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案山子の帝王  作者: 柚緒駆
30/132

流星

 体を切り刻むメス

 麻酔などない


 血を抜かれ

 血を飲まされた


 呪い、祝福、悪魔、奇跡

 生と死、虚像と実像


 揺れ動き

 翻弄され


 理由も目的もなく

 意味も価値もなく


 ただ生きてきた

 ただ生かされてきた


 あの日まで

 金星に邪神が現われたときまで


 ああ、ローラ、ローラ、ローラ

 それでもボクは良かったんだ


 君さえ居れば

 君の笑顔さえあれば


 けれど君はもう居ない

 笑顔も歌声も香りも温もりも


 すべて失われた

 この体内の小さな鼓動だけを残して


 あの男は言った

「おまえは不死のまま死ぬ」


 そうは行くものか

 ボクは必ずや死を手に入れる


 死者として、永遠の時を手に入れるのだ

 ローラ、いつか君と共に



 セキュリティの戦闘班は全員がサイボーグ。しかし出動した十人中、三人が死亡、五人が負傷。アシュラ一人を抑える事が出来なかった。『プロメテウスの火』の死者は二名。六人が行方不明、五人が逮捕された。結局、死んだのは合計で五人だけ。


 グレート・オリンポス上空で、ドラクルは溜息をついた。一応五人分の血は回収したが、この巨大な建物が崩落していれば、数百人規模の死者が出ていたはずだ。それを思えば、ほぼ無駄足と言える。


 ドラクルが直接手を下すというやり方もあるのだろうが、3Jが絡むと疲れるばかりで得る物が少ない。いかな夜の王とて、二の足を踏もうというものである。


「今日はもういいかな」


 ドラクルがそうつぶやくと、心の中に「勝手になさい」と少女の声が響く。闇に苦笑を残し、真っ赤なセーターと黄色いマフラーは、姿を消した。



 おり


 プロミスが目を覚ましたとき、最初に思った事。彼女は大きな鳥籠のような物の中に居た。しかし不思議な材質だ。鉄のような硬さがあり、それでいて痛さも冷たさも感じない。


「目が覚めたかい」


 隣にはハーキイが膝を抱えていた。


「……ここは」


 その問いにハーキイは困ったような顔を浮かべ、アゴで前方をクイッと指し示した。その方向には。


 椅子に座る少女。黒いフリルのドレスを着て、頭に大きなリボンをつけた、ピンクの髪の。見るからに可憐だが、そのあからさまに不満げな、こちらを見下す表情が、すべてをぶち壊している。


 少女はプロミスの背後に視線をやった。


「ケガはしてないみたいだぞ」

「そのようだな」


 背後から聞こえる、抑揚のない声。振り返ると、ターバンとマントで身を包んだ、一本足の男が椅子に腰掛けていた。少女は言う。


「面倒臭いから、もう片付けていいか」

「おまえがいいのなら、俺は構わん」


 その言葉が聞こえるやいなや、プロミスを取り囲む鳥籠は溶けて上に流れ、一本の紐状となったかと思うと、少女のドレスの中に吸い込まれた。


 唖然とするプロミスに、いつの間に隣に立っていたのか、燕尾服を着た老人が、固く絞った温かい濡れタオルを手渡す。


「どうぞ、お使いください」

「ここは、いったい」


 受け取りながら問うプロミスに、老人は笑顔で答えた。


「ここはデルファイの聖域(サンクチュアリ)、リキキマ様の迷宮(ラビリンス)でございます」


 一瞬呆気に取られ、そしてプロミスの目は見開かれる。


「デルファイ……! そんな!」

「そんな馬鹿な? それともそんな酷い、か?」少女、魔人リキキマは面倒臭そうに言う。「まあどっちにせよ、おまえらが二度と外の世界に出られないのは決定事項だ。あきらめろ」


 そんなリキキマを横目に見ながら、ハーキイは考えていた。ここから逃げるにはどうしたらいい。武器はない。だが自分の腕力がある。この少女が魔人リキキマなら、さすがに太刀打ち出来ないだろうが、3Jならどうだ。幸いここにはジンライもズマも姿が見えない。3J一人なら人質にするくらいは。ハーキイの目が3Jを一瞬見つめた。


