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案山子の帝王  作者: 柚緒駆
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機は熟した

「せめてもの慰め、というヤツだな」


 グレート・オリンポス二百九十六階のプルートスの部屋。テーブルにランプが一つ灯るだけ。外の夜景の方が明るいほどだ。ベランダに出る大きなガラス窓を開け、部屋の主人は壁にもたれかかっている。手には細身のグラスを持ち、薄明かりの中で、やつれた顔をジュピトルに向けた。


「確かに、スケアクロウの正体について書き込んだのも、削除させたのもオレだ」

「何故そんな事を」


「おまえが邪魔だったからだよ」


 その目にランプの明かりが照り返す。鬼火のようだとジュピトルは思う。護衛の三人を連れずに二人きりで話がしたい、という長兄の申し出を彼は受け入れた。ジュピトルの部屋より一フロア下階の、しかし広さ的にはこちらの方が上の部屋。ジュピトルの背後の壁には紙に印刷された本が並ぶ。その合間合間に酒瓶が並んでいるのもプルートスらしい。


「その本、全部読んだんだぜ」プルートスは笑う。「読めば少しは賢くなるかと思ってな。一応オレなりには努力してみたんだ。けど、結果はこのざまだ。オレはおまえのようにはなれなかった」

「あなたと僕とでは、求められた役割が違うのです」


 そう言うジュピトルは悲しげな顔。こんな言葉が救いになるとは思っていないのだろう。


「隣の芝は青いって言うだろ。オレはおまえの役割がやりたかったんだよ」


 プルートはグラスの酒を一気に空けると乱暴に口を拭う。


「……誰かに勝手に決められた役割を引き受けて、何が楽しい。おまえは本当にそれでいいのか。それで満足なのか。オレはご免だ。Dの民が何だ。オリンポス財閥が何だ。オレの命も、体も、人生も、すべてオレの物だ。そのはずだ。自由に使って何が悪い。高みを目指す事の何がいけない。枠にはまるなんぞ、まっぴらだ。ふざけるな!」


 グラスを床に叩きつける。砕けた欠片が、埃だらけの床を滑り転がる。プルートスは両手で顔を覆った。


「オレは……オレは取り返しのつかない事をしてしまった」


 ジュピトルは静かにたずねた。


「ネプトニス兄さんを殺したのは、あなたなんですね」


 プルートスはうなずいた。


「あいつはオレを脅してきたんだ。秘密を知っていると。暴露されたくなかったら言う通りに動けと。それで口論になって、揉み合っているうちに、オレは、つい」


 震える両手を見つめるプルートスに、ジュピトルは近付いた。


「聞いていいですか」


 プルートスは顔を上げられないでいる。


「それほどの秘密って、いったい」

「オレがブラック・ゴッズに武器を横流ししてた事さ」


 目に涙を浮かべて見つめるジュピトル。


「兄さん、あなたは」

「ブラック・ゴッズだけじゃない。オレは世界中のテロ組織に武器を売って来た。文字通りの死の商人なんだよ。それでもな、それでも、弟を殺したくはなかった」


 絞り出すようにそう言うと、プルートスは泣き崩れてしまった。


「オレは、もうダメだ。もう何も出来ない。おまえにも、お祖父じい様にも合わせる顔がない。もうすべて終わりなんだ」


 と、突然顔を上げ、フラフラと立ち上がる。そして足を引きずるように窓の外に出て、ベランダの手すりに寄りかかった。


「……そういう訳だ。もうオレには生きている資格も、生きていく希望もない」


 そしてプルートスは微笑んだ。


「最後におまえに話せて良かったよ。じゃあな」


 その体重が後ろにかかる。ベランダの向こうへ。


「兄さん!」


 思わず駆け寄るジュピトル。その伸ばした手を、プルートスがつかんだ。


「……なんてな!」


 プルートスは笑っていた。目をらんらんと輝かせて。それはまさに人殺しの笑顔。


 プルートスは狙っていたのだ、この瞬間を。ネプトニスの葬儀以降、部屋に閉じこもっていたのもそう。スケアクロウの正体がジュピトルだと書き込んだ事もそう。今日こうやってジュピトルを呼び出し、おそらく彼が感づいているであろう自分の秘密を口にした事もそう。すべてはこの瞬間のため。


 単純な知恵比べではジュピトルに敵わない。だが情を絡めれば話は変わる。この甘い弟は、無様な兄を見捨てる事など出来ないはずだ。必ず手を差し伸べようとする。そのときだけ、その一瞬だけジュピトルを上回る事で、オリンポス財閥が、エリア・エージャンが、ひいてはこの世界が自分の物となるのだ。その勝負に、勝った。


 プルートスは全力で腕を引いた。筋力では自分が勝る。ジュピトルはネプトニスと同じく、このベランダから下界へとダイブするのだ。それは確信だった。だが。


 ジュピトルはピクリとも動かない。背後から体を押さえる者が居たからだ。その鋼鉄のように強靱な男は、黒い燕尾服を身にまとう、細い手足、細い体に細い顔、全身が槍のようなシルエット。ネプトニス付きの執事、トライデントであった。


