惨劇
結論を言ってやろう
あのとき彼は言った。
イ=ルグ=ルとの戦いが始まったとき
おまえが人類を率いなければ
人類は無意味に蹂躙され
無駄に滅亡する
僕が人類を率いる? どういう事だ。そんなの、出来る訳がない。確かに僕はジュピトリスの家に生まれた。客観的に見れば社会的地位はあるし、権力だってある。でもたったそれだけで、人類を率いられるはずがないじゃないか。
神魔大戦で人類の数は減った。それでもいま現在、十億人以上の人間が世界には暮らしている。それを一つにまとめようと、過去いろんな人が努力を重ねた。その結果、世界政府が誕生した。でもそれだけだ。
各エリアは、かつての国家のように主権を主張し、独自の方向性にこだわり、進んで歩調を合わせようとはしない。世界政府はただのトラブル調停機関でしかない。こんな人類を率いるだって? どうやったらそんな事が可能なのか。その方法がわかれば、それだけで世界政府の大統領になれるんじゃないか。
犠牲を払って生き残るか
枕を並べて全滅するか
選択肢は二つある
自由に選べばいい
選べるはずがない。そもそも、何でいまの段階で、その二つしか選択肢がないんだ。もっといろんな可能性があるはずだろう。僕以外の誰かが世界を率いる可能性もあるし、イ=ルグ=ルとの戦いが起きない可能性だってある。あるはずなんだ。それなのに。
「ジュピトルよ」
中央道路を走る黒いリムジンの中で、ムサシの声に顔を上げる。
「おまえさん、また考え込んでおるな」
「……そんなに考え込んでたかな」
ジュピトルは作り笑いを浮かべた。ムサシは一つ、溜息をつく。
「体重も減っとるそうじゃないか。双子が心配しとったぞ」
「ああ、それは、まあ、そうなんだけど」
このところ食欲がない。睡眠時間も減っている。眠るのが怖いのだ。
「ストレスを発散させる事を意識しろ。無理にでも発散せんと、おまえさん、3Jに取り殺されるぞ」
ムサシの視線に冗談を言っている様子はない。そうかも知れない。自分はきっと考えすぎなのだ。神経質になりすぎている。
「ストレス発散かあ。どうすればいいんだろう」
「まあ普通なら、酒か女かに走れば簡単なんじゃが、おまえさんではな」
いささか同情めいた表情のムサシに、ジュピトルは苦笑を返した。リムジンは南東地区、住民説明会場に向かっている。
日曜日の市民センター。住民説明会の開催は一階大会議室で午後二時から。まだ一時間以上あるが、すでにセキュリティドローンは配置についている。警備員による参加者へのチェックも開始された。公開された情報に変更がなければ、説明会にはオリンポス財閥からジュピトル・ジュピトリスが参加するはずだ。
ここに武装していないメンバーを一人潜り込ませ、ジュピトルを確認したら信号を送る。信号を確認次第、トラックをバックで会場に突っ込ませ、荷台から飛び出したプロミスたちがジュピトルを抹殺、速やかに撤収する。そういう手はずだった。
「会場に居るDの民はどうします。放っとくんスか」
血気にはやるリザードに、プロミスは首を振る。
「我々は革命のために戦う義勇軍であって、虐殺者じゃない。Dの民以外の市民の信頼を得るためにも、理念の崇高さは失っちゃいけない」
全員がこの言葉に完全に納得した訳ではない。だがここで仲間割れをするメリットもない。皆は互いの目を見つめ、うなずき合う。
「ジュピトル・ジュピトリスはオリンポス財閥の、Dの民の未来だ。ヤツらから未来を奪い取れ」
ハーキイの言葉に、一同は奮い立った。
「我が神にして我が主、そして我が夫たるイ=ルグ=ルよ」
真っ暗な部屋の中、真っ黒な僧衣をまとった白い髪の少女、ヴェヌが祈る。
「さあ、宴の始まりです」
説明会の参加者が粗方中に入った頃、黒塗りのリムジンが市民センターに現われた。玄関の前に横付けになり、ムサシに続いてジュピトルが降りた。現場の警備員が、周囲を警戒しながら中へと誘導する。トラックの外部カメラは、その映像を荷台のプロミスたちに見せた。
「ボス、姉さん」
居ても立っても居られないのか、リザードが立ち上がる。
「まだだよ。中に完全に入ってから、信号が来てからだ」
ハーキイは動かない。プロミスは映像を食い入るように見つめている。
「リムジンが邪魔。動いてくれないかな」
もしやその願いが届いたのだろうか、リムジンは前方へと移動した。そこにピーッと電子音。リザードが叫ぶ。
「信号来た!」
ハーキイが怒鳴る。
「みんな何かに捕まれ!」
プロミスが吠える。
「全速力で突っ込め!」
