「代理決闘」
~~~深見鷹、297日前~~~
立て続けに7戦を落とした。
観戦者数平均3000人ほどの戦いで、俺が得られた票数は最大17票。
完膚なきまでの敗北だった。
茜の実力は本物だった。
たかが異世界系のラノベ作家だと侮ってたけど、とんでもない。
腰が抜けそうになるほどのギャグも、涙で水溜りが出来そうなほどのシリアスも、次を読むのが恐ろしくなるほどのホラーも、べた甘の恋愛も、言葉を失うほどの純文学も。
本当になんでも書けるし、時間内にきっちりまとめてくる。
──さっすが茜っち。今日も今日とて完勝の完勝っ。
──特に3戦目のは泣いたわ。おっさんの涙腺に効く。
──いやいや、断然5戦目のサイコホラーでしょ。やっぱあの最後の一文が……。
──というかアベレージ5000字っておかしくないか。だってここまでで35000字ってことだろ。一日何万字書くつもりだよ。
──しかも連載ふたつ持ってるとかな……。
──つうか相手、もう息してないんじゃないの? さすがは『死告天使』。
有名人らしく固定ファンがついているのだろう、コメント欄は大賑わいだ。
「いやあー、見直したよ。おまえってすごいな。十年にひとりの天才って触れ込みは伊達じゃないな」
ここまで実力差を思い知らされるといっそ清々しい。
俺は晴れやかな笑顔を浮かべながら茜に手を伸ばした。
「あたしの実力はともかく……あんたはちょっとひどすぎなんじゃない?」
茜はものすごく冷たい目で俺を見た。
「ひとつも完結出来てないし、なんなの書き出しの途中でやめる縛りでもしてんの?」
よっぽど不満なのだろう、こめかみに青筋を浮かべながら詰め寄ってくる。
「平均1000文字以下って少なすぎるでしょっ。指でも怪我してんのっ? だから痛くて打てませんでしたって? とてもそうゆー風には見えないけどねえっ?」
「いやその……」
1日2000字も書ければ上等な俺からすると、超絶がんばったほうなんだけど……。
「たまーに1000字超えてるのあるかと思えば、意味不明なオリジナル設定ばかりぐだぐだと垂れ流しやがって! 小説舐めてんのか!」
「ううっ……?」
「登場人物の行動もいちいちおかしいっ! なんでここで雅子はラーメン食い始めてるのよっ、今まさに両親を連続殺人鬼に殺されたところなんでしょっ!? 逃げるとか他に助けを求めるとかしろよ!」
「いやその……人は極限状況に追い込まれると自分が最も精神的に安定する行動をとるようになるとかそういう……」
「読者はあんたの自慰行為を見て興奮する変態ばかりじゃないのよっ!」
「ううううっ……?」
鬼のような酷評をされ、さすがに俺は言葉を失った。
「7作目の『怖くて読めない』!? これは比較的まともだったけど……でもダメね! たぶん青春ミステリなんだろうけど、表現したいことにあんたの実力が追いついてない! 見なさいよ、投票結果も2983:17であたしの圧勝!」
茜は言いたいだけ言うと、ふんとつまらなそうに鼻で笑った。
パタンと勢いよくノートPCを閉じると、テーブルの上の護身用具と一緒に鞄にしまった。
「つまりあんたは星井雪緒を騙る偽者だってことっ。わかってはいたことだけど、改めてがっかりねっ。本気で、本当に時間の無駄だったわっ」
「あ、あれ? もう終わりなのか?」
予定通りなら、あと1戦あるはずだが……。
「当ったり前でしょっ。あたしの記念すべき1万個めの☆、あんたの小汚いもので飾りたくないのよっ」
「……」
「てことでさよなら、偽者さん。もう二度と会うことはないでしょうねっ」
バッサリ斬り捨てると、茜は立ち上がった。
「………………待てよ」
足早に個室を出て行こうとした茜を、俺は力をこめて呼び止めた。
「………………はあ?」
呼び止められたのが意外だったのだろう、茜はドアノブを握ったままの体勢で立ち止まると、ゆっくり時間をかけて俺に振り返った。
「何よ、文句でもあるの? あたしの批評、的外れに聞こえた? 激おこなの底辺糞ワナビさん?」
「いや、それに関してはまったく文句はないんだ。実際その通りだと思う。だけどそれは、本当の俺じゃないんだ」
「はあああー? なぁに言ってんのあんた。昼間っから夢でも見てんの? バスの中でずっと起きてたから、今頃眠気でもきたの?」
「そうなんだ。正直かなり疲れてた。今になってようやく目が覚めてきて……だからこれからが本番だ」
「はああああーっ?」
茜はいかにもバカにしきった目で俺を見た。
その気持ちはわかる。
突然星井雪緒と名乗る男が現れて、わくわくしながら決闘してみたらとんでもない偽者で。
そりゃあ怒るよな。
ムカつくよな。
でも、だからこそというべきか俺は、こいつの夢を叶えてやりたくなったんだ。
──えへへ……えへへへへ……。あの星井雪緒と決闘だってさ。えっへへへ……。
