希望
ーー十年後。
照人は小学校の近くの警察署に勤務していた。学校の近くをパトロールしたり、
事件や事故が発生したら現場に出ることもあった。最近では、幼い子どもたちを連れ去る事件が発生し、警戒態勢を整えていた。
「最近、変な事件多いじゃない? ホント、物騒だわよねえ」
「そうよね。うちの子なんかまだ小さいから、変な人についていかないようにっていっつも言ってるんだけど、不安よねー」
夕方、近所のスーパーの前で買い物バッグを提げた主婦たちが立ち話をしていた。学校帰りの学生や犬の散歩をする人、仕事帰りの会社員などに混ざって、照人も家に帰るところだった。
「ただいまー」
照人は帽子を取って、玄関で靴を脱いだ。居間の奥の方からドタバタと走る音がする。
「おかえりなさーい、お父さん!」
「おう、ただいま。晴希」
「あら、おかえり。早かったね」
今年小学校に入ったばかりの息子の晴希は、照人に飛び付いて出迎えた。後からエプロンで濡れた手を拭きながら、玉紀が照人を招き入れた。
夕飯の支度が整い、家族が揃って席に着く。
「それじゃあ晴希、なんて言うんだっけ?」
「いただきまーす」
「はい、いただきます」
照人と玉紀はニコッと顔を見合わせて食事を始めた。不慣れな箸を使いながら、誰よりも勢いよく食べる晴希。最近は食欲が旺盛で、照人の分も奪いかねない勢いだった。
「なあ晴希、今日は何してたんだ?」
「んーと今日はねー、みんなでサッカーした」
「そうか。晴希は、サッカー好きなのか?」
「んー、普通」
「普通か。じゃあ、何が一番好きなんだ?」
「ゲームとブロック遊びと、お絵かきかな」
「そっかー。スポーツは嫌いか?」
「嫌いじゃないけど汚れるからヤダ」
「じゃあ、屋内のスポーツはどうだ。バスケとか。スポーツ得意だとモテるぞ」
「そうなの? じゃあ、教えてよ」
「いいぞー。そうだ、お母さんも昔はバスケ得意だったんだからな」
「お父さんより上手かったのよー」
「へー、ホント? 僕、お父さんとお母さんと一緒にやってみたいなー」
「いいわよ。じゃあ、しっかり食べて、体力つけなくちゃね」
「うん!」
晴希は急いで食べ終わる。
「ごちそうさまでしたー」
そして晴希はバタバタと二階に走っていった。
「忙しないなー」
「もうすぐ大好きなテレビアニメの時間みたいよ」
「そうか。俺の子どもの時はもっと落ち着いてたと思うんだけどなー」
「あら、あなたのお母さんは、小さい頃からどこにいるかわからないくらいやんちゃだったって言ってたわよー」
「もう、母さんは余計なことを……」
「フフッ。でも嬉しいな。あなたにそっくりな子の成長が、こうして見られるなんて」
「そうだな……」
玉紀と結婚した時は、正直子どもは諦めていた。しかし玉紀の歩調に合わせて気負わないようにしていて安心したのか、少しずつ玉紀が俺を受け入れられるようになっていった。そして妊娠がわかった時には二人して涙した。俺たちを選んで元気に生まれてきてくれた子には、希望の希と、晴れた陽のように明るく元気に育って欲しいと願い、晴希と名付けた。
風呂に入り、子ども部屋を覗くと、晴希はベッドから落ちそうに足を出して寝ていた。
「まったく、寝相の悪いところも俺にそっくりだな」
晴希の足を押し戻し、布団を掛け直して寝顔をみる。その寝顔は、玉紀の顔に似ている気がした。
「おやすみ、晴希……」
照人は、晴希の頭を撫でて部屋を出た。
階段を降りて居間に行くと、風呂上がりの玉紀が飲み物を飲んで寛いでいる。
「晴希、寝た?」
「うん。寝顔は君にそっくりだな」
「変態!」
「変態って失礼な……。可愛いってことだよ」
照人は玉紀の隣に腰を下ろす。
「最近、小さな子が狙われる事件が発生しているんだってね」
「ああ。子どもで性的な欲求を満たそうとするイかれた奴がいるみたいでね。早く取っ捕まえたいところなんだが、神出鬼没なんだよ」
