大三閥
直系十センチほどの、真ん中に穴の空いた半透明の円盤。表面はゴツゴツしている。リキキマは端っこをつまんで、ピラピラと振って見せた。
「これがヌ=ルマナの狙いだった、て事か?」
迷宮の応接室。3Jの座る椅子の前にあるテーブルに、執事のハイムが紅茶の入ったカップを静かに置く。
「ヤツが俺の首以外に望む物があるとするなら、それしか考えられない」
顔の布を外し、紅茶を一気に飲み干す。本当にジュピトル・ジュピトリスと同じ顔だな、と思いながらリキキマは二枚の思念結晶を指にはめた。
「こんな物、何に使うんだ」
「不明だ」
「てか、そもそも論なんだが、思念結晶が必要ならイ=ルグ=ルが作ればいいだろ。奪いに来る理由がわからん」
「それも不明だ」
しばしの沈黙。それを破ったのは、ハイムの控えめな声。
「たとえば、でございますが」
二人の視線を受け、ハイムは少し緊張した面持ちで話した。
「タコは足を切断しても、また生えて参ります。しかし足を生やす能力があるからといって、足を二十本も三十本も生やすタコは、滅多に居ないはずです」
「……だから?」
リキキマにはいまひとつ理解出来ないようだが、3Jは思い当たったかのようにうなずいた。
「何らかの内的な制約がある可能性、か」
ハイムは言う。
「地球上の生物のように遺伝子に刻まれているかはわかりませんが、神の能力にも約束事はあるのでしょう。無制限に何でも出来る訳ではないのでは」
「思念結晶は三つ以上作れないのかも知れない」
3Jの言葉にハイムもうなずく。
「もしそうならば、思念結晶は一つ破壊されました。つまりイ=ルグ=ルは一つ思念結晶を作る事ができます。すでに作っているかも知れません」
「三つ揃えるためには、他の二つを奪うか破壊する必要がある訳だな」
「左様でございます」
「……で?」
リキキマは頬杖をつきながら、また問うた。
「三つ揃えたら、何がどうなるんだよ。願いでも叶うのか」
3Jは小さくため息をついた。
「それがわかれば苦労はない」
ネットワークの中はいま、大騒ぎになっていた。ハンドルネーム『スケアクロウ』が投稿した動画が、物凄い勢いで拡散されているのだ。
映っているのは金色のサイボーグらしき人物。そして、樹の化け物とクモの化け物。他にも何人か居るようだ。それらが戦っている様子が高感度カメラで撮影されているのだが、まずこれが本物の映像かどうかが問題になった。
「こんなもん、どう考えてもCGだろ」
最初はそういう声が大きかった。だが映像の中に見える場所がエリア・エージャンの中に実在する事が特定され、しかもその場所では建物が蒸発したり、大量の植物が繁茂していたり、さらには化け物の目撃証言もあった事、それらの事件が起きたのが昨日の夜だった事が判明すると、CG説は段々と小さくなって行った。いかに技術が発達しているとはいえ、ここまで精巧なCGを一晩で作成するのは、誰の目にも不可能に思えたからだ。
だがこの映像が本物だとすると、この戦っている化け物たちは何なんだ。次に大きな声となったのが、この疑問である。
着ぐるみ、ロボット、どこかのエリアが開発した新兵器、そういった意見がグルリと一回りした頃に、誰かが言った。
「デルファイの魔人じゃないのか」
デルファイという地域がある事はみな知っている。入ったら二度と出られないと言われていて、それにまつわる怪談や都市伝説も聞いた事がある。本当かどうか知らないが――こういう注釈が付く場合には、たいてい本当だとは思われていない――デルファイの中には魔人と呼ばれる化け物が暮らしている事も、話には聞いていた。しかしその魔人が外に出て来る可能性など、誰も真面目に考えた事すらなかったのだ。
しかしこうなると面白い物で、どこから捜し出してくるのか、デルファイの生まれた経緯や魔人について、詳細な情報を張り付ける者が現われる。それもコピーされてネットワーク上のあちこちに拡散された。デルファイの四魔人は一気にトレンドとなり、それが壁のこちら側に出て来る恐怖が声高に叫ばれるようになった。
同時に、別の疑問が持ち上がる。この大元の映像を投稿した、スケアクロウとは何者なのか。何故こんな映像を持っているのか。大手メディアも注目する。そうなると、訳知り顔の連中が雲霞の如く湧いて出て来る。そして世間は知る事になる。スケアクロウがイ=ルグ=ル復活への警告を流し続けて来た事を。
そのタイミングを見計らっていたかのように……いや、明らかに見計らっていたのだろう、スケアクロウはイ=ルグ=ルとデルファイの魔人についてのストーリーを投稿した。曰く、デルファイの四魔人はイ=ルグ=ルの天敵であり、彼らの戦う相手こそイ=ルグ=ルの使徒であると。
