number1 秘密の資料室
祐は息を切らせながら、真っ暗な学校の中を一生懸命走っていた。
後ろを見ると、そこにはさっきまで仲良く話していた同級生の湊の姿があった。
少しでもスピードを落とせば湊に追いつかれてしまう。
祐の体力は限界に近いのか、息が乱れ動悸も激しく足に力が入らなくなってきた。
さっきから校内を走り回っているが、人影はなく助けも求められない。
時折湊とふざけあって追いかけられることはあったが今は違う。
相手が本気だからだ。
祐のメモリーを狙って手を伸ばしてくる。
「どうなっているんだよ」
そう嘆くが、状況は何も変わらない。
どうすればいいのかわからなく、ただただ走り続けやっと明かりのついている教室を見つけた。
祐はそのドアに手を伸ばすが、伸ばした手と反対の腕を強く掴まれた。
急いで振り返ると湊が祐のメモリーに手を伸ばしていた。
祐はメモリーを守るように掴まれていない手で喉元を隠したがバランスを崩しその場に座り込んでしまった。
「やめろ湊!!!」
そう叫ぶが湊からの反応はない。
祐の背中に一筋の冷や汗が流れた時、教室のドアが勢いよく開いた。
助けを求めるため祐が教室の中を見ると、そこにいたのは目の前にいる湊と同じく目に光が灯っていない数学教師の姿だった。
「まじかよ……」
祐は自分の心臓の音がやけに大きく聞こえ、体に動けと言うが動く気配はない。
湊が祐の喉元にある腕を掴んでそこから離そうとすると、数学教師も祐に手を伸ばしてきた。
「やめろ!!!俺が何したっていうんだよ!!!」
そう叫ぶが2人が答える様子はない。
祐は必死に抵抗するが湊の手から逃れることはできない。
覚悟を決めてメモリーを奪われるのを待つしかなかった。
俺はここで失うのか?
number1 秘密の資料室
蓮水祐は持っていたペンを器用に指先で回した。
黒板の前に立って歴史の授業をしているのは担任である卯月莉桜であり、黒板にせっせと難しい単語をチョークで書いている。
それをノートに写す気もないのか祐はぼーっと黒板を見てペンを回すだけだった。
時計を見るとあと数分で授業が終わる。
お昼前でお腹が空いていて授業に集中できない祐の頭は、この後購買で人気のメロンパンを買うシミュレーションをしていた。
ここ数日授業が時間通りに終わらずメロンパンは売り切れ食べられなかった。
今日こそは手に入れてやると購買から一番離れたこの教室から闘志を燃やしていた。
「ちょっと早いけど、切りがいいから終わりにしようかな」
チャイムが鳴る前に卯月がそう言うと誰もが笑顔になった。
祐が遠くの席の親友でもある佐々井湊を見ると、湊も祐を見ておりガッツポーズをしていた。
「日直」
「きりーつ、れーい」
日直が号令を言い終わるとクラスの数名が一気に教室から出ていった。
卯月は理由がすぐわかったのか苦笑いしながら教卓の教科書や出席簿を片付けていると一人の生徒が卯月に近づいてきた。
「先生、用事ってなんでしょうか?」
「今日午後に会議があってHRに来れないと思うからみんなに帰る様に言って欲しいの。
連絡事項は特にないからお願いできるかしら鵜瀬さん」
このクラスの委員長である鵜瀬悠乃が静かに頷くのを見て、卯月は「ありがとう」と笑顔で言うと荷物を持って教室を出た。
そのころ祐は購買に向かうみんなとは違う道を走っていた。
中庭を通り抜け、誰も使っていないだろう資料室のドアを開けると少し埃っぽい空気が祐の肺に入ってきた。
咽せそうになるが気にせず、沢山の資料が並ぶ部屋の中を一直線に走りいつも開いている窓を飛び越えた。
外には細い一本道がありそこを通り抜けると購買が見えた。
周りを見ると生徒はほとんどおらず、一緒に教室から出たクラスメートはまだ誰もいなかった。
祐は少し勝ち誇った気持ちになりながらもパンを買うため購買に入っていった。
購買にはいろんな種類のパンが並んでおり、祐は久しぶりに沢山のパンが並んでいるのを見てついつい嬉しく笑顔になった。
その時やっと授業終了を告げるチャイムの音が鳴り響いた。
