殺意の理由
グレート・オリンポスの最上階は三百三階。そこから上のペントハウスは、総帥ウラノスのプライベートスペースである。階段は通じていない。三百三階の奥にある、特別保安区域から直通のエレベーターに乗らねばならないのだ。
この特別保安区域に入るには、ウラノスの個人的承認が要る。別電源・別システムで稼働しているため、建物の全セキュリティシステムが解除されても、ここには入れない。しかしオーシャン・ターンには関係がなかった。入れないなら、無理矢理入るだけだ。
だが、オーシャンたちは特別保安区域に入れないでいた。いや、それ以前に階段から三百三階のフロアに入れない。警備ドローンが居るために。
もちろん、警備ドローン一体一体など物の数ではない。武装と言えば軽機関銃程度の内蔵銃と、スタンガンと催涙ガス。アシュラのスピードにはついて来れない機動力に、ライフル弾で貫通する装甲。そんな物が二体や三体あったところで、たいした脅威とは言えない。だがそれが数十体で廊下を埋め尽くしていれば、これはいささか厄介だ。
おそらくジュピトル・ジュピトリスの仕業だろう。館内の使える警備ドローンを、すべてこのフロアに集結させたに違いない。軽機関銃でもマトモに当たれば人は死ぬ。スタンガンも催涙ガスも、この数が一斉に使えば相当な力となる。アシュラのスピードがあっても、すべてをかわせるとは限らない。真正面から突っ込むのは、ただの間抜けだ。
「ねえ」
東洋人の女、ミミは腹立たしげにたずねた。
「こんな単純な戦法に手こずる訳え?」
オーシャンは気を悪くした顔も見せずに、こう言った。
「地雷という兵器を知っているか」
「知ってるわよお、地雷くらい」
「戦争の勝敗とは、いかに単純な戦法を、どれだけ効果的に運用できるかで決まる。知謀の限りを尽くした計略など、運任せの博打に過ぎない。人間心理の裏をついた高度な作戦を電撃的に実行したところで、そこに地雷が一つ埋まっているだけで失敗するかも知れない。確実に爆発する一つの地雷は、百人の軍師に勝るのだ」
「……つまりい、どうしようもないって事お?」
いまひとつ理解出来ないミミに、オーシャンはニヤリと笑った。
「それがそうでもない」
そしてナイトウォーカーを見る。
「廊下の突き当たりにガラス窓がある。探知されずに破れるか」
「可能だ」
ナイトウォーカーはうなずき、その身を闇に溶かした。廊下には照明が点いているが、床にはドローンたちの影がある。その影から影に移動すると、ナイトウォーカーは廊下の突き当たりに到達、強化ガラスの窓を拳の一撃で破った。廊下に風が吹き荒れる。
ナイトウォーカーが戻ってくると、オーシャンはベストに引っかけてあった手榴弾を三つ手にした。
「これを投げたら非常扉を閉めろ。いいな」
仲間の返事を待つ事なく、三つの手榴弾のピンを同時に抜き、三秒空けずにすぐ投げ入れた。非常扉が閉じられる。
「扉を押さえろ!」
全員で扉を押さえると、中で轟く爆発音。扉を叩く衝撃。数秒待って、扉を開けると、廊下には数体の警備ドローンが倒れているのみ。他は爆風の圧力で、窓の外に飛び出してしまったようだ。
「行くぞ」
先頭を切って進むオーシャンに、ミミは瞳を輝かせる。
「いやーん、カッコイイ」
それを見てジージョがため息をついた。
「おいおい、ヴェヌを怒らせるんじゃねえぞ」
「うっさいガキ」
ミミは、べーっと舌を出した。
三百三階の奥、特別保安区域の入り口は、鋼鉄製の扉に守られていた。手榴弾くらいではビクともしそうにない。だが、オーシャンたちに問題はまったくなかった。彼らには『壁抜け』ジージョが居るからである。
サスペンダーで半ズボンを吊る太っちょの男の子は、鋼鉄の扉などに臆することはない。
「ほんじゃ、抜けるよ」
と、まるでカーテンをくぐるかのように、簡単に扉の中に潜って行く。そして一度全身を潜らせてから、右手だけをこちら側に見せた。その手をアシュラがつかみ、その後ナイトウォーカー、ミミ、オーシャンの順に手をつないだ。そして四人は、一気に鋼鉄の扉を通り抜ける。
エレベーターでペントハウスに上がった五人を待ち受けていたのは、静寂。物音一つしない、ほんのり明るい空間。
「……待ち伏せをしているかと思ったのだが」
ナイトウォーカーは不審げに周囲を見回す。オーシャンは平然と進む。
「待ち伏せるなら、ここではない。背後からの攻撃を考慮しなくて済む、一番奥だ」
「わっかんねえなあ」
それはジージョのつぶやき。オーシャンは振り返らずにたずねた。
「何がわからない」
「だってアイツら、攻撃衛星持ってんじゃん。直接攻撃して来りゃいいのに」
ミミが笑う。
「へえ、アンタ攻撃されたいんだあ。変態ね」
「そういう意味じゃねえし」
「ジュピトル・ジュピトリスは、我々をレーザーで蒸発させたりはしない」
オーシャンは淡々と話す。
「それどころか、あれは我々を殺そうとすらしないだろう。だからこそ、脅威なのだ」
しかしジージョは納得しない。