子供みたいな顔をして喜んでいたこいつに、一度でいいから星井雪緒と戦わせてやりたくなったんだ。
今後絶対にかなわないであろうその願いを、かなえてやりたくなったんだ。
「絶対だ。賭けてもいいよ。次こそは俺が勝つ」
「どの口であんたそんなことを……」
「しかも圧倒的な大差でだ」
「あんたいいかげんに……っ」
茜はギリッと奥歯を噛みしめた。
振り上げようとした拳を、すんでのところでひっこめた。
「……いや、いいわ、やってやるわよ。作家だったら、ケンカは作品の上でやるべきだものね」
深呼吸を繰り返して怒りを鎮めると、茜は席に戻った。
一度はしまったノートPCを取り出した。
「その代わり、次は条件付きよ? 敗者は勝者の一日奴隷になること。明日の今頃まで、勝者がやれと言ったことはなんでもやること。間違っても嫌だとは言わせないわよ?」
「OK。おまえが勝ったらそれでいいよ。でも、俺が勝ったらその話は無しだ」
「はあ? どうゆーこと? 本気で自分が勝つつもりでいるの? 舐めプしてるつもり?」
「いや、引き換えとしてさ、次のお題はフリーにして欲しいって話なんだ。俺、お題とかって苦手だから。縛られると心理的にダメなんだ」
「ふうーん……ま、そうゆー人はいるけどね」
なんだそんなことかと言うように、茜は肩を竦めた。
「構わないわ。あたしだってフリーのほうが得意だし」
「OK? じゃあそれで」
「いいわよ。さあ始めましょうか」
俺たちはうなずき合うと、キーボードに手を伸ばした。
お題フリーの最終戦を始め、そして──
「負け……まし……た……」
1時間後、真っ青な顔で敗北宣言をしたのは茜のほうだった。
「ウソ……ウソよこんな……」
票数2925:75の圧倒的大差での敗北に納得がいかないのか、目が忙しく左右に動いている。
右手がマウスをカチカチ動かし、画面をスクロールさせている。
「『宰相の庭』……架空の王国の若き宰相と庭師の娘の悲恋……。こんな……こんな大河ロマンとでもいうべきものをたった一時間で……しかも1万字ですって……?」
「どうだ。なかなかだろ?」
種明かしをするなら、クラウド上の小雪の没ファイルから短編を適当に拾ってきただけだ。
だからこそ、お題はフリーでなければならなかったわけだが……。
「なかなか……なかなかですってっ? これが……っ?」
茜はガタリと席を立った。
顔を真っ赤にして、拳を握りしめて──
「あんた……これがどれほどのものかわかって……っ。……ううん、これはただの嫉妬ね。あたしとしたことが、見苦しい真似をしたわ」
座ると、居住まいを正した。
深呼吸すると、真面目な目で俺を見つめた。
「負けたわ。あんたの……星井雪緒の腕は本物だった。あたしがこの領域にたどり着くまでにどれだけの年月が必要か想像がつかないぐらいの、圧倒的な敗北だった」
「いやいや、そんなに卑下するなよ。おまえのもすげえ面白かったよ」
「やめて、情けは無用よ」
茜は頑なに首を横に振った。
「あたしは負けたの。あれだけ調子ぶっこいておいて、最後の最後に実力の差を思い知らされた。あんた、悪い人ね。たぶん最初から踊らせてたんでしょ? 手の平の上の孫悟空よろしく、あたしのことを弄んだんでしょ?」
「いやその、そんなつもりは……最後は勝ったけど、7:1の結果は変わらないし……」
「『宰相の庭』には10勝分の価値があったわ。それがすべてよ」
茜は断言すると、壁掛け時計にチラリと視線を走らせた。
「そろそろ時間ね」
「あ、ホントだ。そろそろ行かなきゃ……。ええっと……じゃあ茜、またな」
「ってあんた、どこ行くのよ」
ノートPCをしまって個室を出ようとした俺を、茜が止めた。
「どこって、忘年会だけど……」
「あたしも同じとこ行くんだから、一緒に行けばいいでしょ?」
「俺とおまえがふたりで? いやあだって、そんなことしたらどんな噂を立てられるかわからないし……」
「いいじゃない別に。噂ぐらい立てられたって」
気軽な調子で言うと、茜は俺の腕に腕を絡めてきた。
「え? え? なんで?」
戸惑う俺の肩にぎゅっと頭を押し付けてきた。
ぐりぐりと親愛の情を示すように擦りつけてきた。
「その時はこう言えばいいのよ。茜は星井雪緒にワンライで負けて、弟子になりましたって」
「え? 弟子? おまえが? 俺の? なんで?」
「なんでって、そりゃああんたのが上だからでしょ。作家として圧倒的上の階層にいるから。んであたしは、あんたのいるところまで一気に駆け上がりたいから。それ以外にある?」
「え? ええー……? 何それ向上心すごいですねって話?」
思ってもみなかった事態に困惑する俺に、茜はウインクひとつ。
「そゆこと。てことで、これからよろしくね? 星井師匠。あたしに小説のこと、色々教えてね?」
世にも恐ろしいセリフを、さらりと言ってのけたのだ……。