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案山子の帝王  作者: 柚緒駆
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邪神分離

「イ=ルグ=ルが出たってよ」

「とうとう来たか」

「俺たち、どうなるんだろうな」


 不安げな顔を向け合う男たち。だが、それだけで慌てふためく様子はない。さすがデルファイに暮らすだけの事はある。少なくとも肝は据わっていた。


 冬の風が吹く南部の街、聖域(サンクチュアリ)。大通りのあちこちで人々が集まる中を縫うように、早足で歩くドレッドヘアーの男。路地を一本入った裏通りに進み、そこで足を止めた。


 バー『銀貨一枚』。間違いない。ここだ。


 入り口のドアが開く。片腕のウズメが、テーブルを拭く手を止めて顔を向けた。


「あら、ごめんなさいお客さん、いま準備中なんで」


 するとカウンターの奥からマダムが顔を出した。


「いいわよ。こんなときだもの、お酒ぐらい飲ませてあげなさい」

「あ、いや、その」


 ドレッドヘアーの男は、少し慌てて首を振った。


「ボス……じゃないや、プロミスさんはいますか」

「プロミスなら用事で出てるわよ」


 マダムは不思議そうな顔で見つめる。男は真剣な顔で見つめ返す。


「出てるって事は、ここに戻ってくるって事でいいんですよね」

「まあそうね。この店がイ=ルグ=ルにでも潰されない限りは」


 男は深くため息をつくと、へなへなとその場にしゃがみ込んだ。


「……良かった。本当に生きてた」


 その様子を見て、マダムは得心がいった顔で微笑んだ。


「あなた、『プロメテウスの火』の人ね」


 男、リザードは驚いて顔を上げた。


「えっ! 何でそれを」

「さあ、何でかしらね」


 マダムはウイスキーの瓶を棚から取り、軽く振って見せた。


「とりあえず、プロミスには会わせてあげられると思うわよ。ゆっくり待ってなさいな」

「……はあ」


 リザードはキョトンとした顔で、カウンターの椅子に座った。



 闇に亀裂が走り、光が漏れ出す。黒いイトミミズに覆われた内側から噴き出す白い思念波。そして獣王の咆吼。ガルアムはイ=ルグ=ルから体を引き剥がした。全身が切り裂かれ、生皮がズルリと()ける。だが一瞬、あっという間に修復される皮膚に、しかしイ=ルグ=ルの無数の触手はさらに同化しようと絡み付く。


 苦悶の声を上げるガルアム。その背後に突然、小さな人影が現われ、ガルアムの背に手を当てると、ガルアムの巨体が消えた。小さな人影も。


 離れた後方にテレポートしたガルアムは、思わず膝をつく。女の声がたずねた。


「大丈夫ですか」


 人間か。いや、この気配、吸血鬼か。ガルアムは栗色の髪の女を見つめた。


「助けられたのだな。済まない」


 プロミスは微笑んだ。


「いえ、3Jに言われた通りに動いただけですから」


 ガルアムの全身の傷が、音を立てて回復して行く。


「リキキマはどうなった」


 ガルアムが再び立ち上がったとき、ガツン! と硬い音が空に響いた。


 黒いウネウネに包まれたイ=ルグ=ルに、棘が生えていた。赤い三角形の長い棘が。ガツン! とウネウネを突き破って二本目が生える。ガツン、ガツン、ガツン! 次々に何本も棘が生えて行く。イ=ルグ=ルは、見る間にウニのようになった。


 その棘の一本の先端に、裸の少女が立ってイ=ルグ=ルを見下ろしている。


「悪いな。同化能力なら、こっちも持ってるんだ」


 リキキマは、ニッと歯を剥いた。


「てめえを同化してやるよ、イ=ルグ=ル!」

「いかん。よせ、リキキマ!」


 ガルアムの叫びもリキキマには届かない。イ=ルグ=ルの体から突き出る棘の数はどんどん増えて行く。やがて黒いイトミミズの蠢きが見えなくなった。そのとき。


 声なき絶叫。世界を震わせる黒い思念波。物理的圧力を伴うそれが、イ=ルグ=ルを中心に、短く放たれた。


 再び湧き出す黒いイトミミズ。どこから。そう、イ=ルグ=ルを包む無数の棘から。そしてリキキマの体からも。


「……っの野郎!」


 その背後から、肩をつかむ者。リキキマの姿が消えた。


 全身から無数の黒いイトミミズを湧かせたリキキマの体が、ガルアムの前に転がった。獣王はリキキマの頭を鷲づかみにし、思念波を送り込む。ボロボロと崩れ落ちるイトミミズたち。ゲホゲホと激しく咳き込みながら、リキキマはガルアムの手をタップした。


「もういい。もう大丈夫だ。放せ」


 しゃがれた声を聞く限りでは、あまり大丈夫そうではないが、ガルアムは手を放した。リキキマはにらむような目で、隣に立つドラクルを見上げた。


「まったく勘弁してもらいたいよね」


 ドラクルは手に付いたイトミミズの破片を振り落としている。


「ボクが律儀な吸血鬼じゃなかったら、いまごろ食われて終わりじゃないか」

「何だよ、感謝でもしろってか」


 極めて不満げにつぶやくリキキマに、背後から声がかかる。


「感謝くらいはなさいませ」


 振り返れば、ハイムが真っ赤なドレスと大きなリボンを手に立っている。


「お嬢様、お召し物を」

「この状況で服なんて着てる場合かよ」


「とんでもございません。レディは常に身だしなみを整えておくものでございます」

「へえへえ、そうですか」


 リキキマはドレスとリボンをつかむと、瞬く間に身に着けた。液体生物なればこその早業である。そしてイ=ルグ=ルに目をやった。黒いイトミミズに覆われた棘が、みるみる短くなって行く。食われているのだ。


