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案山子の帝王  作者: 柚緒駆
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光の鉄槌

「ほう、所詮耳、か」ハルハンガイは鼻先で笑った。「面白い事を言う人間だ」


「おまえには聞こえる。すべてが聞こえる。力の強さ、大きさ、方向。あらゆるものが『宇宙の耳』によって処理される」


 3Jの抑揚のない言葉に、ハルハンガイは小さな困惑を見せた。


「よくわかっている。そこまでわかっていながら、何故おまえからは『恐怖』が聞こえてこない」

「宇宙の耳は極めて優秀で強大だ。『耳として』ならばな」


「何が言いたい、人間」

「おまえには聞こえる耳がある。だが、鼻が利かない。見通す目もない」


 それは託宣を下すが如き声。


「やれ、パンドラ」


 ハルハンガイには聞こえた。光の音が。これまでにない強大な圧力を伴った、音のない音が聞こえた。パンドラからの高出力ビーム攻撃。その鉄槌が振り下ろされた下にいるのは、ヌ=ルマナ。衝撃と熱が、ハルハンガイの元にまで伝わった。


――ハルハンガイ


 ヌ=ルマナからの思念が届く。


「ヌ=ルマナ! 無事か!」


 しかし気遣うハルハンガイに、ヌ=ルマナの思念はこう告げた。


――違う、狙いはおまえだ


 それを最後まで理解出来たかどうか。ハルハンガイの両足をズマがつかんでいた。引き剥がすのは容易たやすい。その首筋に、音より速い四本の超振動カッターが迫っていなければ。


 左右の両手でジンライの四本の腕を腕をつかむ。その一瞬の判断は、すべてを聞き取る『宇宙の耳』なればこそなせたわざ。ただし、その耳が聞き取っていたのは、それがすべてではない。ジンライのその向こうに、すぐ後ろに、ケレケレの息づかいがある事も聞こえていたのだ。なのに。


 鼻が利かない。見通す目もない。


 ただ聞こえているだけでは、どうしようもなかった。


 ばくん。ケレケレの口が勢いよく閉じられた。ハルハンガイの顔、右半分を囓り取って。ハルハンガイはようやく思い至った。宇宙の目が、宇宙の耳が、人間たちが神とも呼ぶべき存在が二人、ただの人間の手のひらで踊らされていた事に。


「離れろ」


 3Jの言葉と共に、ジンライは3Jとズマを抱えて高速で飛んだ。ケレケレも続く。直後、パンドラのビーム砲が最大出力で放たれた。その真下にいたのはハルハンガイ。黄色い光が地表をえぐる。砂の海が赤い溶岩となって波打ち、上空高くを飛ぶ3Jたちへも熱風が吹き付けた。


 しかし3Jは見た。その赤い灼熱の荒野の中心から、青白い光が龍の如く天空へと昇って行ったのを。


「……この戦力では、やはり倒し切れないか」


「だが時間は稼いだ」ケレケレは感心した口調で言った。「耳はしばらくの間、耳としての機能を果たせまい。とても我一人では、この戦果はなかったろう。なんとも凄まじい男よな、おまえは」


 宇宙の目と耳は、必ずイ=ルグ=ルの眠る地へとやって来る。『銀貨一枚』のマダムの言葉にそれを確信した3Jが、策を練ったのだ。ズマとジンライに倒せれば良し、しかし倒せないだろうという前提で。派手さはないが効果的な、神を倒すのなら他の手段はないだろうと思えるほど的確に。3Jは言った。


「不死身の英雄にも、木の葉一枚分の弱点は必ずある。俺はそこを攻めただけだ」

「その考え方自体が凄まじいと言うておるのだよ」


 ケレケレは呆れてしまった。3Jは空を見上げる。


「ベル、状況は」


 パンドラのインターフェイスは、鈴を転がすような声で楽しそうに返答した。


「そうだね、久しぶりにフルパワーで撃ったから、ビーム砲門のうち二割が機能停止で、三割に何らかのトラブル発生。エンジン周りもちょっとガタついてる感じ。現時点ではそれくらいかな」


「修理にどれくらいかかる」

「そんなの、すぐにはわかんなーい」


「可能な限り急げ」

「ハイハイ。フロート飛ばそうか? 地面下りられないでしょ」


「ああ、頼む」

「了解」


 とりあえず、この場は一旦終わりである。これ以上ここに居ても何もない。ただ。


「問題は、『向こう』か」


 3Jはそうつぶやいた。



 ジュピトルたちは階段を上っていた。エレベーターを使うのは、こういう場合には得策とも思えない。いまは停止していなくても、乗った瞬間に停止する可能性があるからだ。逃げ場がなくなるのは避けたい。かと言って、エスカレーターはどうしても周囲が開けすぎている。身を隠す場所がまるでない。比較的マシなのが階段による移動なのだ。もちろん、どの程度マシなのかは相手によるのだけれど。


