地下工場区画
エリア・トルファンは風の都。風の通る道に沿って高層ビルが建ち並び、合間を吹き抜けて行く風が無数の風車を回し続ける。風車は電気を起こし、地下水をくみ上げた。緑あふれる現在の街の様子からは、ここがかつて砂漠に沈みかけていた土地である事を思い出すのは難しい。
東西南北の街の入り口には、門塔と呼ばれる高層ビルが道路をまたいで建つ。その東の門塔、青龍塔の最上階にラオ・タオのオフィスはあった。しかしいま、ラオ・タオは車に乗って北へと向かっている。北の玄武塔、より正しくはその地下区画へと。
「今日は何かあるんですか」
メンテナンスドローンを調整しながら技師は上長にたずねた。上長はちょっと困ったような顔で微笑む。
「会長が来られるそうだ。急に予定が入ったらしい」
「ああ、それでセキュリティのレベルが上がった訳ですね。でもこんな工場区画に何の用なんでしょう」
「さあな。とりあえず、工場の中には入るんじゃないか」
「中ですか」
メンテナンスドローンの調整は終わった。背部の蓋を閉め、再起動させる。技師はしみじみ言った。
「この工場って、何を作ってるんでしょうね」
上長は笑った。
「わからん。俺もここで働いて十年になるが、製品なんて見た事も聞いた事もない。実は製品なんて作ってなくて、チャイナドレスのお姉ちゃんが、わんさか居るんじゃないかって言ってたヤツも居たけどな」
「後宮ですか。それはうらやましいなあ」
技師も笑った。
彼らの仕事は定期的にメンテナンスドローンを調整あるいは修理し、必要なパーツを補充するだけ。ドローンは自動で調整受付までやって来るので、工場の中には入らない。ただ、工場の内部にはメンテナンスドローン以外にも機械がある事は知っている。メンテナンスドローンは作業ドローンを日々調整・修理し、作業ドローンは各工程のロボットを操作する。そのロボットが製品を作っているはずなのだが、肝心の製品が何なのかは誰も知らない。それでも給料は高く、労働環境も良かったので、興味本位で工場の中をのぞいてクビになるような馬鹿は、まず居なかった。
ラオ・タオを乗せた車は地下道に入り、坂道を下る。そろそろ玄武塔の真下辺りかと思われる場所に差し掛かると、正面に門扉が見えた。守衛のチェックを受け、門扉が開く。さらに直進。そして建屋の前のロータリーに入り、一箇所しかないドアに横付けする。出迎える者は居ない。人間が誰も居ないのだから当たり前だ。ラオ・タオは運転手と秘書をその場に残し、一人で工場の入り口に向かった。静脈と光彩で認証をパスすると自動ドアが開く。そしてラオ・タオを飲み込み、ドアはまたすべてを拒否するかのように素早く閉じた。
ラオ・タオは暗い廊下を一人で歩く。もちろん他人とすれ違う事などない。たまにすれ違うのは、メンテナンスドローンか作業ドローンだ。しばらく直進し、二度曲がる。工場内の経路は完璧に記憶している。この先に、製造作業全体を一望出来る展望通路があるのだ。
鉛ガラスの展望通路から見下ろす広大な空間。完全に無人化されたフルオートメーション工場。埃一つ舞わない完璧なゼロダスト環境。その中で製造され、さらに完成後もメンテナンスされ続ける物。それは。
「凄いわ。本当に凄い」
女の声がする。
「いつ見ても壮観だね」
男の声がする。
ラオ・タオはそれを自分に対する賞賛と受け取った。自慢げな顔で、隣に立つ風船人形のような二人を見つめて言った。
「凄いだろ。この規模の原子爆弾製造工場を保有するのは、世界中でもエリア・トルファンだけさ」
彼らの足の下を流れる製造ラインで組み立てられるのは、爆縮式ウラン型原爆。もちろん可能なら水爆を製造したかったところなのだが、それは神魔大戦でロストテクノロジーとなってしまった。プルトニウム型を選ばなかったのは、濃縮施設を地下に建造するのが難しかったためである。
ウラン型原爆は大量生産には向かない。だが数はあまり必要ではないのだ。この時代においては、抑止力なら一発あれば十分。それ以上の事を考えるにしても、仮に一年に一発製造出来れば充分なペースと言える。ただし。
核兵器は、ただ持っているだけでは抑止力にならない。本当に持っている、しかも使えるのだというところを世界に見せつけなくては意味がない。それをして初めて抑止力たり得る。そのための、いわばお披露目の場が必要だった。だが単に見せつけるだけでは物足りない。それによって世界の中でエリア・トルファンの地位が高まらねば値打ちがないし、さらには競争相手を衰退させる痛烈な一撃になれば最良と言える。
