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案山子の帝王  作者: 柚緒駆
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矛盾と誠実

 聖域(サンクチュアリ)の中心にある迷宮(ラビリンス)。その応接室に裸の女がつっ立っていた。


「遺産とはジョセフ・クルーガーの遺産か」


 そう問う3Jに裸の女、ウズメは答える。


「そう、ビッグボスの遺した物」


 3Jはガラスの小瓶を振った。黄色い錠剤が中で音を立てる。


「これの正体は何だ。イ=ルグ=ルにまつわる物だとはわかっている」


 ウズメは足下を指さした。


「服、着ていい?」

「好きにしろ」


 足下に落ちたミニのチャイナドレスを拾い上げながらウズメは言う。


「私たちも正体までは知らない。ただ経験上、人間の精神世界を具現化するのは間違いないの」

「何人か試したのか」


 3Jの問いに、右手一本で器用にチャイナドレスを着ながらウズメは答えた。


「試したのはビッグボス。その頃の私たちは小間使いって言うか、奴隷って言った方が正しいかな。とにかく実験の様子を見てた訳。だから使い方はわかる」

「だが結果はわからない、という事か」


「そ、どんな目が出るかは神様の思し召し次第。もっとも、私たちは戦争がしたい訳じゃないもの。混沌を求めているのだから、これで充分」


 確かに充分すぎるほど迷惑だ。3Jはそう思ったが口には出さない。代わりに。


「そんな事をして何になる」


 そう言う3Jにウズメは笑顔でたずねた。


「明確な目標のない者は生きていちゃいけない?」


 つまり漠然と混沌を目指しているのだろう。世界の混沌は明確な目標ではないのかという問題があるが、それはいまする話でもない。


「リーダーは誰だ」

「そんなの居ないよ。みんなバラバラに、でも助け合って行動してるの」


 これが事実なら厄介だ。統率のない集団は想定外の行動を取る。予想がつかない。


「おまえたちは全員心臓がないのか」

「ええ、心臓もないし血も流れない。なのに体は腐らない。つまりゾンビですらない」


 首元のボタンを留めながら、ウズメは苦笑した。


「フン、心臓がなくて血が流れないくらい珍しくもない」


 リキキマが面白くなさそうに言った。3Jが真顔で返す。


「いや、さすがに心臓のないタイプはデルファイでも珍しい」

「うっさいわボケ。そういう意味じゃねえんだよ、おまえもうマジ腹立つな」


 ウズメが座り直す。


「質問はもうおしまい?」


 3Jは一瞬考えて、こう言った。


「何故エリア・ヤマトを狙った」

「弱いから」


 ウズメは笑顔で答えた。


「私はカオスで一番弱いから、一番弱い場所を狙うのは当然でしょ」



 夜が終わる。王の時間が。四千メートルの壁の向こうから日が昇る。夜明けの聖域に人の気配はない。静寂に沈む街の中を、ドラクルは一人当()()もなく歩いた。


 水色の髪のローラ。偶然か。あり得ないほどの偶然が重なれば、あるいは。


 ウズメには心臓がなかった。ローラにも心臓はない。それはいま自分の体の中にある。


【あれは、ローラの細胞で作ったものだ】


 ジョセフの言葉を思い出す。あのときは気にも留めなかったが、ローラの細胞をどこに保管していたのだろう。ゲル状の姿となり果てたローラ。最後に残った心臓を奪った後すぐ、ドラクルはジョセフの元から逃亡した。残された細胞がどうなったのかなど、考えた事もなかった。


 しかしそれも無理はない。ドラクルにとってローラ以外はローラではなかったのだから。たとえローラの細胞から出来ていても、たとえローラと同じ顔をしていても、それだけではローラではない。その思いはいまも変わらない。ただ、それでも。


 もしローラの肉体が、心臓を除いたその他の部分が、そのままあのウズメのように形を取り戻していたとしたら。それは、誰だ。



 結局、昨夜は一睡も出来なかった。窓から入る朝日の中で、ジュピトル・ジュピトリスは困っている。悩んでいる。エリア・ヤマトに鬼が現われた件は、イ=ルグ=ルの仕業ではなかった。いや、厳密にイ=ルグ=ルと無関係と判明した訳ではまだないのだが、少なくともあの鬼はイ=ルグ=ル側の存在ではない。3Jはそう言っている。


 だとすれば、どんなコメントを出せば良いのやら。この期に及んで第三勢力の出現を大々的に知らしめるのか。あの鬼を生み出した連中は『カオス』を名乗り、混沌に沈む世界を夢想しているという。公表などしたら思う壺ではないか。


 とは言うものの、ここで知らぬ顔など出来るはずもない。ジュピトルが沈黙すれば、要らぬ憶測を呼ぶのは間違いない。さて、どうしたものか。


 頭の中を整理する。優先順位を確認する。いま求められているのは正直さや正確さではない。安心と納得である。うそに近いよりは真実に近い方が誠実ではあるが、重要なのはコメントを聞いた各人が「ああそうなのか」と腑に落ちる事であろう。それならば。



 朝の聖域。人々が街に繰り出してくる。空を見上げれば、浮上して行く大きな白い直方体、自律型空間機動要塞パンドラ。その管制室で遠ざかる地上を見つめていた3Jに、インターフェイスのベルが告げる。


