流星
体を切り刻むメス
麻酔などない
血を抜かれ
血を飲まされた
呪い、祝福、悪魔、奇跡
生と死、虚像と実像
揺れ動き
翻弄され
理由も目的もなく
意味も価値もなく
ただ生きてきた
ただ生かされてきた
あの日まで
金星に邪神が現われたときまで
ああ、ローラ、ローラ、ローラ
それでもボクは良かったんだ
君さえ居れば
君の笑顔さえあれば
けれど君はもう居ない
笑顔も歌声も香りも温もりも
すべて失われた
この体内の小さな鼓動だけを残して
あの男は言った
「おまえは不死のまま死ぬ」
そうは行くものか
ボクは必ずや死を手に入れる
死者として、永遠の時を手に入れるのだ
ローラ、いつか君と共に
セキュリティの戦闘班は全員がサイボーグ。しかし出動した十人中、三人が死亡、五人が負傷。アシュラ一人を抑える事が出来なかった。『プロメテウスの火』の死者は二名。六人が行方不明、五人が逮捕された。結局、死んだのは合計で五人だけ。
グレート・オリンポス上空で、ドラクルは溜息をついた。一応五人分の血は回収したが、この巨大な建物が崩落していれば、数百人規模の死者が出ていたはずだ。それを思えば、ほぼ無駄足と言える。
ドラクルが直接手を下すというやり方もあるのだろうが、3Jが絡むと疲れるばかりで得る物が少ない。いかな夜の王とて、二の足を踏もうというものである。
「今日はもういいかな」
ドラクルがそうつぶやくと、心の中に「勝手になさい」と少女の声が響く。闇に苦笑を残し、真っ赤なセーターと黄色いマフラーは、姿を消した。
檻?
プロミスが目を覚ましたとき、最初に思った事。彼女は大きな鳥籠のような物の中に居た。しかし不思議な材質だ。鉄のような硬さがあり、それでいて痛さも冷たさも感じない。
「目が覚めたかい」
隣にはハーキイが膝を抱えていた。
「……ここは」
その問いにハーキイは困ったような顔を浮かべ、アゴで前方をクイッと指し示した。その方向には。
椅子に座る少女。黒いフリルのドレスを着て、頭に大きなリボンをつけた、ピンクの髪の。見るからに可憐だが、そのあからさまに不満げな、こちらを見下す表情が、すべてをぶち壊している。
少女はプロミスの背後に視線をやった。
「ケガはしてないみたいだぞ」
「そのようだな」
背後から聞こえる、抑揚のない声。振り返ると、ターバンとマントで身を包んだ、一本足の男が椅子に腰掛けていた。少女は言う。
「面倒臭いから、もう片付けていいか」
「おまえがいいのなら、俺は構わん」
その言葉が聞こえるやいなや、プロミスを取り囲む鳥籠は溶けて上に流れ、一本の紐状となったかと思うと、少女のドレスの中に吸い込まれた。
唖然とするプロミスに、いつの間に隣に立っていたのか、燕尾服を着た老人が、固く絞った温かい濡れタオルを手渡す。
「どうぞ、お使いください」
「ここは、いったい」
受け取りながら問うプロミスに、老人は笑顔で答えた。
「ここはデルファイの聖域、リキキマ様の迷宮でございます」
一瞬呆気に取られ、そしてプロミスの目は見開かれる。
「デルファイ……! そんな!」
「そんな馬鹿な? それともそんな酷い、か?」少女、魔人リキキマは面倒臭そうに言う。「まあどっちにせよ、おまえらが二度と外の世界に出られないのは決定事項だ。あきらめろ」
そんなリキキマを横目に見ながら、ハーキイは考えていた。ここから逃げるにはどうしたらいい。武器はない。だが自分の腕力がある。この少女が魔人リキキマなら、さすがに太刀打ち出来ないだろうが、3Jならどうだ。幸いここにはジンライもズマも姿が見えない。3J一人なら人質にするくらいは。ハーキイの目が3Jを一瞬見つめた。
「やめておけ」
すべてを見通しているかのように、3Jはつぶやいた。
「この部屋の中では、おまえたちの常識は通じない」
「何だ、3Jを人質にでもするつもりか。面白いじゃねえか、やってみろ」
リキキマは、けしかけるように言う。
「お嬢様、それは少々無責任に過ぎるのではございませんか」
老執事が苦言を呈する。と、そのとき。ハーキイは電光石火の速度で立ち上がった。そして執事の首に手を回す。
「動くな! こいつの首をへし折るよ!」