これは世界的なセンセーションとなった。無論、どうせまたホラ話だと笑った者も居た。ネットワークに長く居着く習慣を持つ者ほど、そんな態度を取る傾向にあった。だがそんな冷笑的な声は、あっという間にパニックに陥った世間には届かない。人々は恐れた。イ=ルグ=ルを。四魔人を。そして叫んだ。異形の者はすべて敵だ。すべて葬り去るべしと。
世界政府大統領、ジェイソン・クロンダイクはエリア・レイクス出身の五十五歳。いかにも北米人らしい大きなガタイになでつけた金髪、豊かな口ひげに葉巻を加え、高級スーツに身を包んでいた。だが性格は見た目ほどマッチョではない。良く言えば気配りの人である。いま世界政府の置かれている状況を考えれば、理想的な人物と言えなくもなかった。
その執務室には丸テーブルがあり、大統領以外に三人が座って見えた。しかし本物ではない。うっすら向こう側が透けて見える。ホログラムである。
「それで、急な用件とは何かね、ジェイソン」
大統領の向かって右側に座る細身の東洋人の男は六十代後半といったところか。ワイシャツにベスト、アスコットタイの姿。こじゃれた若々しさがあった。しかし目は鋭い。エリア・トルファンの『崑崙財団』を率いる、ラオ・タオである。
「あ、ああ、その事なんだがね」
もしかしてラオ・タオの事が苦手なのか、少し動揺した口調でジェイソンが話し出そうとしたとき。
「例の映像の話じゃないんですか」
大統領の真正面に座る黒髪の女性、マヤウェル・マルソが気軽な口調で話しかけた。まだ二十歳そこそこの若さでエリア・アマゾンの『賢明なる十二家族』を統率する才媛である。何の特徴もない地味なスーツにループタイ姿だが、コーカソイドとインディオの双方にルーツを持つのであろう顔立ちには華があった。小さな丸眼鏡が親しみやすさを感じさせるものの、一部では『南米の女王』の異名を持つ。簡単に近づける相手ではない。
「そ、そうなんだ、その例の映像について話したいと思ってね」
大統領は彼女も苦手なのか、いささか動揺しているようにも見える。
「その映像とは何だ」
大統領の、向かって左側に座る、見上げるほどの巨躯が苛立たしげに言う。まばらなザンバラ髪を後ろに長し、土気色の肌に鋭い眼をしたガウン姿の老人。エリア・エージャンのオリンポス財閥総帥、ウラノス・ジュピトリスである。
「いや、それが、その、何と言うか」
どうやらジェイソン大統領は全員苦手らしい。まあ無理はない。崑崙財団、賢明なる十二家族、オリンポス財閥、この三つのグループで全世界の冨の八割を支配する。世界を動かす『大三閥』と呼ばれる彼らは、事実上いまの世界の支配者である。もちろん各エリアには行政機関が存在し、その長は選挙によって選ばれている。しかし世界中のどんな政治家より、そう、世界政府大統領よりも巨大な権力を握っているのが、この三人なのだ。
大三閥のリーダーと大統領が揃うこの円卓会議は、あくまで大統領の私的な諮問機関であり、法的な決定権はない。しかしそれが単なる手続き上の問題でしかない事は、誰でも知っていた。
大統領の秘書がモニターを操作する。いま三人の実際のデスクのモニターに、同時に映像が流れているはずだ。しかし表情を変える者は誰も居ない。
「えー、どうだろう。これは本物、だろうか」
おずおずと大統領が切り出すと、ウラノスが即答した。
「本物だろうな」
「えっ、じゃあ、本当にデルファイの魔人……」
「ダラニ・ダラとウッドマン・ジャックだ」
ラオとマヤウェルの表情が少し動いた。大統領は慌てている。
「いやいやいや、そんな簡単に言わんでくれ。これが事実なら大変な事だぞ、ウラノス翁」
「大変であろうとなかろうと、事実は動かん」
泰然としているウラノスに、マヤウェルがたずねた。
「この場所、エリア・エージャンだと特定されていますけど、ご存じでした?」
「そこまでは知らん。が、化け物を見たという報告がセキュリティにあったのは聞いている」
「おいおいウラノス、それは失態ではないのかね。何故世界政府に報告しなかった」
からかうように笑うラオに、ウラノスはフンと鼻を鳴らした。
「強化人間にサイボーグ、いまどき化け物など珍しくもない」
「そんな化け物を見慣れた人々が驚くほどの化け物が出た、という事では」
マヤウェルのその言葉に、ウラノスは鋭い視線を送った。
「確かに。結果的にはそうなるな」
ラオはその顔に微笑みを浮かべた。
「まあ、いまは責任の所在を問うている場合ではない。どうするかを決めるべきだろう」
するとウラノスは、意外そうな顔を見せた。
「はて、どうする、とは」
ラオは微笑みを崩す事なくこう答えた。
「四魔人は外に出てこない事を前提に、デルファイで飼われていた連中だ。それが出て来たというのなら、対処せざるを得ないだろう」
大統領は、不安げな顔でラオをのぞき込むように見つめた。
「対処、とは、やはり逮捕とかそういう事かね」
しかしラオは、それをあざ笑うかのように満面の笑顔で首を振った。
「いいや、殲滅だ」