もう数は十二分に揃った。半分くらい使っても、大勢に影響はないはずだ。デルファイを吹き飛ばし、壁の内側を更地にしてやる。そうなれば、もうウラノスとて崑崙財団に楯突こうとはしないだろう。オリンポス財閥も終わりだ。
「ママ、パパ、見ていて。もうすぐ世界一だ。世界一になれるんだよ」
ラオ・タオの満面の笑顔に、手をつないだ風船人形の二人は、まん丸い目でうなずいた。
コール音が続く。アクセスナンバーは間違っていない。何も映らないモニターの前で、マヤウェル・マルソはじっと待っていた。待つのは苦手ではない。得意と言ってもいい。いままで根比べで負けた事などないのだ。
二十数回のコール音の後、音声回線だけが開いた。また勝った。マヤウェルの口元が緩む。
「……どちら様でしょうか」
男の声が聞こえた。マヤウェルは落ち着いた口調でこう言う。
「こちらの情報はすでにお持ちではないのですか、ジョセフ・クルーガー。それともビッグボスと言った方がよろしい?」
数秒の沈黙の後、映像回線が開いた。ストライプのシャツを着た白髪頭の六十代くらいの男。背後の窓の向こうに広がるのは、夕暮れの穀倉地帯の風景。テロ組織ブラック・ゴッズのビッグボスは、優しげな笑顔と丁寧な口調で返事をした。
「エリア・アマゾンのマヤウェル・マルソさんですね」
「マヤウェルで結構」
「ではマヤウェル、Dの民のあなたが、私にいったい何の用ですか」
「単刀直入に言えば、金星教団と接触を持ちたいのです」
ビッグボスは意外そうな顔をした。
「金星教団なら、アマゾンにも支部があるはずですが」
「その支部では話にならないので、あなたに連絡しました。金星教団のトップと話がしたい。是非仲介を」
「仲介しろと言われて、仲介すると思いますか」
苦笑しながら首を振るビッグボスに対し、マヤウェルは用意してあったデータをモニターに表示した。
「これは?」
ビッグボスの眉が寄る。マヤウェルは微笑んだ。
「あなた方ブラック・ゴッズと、オリンポス財閥の『誰かさん』との取引記録の一部です。もちろん、こんな物が漏洩しても、あなた方にはたいした痛手ではないでしょう。でも武器の購入ルートが一つ潰れるのは、後々面倒な事になるのでは」
「これを取引材料にすると言うのですか」
「まさか。これだけではないですよ」
「ほう、他に何があると」
マヤウェルの楽しそうに見える顔。いや、実際に楽しいのだ。この緊張感にワクワクしていた。一呼吸置いて、彼女は言った。
「エリア・トルファンが造っている原爆の設計図が欲しくはないですか」
これには、さすがのビッグボスも目を剥いた。しばらく言葉が出てこない。
「……いま持っていると」
「いいえ」しかしマヤウェルは首を振る。「まだ持ってはいません。でも近々手に入れる事になるでしょう」
「それを我々に? 正気ですか」
「もちろん正気ですよ。第一に、図面だけでは原爆は造れない。第二に、イ=ルグ=ルが復活してしまったら、原爆の一発や二発では何も変わらない。イ=ルグ=ルが目覚めるのは本当なのか、我々は何としても確かめねばなりません。そのためなら原爆の情報をあなた方に与えるのも、やぶさかではないのです」
ビッグボスは考え込んでいる。そして。
「向こうにも都合があります。仲介出来るとは断言出来ませんが」
難しい顔のままそう言った。マヤウェルはうなずく。
「まず当たってみてください。お願いします」
「では三日以内にご連絡を差し上げましょう」
「はい、良いご返事をお待ちしております」
マヤウェルの言葉を最後まで聞いて、ビッグボスは通話を切った。ヴェヌとオーシャンとは数日前から連絡がつかない。仲介など出来ようはずもない。だが、原爆の図面は欲しい。無論、罠の可能性もないとは言えないのだが、この提案はあまりにも魅力的過ぎた。
「何か手を考えねばな」
ビッグボスは立ち上がった。窓に見えていた夕暮れの穀倉地帯の風景が消える。映像だったのだ。その窓があるのも壁ではない。横から見れば薄い板。つまりはモニターのカメラに映る範囲内だけの、部屋を模したセットである。
ビッグボスがセットから離れると、その後ろに数人の人影が続いた。目的のためなら殺人も厭わぬ目をした屈強な男たちが。それはまるで葬送の列。後に残るは死と破壊のみ。