「それもよくわかんねえ。結局、ちょっと頭がいいだけの根性なしだろ? 何が脅威なのさ」
オーシャンは小さく口元を歪める。
「問題が起きたときに、相手を殺さず解決しようとする場合、必要な物は何かわかるか」
「何って……法律とか?」
「そう、ルールだ。ルールがあれば、理屈の上では人を殺さなくても問題が解決出来る。だがそのルールが機能するには、前提条件が必要だ。わかるか」
「うう……そういうの、わかんねえ」
ジージョは頭をグシャグシャとかき回した。オーシャンは続ける。
「簡単な話だ。人間がルールを守る事が前提になる。人間はルールを守れるものだ、そういう前提が成り立たなければ、法律も契約も条約も存在意義を失う。だが現実にはどうだ。人間はルールを完璧に守れているか。いや、守れていない。人はルールを守れないのだ」
オーシャンの言葉に怒気が含まれたように思えた。
「ならばどうする。人がルールを守る社会を作るためには何が必要だ。そこで二つの道が考え出された。一つは人間よりも公正で強大な力の存在によって、進むべき道から外れないように矯正する方法」
ナイトウォーカーがつぶやく。
「それが神、か」
オーシャンは小さくうなずく。
「そしてもう一つが、人間を変質させ、ルールを守る存在へと作り替える方法。それをかつて担っていたのが教育だ。しかし人は気付いてしまった。教育には限界がある事に。そこでこう考えるようになった。生まれた後に教育出来ないのなら、生まれる前にルールを守る存在として完成させられないだろうか、と」
「Dの民」
ミミの言葉に、オーシャンはまたうなずく。
「Dの民が生まれた直接的な原因は神魔大戦だ。だがそこに至るまでの間に、そういう考え方があったのは間違いない。そしてその方法論の究極的な解答が、ジュピトル・ジュピトリスであると言える。すなわち、常にルールを守り品行方正、巨大な権力を与えても間違った使い方をしない、しようともしない。そんな人間が創り出せる技術力を人類は手に入れたのだという主張を証明する……象徴的なアイコンなのだ!」
激情を面に表わし、廊下の壁を殴りつけるオーシャンに、他の四人は息を呑んだ。
「ヤツが、ジュピトル・ジュピトリスが生きている限り、人間はジュピトルのようにあらねばならないという妄想が世を支配する。神の領域に土足で踏み込み、遺伝子を改造する事こそが人類の幸福であると喧伝する者たちが人々の上に立つ。遺伝子改造を受けていない、多くの人々を虐げながら」
オーシャンは一つため息をついた。
「……人類がみなジュピトル・ジュピトリスにはなれない。ジュピトルよりも優れた知能は創り出せるかも知れない。だが、いまのジュピトルがあるのは、ただの偶然だ。結果的にそうなったに過ぎない。なのに人は成功体験にすがろうとする。必ず第二、第三のジュピトルが創り出せると信じ込み、そこにこそ価値があると主張するのだ。ヤツが生きている限り」
そしてオーシャンは振り返ると、小さく笑った。
「ジュピトル・ジュピトリスは善良な存在だ。だからこそ危険なのだ。殺さねばならない」
ペントハウスの一番奥、ウラノスの寝室にジュピトルは居た。
「申し訳ありません、お祖父様」
「おまえが謝る事ではない」
ベッドに横たわるウラノスには、動揺はないように見える。この寝室はシェルターになっており、仮に万が一、グレート・オリンポスが崩壊しても、この寝室だけは潰れない――中に居る人間がどうなるかは別として――構造となっていた。立てこもるには最適な場所だ。
「ナーギニー、いまどうなってる」
ジュピトルの声に、千里眼を持つ褐色の肌の少女は、緊張した面持ちを見せた。
「まっすぐこちらに近付いています。もう五分とかからないかも」
双子の兄は悔しそうに歯を食いしばる。
「すみません、我らにもう少し力があれば」
「それこそ、君が謝る事じゃないよ」
ジュピトルは微笑むと、床でストレッチをする老人へ目を向けた。
「頼むね、ムサシ」
「さあ、頼まれても今回ばかりはどうなるか」
「難しそう?」
「とりあえず、あの戦闘用サイボーグだけでイロイロお釣りが来る。捕まえるなんて事は、まず無理じゃ。殺す覚悟はせねばならんぞ」
「でも」
顔を曇らせるジュピトルにムサシは言う。
「おまえさんに覚悟がなければ、『血の日曜日』の二の舞じゃよ。ナーガもナーギニーも無駄死にする。それをあえて選ぶというのなら、もう仕方ないが」
「……僕はやっぱり、間抜けで迂闊なんだろうか」
「3Jならそう言うじゃろう。現段階ではな」
そう言って歯を見せると、「さてと」と立ち上がった。
「それでは派手にぶちかますかのう」
だがそこに、ナーギニーの声が。
「待ってください」
「どうした?」
一同の目がナーギニーに集まる。
「……何か変な感じになってます」
「変な感じ?」
いまこの状況でなり得る、変な感じってどんな感じだろう。そんな間抜けな事を、ジュピトルは考えていた。