この後ここに人が大勢雪崩れ込んでくるのを想像し祐は顔を青くすると、この場を早く去るためにパン売場に急いだ。
「おばちゃん!メロンパンと焼きそばパンとカレーパン」
「おばちゃんじゃなくて、お姉さんといいなさい。370円よ」
少し年配の女性が文句を言いながらも祐の前に言われたパンを並べた。
祐は持っていたお金を女性に渡すとパンを掴んでニッと笑いながら
「お姉さんありがとう!」
と言い購買から出ようとしたら湊がやっと購買に到着した。
既にパンを買い終わっている祐を見て湊は驚いたが
「ちょっと待っていろよ」
と祐に言うとそのまま走ってパン売場に行ってしまった。
お腹が空いている祐は壁側に移動しカレーパンの袋を開け食べながら湊を待つことにした。
サクっとした衣をかじると中から少し辛いカレーが溢れてきた。
大きく切られた野菜が沢山入っているため食べごたえ十分で、なんといっても柔らかくなるまで煮こまれた牛肉が入っているのが人気の理由だ。
祐がパンを食べているとパンを買い終えた湊が近づいてきた。
「もう食っているのかよ。中庭に行こうぜ」
湊がそう言い歩き始めたため祐も食べながら湊の後を追った。
周りには購買に走る生徒の姿があり祐はそれを見て優越感に浸った。
中庭に着くといつも座って食べているベンチに2人は座った。
「あいつ等は?」
いつも一緒に昼ご飯を食べている友達がいないため祐が湊に聞くと
「部活のミーティングらしいぜ」
と自分もパンをかじりながら祐に言った。
「部活か、大変だなー」
「明日は部活勧誘日だから忙しいんだよ。
まー帰宅部のお前にはわからないだろうな」
「俺は俺でバイトが忙しいぞ」
祐が威張って言うが、湊は「はいはい」と聞き流しため息をついた。
「2年になって後輩が入るのは嬉しいけど、うまいやつが入ったらレギュラーキツイな」
「サッカーは人気だからな。まー頑張れ」
そう言い祐はメロンパンの袋を開けた。
「そういえばお前なんで俺より早く購買に着いていたんだよ。
教室から最初に出て近道したのに……。
どこ通ったんだ?」
湊の問いかけに祐はにんまり笑い自慢気に
「たまたま見つけた秘密の道があるんだよ。
でも教えねーぞ」
と言いメロンパンにかぶりついた。
「なんでだよ!教えろよ!」
「嫌だね」
そう言いメロンパンを食べた祐の顔は自然と綻ぶ。
それは頭脳や顔の良さなどで自分を上回る親友より、自分の方が有利だという気持ちだけではない。
今食べているメロンパンのせいでもある。
このメロンパンは購買の中で一番美味しいと有名だ。
普通のメロンパンと形は一緒だが中身が違う。
フレンチトーストのように卵や牛乳が染み込んでおり噛んだ時口に柔らかい甘さが広がる。
外のカリッとした感触と中のふわっとした感触が病みつきになる。
「やっぱりメロンパンはうまいな」
「誤魔化すなよ祐」
不満そうに湊が言っているのを聞きながら祐の目にはある人物が映っていた。
「莉桜ちゃん?」
「莉桜ちゃんがいるのか?」
湊が祐の見ている方角を見るがそこに卯月の姿はなかった。
卯月は年齢が若いこともあり生徒は裏で莉桜ちゃんと呼んでいた。
「いないじゃん。それより昨日のあのテレビ見た?」
湊が違うことを話し始めたが祐の耳には入っていなかった。
祐は卯月の行方が気になっていた。
卯月が向かっていた方角にあるのはあの資料室だ。
今まであそこに向かって歩いている人物を祐は見たことがなかった。
祐は少し考えるとベンチから立ち上がった。
いきなり立ち上がった祐に湊は驚きパンを落としそうになった。
「悪い、ちょっとトイレ」
祐はそう言うと湊を見ずあの資料室に走り出した。
残された湊は首を傾げながらも気にせず自分のスマートフォンを出しメールの返事を打ち始めた。
そのころ祐は真っ直ぐ迷うことなくあの資料室に向かっていた。
賑やかな中庭を抜けると周りはどんどん静かになっていった。
そして資料室の前に着くと祐はドアノブに手を伸ばしたがそこで手を止めた。
中にもし卯月がいたとして自分はそれを確認してどうしたいのだと考えると特になにも浮かばない。