「おいドラクル」


 イ=ルグ=ルからは視線を外さない。同じくイ=ルグ=ルを眺めていたドラクルは、リキキマに向き直った。


「何かな」

「感謝はしてやる。だから力を貸せ」


「言ってる事が3Jと同じなんだけど」


 ドラクルの顔に浮かぶ苦笑い。リキキマはムッとした。


「アイツと一緒にすんじゃねえよ。けったくそ悪い」

「で、何か手があるんだろうか」


「ある訳ないだろ」

「ダメじゃん」


 ドラクルのため息に、リキキマは舌打ちをした。


「どうせ3Jから何も言われてねえんだろ。だったらヒットアンドアウェイで……」


 その口が止まった。イ=ルグ=ルの表面から、いつしか黒いイトミミズは姿を消していた。その代わり、石の蛹の左右から腕が生えていた。黄金の神人の、不釣り合いに巨大な腕が。


「ヒットアンドアウェイでどうするって?」


 面白がっているようなドラクルの言葉。リキキマは悔しげにギリギリと歯を鳴らした。


「んのクソ野郎」


 それが聞こえでもしたのだろうか。イ=ルグ=ルの左右の腕が動き出した。右手は天を指さし、左手は地面を指さす。


「何してんだ、アレ」


 リキキマのつぶやきに、ハイムが答える。


「天上天下唯我独尊、ではないでしょうか」

「邪神がブッダの真似事かよ。ふざけてんのか」


「いや、待て」


 ガルアムの声が緊張した。次に起きた変化には、リキキマも目を丸くする。


 イ=ルグ=ルの石の蛹の真ん中に、縦に一本線が走った。そして少しズレたかと思うと、ゆっくり左右に離れ始めたのだ。


 やがて右側半分は上に浮かび上がり、左側半分は地面を滑るように前進する。


 ガルアムは状況を理解した。


「しまった、ヤツの狙いは!」


 その瞬間、右側半分はロケットのように急上昇した。同時に左側半分が土煙を上げ、猛烈な速度で地を駆ける。



 ダラニ・ダラの展開する黒い(リング)の檻は、内側に向かって縮小していた。閉じ込められたヌ=ルマナはダラニ・ダラに迫るが、ジンライの超振動カッターが邪魔をする。いかにすべてを見通す『宇宙の目』があろうと、動ける速度が無限大に上がる訳ではない。相手の動きは見えるのに、どうしても突破出来ないのだ。


 しかし『宇宙の目』は新たな解答を見出した。ヌ=ルマナは後ろに飛ぶ。輪に触れる寸前の位置まで。もはや目の前の敵を突破する必要性はない。何故なら。


 ダラニ・ダラの背後に走る稲妻、轟く雷鳴、もうもうと上がる土煙。振り返れば、黄金の神人の左拳が、黒い輪をガラス細工のように打ち砕いている。石の蛹の左半身が、暴走列車の如く内側に飛び込んで来た。


「なっ」


 言葉を放つ余裕などない。それはダラニ・ダラを跳ね飛ばし、紙一重でかわされはしたものの、ジンライにつかみかかり、そして。


「イ=ルグ=ル!」


 笑顔で両手を広げたヌ=ルマナを殴り飛ばした。


 黒い輪の檻をぶち抜き貫通したイ=ルグ=ルの左側は、豪快にターンを決めると次の目標に向かう。


 おかっぱ頭のケレケレが慌てて走り出した。


「いかん、ズマ、逃げろ!」


 逃げろと言われても、いまズマの両手はハルハンガイの両耳を捕まえている。これを放す訳には行かないのだ。ハルハンガイが焦り出す。


「馬鹿者! さっさと放せ!」

「うるせえ! 死んでも放すか……」


 放す(いとま)などない。振り抜かれた巨大な左手の一撃は、ハルハンガイとズマをまとめて空に跳ね上げ、ボロ雑巾のように地面に落とした。それを顧みる者はなく、再び大仰に土煙を上げながらターンすると、イ=ルグ=ルはケレケレの後を追う。


「うわ、来るな! こっち来るな!」


 走って逃げるケレケレに、しかし追いつくのは一瞬。邪神の左手はケレケレの頭を握り潰さんと指を広げた。そのとき。


 突如背後から聞こえた轟音に、ケレケレは思わず振り返る。そこではさっきまで存在しなかったはずのジャングルが、イ=ルグ=ルの動きを止めていた。


 木が伸びる。つるが伸びる。神人の腕は周囲の木々を叩き折るが、伸びるスピードはそれ以上に速く、蔓が絡みつくのはもっと速い。


 石の蛹の左半分から、黒い思念波が放たれる。木から蔓から湧き出すイトミミズ。けれどそれを喰らい尽くす前に、下から下から、どんどんと新しい木が生え、蔓が伸びてくる。まるで神と大地との戦い、それも総力戦の様相を呈していた。


 そこに上空より落下する巨大な影。ガルアムがイ=ルグ=ルの頭の上に猛然と降り立った。地面に押しつけられた衝撃は地響きとなる。神人の左手が獣王の足を捕まえた。また黒い思念波を放ち、今度はガルアムの全身からイトミミズが湧いて出る。


 それを毛の先ほども慌てる事なく、白い思念波で一瞬にして粉砕すると、ガルアムはイ=ルグ=ルの左腕を両手でつかみ、容赦なくねじり上げた。


「リキキマ!」

「わーってるよ!」


 鷹の翼で飛んで来る、リキキマの右腕が伸びた。それは長い長い刀となり、陽光をきらめかせて宙を切り裂く。イ=ルグ=ルの左腕は、石の蛹より斬り離された。

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