夏の思い出
「それでは、始め!」
教室のそれぞれの机には、筆記用具とテスト用紙が並び、生徒たちは掛け声と共に一斉に用紙をひっくり返した。
学期末の試験。これが終わると夏休みだ。生徒たちは真剣な表情で挑んでいる。教室の中はまだ涼しいが、窓の外は太陽が照りつけ、校庭には誰もいない。照人は今年の夏休みは今のところ特に予定もなく、翔太はどう過すのだろうと、翔太の方をチラッと見た。中学時代は陸上ばかりで他のことなど頭になかった。周りでは異性に対する興味やオシャレに目覚めたり、誰と誰が付き合っているとか噂したりしていたが、照人にとって女性というものは、男とは体の作りが違う母や妹と同じ分類の人というくらいにしか思ってなかった。友だちとして仲良くなったり先輩として憧れたり、一生懸命に練習している女子の姿には素敵だなと思うことはあっても、それ以上の好きという感情は湧き上がらなかった。なのに最近何故か、翔太のことばかり頭に浮かぶ。気がつくとその姿を探している。どんなに人が多くても、翔太だけが光って見えるようだ。照人自身、そんなことは初めてで驚いていた。
チャイムが鳴り、テストの答案用紙が回収された。あと数日後には終業式、そして夏休みに入る。その前に翔太の予定が知りたい。
「ねえ、照人君。お昼、一緒に食べようよ」
「お、おう」
いつもと変わらない様子で翔太から声をかけてきた。
なるべく涼しそうな木陰を探して照人と翔太は腰を下ろした。
「ねえ、テストどうだった?」
「んー、まあまあかなー。なあ、翔太ってさ、夏休みとかって、どっか行ったりすんの?」
翔太はお弁当を口に頬張りながら考えてから答える。
「えーとね、今のところはお盆あたりにおじいちゃん家に行くくらいかな。照人君は?」
「俺は今のところなんも予定なくてさー。そういえば今度の土曜、花火大会だったなー。一緒に行く?」
照人は思い切って誘ってみた。
「うん、いいよ! 僕も実は行ってみたかったんだけどね、人が多いところがちょっと苦手で。一人で行くの怖いし、迷ってたから嬉しいよ」
翔太はにっこりと笑顔で答えた。めちゃ可愛い……。こんなに素直で良い子は他にいないだろう。
「じゃあ、ちょっと遠くなるかもしれないけど、穴場スポットあるから行こうか。土曜の夕方頃に駅前で待ち合わせな」
「うん! 楽しみだねっ」
翔太はウキウキしながらご飯を放り込んだ。
「花火、か……」
その様子を陰から伺っていた玉紀は、そう呟きながら何かを考えていた。
花火大会の前日の夜、照人は自分の部屋で机に向かってブツブツ呟いていた。
「駅前で待ち合わせして、それから神社に向かって……。何着て行こうかなあ」
照人は立ち上がり、タンスの引き出しから服を引っ張り出して鏡の前であれこれ衣装合わせしている。ドアの外からノックする音が聞こえた。
「ねえ、お兄ちゃーん! これ、どう?」
妹の茜が、部屋に入ってきた。
「ん? おっ、浴衣かー」
「どう? 似合う?」
茜は一回転してからポーズを決めた。
「なるほど、孫にも衣装ってやつだな」
「それ褒めてんの? 明日、お兄ちゃんもお友だちと花火見に行くんでしょ? お母さんがお兄ちゃんの浴衣も買ったから、着て行きなさいってさー」
「えー、俺のも?」
「たまには格好良いとこ見せないと、好きな子に振り向いてもらえないゾ」
「な、なに言ってんだ! お、俺はだなー、せっかく母さんが買ってくれたから着てやんねーとって思っただけだよ」
「そうね。明日、晴れるといいなー」
そして花火大会の当日。待ち合わせの十五分前、照人は指定した駅前の銅像のところに辿り着いた。着慣れしない浴衣のせいか誰かと二人っきりで出かけるのが初めてだからか、それとも相手が翔太だからなのか、汗が噴き出してきた。
(ふう、深呼吸、深呼吸……)
深く息を吸っては吐いて、吸っては吐いて、照人は落ち着きを取り戻そうとしていた。
「照人くーん!」
手を振りながら翔太は笑顔で駆け寄ってきた。
「お待たせー。照人君も浴衣着てきたんだ。僕もお兄ちゃんのお古なんだけど、着方が分かんなくて遅くなっちゃったよ」
「あ、いや俺も今着いたとこだったから」
「よかったー。じゃあ、行こうよ」
「お、おう」
翔太の浴衣姿。薄い白っぽい生地が涼しげで良く似合う。普段の制服姿もいいけど、胸元が覗く浴衣もまた良い。もっと翔太のいろんな姿が見てみたい。なんて、照人はなんだか急に恥ずかしくなった。
「照人君、あそこにお祭りの屋台出てるよ。見に行ってみようよ」
「おわっ、ちょ、待てよ!」
翔太は照人の手を引っ張り、駆け出していく。
「綿飴、リンゴ飴、たこ焼きにチョコバナナ。ねえ、どれにする?」
翔太はウキウキしながらどれにしようかと悩んでいる。手を握る翔太はドキドキしている照人にお構いなく屋台に夢中だった。
「おじさーん、これ一つください」
「アイヨ!」
翔太はリンゴ飴を受け取り、猫みたいにペロペロと舐め始めた。そんな姿もまた可愛い。
「お祭りと言えば、やっぱりリンゴ飴だよね。照人君もいる?」
「えっ……じゃあ、一口だけ」
翔太が舐めた後ってことは、間接キスだよな……。照人が躊躇していると、翔太はチョコバナナの屋台に向かって走り出していった。残された照人は、恐る恐るリンゴ飴を舐めた。味よりも翔太の口にした物を自分が舐めていることになんだか恥ずかしくなった。
「はい! チョコバナナも買ってきたよー。どっか、座って食べよう」
お祭りの喧騒から離れて、神社の片隅に腰を下ろした二人は、屋台で買った物を交換しながら食べていた。
「チョコバナナってやっぱり美味しいねー」
翔太は、なんでも美味しそうに良く食べる。チョコバナナを咥えた口の周りに、チョコが付いていた。
「おい、チョコ付いてるぞ」
翔太の口の周りに付いたチョコを、照人は指で拭いた。
「あ、ありがとう。なんだか照人君って、お兄ちゃんみたいだね」
「そ、そうか? まあ、うちにも危なっかしい奴がいるし、目に付くんだよなあ」
「僕も照人君みたいに優しいお兄ちゃんが良かったな。だって、うちのお兄ちゃん、男らしくしろって、いつもうるさいんだもん」
翔太は下を向き、悲しそうな顔をした。
「翔太は翔太らしく、そのままでいいよ」
照人は翔太を見つめ、笑った。
「照人君……」
ドーン!
その時、照人と翔太の頭上に、大きな音と七色の光の、巨大な花火が打ち上げられた。
「うわー、花火だ……綺麗だね」
降り注ぐような光の雨が、街中の人々を魅了し、歓声が上がった。
「翔太、さっきなんか言ったか?」
「ううん、なんでもないよ。ねえ、しばらくこうしてさ、花火見ようよ」
翔太は照人の手を取った。照人はドキドキしながら翔太の温もりを感じていた。
「あの二人、もしかして……」
二人を見かけた玉紀は、陰から様子を伺っていた。照人と翔太はその視線に気付かずに、花火が終わるまでずっとそのまま、楽しそうに見上げていた。