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案山子の帝王  作者: 柚緒駆
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赤い雨

 雨が降っていた。赤い血の雨が。


 アメリカ大陸、エリア・レイクスのミシガン湖ほとりに建つ高層ホテル。Dの民でなければドアすら開けてもらえないその玄関に、装甲車が突っ込んだのは深夜の事。続いて一階フロアに侵入した武装集団十数人がフロントクラークに居た者たちを皆殺しにした。


 集団は二手に分かれ、片方はエレベーターで最上階に上り、もう片方が階段で二階に上がった。最上階組はそこから各部屋を皆殺しにしながら下に向かい、二階組は同じく皆殺しにしながら上に向かう。


 セキュリティは到着したものの、武装集団は凶行を止めず、結局全員射殺されるまでに、ホテルの客だけで四十人以上の死者が出た。負傷者はなし。徹底的な殺戮だった。


 しかし事件が起きたのは、ここだけではない。


 南米大陸のエリア・アマゾンでも、その一時間ほど後に同様の事件が起き、三十人以上が死亡した。


 数時間後、夕暮れのオーストラリア大陸、エリア・エインガナでは大学が襲撃され、二十人以上が殺された。エインガナの襲撃では犯人グループはビラを撒いた。そこにはエリア・エージャンで起きた血の日曜日事件を賞賛する内容が書かれてあった。


 エリア・ヤマト、エリア・トルファンでも襲撃事件が発生、続いてエリア・アラビアでもDの民が殺され、アフリカ大陸のエリア・バレーでも大量殺戮事件が起きた。血の雨が、グルリと地球を一周した形だ。世界中の人々は、暴力の連鎖に恐怖した。



 世界各エリアの報道が、リアルタイムでパンドラに流れ込む。混乱、パニック、死体、死体、死体。


「今日って何かの記念日なのか?」


 ズマが呑気にそう言った。


「今日を新たな記念日にしたいのだろう」


 ジンライにも切迫感はない。


「ベル」3Jは命じた。「報道内容に注意して情報を整理しろ。死体の血が抜かれているはずだ」

「はーい」


 パンドラのインターフェイスは楽しそうに返事をした。ジンライはたずねる。


「ドラクルが関係していると?」

「象徴的な意味を持たせるなら、襲撃は世界同時でも良かった。わざわざ時間差をつけたのは、血を集めて回りやすいようにだろう」


 3Jの言葉に、ジンライは一つ溜息をついた。


「夜の王も、すっかり便利屋か」

「問題はその便利屋を使う理由だ。何故いま大量の血を必要とする」


「腹が減っては(いくさ)は出来ん、ってヤツか?」


 ズマらしからぬ一言に、3Jはうなずいた。


「そうだ。イ=ルグ=ルは準備に入っている。目覚め、戦うための準備に」


 いつものように、感情のこもらぬ抑揚のない声。だがその向こうにある張り詰めたものを、ジンライもズマも感じ取っていた。



 弾道旅客機を降りてから空港を出るまで三十分。この時間の無駄は何とかならないのかとダイアンはいつも思う。時間がかかる理由はわかる。理屈は理解出来る。だがそれでも。


「相変わらず短気な事だ」


 タクシーの隣の席に座る相棒は、書籍端末を見つめながらつぶやく。オールバックの金髪。四十がらみの無表情な顔は、学者のようだ。


「何。こっちの考えてる事がわかる訳?」


 ダイアンはその黒い目でにらみつけた。黒髪ロングのポニーテールに白い肌。高い身長に長い手足。二十代の後半だが、肌の張りは十代でも通じる。知らない者にはモデルで通るだろう。だがそんな彼女に見つめられても、ヘリオスは眉一つ動かさなかった。


「自分はテレパスではないので思考は読めない。ただ顔に書いてある」

「へーえ。何て書いてあるのさ」


「さっさと走れ、このウスノロタクシー」


 ダイアンはしばし呆気に取られていたが、不意に大笑いを始めた。ヘリオスの肩をバンバン叩く。


「それ、運転手が居たら、ぶん殴られてるところじゃない! おかしい、おかしい!」


 そこまで面白い事は言っていないのだが。ヘリオスの顔にはそう書いてあった。視線を書籍端末から上げ、外を見る。晴れ上がった青空の中に、目的地が見えてきた。ハイウェイを走る無人運転のタクシーは、一路グレート・オリンポスへ。



 報道は見ているでしょう

 すべては順調です

 あなたにも、まだこれから働いてもらわなければなりません

 次の指示をお待ちなさい


 それはアシュラにしか聞こえない声。小さな廃ビルの屋上で、金色のマスクは空を見上げていた。世界中で血の雨が降っている。なのにエリア・エージャンでは、あの血の日曜日事件以来、大きな騒ぎは起きていない。


