好きな人
次の日の午前中、照人は待ち合わせの公園へと向かった。犬の散歩やランニングしている人、家族連れなどが自然の中で思い思いに過ごしている。水遊びしている子どもたちの燥ぐ声が遠くから聞こえてきて、森林の緑豊かな木々も気持ち良さそうに揺らいでいた。
照人は公園の入口付近に自転車を停め、木陰のあるベンチを探して腰を下ろした。連日続く暑さで外に出るのも億劫だったが、緑を眺めて涼やかな木陰で風を感じると、やっぱり気持ちがいいものだなと感じた。
「照人君、お待たせー。急に誘ってごめんね」
「おっ、久しぶりだな翔太。ちょうど俺も会いたかったからさ。元気だったか?」
「う、うん……。この暑さだから塾行ったりするくらいで、あんまり外に出てないけどね」
「そっか。じゃあ、ぶらっと歩こうか」
「うん!」
二人は木陰になっているところを探しながら歩いて行く。陽射しの下に出ると、暑さが倍のように感じるからだ。
「いやーホント、外歩くだけで死にそうになるなー」
「ホントだよねー。あっ、照人君、アレ乗ってみない?」
翔太は大きな池に浮かぶ小船を指差し、反対の手で照人を引っ張った。
「ん? ボートか。いいよ」
「やったー! じゃあ、行こう!」
翔太は暑さを物ともせずに走り出す。
「お、おい! 待てって!」
船着場に辿り着き、二人は小さな手漕ぎボートに乗った。
「よーし、出発ー!」
「照人君、大丈夫? 辛くなったら交代しよ」
「大丈夫だって! いつもプールに行って、泳いで鍛えてるからさー」
二人の船はゆっくりと池の中央に進んで行く。周りはカップルや家族連ればかりだった。
「いやー、ボートなんて久しぶりだなー」
「僕は初めてだよ。こうやって乗るの」
「そっかー。なんか周りはカップルばっかりでデートみたいだな」
「そ、そうだね……」
翔太は顔を赤らめて俯いた。ゆっくりと周りにぶつからないように気をつけて進みながら、照人は人が少ない奥の方へと進んで休憩した。
「ふう、この辺ならいいだろう」
天気も見晴らしも良く、鳥たちが水面で水浴びしているのも見えた。
「はあ、いい天気だなー」
照人は体制を倒して空を見上げた。
「そうだねー。照人君は夏、好きなの?」
「好きだよ。学校休みだし、花火やプール、海にバーベキュー、楽しいことだらけじゃん」
「そうだね。僕は冬生まれだし、暑いのちょっと苦手で……」
「そっか。大丈夫か?」
照人は汗をかいた翔太の額に手を当てた。心配そうに覗き込む照人の顔が近づく。翔太の顔が赤くなり、体温が上昇しているように見えた。
「暑そうだな。それじゃあ、戻って涼しいところにでも行こうか」
「うん……」
照人はゆっくりと旋回し、船着場へと戻った。
木陰のあるベンチで休憩することにし、照人は飲み物を買いに行った。
「お待たせ翔太! ほいっ」
照人は翔太に飲み物を放って渡した。
「あ、ありがと」
照人は翔太の隣に座り、ゴクゴクと喉を鳴らしてスポーツドリンクを飲んでいる。翔太も受け取ったお茶を飲み始めた。
「あー、生き返ったなー」
「喉カラカラだったもんねー」
「なあ翔太。翔太ってさ、好きな子とかいたりするのか?」
翔太は飲み物を吹き出しそうになった。
「えっ! 好きな子?! ……いるといえば、いる、けど……」
「へー、どんな奴? 翔太が好きになる子ってなんかさ、姉御っぽいイメージだよな」
「姉御?」
「うん。なんか強気なお姉さんタイプに引っ張ってもらうみたいなさ」
「うーん、どうだろう……」
「翔太ってさ、母性本能をくすぐる弟タイプみたいだしさ。……あのさ俺、最近気になる奴がいてさ。だけど俺、恋愛とかしたことないし、なんかよくわからなくってさー」
「気になる奴?」
翔太は照人の方に向き直り、詳しく聞こうとした。
「うん。夏休み前に急に呼び出されてさ。俺のこと気になるみたいなこと言われたんだよねー。そいつ、見た目は男みたいなんだけど、たまに女の子っぽいとこもあったりしてさ。最初は意識してなかったのに、最近俺も気になり始めたっていうか……翔太はそういうの経験ない?」
翔太は少し考え込んだ。
「僕はまだ経験ないから、よくわからないや」
「そっかー」
翔太は僅かな痛みを感じながら嘘をついた。
「なあ翔太、ちょっと横になってもいいかな」
「えっ? うん……」
照人は翔太の膝の上に頭を乗せて、仰向けに寝転がった。
「なんだか翔太って、居心地いいよなー」
照人は気持ち良さそうに目を瞑る。
「照人君……」
翔太は照人を膝枕しながら、照人の髪を撫でる。サラサラした黒い髪、日に焼けた顔、長いまつ毛が僕の手の中にある……。
「ヤバい、寝そう……」
「いいよ。三十分経ったら起こすよ」
「そうか。サンキュー……」
照人はスウッとすぐに寝息を立て始めた。穏やかな時間。好きな人が側にいる。なんて幸せなんだろう。ずっとこのままでいられたらいいのにと思いながら、翔太は照人の寝顔を見て、嬉しさと複雑な思いが込み上げていた。
白い光に包まれている。それはぼんやりと人影になる。誰だろう。
「……玉紀? もしかして、玉紀か?」
照人は玉紀に向かって手を伸ばす。玉紀も手を伸ばすが届かない。
「玉紀ー! こっちだ!」
手を伸ばしてもどんどん離れて行く。触れたい。抱きしめたい。
「玉紀! 待ってろ!」
照人は空中を泳ぐように掻いて、光に包まれた玉紀の手を掴み、抱きしめようとした。
「玉紀!」
照人が抱きしめると、玉紀は光り輝き、小さな光の粒となって弾けた。
「玉紀……」
なぜだか自然と涙が溢れていた。優しくて温かい空気、それだけが照人の側に残っていた。
「……照人君? 照人君!」
照人はぼんやりと瞼を開けた。
心配そうな表情の翔太が、照人の顔を覗き込んでいる。
「照人君どうしたの? 怖い夢でも見た?」
「夢……だったのか……」
「大丈夫? これ使って」
翔太はハンカチを照人の頬に当てた。
「俺……泣いてたのか」
「蒸し暑くて怖い夢でも見ちゃったんだね。今日はそろそろ帰ろうか」
「あ……俺、いつの間にか寝ちゃってたんだな。ごめんな、重かったろ」
「大丈夫だよ、僕は」
翔太は笑顔で返す。照人は体を起こした。
「ごめん。僕がワガママ言ってボート乗ったせいで疲れさせちゃったね」
「いや、翔太の膝枕が気持ち良くてさ」
「じゃあ、少し歩いてから解散しようか」
「おう。そうだな」
二人はベンチから離れて歩き出し、涼しげな木陰の中をたわい無い会話を楽しみながら、ゆっくりと歩いて行った。