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案山子の帝王  作者: 柚緒駆
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エリア・レイクスからの訪問者

 人類の歴史上、『血の日曜日』と呼ばれた事件は数多い。ロシア革命の端緒となったサンクトペテルブルクのデモ弾圧事件や、北アイルランドのロンドンデリーでイギリス軍が市民に発砲した事件など。エリア・エージャン南東地区の市民センターをテロリストが襲撃し、五十七名が死亡、二十八人が負傷した事件もまた、その一つとして数えられる事となった。



「話にならんな」


 ネプトニスのつぶやきに、トライデントは深々と頭を下げて恐縮した。


 部屋の壁には何着もの礼装がかかっていた。ネプトニスがソファに身を沈めながら、「白だな。明日のパーティは白のモーニングがいい」と指をさすと、数人のメイドがそれ以外の服を手にし、そそくさと部屋から出て行く。トライデントに顔を向けず、白のモーニングを見つめたままネプトニスは言った。


「ある程度の被害を出せとは言ったが、これはあまりに大き過ぎる。失態だ」

「まことに申し訳ございません」


「謝罪はいい。それより問題は原因の究明と責任の所在だ。何故こんな事態になったか、明確にせねばならん」


 トライデントは顔を上げた。さしもの彼も、いささかやつれた感がある。


「それにつきましては現在分析中でございますが、行動パターンのみに限定すれば、今回の襲撃は『プロメテウスの火』ではなかった可能性が指摘されております」


 ネプトニスは目の端でトライデントをにらみつけた。


「では襲撃犯は、どこの誰だと言うのか」

「あくまでも可能性ではありますが」


 トライデントは額に汗を浮かべながら、こう答えた。


「聖神戦線のパターンが近いのではないかと」


 遠い記憶に思い当たったように、ネプトニスは片眉を上げた。


「そんな組織もあったな。最近は聞かん名前だが、まだあるのか」

「随分前に武装解除し、宗教団体へと転身しております」


「ほう。いまの名前は」

「金星教団、でございます」



 市民センターのテロを報じるニュースがモニターに大写しになっている。音声は消してある。しかし映像とテロップで何を伝えているのかはだいたいわかった。


「何で命令を無視した」


 はらわたが煮えくりかえっている、ハーキイの声はそう告げていた。顔のあざが痛々しい。しかしズマに殴られて、あざだけで済んだのだ。さすが『豪腕』ハーキイ・ハーキュリーズとも言える。実際、他のメンバーたちは、包帯だらけだった。


 誰かがポツリと言った。


「だって敵じゃねえか」


 その一言がきっかけとなった。


「そうだよ。あいつらは敵なんだよ。殺すのは当たり前だろ」

「撃てるヤツを撃って何が悪いんだ」


「崇高な理念じゃ勝てねえよ」

「戦争なんだぜ、これは」


 しかしハーキイの声は一段低くなった。静かになったと言ってもいい。


「……だから?」


 その場に満ちる殺気。いま何か言えば、間違いなく殺される。比喩ではなく実態としての死が待っている。空気が重く冷たくなった。


「やめなよ」


 それはプロミスの声。音のないニュース映像を見つめながら、小さく笑った。


「これはいつか起こる事だったんだよ。ある種の通過儀礼って言うかな。きっと、どうしても避けられなかったんだ」

「でもプロミス」


 心配そうなハーキイに、プロミスは首を振る。


「もう、取り返しはつかない。私たちは、これを背負って前進するか、負けて死ぬかしか道は残されていないんだから」


 そこに、声がした。


「へえ、言うじゃん」


 ハーキイが銃を向けたとき、すでに壁際に居たアシュラがその首元を捕まえていた。金髪碧眼、そばかすだらけの真ん丸に太った子供の顔が、壁から生えていた。


「おいおい、ちょっと。やめてよ。痛いよ」

「アシュラ、放してあげて」


 プロミスに言われてアシュラが放すと、それは壁の中から、穴も空けずにヌルリと出てきた。サスペンダーで半ズボンを吊った、赤い蝶ネクタイの十二歳くらいの子供。


「勘弁してよね、もう」


 そうブツクサ言いながら、その子供はさらに壁の中に手を突っ込むと、何かを引っ張り出そうとする。


「よいしょっと」


 壁の中から出てきたのは、人間が二人。上下を黒いレザーで包んだ短髪で長身痩躯の黒人の男と、ピンクのブルゾンにピンクのスカート、ピンクのソックスにスニーカーを履いた東洋人の若い女。