 アシュラは退屈していた。血に飢えていたと言ってもいい。次の指示はいつ来るのだろう。早く、早くしてくれなければ、暴発してしまうかも知れない。


 そのとき、屋上のドアが開いた。


「ねえ、お兄さあん」


 立っていたのは、ミミだった。


「お昼ご飯の用意が出来たってさ」


 アシュラはうなずき、通り過ぎようとした。だが。


「せっかく呼びに来てあげたんだからあ、お礼くらい言ってもいいんじゃない?」


 ミミは不満そうにそう言う。アシュラは答えた。


「いいいいや、その、その、お礼、あ、スミマセン、その、それがしもアレで」

「あ、やっぱいいや」


 ミミはそう返すと、小さな声でつぶやいた。


「それよりい……話をすり合わせておきたいんだけどお」


 アシュラに緊張が走った。あと少しで殺意に結びつく感覚。けれど。


「大丈夫。私たちは同じような立場でしょお?」


 ミミはニンマリと微笑んだ。何かが動いている、アシュラにもそれだけは理解出来た。



 ネプトニスは応接室でダイアンと握手を交わした。そして笑顔でソファを勧め、自分も腰をかけた。


「それで、ダイアン捜査官。エリア・レイクスからわざわざ何の目的で来られたのですか」


 ダイアンはソファに身を沈め、足を組む。ヘリオスは背後に立っている。


「『ブラック・ゴッズ』はご存じでしょうか」


 ダイアンの問いにネプトニスは答えた。


「エリア・レイクスのテロ集団ですね。名前だけなら」

「彼らが『プロメテウスの火』と協力関係にあることは」


「それは初耳ですね」


 ネプトニスは心配げに眉を寄せる。ダイアンは続ける。


「工作員が三人、レイクスからエージャンに入ったという情報があります。極めて危険な三人です。何か大きな事を計画しているのかも知れない」


「世界中で起きた連続襲撃事件と関係があると?」

「ないとは言い切れません」


 ネプトニスはしばらく考え込んでいたが、一つうなずいた。


「わかりました。留意しておきましょう。何かいますぐ必要な事は」


 その言葉を待っていた。ダイアンの顔にはそう書いてあった。


「エリア・エージャン内での捜査権限が欲しいのです。期間を限定していただいても構わないので。それともう一つ」


「もう一つ?」

「ご紹介いただきたい方が居るのですが」



 ハーキイ・ハーキュリーズは強化人間である。遺伝子改造を受けている点だけを見ればDの民の親戚のようなものなのだが、誕生後に改造を受けた彼らはDの民とは見なされない。その与えられた能力と強化訓練によって、サイボーグ並みのスピードとパワーを誇る。中でもハーキイの筋力は飛び抜けており、ゆえに『豪腕』と呼ばれていた。だが。


 いまハーキイは強化装甲を装着していた。もちろん、そんな物を身に着けなくても、超人的な戦闘力はすでにある。だが、そのレベルではダメだ。プロミスを守るためには、アシュラやジンライといった戦闘用サイボーグと、あるいはズマのような獣人と、まともに戦えるだけの力が要る。


 ただの人間をサイボーグ級戦士にする強化装甲。それをハーキイが身に着ければ。ただし強化装甲には、バッテリーという大きな弱点が存在するのも事実。戦闘中にバッテリーが切れれば、ただの標的になってしまう危険性は常にあるのだ。それでも、ハーキイはパワーを求めた。次の作戦のために。


「えー、それでは次の作戦を発表します」


 プロミスは明るく声を上げた。部屋に集まった『プロメテウスの火』のメンバーは、固唾を飲んで待っている。アシュラも、ナイトウォーカーたち三人も。


「次に狙うのは、ここ!」


 プロミスが指さすモニターには、グレート・オリンポスの威容が。空気が緩む。


「何だ、またっスか」


 リザードがそう言うのも無理はない。グレート・オリンポスには、これまで何度もジュピトル・ジュピトリスを狙って攻撃を仕掛けている。そのたびに撃退され、退散しているのだ。あちこちで笑い声も聞こえた。だが。


「ううん、またじゃないよ」


 プロミスは首を振った。


「今度狙うのは、ここ」


 指さすのは、グレート・オリンポスの少し手前。


「ここの地下空間を破壊して、グレート・オリンポス全体を崩落させます」


 部屋がしんと静まり返った。プロミスは言う。


「次の攻撃が成功すれば、オリンポス財閥は壊滅する。みんなの力を貸して」



 ネプトニスが退出した応接室。ダイアンとヘリオスは静まりかえった部屋の中で、次に会う相手を待っていた。


「どう思うね」


 ヘリオスのつぶやきに、ダイアンはこう言った。


「優美。豪華。贅沢。金持ちの中の金持ちって感じ。しかも押し出し感が強い。あれはモテるわ」

「ほう、随分と高評価だね」


「だけど」ダイアンはニヤリと笑った。「花瓶の花ね」

「花瓶の花?」


「綺麗に咲き誇ってはいるけど、根っこがない。だから花瓶の外では生きて行けない」

「それはまた厳しいね」


「そう? 花瓶の中から出る必要のない人物に対する評価としては高いでしょ」

「この会話が盗聴されていない事を祈るよ」


 そこにドアがノックされる音。


 ダイアンとヘリオスがドアに顔を向けると、入って来たのは利発そうな顔をした、インド系の少女。少女は応接室に入ってくると、一礼した。


「ジュピトル様の秘書を仰せつかっております、ナーギニーと申します」

「はあ」


 ダイアンは間の抜けた声を発した。ナーギニーは言う。


「申し訳ございませんが、ジュピトル様はいま、どなたにもお会い出来ません。何卒、お引き取りをお願い致します」


 ダイアンはヘリオスと顔を見合わせた。そして首をかしげると、ナーギニーにこう言う。


「そう、どうしても無理なら仕方ないけど……その前に一言だけ伝言頼めないかな」

「伝言、ですか」


「うん、こう伝えて」ダイアンは満面の笑みを浮かべた。「私、プロミスを殺すから」

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