トラックは唸りを上げて市民センターの玄関に突っ込んだ。ガラスの砕ける音。警備員の怒号。トラックの荷台の扉が内側から開き、武装した十数人が飛び出す。一階大会議室の扉は開いている。プロミスが先頭を切って突入したとき、ジュピトルは演壇に登ったところだった。その前にムサシが立ちはだかる。
「ジュピトル・ジュピトリス!」
すでに着席していた数十人の聴衆には目もくれず、プロミスはジュピトルに小銃を向けた。
その視界が、赤く染まった。
「……え?」
プロミスはまだトリガーを引いていない。けれど銃声が聞こえた。背後から。仲間たちの何人かが、人々を無差別に撃ち殺していた。そして恐慌に陥り逃げ惑う人々の前に、ひらめく赤い柄の戦斧。アシュラは稲妻の速度で、次々に人々の首をはねて行く。
その吹き上げる血煙が、プロミスの全身を赤く染めて行った。
大会議室の非常口は、正面の三箇所と、側面の一箇所のみ。自分一人ならともかく、ジュピトルを連れて正面突破は出来ない。ムサシは側面非常口を選択した。
「ジュピトル、こっちじゃ!」
だがジュピトルは惨劇を前に、呆然と立ち尽くしている。ムサシは左手でその襟首をつかみ、引きずるように走った。
「死にたいか馬鹿者!」
その前に回り込むように銃を持った者が二人。すかさずムサシは右手を向ける。銃声が二発。手のひらに空いた穴から放たれた銃弾が、二人の眉間を貫いた。けれどそれらが地面に倒れ込むより先に、茶色い塊がそこに立っていた。赤い柄の戦斧を持って。
「軍神ムサシ……面白い」
「やれやれ、こりゃあ厄介そうなヤツじゃのう」
ムサシは顔をしかめた。足先に刃が飛び出る。
アシュラの戦斧がムサシの首を狙う。それを身をかがめてかわした、と見せかけて、ムサシは両手を床につき、同時に両脚を広げて下半身を回転させる。その足先の刃を、アシュラの戦斧は紙一重で防いだ。
しかしムサシはすかさず身を起こし、一瞬でアシュラの懐に入り込んだ。左手がマントの端をつかむ。その肘を戦斧が下から跳ね上げた。ムサシの左腕は切断された、かに見えた。けれどムサシ、ニヤリと笑う。
閃光と轟音。アシュラのマントに残ったムサシの左手が爆発したのだ。アシュラは壁に叩きつけられ、マントはボロ雑巾のようになった。
「いまじゃ、行くぞジュピト……」
言いかけたムサシは後ろに跳ぶ。アシュラの戦斧がそこに振り下ろされた。
「こ、このマントは特別製。じゃなきゃ、危なかった」
立ち上がったアシュラのボロボロに焼け落ちたマント。その下から現われたのは、戦斧を握った手、手、手。アシュラはすべての腕を広げた。金色に輝く、六本の腕を。
「さあ、本番」
「こいつは、さすがに無理かも知れんな」
ムサシは弱音を吐いた。
ハーキイは大会議室入り口で、セキュリティと戦っていた。虐殺が起こっている事には気付いていたが、いま自分が持ち場を離れれば、セキュリティがなだれ込んで来るだろう。そうなれば全滅だ。ここにはアシュラが居る事を前提に作戦を立てていたのに、肝心のアシュラは嬉々として首を狩っている。身動きが取れない。
「これくらい持ち堪えな! おまえら男だろ!」
そう吠えながら、それでもせめてジュピトル・ジュピトリスの首さえ取れれば、そうすれば、たとえ自分たちが死んでも、と考えていたハーキイの横を、風が吹き抜けて行った。
六つの戦斧が宙を切り裂く。ムサシは息を呑んだ。しかしそれを受け止めたのは、四本の超振動カッター。金属同士が高速でこすれる音を響かせながら、金色と銀色のサイボーグは至近距離で対峙する。
その後ろで、大会議室側面の壁が音を立てて吹き飛んだ。外側からミサイルでも撃ち込まれたのかという勢いで破壊された壁の向こうに、小柄な影が。そしてそのさらに後方には、一本足のマントの影。
「ズマ」
「何だ、兄者」
「銃を撃ってるヤツは全員潰せ」
「あいよ」
ジンライほどの超高速ではないが、ズマも普通の人間の反射速度をはるかに超えている。無差別に乱射している連中を、次々と簡単に叩き伏せて行った。
3Jは大会議室に入った。血に染まった床、椅子、そして死体の中を淡々と進む。火花を散らすジンライとアシュラを見ず、駆け回るズマにも目をくれず、呆気に取られているムサシを無視して、呆然と立ち尽くしているジュピトルの前に立った。
「こんなところで何をしている」
「……え」
その瞬間、3Jの杖が舞い、ジュピトルの頬を打ち据えた。後ろに倒れ込むジュピトルに、ムサシが駆け寄る。
「何をする!」
「それは俺が聞いている」3Jは言った。「ジュピトル・ジュピトリス、おまえは何をしている。回りをよく見てみるがいい。何故死体がある。何故こいつらは殺された」