でも自分以外にこの資料室を使っている人物がいるのか確認したかった。
祐は止めていた手を伸ばしドアノブを静かに回した。
音が鳴らない様に慎重にドアを開けると部屋の中には誰もいなかった。
「誰もいない…気のせいか」
そう言いドアを閉めると何故か心が軽くなった気がした。
自分だけのスペースだと思っていた場所に誰かが入ってくることほど居心地の悪い事はない。
祐はやっと湊の存在を思い出し足早に中庭に戻った。
「えっ今日?」
「忘れていたのか?莉桜ちゃんに怒られるぞ」
そう言われ祐は焦って鞄の中を見たがそこに今日提出期限の問題集はない。
授業で卯月が提出期限を何回も言っていた記憶はあったが祐はあまり気にしていなかった。
「ロッカーにあるかな」
祐は鞄を机に置きロッカーに向かおうとすると誰かと勢いよくぶつかった。
そのため相手の持っていた荷物が全部床に落ちてしまった。
「あっ悪い」
落ちた教科書やノート、散らばった筆記用具を拾おうとした時一つのボールペンが目に入った。
クリップに何か紋章の様なものが刻まれ、普通のボールペンより少し太めでインクの減りがわかる様に黄色の本体の一部が透けている。
ボールペンを掴みよく見ると本体に筆記体で文字でが書いてあった。
「Orthrus?」
祐がそう呟くとボールペンを遠慮気味に自分より小さな手が取った。
取った人物を見るとそこには悠乃がいた。
そのため祐はぶつかった人物が悠乃だと気づいた。
悠乃は小さな声で「ありがとうございます」と言いボールペンを筆箱にいれた。
祐は何故かそのボールペンが気になり
「そのボールペンいいね、どこで買ったの?」
と聞くと悠乃は少し驚きながらもゆっくり話し出した。
「お父さんに貰いました。
だから売っている場所はわからないです」
悠乃は申し訳なさそうに言うと祐に小さく頭を下げ自分の席に足早に向かった。
まだ自分を見ている祐の視線に気が付いているのか、席に着くと顔を下に向けたまま動かなかった。
「鵜瀬さんって少し不思議だよな。
時々何考えているかわからない」
今までのやり取りを静かに見ていた湊がそう呟くと祐も共感したのか目線はまだ悠乃に向けながら頷いた。
悠乃は自分に突き刺さる目線に耐え切れなくなったのか立ち上がり教室を足早に出て行った。
「湊はあのボールペン知ってる?」
やっと祐は湊に目線を向けて聞いた。
「見たことないけど何処にでも売ってそうなボールペンじゃない?」
湊の答えに祐は納得していないのか曖昧な返事をしたところでやっと自分の目的を思い出したのか、少し青い顔をしてロッカーに走って行った。
「ごめんなさいっ!!」
祐はこれ以上体が曲がらないくらい深々と頭を下げた。
周りの教師はその姿を見て苦笑いしている者もいれば呆れた顔を浮かべた者もいた。
結局ロッカーにも問題集は無く祐は諦めて休み時間に教員室を訪れ、卯月を見つけていきなり謝った。
「どうしたの蓮水君?何かやったの?」
卯月は苦笑いして首を傾げると祐も苦笑いしながら言った。
「宿題忘れました…でも明日朝一に持ってきます!
だから先生許して!!」
顔の前に両手を合わせ少し早口で捲し上げる様に必死に言った。
少し前に宿題を忘れたが卯月に何も言わなかった生徒が授業で一ヶ月当てられ続けたと噂を聞いて祐は恐怖を感じていた。
いつもおっとりしていて今まで声を荒げて怒った姿を誰ひとり見たことがないが、少しずつ嫌がらせの様にやってくる行為は生徒に恐怖を与えていた。
「わかりました。必ず明日の朝一で提出するように」
「先生ありがとう!」
そう言い祐は教員室を出ようとしたが卯月のデスクを見て動きを止めた。
そこには悠乃が持っていたボールペンと同じデザインの物があった。
悠乃は黄色だったが、卯月のボールペンは濃い紫色で2本あった。
いつもなら気にならないが祐はそのボールペンから何故か目が離せなかった。
あまりにも食い入るように祐が自分のデスクを見ているため卯月が
「何か気になるのがあった?」
と優しく祐に聞いた。
祐はボールペンを真っ直ぐ指差し卯月を見ながら聞いた。
「これ流行っているんですか?