 プルートスは愕然と見つめる。


「何故……何故おまえが」


 ジュピトルは悲しげに言う。


「護衛の三人を連れて来ないとは約束しましたが、トライデントを連れて来ないとは言いませんでしたから」

「読んでいたのか、すべて」


「僕は間抜けで迂闊なんです。だから万全の安全策を取りました」


 プルートスの歯が、ギリリと音を立てる。


「だましたのか、このオレを、弟が、末弟の貴様がぁっ!」


 思わずつかみかかったプルートスの手を、今度はトライデントが捕まえ、軽々と後ろ手にねじ上げた。


「でででっ! クソ、放せ!」


 さらに腕でプルートスの首を絞めて黙らせると、トライデントは冷たい目でジュピトルを見つめた。


「このたびの事は、お礼を申し上げます」

「トライデント、君は、本当に……」


 ジュピトルには、それ以上言葉が見つからない。


「ネプトニス様の(かたき)が討てる事、これ以上の喜びはございません」

「でも、何も君が」


「忠臣を気取る訳ではありませんが、二君に仕えるつもりはないのです。私の人生も、ここまでにございます」


 涙を流して見つめるジュピトルに、トライデントは小さく微笑んだ。


「最後にお役に立てて光栄に存じます」


 それだけを言い残して、トライデントは消えた。プルートスと共に。後にはジュピトルがただ一人残された。


 この後、プルートスの姿を見た者は誰も居ない。トライデントもまた。



 ネプトニスの死に続き、長兄プルートスの行方不明と、オリンポス財閥には不幸が立て続けに襲いかかっていたものの、世間はいまそれどころではなかった。核兵器を巡り、エリア・トルファンとエリア・アマゾンの間で非難合戦が起きていたからだ。


 トルファンはアマゾンに対し、核兵器を強奪するために軍事侵攻を仕掛けたと非難し、一方アマゾン側は、トルファンのデルファイへの不法な核攻撃を阻止した正義の行為だと主張した。


 世界三大エリアのうちの二つが衝突するこの事態に、他のエリアは態度を決められずにいた。トルファンとアマゾン、どちらのエリアと対立しても、損をするだけで得になる事など何もなかったからだ。しかもエリア・エージャンが、現段階でどちらの側にもついていない。だったらエージャンより先に態度を表明するのは馬鹿のやる事である。いまは静観するしかない、と他のエリアは考えていた。


 しかしエリアの枠を超えたネットワークの住人たちの考えは、そうではなかった。スケアクロウの存在があったからだ。彼の言葉が正しいのであれば、トルファンにはデルファイを核攻撃する意思があったはずである。ならばアマゾン側の主張の方に分がある。


 さらに、もしスケアクロウの正体がジュピトル・ジュピトリスであるのなら、オリンポス財閥は、すなわちエリア・エージャンは、エリア・アマゾンの立場を擁護するのではないか。ならばどちらの味方に立ち、どちらを叩くべきかは自明の理である。


 それやこれやで、大義名分を見つけたネットワークの住人たちは、喜び勇んでエリア・トルファンの関係者や関係機関・組織を叩いて回った。これは大きなムーブメントとなる。


「結局デルファイの四魔人って、人類の敵なの? 味方なの?」


 そんな疑問の声などかき消される程には。



 ウラノスは暗闇に目を覚ました。音のない世界。寝室のベッドに横たわりながら、ためらいがちにつぶやく。


「メーティス」


 女の声が返事をした。


「お呼びでしょうか、総帥閣下」


 その声にほっとしたのか、ウラノスはさっきより少し大きめの声でこう言った。


「惑星間回線に接続、パンドラを呼び出せ」

「かしこまりました」


 十数秒の沈黙の後、鈴を転がすような……とは行かない、随分と眠そうな声が応えた。


「ふぁーい。何なの」


 ウラノスは不機嫌そうにたずねる。


「何故プログラムが寝ているのだ」

「メンテナンスモードなんですー。やっとこさ修理が終わったとこなのに、何の用」


「3Jは居るか」

「全員ダランガンに降りてますよー。こんな時間なんだから、寝てるんじゃないの」


 それもそうか、いかに3Jと言えど夜は眠るのだ。このあいだ倒れてから、まだそう時間も経っていない。こんな時間に連絡など出来るはずもない。そう考えてウラノスはうなずいた。


「うむ、わかった」

「ああ、そうそう忘れてた。伝言があったんだ」


「伝言だと? 3Jからか」

「機は熟している、後はおまえたち次第だ、以上伝言終わり。わかった?」


 ウラノスは暗闇で目を見開いていた。そうか、もはやそのときなのか。


「……了解したと3Jに伝えてくれ」

「はいはーい。それじゃ、今日はもういい?」


「うむ、通話を切れ」

「じゃ、またね。おやすみ」


 再び世界から音が消えた。だがそこに静寂はない。何故ならウラノスの耳の内側で、ドクドクと血流の音がやかましかったからだ。機は熟した。ならば、いまこそ託すのだ。すべてをジュピトルに。

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