ターバンの下にのぞく左目が冷たく輝いた。
「おまえの責任だ」
ジュピトルは顔を上げた。
「僕の、責任」
「そうだ。間抜けなおまえが迂闊な事をしなければ、死なずに済んだ連中だ」
「よさんか! いまは避難する方が先じゃ!」
ムサシはジュピトルを抱え上げ、立たせた。そして壁の穴に向かう。その二人の背に向かい、3Jは言葉を投げかける。
「自分の持つ力を使え。己の存在意義を理解しろ。さもなくば人が死ぬ。これからもだ」
「疾風のジンライ……知っている」
アシュラは言い、ジンライは答えた。
「そうか、拙者は貴様を知らん」
戦斧と超振動カッターの間に火花が飛び散る。
「そそ、それがしの名は」
「答えずとも良い。覚える気はないからな」
「アシュラアアアアッ!」
気合いと共に戦斧を押し込む。パワーではアシュラが勝り、ジンライは僅かに後退した。その空間を縫うように、アシュラは戦斧を一旦引き、第二撃を繰り出した。しかしスピードではジンライが上回る。戦斧をかわし、斜め後ろに回り込んで、死角から一撃を加えようとしたものの。
ジンライは見つけた。後頭部、髪の毛の中にある目玉を。アシュラは振り返ることなく、戦斧を叩き込む。それをかわし、反対側に回り込んでも同じ事。アシュラの攻撃をかわし、一度距離を置いた。
「なるほど、死角がない訳か」
さしものジンライも少し感心した。確かにこの体を使いこなせるなら、サイボーグになる値打ちはあるかも知れない。
「使いこなせるならば、だが」
ジンライは前に出た。アシュラは六本の腕を振るう。その戦斧をジンライは、二本の腕で食い止めた。そして残り二本の腕は、そこに握られた超振動カッターは、アシュラの戦斧の柄を斬った。
「ぬあっ!」
「世界は総じて単純だ。死角がないのなら、正面から斬るのみ」ジンライは言う。「貴様の体は高性能だが、使いこなせなければ意味がない」
次は首を斬るか、とジンライが構えたとき。
全員と言われたので、ズマは銃を撃っているヤツを全員潰した。テロリストっぽいヤツらも潰したし、セキュリティっぽいヤツらも潰した。3Jの言う事は絶対なのだ。知ってる顔も三人ほど居たが、撃ってるヤツはとりあえず潰した。撃たずに血まみれで立ち尽くしていたヤツは見逃した。別に潰すのが楽しい訳でもないからだ。
さあ一通り潰したし、3Jのところに戻ろうか、ズマがそう思ったとき。
そのとき、血が舞った。床や壁に飛び散った血が、死体から流れでる血が、霧状になって舞い上がったのだ。プロミスの体を濡らしていた血も、霧となって舞い上がる。
赤い血の霧はクルクルと渦を巻き、その中心に球形を作り上げて行く。その球の上、大会議室の高い天井には、真っ赤なセーターと黄色いマフラー。
「ジンライ」
3Jの声に、ジンライは迷うことなくアシュラの前から飛び上がり、天井のドラクルへと斬りかかった。しかしドラクルはテレポート、3Jの前に現われる。
「やあ、二度目だね」
満面の笑みを浮かべるドラクルを見つめ、3Jは言った。
「……おまえ、『呑まれた』か」
「ホント、君は嫌なヤツだ」
眉を寄せるドラクルに、ズマが殴りかかる。ドラクルはまたテレポート、天井付近に戻り、またそこにジンライが斬りかかる。ドラクルは床付近に姿を現し、ズマが殴りかかる。それを三度繰り返し、ドラクルはようやくすべての血を喰らいきった、赤い球の隣に現われた。それを手にし、口に放り込む。
「腹はふくれたか」
3Jの言葉に、ドラクルは首をかしげた。
「少し、だね」
「おまえが喰らった血は、大半がイ=ルグ=ルの餌になる」
ドラクルは小さく溜息をつき、「やっぱり」とつぶやいた。3Jは言った。
「思念結晶を渡せ。さもなくば、おまえはイ=ルグ=ルの奴隷だ」
「そうは行かない」ドラクルは答えた。「自由は魅力的だけど、力も必要だからね」
「おまえ自身が食われてもか」
「ボク自身が食われても、さ」
そしてドラクルは微笑んだ。
「君たちを殺せとは言われてないんでね。それじゃ、またどこかで」
ドラクルの姿は消えた。
3Jは周囲を見回した。死体、死体、死体の山。アシュラの姿はない。プロミスやハーキイたちの姿もなかったが、そこまでは気にしていなかった。遠くからセキュリティのサイレンが近付いている。面倒な事になる前に、退散するしかないだろう。
「戻るぞ」
3Jは壁の穴に向かった。ズマとジンライも付き従う。いまは戻る。戻るべき場所へ。己の居るべき世界へ。たとえそれがどんな意味を持とうとも。