鵜瀬さんもこれ持ってて。
デザインが好きだから俺も欲しくて。どこに売ってるんですか?」
「このボールペン鵜瀬さんも持っているのね。
これ贈り物だからどこで売っているかはわからないの」
卯月はボールペンを持って眉を下げ申し訳なさそうにそう言うと祐も我に戻ったのか
「そうなんですね。
明日朝一に来ます!失礼しました!」
と言い卯月に軽く頭を下げて逃げる様に教員室を出て行った。
出て行った扉を卯月は顔を顰めて見ていたが、小さく息を吐くと授業で使う資料の作成を始めた。
翌日祐は約束通り家にあった問題集を朝一に卯月に渡すためいつもより早く家を出た。
問題集を全く解いていなかったため、夜遅くまで起きてやっていたため欠伸が止まらない。
朝早すぎたのかいつもは生徒で賑わっている下駄箱付近にはまばらにしか生徒はおらず、祐にとって新鮮な光景だった。
いつもぎりぎりに学校に来てバイトのために早く学校から帰るという生活を送っていたため、いつも学校には生徒が多くいて賑わっていた。
静かすぎる学校に違和感を感じつつ、教員室に向かっていると遠くに卯月の姿を見つけた。
「もう学校にいるのかよ、莉桜ちゃん早いな」
ぼそっと小さな声で呟くと祐はため息をついた。
本当は卯月が出勤する前に卯月のデスクに問題集を置いて会わずに終わりにしたかった。
もうそうすることができないため直接渡そうと卯月を追いかけた。
卯月は祐に全く気付いていないのか、足早に移動しているためなかなか卯月と祐の距離が縮まる気配はない。
意外にも足の速い卯月に驚きながらもついて行くと卯月はある部屋に入って行った。
そこでようやく祐はその部屋があの資料室である事に気が付き立ち止まった。
何故か入ってはいけないと体で感じ取っているが頭は行けと命令してくる。
祐の右手がゆっくり上がりドアノブを持った。
音を立てない様に静かにゆっくりドアノブを回すとドアを少しずつ押した。
卯月は祐に背中を向けて立っているため表情はわからないが、雰囲気がいつもの卯月と違うのに祐はすぐ気づいた。
卯月は持っていた鞄を近くの机に放り投げると机の上にあった埃が勢いよく空間に舞った。
その状態に反応することなくポケットからボールペンを取り出した。
そのボールペンは祐が何故か気になってしょうがないあの紫色のボールペンだった。
器用にペンを回すと卯月が何かを呟いた。
次の瞬間ペン先から黒いインクが細い線状に飛び出した。
卯月は少し首を動かしそれを確認するとペンを動かし目の前に大きな円を描いた。
そうすると空間に円が描かれ、そこに紙や壁があるはずがないのに黒い円がはっきり見える。
卯月はためらいなくその円の中に入ると何故か卯月の姿が消えた。
祐は驚きその黒い円に近づくと円の中は暗くなっておりよく見えない。
どんどん薄くなっていく円に祐は焦り反射的にその円の中に飛び込んていた。
「いってー」
バランスを崩し転んで頭を何かにぶつけたると、上から何かが沢山降ってきた。
祐は痛む頭を押さえ落ちて来た物を見渡すとそこには古びた本が落ちていた。
祐の近くには本棚があり、それにぶつかったため上から本が振降ってきたのだと理解した。
でもそこにある本棚を祐はよく知っていた。
その本棚はあの資料室にある本棚であり祐が周りを見渡すとそこはまさしくあの資料室だった。
ゆっくり立ち上がり埃まみれになった制服を手で払いながら外を見るとそこにはあの一本道もある。
まさしくそこは通い慣れた学校だった。
唯一違うことは空が真っ暗であること。
今は朝であり眩しい朝日に目を細めていた記憶は新しい。
「どういうことだよ」
ついつい漏れた言葉は静かな空間に吸い込まれていくような気がした。
祐が動揺していると後ろに人の気配を感じたため祐は素早く振り返った。
そこにいたのはスーツ姿の穏やかな卯月ではなく、ミニスカートで腹部が出ている露出の高い戦闘服に身を包んだ気の強そうな目をした卯月だった。
いつもと違いすぎる卯月に祐は言葉を失って動けなかった。
卯月は祐を見下ろすとためらいなく持っていた銃を祐に突きつけた。
「死ね」