 まあそうは言っても、上方向に何十階分も進む訳ではない。元々ジュピトルは高層階の住人である。数階上がれば最上階、ウラノスのペントハウスにまでたどり着く。心情的にはウラノスを巻き込みたくはなかったが、後ろから撃たれるかもしれない状態で敵と戦うほど愚かでもなかった。


 間抜けな自分が迂闊な事をすれば、また無意味な死人が出る。それは何としても避けたいのだ。しかし。


 先頭を進むムサシが振り返った。


「三百階じゃ」


 二百九十九階にはパーティの開かれる展望ホールがある。その上の三百階は、ワンフロアまるまるネプトニスが使っていた。ムサシはこう言いたいのだ。「乗り込むか?」と。だがジュピトルは首を振った。


「とりあえず、最上階を目指そう」


 臆しているのかも知れない。ジュピトルはそう思った。けれど、いまの段階ではまだネプトニスが敵とつながっていると断言出来ない。そもそも、本当に敵が侵入しているのかすら不明なのだ。いったいどんな理由で兄に銃口を向けようと言うのか。


 だがその理由は、すぐに向こうからやって来た。ジュピトルたちが三百階手前の踊り場に近付いたとき、非常扉の向こうから現われた、小銃を持った影が二つ。薄暗い階段のこと、ハッキリと顔が見える訳ではなかったが、シルエットはもう誰が見ても明らかだった。


「兄さん!」

「兄などと呼ぶな」


 ジュピトルの声にネプトニスはそう応じた。


「おまえを弟と思った事はない。おまえは敵だ。ずっと前から敵だった!」


 ネプトニスは小銃を構える。だが撃たない。ネプトニスの後ろに立つ細い影、おそらくはトライデントだろうが、そちらも撃つ様子はない。足止め、時間稼ぎ、そんな言葉がジュピトルの脳裏をよぎる。ならば、やはり敵は侵入している。下から上がってきているのだ。


「兄さんは、自分が誰を招き入れたか理解していますか」

「何だと」


「彼らの目的は、僕じゃありません。このオリンポス財閥そのものです。僕を殺した後、次に殺されるのは間違いなく兄さんでしょう」


 ネプトニスに動揺が走った。


「な、何を馬鹿な!」

「だったら、いま上がって来ている連中のリーダーの名前が言えますか。僕は言えます」


「ほう、それは聞かせてもらいたいな」


 その声を発したのはネプトニスではない。ジュピトルでもない。階段の下、二百九十九階の踊り場に立つ五人の影から聞こえてきた。ジュピトルは見つめた。その先頭に立つ男を。そして3Jから聞いたばかりの名を口にした。


「オーシャン・ターン」


 フッと小さな笑い声。


「我ながら、自分の目の正しさに感心した」オーシャンは言う。「ジュピトル・ジュピトリス、やはりおまえは私たちにとって危険な存在だ。世界にとって危険と言い換えてもいい。ネプトニスなどとは次元が違う」


 けれどジュピトルは、それには答えない。


「アキレス!」


 その声と同時に赤い閃光が走る。戦闘衛星のレーザー砲によってグレート・オリンポスの外壁が破壊された。空いた直径五メートルほどの穴から、戦闘ドローンが三機侵入し、オーシャンたちに銃撃を始めた。


 それを背にジュピトルたちは階段を一気に駆け上がる。混乱したネプトニスは小銃を振り回すものの、トリガーは引けない。


「こ、こらあっ! 来るな、来るなあっ!」


 トライデントにそのつもりがあれば、銃は撃てただろう。だが、このボロボロの状態のネプトニスより前に出る事は(ため)()われた。結果、ジュピトルたちはネプトニスの前を通り過ぎ、さらに上階へと向かう事が出来た。



 アシュラが攻撃ドローン三機を斬り落とすのに三十秒ほど。想定外の時間の消費だったと言える。その間にネプトニスはトライデントに連れられて、非常扉の向こう側に入ってしまった。


「どうする」


 ナイトウォーカーに問われて、オーシャンは見上げた。上に続く階段の、それよりももっと上を見ているような眼差し。


「あれはどうせ何も出来ない。後で殺せ。いまはジュピトルとウラノスだ」

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