照人は悔しそうに言い放ち、溜息をついた。
「照人、子どもたちを守ってあげて。幼い頃の傷は大人になっても消えないから……」
「ああ、わかってる。目に見えない傷こそ深く、治しにくいからな」
照人の肩に頭を乗せて、玉紀は寄り添った。
よく晴れた朝、照人はパトロールついでに晴希と一緒に小学校まで歩いていた。
「ねえ、お父さん。あそこ見て! お花がいっぱい咲いてるよ」
「おう、綺麗だな」
照人は小さな手を握り締めながら、好奇心いっぱいの瞳を見ていると、出会ったことのない幼い頃の玉紀を見ているように感じた。
「晴希ー、晴希は何色が好きなんだ?」
「んーと、ピンクかな」
「なんでー?」
「なんかねー、桜とかチューリップとかカーネーションとか、ピンク色のお花ってみんな可愛いでしょ」
「そっかー。じゃあ、今度お母さんに内緒でお花、買って行こうか」
「うん!」
晴希は満面の笑顔で笑った。照人は晴希の頭を撫でた。この子にはこのまま素直に優しく育って欲しい。父や母に守られてきたように、今度は自分たちが親になり、次世代の子どもたちを守る番だ。
「ねえお父さん、今日も早く帰ってきてね」
「ああ、頑張ってみるよ」
晴希は手を振って校舎の中へと駆けて行った。
照人は息子の後ろ姿を見送り、お父さんから警察官へと心を入れ替え、仕事へと向かった。
荷物が溢れた暗い部屋の中で、パソコンに向かってニヤニヤと笑う中年の男がいた。
「いいねー。若くてピチピチの子は」
小さな男の子の水着姿の画像や、動画などが掲載されたサイトを見ている。
「そろそろお帰りの時間だな」
男は立ち上がり、上着を羽織って家を出た。
小学校の終業の鐘が鳴り響く。しばらくしてから学校の生徒たちが玄関から出てくるのが見える。我が子を心配してか、家族が迎えに来ている子もいるようだ。帰り道が同じ方向の子どもたちは、途中まで大人や高学年の生徒が付いて集団で帰っているようだった。
「みんな揃ったかね? 帰るぞー」
「はーい」
ボランティアらしき定年過ぎた年配の男性が、低学年の子どもたちを連れ、校門を出て行く。まだ真新しいランドセルを背負った小さな生徒たちは、好奇心いっぱいで列から外れていってしまう子もいるようだった。その列の真ん中にいる晴希は、隣の女の子と手を繋いで仲良く歩いていた。その様子を物陰から隠れて見ている、中年の男の姿があった。
「いいねえ……」
生徒たちは商店街を過ぎて、それぞれ家の近くで分かれて帰って行った。大通りをしばらく歩き、晴希の家に帰る道に出た。
「おじさん、ありがとー」
「おお、また明日な。気をつけて帰るんだぞ」
「うん!」
大通りから外れ、細い道を数本通ると晴希の家が見えてくる。玉紀や照人に晴希は連れられて少しずつ道も覚えてきたが、たまに違うところに迷い込み、帰りが遅くなることもあった。
「あ、猫ちゃんだ!」
晴希は野良猫を見つけて後を追った。大人が通れないような細い路地や草の隙間などを通り抜け、見慣れない小さな公園がある向かいの家に猫は入って行った。
「ここがお家なのかなー」
晴希はふと、家に帰ろうと振り返ると、来た道がわからなくなっていた。
「えっと、どこだったっけ……」
晴希は思い出すまで公園のブランコに座って考えていた。寂しげに漕いでいると、一人の男性が近づいて来た。
「おや、坊や。どうしたんだい?」
「僕、猫ちゃん追いかけてたら、帰り道がわからなくなっちゃって……」
「そりゃ困ったねえ。よし、おじさんが一緒に探してあげるから、おいで」
「でも……お父さんが、知らない人に付いて行っちゃダメだって」
「おじさんは君が心配なんだよ? 悪い人に見えるかい?」
「ううん」
晴希は首を横に振った。
「ほら、おじさんがお家探してあげるから、おいで」
「……うん」
「よし、良い子だ」
そう言うとその男性は晴希の手を取り、公園を離れて行った。




