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案山子の帝王  作者: 柚緒駆
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認識と正論

 耳の奥が焦げたような感覚。とっさにドラクルは左手を天に向けた。一瞬赤い光に包まれて、周囲に響く轟音と振動。そしてアスファルトの焼けるニオイ。パンドラからのビーム攻撃を防いだのだ。


「ふざけるな」


 ドラクルは唸った。


「こんな人間が居てたまるか!」


 3Jの真上に飛び上がる。これでパンドラからは攻撃出来ない。そう、天空のパンドラからは。それがコンマ数秒の油断を呼ぶ。背後に感じる風圧。思わず振り返ったドラクルの顔面に、唸りを上げたズマの拳の一撃。


 弾き飛ばされたドラクルの視界の中、全身針金のような剛毛に覆われ、口が耳まで裂けたズマがさらに迫る。月光に浮かぶ犬歯。


 ドラクルの背に走る痛み。体の内側から皮膚を突き破って現われたそれは、もう一本の神人の腕。二本の輝く腕はズマを捕まえた。だが覚醒したズマは、それを力尽くで振りほどこうとする。


 ドラクルの胸が再び輝いた。


「まだ……だっ」


 つぶやくドラクルの腹から三本目の神人の腕が現われ、ズマの首を絞めた。


「まだ、食われる、訳には」


 風の中に刃がきらめく。ジンライの超振動カッターは、三本の神人の腕を根元から断ち斬った。だが斬ったと同時に接合する。そして四本目の腕が現われ、ジンライを捕まえた。


「食われは、しな、い」


 五本目の腕は天に向けて伸びた。パンドラからのビームを受ける。だが今度は出力が高い。神人の腕は焼け落ちた。それを六本目、七本目の腕がカバーし、八本目の腕は手のひらをジュピトルに向けた。強烈な思念波動。それをナーガとナーギニーの双子が防ぐ。


「ボクは……ま……だ……」


 ケレケレが口を開けた。思念波動はそこに吸い込まれる。九本目、十本目の腕が現われた。もはや中心のドラクルに原型はない。十五、二十、三十、腕は目的もなく際限なく増えて行く。やがてそれは黄金に輝き、表面に指がうごめく球形となる。3Jはケレケレにたずねた。


「そろそろか」

「そうだな、そろそろいいだろう」


 3Jはジュピトルを振り返り、その手に持った二パックの輸血用血液を見つめる。


「それを投げ捨てろ」


 ジュピトルはうなずき、数メートル前方に投げ捨てた。さっきまでドラクルの姿をしていた神人の腕で出来た球体は、それに意識を向けた。


 3Jの左手の杖、右手で中ほどを握ると、カチリと音がして分離する。中から姿を表わす、抜き身のやいば。仕込み杖である。3Jは跳び、血の入ったビニールパックを切り裂いた。


 流れ出る血液、あふれる鉄のニオイ。金色の球体は動揺したかのように、ズマとジンライを放り出した。3Jは思念結晶を手にし、血の中に浸す。球体は声を上げた。恍惚とするかの如き声を。


 思念結晶は血液を吸収する。音を立てる勢いで。だが最後の一滴まで吸い尽くそうとした瞬間、拾い上げられた。


 手にしているのはケレケレ。それを高く掲げると、黄金の球体を振り返る。


「思念結晶で血を飲むためには、空間をねじ曲げねばならん。ならばねじ曲がりの行き着く先に、おまえが居るという事だ」


 その口元がニッと笑う。


「見つけたぞ、イ=ルグ=ル」


 球体は唸り声を上げ、無数の腕を糸のように伸ばした。ケレケレを包み込もうとする。だがそれをさらに包み込んだのは、ケレケレの巨大な口だった。一口に球体を飲み込むと、慌てて何かをペッと吐き出した。