しかし、リキキマはニヤニヤ笑っている。3Jからは、ため息が漏れた。
「常識は通じんと言ったはずだ」
執事は静かにハーキイの腕に片手をかける。
「お客様」
ハーキイの豪腕が悲鳴を上げた。握る執事の指が食い込んでいるのだ。
「大変に申し訳ございませんが、私めにも仕事がございますので、お相手を致す事はご勘弁願います」
老執事は、まるで肩の埃でも払うかのように楽々とハーキイの腕を外すと、壊れ物を扱うかの如く丁寧に放した。ハーキイは腕を押さえてしゃがみ込んでしまう。
「何だよ、この程度でショック受けるのかよ。そんなんじゃ聖域で生きてけねえぞ」
リキキマの言葉にハーキイは絶望的な顔を上げる。魔人は困ったように頭を抱えた。
「おい3J、どうすんだこいつら」
「おまえに任せる」
「はあ? 任せるって、どういうこったよ」
「聖域はおまえの支配領域だ。煮て食おうと焼いて食おうと、好きにすればいい。俺は口出しをするつもりはない」
「わざわざここまで連れて来て、それはねえだろ」
「外の世界で死なれては困る。だからここに連れてきた。後の事はおまえの領分だ。自由にしろ」
リキキマは困惑した顔で3Jをにらみつける。
「おめえは本当にイヤな野郎だな」
「そうか」
3Jはそう言って、しばし何かを考えると、こう付け加えた。
「『銀貨一枚』のマダムに頼んでもらえると助かる」
その一言に、どっと疲れたという顔でリキキマはため息をついた。
「おめえは本当にどうしようもねえなあ」
「そうか」
「そうだよ。おいハイム」リキキマは老執事に命じた。「こいつらを『銀貨一枚』に連れて行ってやれ。何かあったら3Jが責任取るって言ってな」
「かしこまりました」
ハイムは一礼すると、プロミスとハーキイの二人を促した。
「では、早速参りましょうか」
二人は顔を見合わせた。しかし、反抗も抵抗も出来る様子はない。いまは黙って従うしかないだろう。
「我が神にして我が主、そして我が夫たるイ=ルグ=ルよ」
白い髪の少女、ヴェヌは祈る。闇の中で目を閉じて祈る。
「感じます。あなたの力が満ちるのを。目覚めの刻が近付いているのを。もっと血をお望みですね。すぐに次の策を講じましょう」
だがその目が見開かれた。暗闇の中で顔を上げる。そこによぎる不安。
「いかがなされました」
ヴェヌは感じていた。暗黒の波動の揺らぎを。動揺している。イ=ルグ=ルが震えている。
「どうなさったのです、わが主よ。いったい何が……」
その脳裏によぎった言葉。ヴェヌは困惑の表情を浮かべた。
「口、ですか」
星が流れた。それは一瞬の輝きを放ち……いや、その輝きは消えなかった。流星ではない、火球か。だが、『それ』は成層圏を突破し、地上へと到達、エリア・エージャンにほど近い荒野の真ん中に、小規模なクレーターを作ってようやく停止した。
オゾン臭が立ちこめる穴の中心部、何かが動く。闇を見通す視力があれば、驚愕したかも知れない。そこに立っていたのは子供。五、六歳の、おかっぱ頭の全裸の子供。それ以外に外見的特徴を探すなら、やや口が大きいという事くらいか。
その口が、つぶやいた。
「ここが、地球か」
デルファイの聖域。繁華街の外れに、その店はあった。バー『銀貨一枚』。今夜も酒を求めて常連客がやって来る。
「あら、いらっしゃい」
皆が『マダム』と呼ぶ女主人は、豊満な肉体のラインを隠すどころか強調する、薄手のドレスに長い髪、大粒の真珠のネックレス、手の指には大きな宝石の指輪をいくつもはめ、派手な化粧に香水を振りまいて、そしていつものようにヘビを思わせる目で客を迎えた。
しかし今夜は様子が違う。マダムの様子はいつも通りだが、店の空気が少し違う。何故ならカウンターの中に、若い女が二人立っているからだ。戸惑う客に、マダムは笑う。
「ああこの子たち? 今日からここで働く事になったの。よろしくね。あ、でもいじめちゃダメ。ナンパもダメ。リキキマ様と3Jの肝いりだから。殺されちゃうわよ」
岩のような巨体をした、全身入れ墨だらけ生傷だらけのサイボーグや強化人間たちが、マダムの笑い声に顔を引きつらせる。それを見ながらプロミスとハーキイは痛感した。とんでもない場所に連れて来られてしまったと。