 銃を向けながらハーキイがたずねる。


「何者だい、おまえらは」


 すると子供が偉そうに言った。


「おれは『壁抜け』ジージョ」


 女が楽しそうに言った。


「あたしミミ」


 そして男が言った。


「私はナイトウォーカー。我々三人は、エリア・レイクスのビッグボスに命じられてここへ来た」



 神魔大戦において、当時世界最強の軍事超大国であったアメリカは、最大の激戦地と化した。イ=ルグ=ルの容赦ない侵攻に対し、アメリカは国内で核兵器を使用する事を選択、東西の海岸に面した大都市はすべて灰燼に帰した。戦後、生き残った北米大陸の住人は五大湖を中心とした地域にエリアを建設、エリア・レイクスと呼ばれる事となる。



 植物人(トリフィド)のウッドマン・ジャックは、森の奥の小屋の前でロッキングチェアに揺られていた。星の綺麗な夜。森も静かだ。と、思いきや。


 ウオオオオッ! 地響きのような唸り声が聞こえてくる。


「ぬほほほほっ、あれあれ騒がしいのだけれど」


 何かが森の中を走ってくる気配がする。ジャックが闇の中に目を凝らすと、森が揺れた。


「おのれえっ!」


 そう叫びながら飛び出してきたのは、巨大なオオカミ。それを追いかけるのは、無数のオニクイカズラの蔓。


「おやめなさい」


 ジャックの一声で数十本の蔓は動きを止め、闇の中へと戻って行く。オオカミはぜーぜーと息をついた。


「おやおや、ワンちゃんのお客様だ。これは珍しいのだけれど」


 オオカミはしばらくジャックをにらみつけると、獣人の姿へと形態を変えた。獣王ガルアムの息子、ギアンである。


「……あのオニクイカズラの群れは、あんたが仕掛けたのか」

「ぬほほほほっ、そんな面倒なことはしないのだけれど。夜の森になんて入る方が悪いので」


「だが森で何が起きてるか、全部知ってるんじゃないのか」


 ギアンの抗議に、ウッドマン・ジャックはぷかりと一口パイプをふかした。


「知ってたって、助ける義理はないので」

「何だと」


 ジャックはニンマリと笑った。


「ズマなら、助けなんて要らないのだけれど」

「くっ」


 ギリギリと歯ぎしりをして悔しがるギアンに背を向け、ジャックは小屋に向かった。


「まあおいで。コーヒーくらいは出してあげるので」



 小さなカップの熱いコーヒーを、オオカミの顔をしたギアンは飲みにくそうに飲んだ。


「それで、こんな時間にいったい何の用なのだね」


 ウッドマン・ジャックの問いかけに、ギアンはしばらく言いにくそうにしていたが、やがて思い切ったように口に出した。


「ウルフェンに来て、父上に会ってもらえないだろうか」

「無理なので」


 即答であった。


「どうしてだ」


 食い下がるギアンに、ジャックは自分もコーヒーを一口飲んでこう言った。


「用があるなら、ガルアムが来るのが筋なので」

「そ、それはそうなんだが、しかし父上には、その」


「体裁とか体面とか面子があると言うのだね」

「そうだ、あんたにはそれはないだろう」


「ないのだね」

「だったら」


 ジャックはまたパイプをふかした。


「会って何をどうしろと言うのかね」


 ギアンはうつむいて口をつぐんでしまった。しかし聞かずともわかっていたのだろう、ジャックは言う。


「我が輩には、心の病は治せないのだね」

「……そんなに、恐ろしいものなのか」


 それはギアンの疑問なのか、それとも真情の吐露なのか。


「イ=ルグ=ルとは、あの父上が心を病むほど恐ろしいのか」

「まあ、恐ろしいのではないかね」


 ジャックは遠い昔を懐かしむかのような顔をした。


「ガルアムには、我が輩たちにはない恐怖心がある。でも、我が輩たちにはない勇気もある。だから単なる恐怖なら、一人で克服できると思うのだね」


「しかし、父上はあんたの助けを求めている」

「帰ったらガルアムに、こう言うのだね。心の傷の深さは、心のない我が輩には測れないのだと」


 それは会話の終了を意味した。もうこれ以上話す事はないと。


 ギアンはそれ以上食い下がることなく、静かに立ち上がった。そして彼の体格には少し小さめの、木のドアに向かう。そのドアノブを握ったとき。


「でも、どうしても誰かと話したいと言うのなら」


 ウッドマン・ジャックはギアンの背中に言った。


「3Jが適役だと、我が輩は思うのだけれど」

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