 ヘリポートに転がる、左腕のない全裸のドラクル。そして半透明の円盤。3Jは思念結晶を拾い上げると、ケレケレの手にした同じ物に近づけてみた。


「二枚揃えたからといって、何かが起きる訳でもないか」


「しかし、これでイ=ルグ=ルが飢えるのは間違いない。兵糧攻めと言うヤツだ」


 ケレケレは満足そうに微笑む。3Jはうなずき、ジュピトルを振り返った。


「おまえは人類をまとめる方法を考えろ」

「えっ? えっ? いきなり?」


「イ=ルグ=ルに時間を与えるメリットはない。覚醒する前に地球の核から引きずり出す」

「いや、それはそうなんだろうけど、そんなすぐにまとまるはずはないよ。そもそも、デルファイだって、そう簡単にはまとまらないんじゃないの」


「デルファイはすぐにまとめる。そう時間はかからない」

「それはどうかな」


 ケレケレがそう言った。


「おまえにも見落としがあるかも知れないぞ。戦いは急ぐべきだが、焦るべきではない」


 にらみつけるような3Jの視線を平然と受け流し、ケレケレは目線を下ろした。


「それと、コイツをどうするか、だ」


 ドラクルは動かない。だが、死んだはずはない。いまは夜。王の時間なのだから。



「見つけちまったようだねえ」


 教会の天井から聞こえてくるダラニ・ダラの声を、クリアは振り仰いだ。


「何かあったの?」

「これからあるんだよ。第二次神魔大戦がね」


 クリアの顔はこわばる。


「この街も戦場になるっていう事?」

「たぶんね」


「逃げる場所は? 子供たちが避難出来るところは?」

「この星の上には、どこにもないさ」


「そんな」

「まあ、どうせいつかは起こる事だ。アタシたちは、最後まで足掻くだけさね」


 そう言うと、ダラニ・ダラは天井の闇の中に溶けていった。



 闇。


 夜の闇より暗い、遠い遠い真の暗闇の中に、蠢く気配があった。


「見える」

「聞こえる」


「イ=ルグ=ルが呼んでいる姿が」

「イ=ルグ=ルが目覚めかけている声が」


「大いなる裁きを下すため」

「大いなるシステムを守るため」


「宇宙の鼻が見つけし悪を」

「宇宙の鼻が見つけし罪を」


「滅ぼすべし」

「滅ぼすべし」


 闇の彼方に小さな光。それは恒星。太陽と呼ばれる星の輝き。目指すはその第三惑星、地球。



 深い霧の中。声が聞こえる。悲しく懐かしく忘れがたい声。どうして、どうしてボクを呼ぶの。そこは地獄かい。死の淵へと招いているのかい。それでもいい。もう一度君と会えるなら。


 ……いや、そんなはずはない。君はボクと会ったりしない。会う必要がない。君はここに居る。ずっとずっとここに居る。ボクは牢獄。ボクこそが、君の牢獄なのだから。そうだろう、ローラ。



 ドラクルは目を開けた。カビ臭い長椅子の上で。


「目を覚ましたようです、お嬢様」


 老人がのぞき込んでいる。どこかで見た記憶があるのだが。天井には大きなシャンデリア。壁には飾り模様が描かれている。古そうだが、あまり趣味が良い感じでもない。


 体に痛みはない。相変わらず左腕はないが、それ以外は異常がない。ただし赤いセーターも黄色いマフラーもない。身につけているのは、ワイシャツとスラックス。


「いつまで寝ている気だ。そろそろ起きろ」


 女の子の声。ドラクルは白い息を吐きながら、身を起こした。燕尾服の老人の向こう側に、見知った顔が。大きなリボンにフリルのドレス。魔人リキキマだ。ドラクルは念じた。だが何も起こらない。


「言っとくが、この迷宮(ラビリンス)の中ではテレポートも空間圧縮も使えないからな」


 冷たい目で見下しながら、リキキマは言う。そして部屋の隅に目をやった。


「こんなヤツ、生かしておいて何になるんだ」


 リキキマの視線の先には、ターバンとマントで身を包んだ、一つ目一本足の男。


「知っている事を、すべて吐かせる必要がある」


 3Jはそう言うが、リキキマは不満顔だ。


「イ=ルグ=ルの居場所はもうわかったんだろ。だったらすぐ引っ張り出せばいいじゃねえか」

「それにつきましてですが、お嬢様」


 老執事が困り顔でたずねる。


「いったい『どこで』イ=ルグ=ルを引っ張り出すおつもりですか」

「……あん?」


 リキキマは意表を突かれた顔をした。執事は言う。


「デルファイの中で引っ張り出せば、この聖域(サンクチュアリ)も戦場となってしまうでしょう。それでお嬢様はよろしいのですか」

「いや、それはだな」


「かと言って、デルファイの外で引っ張り出すというのは、お嬢様がデルファイの外に出るという事でございます。それも考え物ではございませんでしょうか」

「……あん?」


 リキキマは真剣に困った顔をした。執事はリキキマと3Jを見る。


「もしお嬢様がデルファイの壁の向こうに出るのであれば、外の世界の住人に、四魔人が壁から出る事を認めさせる必要がございます。さもなくば、背中から撃たれる危険性がございますでしょう」

「うーん、それもそうか」


 そしてリキキマは首をひねりながら、3Jを見つめた。


「どうするよ、おい」


 3Jは言う。


「イ=ルグ=ルが目覚めれば、デルファイの壁の意味などなくなる。ヤツは差別も区別もする事なく、地上を破壊し尽くすだろう。戦場にならない場所などない」


「ならば、なおの事」執事は力説した。「デルファイの壁の中と外で、認識を共有する必要があるのではありませんか」

「だが認識の共有が出来ない者はどうする。切り捨てるのか」


 3Jの言葉に、執事は笑顔でうなずいた。


「それも一つの方法でございましょう」


 3Jは小さくため息をついた。


「こりゃ驚いた」


 ドラクルは鼻先で笑う。


「まさか天下の3Jが、やり込められるとはね」


 しかし執事は首を振った。


「いいえ、正論を主張し合うのであれば、私などが3J様にかなうはずはございません。ですが、正論だけでは人は動かないのです。3J様は、それをよくご理解されています。あなたとは、そこが違うのですよ」


 ドラクルは無表情に顔をそらした。

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