「昨日の件について、ジュピトル・ジュピトリスの公式コメントが出たけど、聞く?」


 鈴を転がすような声に、3Jはうなずいた。


「聞かせろ」


 ズマもジンライもケレケレも沈黙している。ベルが話し出すのを待っているのだ。


「じゃ、読むね。えー、こほん。昨日エリア・ヤマトに現われた、イ=ルグ=ルの放ったと『思われる』巨大な怪物を、デルファイ四魔人の一人、魔女ダラニ・ダラの『配下が』対応し、殲滅したと報告を受けた。エリア・ヤマトにおいて被害に遭われた方々には、心よりお見舞い申し上げると共に、人類の一人としてダラニ・ダラには謝意を表する。以上」


 聞き終わると同時にケレケレが笑い転げた。ズマは眉を寄せる。


「えー、何だそれ。うそじゃん」

「だが、説得力のあるうそだ」ジンライが言う。「内容的に矛盾はない。後々情報を訂正出来るように配慮もしてある。現段階で出せるコメントとしては及第点だろう」


「でも配下って子分って意味だろ。おいらはダラニ・ダラの子分じゃねえし」


 不満げなズマを、存分に笑って気が済んだのだろうケレケレがなだめた。


「まあまあ、ダラニ・ダラに飯を食わせてもらっているのだ。配下みたいなものと言えなくもなかろう」

「そりゃあそうだけどよお」


 根が実直なズマは、簡単には受け入れられないようだ。ケレケレは楽しげに言う。


「この惑星には、『うそも方便』という言葉がある。あのジュピトル・ジュピトリスが方便を使えるようになったのだ。成長を喜んでやるべきではないか」


 ズマの顔は3Jに向いた。


「兄者はどう思う」

「誠実とは馬鹿正直な事ではない。ジュピトルにしては良く出来たコメントだ」


 感情のこもらぬ、抑揚のない声でそう言う。ズマは一つため息をついた。


「ま、兄者がいいんなら、それでいいや」


 ようやく納得したようだ。もっとも皆が皆、ズマのように納得してくれる訳でもなかろう。尾を引かねば良いのだが、と3Jは考えていた。



 いかにも東洋的な顔立ちに眼鏡、地味な灰色のスーツにビジネスバッグを持った男を前にして、椅子に座ったマヤウェル・マルソは笑顔でうなずいた。


「わかりました六十三号。ご苦労でしたね。もう下がって休みなさい」

「はっ」


 男は深く最敬礼すると、回れ右をしてドアに向かった。


 ドアが閉じ、部屋に一人になるのを待って、マヤウェルは、うーんと唸った。エリア・ヤマトに巨大な怪物が出現してすぐ、マヤウェルは特別警備部隊ヨナルデパズトリから六十三号を派遣した。情報収集のためである。その報告をいま受けたのだが、ジュピトル・ジュピトリスのコメントと比較して、特に矛盾点は見つからなかった。だが。


 気に入らない。


 何故矛盾点が見つからないのか。それはうそを吐いていないから、とも考えられる。ならば、何故うそを吐かなかったのか。ジュピトル・ジュピトリスが誠実な人物だからか。


 確かに情報に目を通した限りにおいては、彼は誠実そうな人物だった。だが誠実さとは、馬鹿正直な事ではない。そもそもあのウラノスが、ただ馬鹿正直なだけの人物を後継に指名するはずがない。


 誠実だからうそを吐く。人間とはそういう生き物であるはずだ。


 矛盾点が見つからないのは、それが見つからないように情報に手を加えたからではないのか。そう考えながら改めてジュピトルのコメントを見ると、気になるところはある。


【イ=ルグ=ルの放ったと思われる】


 何故断定ではないのか。あんな怪物を放てる者など、普通に考えればイ=ルグ=ルくらいしか居ない。さもなくば、デルファイに住む化け物が逃げ出したか、だ。もしあれがデルファイの生体兵器だとするならどうだろう。マヤウェルは考える。


 もし自分がジュピトルの立場なら、デルファイに疑いの目が向くのは避けたい。ならばイ=ルグ=ルの仕業だと断定すれば良い。現在の状況でそれを疑う者は滅多に居ない。それくらいは理解しているはずだ。なのに断定しなかった。いや、出来なかった。


 それはすなわち、イ=ルグ=ルの仕業ではないと知っているから、ではないか。


【魔女ダラニ・ダラの配下が】


 何故配下なのか。何故ダラニ・ダラ本人ではないのか。それはエリア・ヤマトに居る誰かが、事の(てん)(まつ)を目撃している可能性があるからだろう。ダラニ・ダラはエリア・ヤマトには居なかった。それは間違いないのだ。


 さらに言うなら、ジュピトル・ジュピトリスもそこには居なかった。彼が自分で解決したのなら、それを隠す必要はない。言い換えれば、本当にダラニ・ダラに近しい『誰か』がその場に居た事になる。


 だがどうして魔人が出張って来なかったのだ。あんな巨大な怪物、エリア・ヤマト程度の軍事力ではどうしようもない。魔人でもなければ対応しきれなかったろう。けれど実際に怪物は退治されてしまった。つまり、魔人クラスの戦闘力があの場に存在したのではないか。


 マヤウェルの脳裏に浮かぶ影。五人目の魔人。案山子の帝王。


 もしも今回の事が、イ=ルグ=ルでもデルファイでもない、言わば第三勢力の参戦によって起こされたものであり、デルファイの3Jがそれを解決したのだとしたら。そこに矛盾はあるか。いや、ない。引っかかる部分があるとするなら、何故ジュピトル・ジュピトリスが3Jの存在を隠そうとするのか、そこだけだ。何を隠す。どんな秘密があるというのだろう。


 面白い。マヤウェルは一人微笑んだ。乾いた、サディスティックな微笑み。謎はないよりあった方がいい。やりがいがあるというものだ。どうやって謎を解こう。いかにして秘密を(あば)こう。楽しませてくれると良いのだけれど。

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