「やめておけ」


 すべてを見通しているかのように、3Jはつぶやいた。


「この部屋の中では、おまえたちの常識は通じない」

「何だ、3Jを人質にでもするつもりか。面白いじゃねえか、やってみろ」


 リキキマは、けしかけるように言う。


「お嬢様、それは少々無責任に過ぎるのではございませんか」


 老執事が苦言を呈する。と、そのとき。ハーキイは電光石火の速度で立ち上がった。そして執事の首に手を回す。


「動くな! こいつの首をへし折るよ!」


 しかし、リキキマはニヤニヤ笑っている。3Jからは、ため息が漏れた。


「常識は通じんと言ったはずだ」


 執事は静かにハーキイの腕に片手をかける。


「お客様」


 ハーキイの豪腕が悲鳴を上げた。握る執事の指が食い込んでいるのだ。


「大変に申し訳ございませんが、私めにも仕事がございますので、お相手を致す事はご勘弁願います」


 老執事は、まるで肩の埃でも払うかのように楽々とハーキイの腕を外すと、壊れ物を扱うかの如く丁寧に放した。ハーキイは腕を押さえてしゃがみ込んでしまう。


「何だよ、この程度でショック受けるのかよ。そんなんじゃ聖域で生きてけねえぞ」


 リキキマの言葉にハーキイは絶望的な顔を上げる。魔人は困ったように頭を抱えた。


「おい3J、どうすんだこいつら」

「おまえに任せる」


「はあ? 任せるって、どういうこったよ」

「聖域はおまえの支配領域だ。煮て食おうと焼いて食おうと、好きにすればいい。俺は口出しをするつもりはない」


「わざわざここまで連れて来て、それはねえだろ」

「外の世界で死なれては困る。だからここに連れてきた。後の事はおまえの領分だ。自由にしろ」


 リキキマは困惑した顔で3Jをにらみつける。


「おめえは本当にイヤな野郎だな」

「そうか」


 3Jはそう言って、しばし何かを考えると、こう付け加えた。


「『銀貨一枚』のマダムに頼んでもらえると助かる」


 その一言に、どっと疲れたという顔でリキキマはため息をついた。


「おめえは本当にどうしようもねえなあ」

「そうか」


「そうだよ。おいハイム」リキキマは老執事に命じた。「こいつらを『銀貨一枚』に連れて行ってやれ。何かあったら3Jが責任取るって言ってな」

「かしこまりました」


 ハイムは一礼すると、プロミスとハーキイの二人を促した。


「では、早速参りましょうか」


 二人は顔を見合わせた。しかし、反抗も抵抗も出来る様子はない。いまは黙って従うしかないだろう。



「我が神にして我が主、そして我が夫たるイ=ルグ=ルよ」


 白い髪の少女、ヴェヌは祈る。闇の中で目を閉じて祈る。


「感じます。あなたの力が満ちるのを。目覚めの刻が近付いているのを。もっと血をお望みですね。すぐに次の策を講じましょう」


 だがその目が見開かれた。暗闇の中で顔を上げる。そこによぎる不安。


「いかがなされました」


 ヴェヌは感じていた。暗黒の波動の揺らぎを。動揺している。イ=ルグ=ルが震えている。


「どうなさったのです、わが主よ。いったい何が……」


 その脳裏によぎった言葉。ヴェヌは困惑の表情を浮かべた。


「口、ですか」



 星が流れた。それは一瞬の輝きを放ち……いや、その輝きは消えなかった。流星ではない、火球か。だが、『それ』は成層圏を突破し、地上へと到達、エリア・エージャンにほど近い荒野の真ん中に、小規模なクレーターを作ってようやく停止した。


 オゾン臭が立ちこめる穴の中心部、何かが動く。闇を見通す視力があれば、驚愕したかも知れない。そこに立っていたのは子供。五、六歳の、おかっぱ頭の全裸の子供。それ以外に外見的特徴を探すなら、やや口が大きいという事くらいか。


 その口が、つぶやいた。


「ここが、地球か」



 デルファイの聖域。繁華街の外れに、その店はあった。バー『銀貨一枚』。今夜も酒を求めて常連客がやって来る。


「あら、いらっしゃい」


 皆が『マダム』と呼ぶ女主人は、豊満な肉体のラインを隠すどころか強調する、薄手のドレスに長い髪、大粒の真珠のネックレス、手の指には大きな宝石の指輪をいくつもはめ、派手な化粧に香水を振りまいて、そしていつものようにヘビを思わせる目で客を迎えた。


 しかし今夜は様子が違う。マダムの様子はいつも通りだが、店の空気が少し違う。何故ならカウンターの中に、若い女が二人立っているからだ。戸惑う客に、マダムは笑う。


「ああこの子たち? 今日からここで働く事になったの。よろしくね。あ、でもいじめちゃダメ。ナンパもダメ。リキキマ様と3Jの肝いりだから。殺されちゃうわよ」


 岩のような巨体をした、全身入れ墨だらけ生傷だらけのサイボーグや強化人間たちが、マダムの笑い声に顔を引きつらせる。それを見ながらプロミスとハーキイは痛感した。とんでもない場所に連れて来られてしまったと。

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