に会ったら売ってしまう。金貨は大事に使い、時々大きな風船やおもちゃの銃を買って遊ぶ。一番の楽しみは、新しいドレスを買うことだ。
「誰かいい人いないかしら。銀のバクかアルパカを連れた人」
思い通りになる時もあれば、ほとんど何も手に入らない時もある。出会った人と友達になり、一晩語り明かすこともある。
そうこうしているうちに、オアシスにたどり着いた。まるまるとしたサボテンに色とりどりの花が咲き、蝶やムカデやライオンやペンギンが水浴びをしている。これまで見た中でも一番大きくて美しいオアシスだ。
チェルシーが入ろうとすると、見えない壁に押し返された。見ると、オアシスの入り口には立て札がある。
『家畜は同伴できません』
チェルシーは三日前に奪った牧羊犬を連れていた。一緒に休ませてやりたかったが仕方ない。
「頑張って生きるんだよ」
首輪を外してやると、犬はしばらく名残惜しそうにチェルシーを見つめていたが、やがて流砂の中へ駆け出していった。
「バイバイ。いい主人に巡りあえるといいね」
チェルシーは一歩前に足を踏み出した。その瞬間、オアシスは大きな獣の口に変わり、チェルシーをひと飲みにしてしまった。
がぶり、と噛まれた感触の後、全てが真っ暗になる。砂漠よりも暗く、空よりも広い場所を、チェルシーは落ちていった。ここはオアシスではなかった。でももう遅い。襲うか襲われるか、奪うか奪われるか。それが全てだ。
どれくらいの距離を落ちてきたのだろうか。チェルシーは穴から投げ出され、背中を打ち付けた。
目を開けると、まぶしかった。明るい色の町が広がり、木立に囲まれた小さな建物がある。民家ではなさそうだ。白い壁の前に金髪の少年が立っている。
「ようこそ、遊牧民」
少年は言った。チェルシーと同じくらいの年恰好で、整った顔をしている。エメラルド色の瞳が、誘うように輝いている。
「どこから来たのか知らないけど、ラッキーだったな。ここは理想の町だよ。誰でも自由に住める。それともオレを倒してから行くか?」
チェルシーはすぐに動いた。二本のナイフを、少年の両目に向かってまっすぐ投げた。
少年はかがんで避けた。チェルシーはその背中に飛び乗り、首の両側にナイフを突きつける。
「なるほど、強いな」
少年はくるりと体勢を変え、仰向けになった。チェルシーの腕をつかみ、ナイフを二つとももぎ取る。
「オレは入国管理人、ミザール。十五歳だよ。お前は?」
「私はチェルシー。十四歳」
チェルシーが覆いかぶさっても、ミザールの目は輝きを失わなかった。まるで本物の宝石のようだ。
「オレの目、珍しいだろ。これで全部わかるんだぜ。お前は一度友達になった奴とは戦えない。子供からは奪わない」
「どうしてここで働いてるの?」
「仕事の話は後だ。お前はとりあえず住むとこ探せよ」
ミザールはナイフを地面に放った。チェルシーはもう拾おうとは思わなかった。
立ち上がると、町がよく見えた。自分と同じくらいの少年少女がたくさんいる。綺麗な公園や図書館、コンサート会場もある。
ミザールはチェルシーの腕を引き、ほら、と言った。
「案内してやるよ。空いてる家ならいくらでもあるから、好きなように住めばいい」
「ラクダはいる?」
「ペットショップ見てみれば」
ミザールは笑った。本当に綺麗な目をしている。チェルシーは遠くの空を見つめ、砂漠の夜を思い出そうとした。でも、もう忘れてしまった。星の色も、風の冷たさも、自分の歌さえも。
「終わっちゃった……」
「え?」
「何でもない」
もう、オアシスを求めてさまようことはない。
家畜とあてのない旅をすることもない。
奪うためにナイフを振りかざす、あの高揚感も帰ってこない。
「わからないことは何でも聞けよ。オレたち、もう友達だから」
「うん。ありがとう」
二つのエメラルドを奪うために、この少年と戦い続ける夢を見た。見た瞬間に終わってしまった。今は遠い砂漠で、蜃気楼になって揺れている。いつか解き放たれる日まで。再び自由な鳥になる日まで。