リバーサイドの閑雅なる午後
「リバーサイド」は片田舎の閑静な住宅街に佇むこじゃれた喫茶店である。パンプキン・パイもシナモンティーも出してはいないが、しいて言うならチーズケーキとコーヒーが美味しい。営業時間は朝の十時から夕方六時半まで。
私がこの喫茶店に初めて足を踏み入れてからかれこれ七年ばかり。今ではなんやかんやで週に4日は足を運ぶほどになった。いわば常連、行きつけの店という奴だ。
大体昼時にふらりとドアをくぐり、日替わりランチを注文する。手早く出せるスパゲッティが週の大半だが、たまにオムライスがメニューにあるときがある。その日は当たりだ。何かいいことがあるかもしれない。
「リバーサイド」はそれなりに繁盛している。
店内はさほど広くない。マスターが一人で切り盛りしているから、仕方のないことだ。ミス・パンプキンならぬミス・チーズは未だ現れない。
カウンターに六席、二人掛けと四人掛けのテーブルがそれぞれ2つずつ。昼時は満席になることもザラにある。そういう時は外のロッキングチェアに座ってタバコをふかしながら待つか、それすら埋まっていれば縁がなかったと昼は諦める。そんな具合だ。それでも週に四日はコンスタントに通えるだけ、いい塩梅の込み具合といえた。
朝食を兼ねた昼食を取り終えると、一旦店を出てその辺をブラブラし、昼の書き入れ時がすんだ頃合いを見て戻る。そしてコーヒーとチーズケーキを注文し、閉店時間まで居座るというのが日課である。
今日も今日とてカウンターの一番奥で、帳面を開きながらコーヒーに舌鼓を打っていた。私は文筆業の端くれである。この店で仕事をしていると、なんだか良いアイデアが浮かぶ気がするのだ。
店内のスピーカーからは、往年のニューミュージックが控え目な音量で流れている。染み付いたコーヒーの香りと合わせて、なんとも心地の良い空間だ。
「先生、次はどんなお話を考えてんだい?」
カウンターの向こう、猫の額ほどのキッチンスペースで気ままにカップを磨いていたマスターが話しかけてきた。マスターは髭をもじゃもじゃに生やした大男で、粗暴にすら見える風体だが、仕事は細やかで繊細だ。そのギャップもまた面白い。性格も実に温厚である。
「それは企業秘密ですよマスター。本になってからのお楽しみです」
「そういって、本になった試しが無いじゃないか」
一瞬言葉に詰まったものの愛想笑いで返せたのは私の高い精神力の賜物である。それに事実でもある。
最初の一作がそこそこ当たったおかげでこうやって優雅に喫茶店通いなど出来ているが、次作次次作が鳴かず飛ばずどころか企画倒れで本にすらなっていないとなれば、通帳の残高も心許なく、焦りも生まれるというものだった。
今こうやってペンを走らせている原稿だって、果たして金になるものか。不安の種はそれこそ尽きない。
「いっそ次の作品、リバーサイドを舞台にして書いてみようかな」
未だ湯気の立つ黒い水面に口づけをして、深く濃厚な味を楽しむ。香ばしい匂いが鼻腔を抜けていくと、頭が冴え渡るような錯覚すら覚えた。
「そいつは嬉しいねえ」
カップ磨きの手を休めないまま、マスターはニマニマと笑った。本気にしていない事がまるわかりな仕草である。
「そうだ。取材ってわけじゃ無い些細な疑問なんですけど、この際だから聞いてもいいですかね?」
「スリーサイズは教えられないよ」
「誰もそんなの聞きたくないですよ」
磨き終わったカップを棚に戻し、次のカップを手に取りながらマスターはおどけてみせた。冗談に社交辞令的に付き合い、コーヒーで舌を湿らす。
「この店、なんで川べりにある訳でもないのに「リバーサイド」って名前をつけたんですか?」
この店は閑静な住宅街の外れにあって、三方を民家に囲まれている。もう一方は道路だ。川と言えるような川は、この辺には走っていない。
カップがソーサーに着地して、カチャリと磁器質な音がした。
「ああ、それね。大したことはないよ」
マスターは苦笑いをした。
「なら勿体つけないでくださいよ」
「勿体つけてるわけじゃない。だがなあ、なんというか、駄洒落みたいなもんだからなあ」
マスターは髭だらけの頬をポリポリと掻いた。少し恥ずかしそうだった。少し胸を高鳴らせながら続く言葉を待っていると、マスターは観念したように言った。
「二軒隣が川中さん、お隣さんが川岸さんだから、ウチは「リバーサイド」ってわけだ」
思ったよりも数倍かしょうもなかった。
・・・
リバーサイドを舞台にした小説が、それなりに売れてから数年が経った。
もっとも、リバーサイドはその後しばらくして潰れてしまった。原因は私の小説だった。人が来すぎたせいで、すっかりマスターのキャパシティを超えてしまったからだ。
なので、私は最近、この新しく出来たファミレスを仕事の場にしている。
「そう言うと、なんだか薄情者に聞こえてしまいますね」
原稿から顔を上げると、向かいの席にはリバーサイドを舞台にした小説を読んでくれているマスターの姿があった。
「物は言いようだな。こっちは先生に頭が上がらんよ」
何を隠そう、このファミレスこそ現在のマスターのお店である。
このマスター、ブームで稼いだ資金を元手になんやかんや事業を拡大して、今では県下に数店舗のチェーンをもつオーナーまでに至ったわけだから、なかなか侮れない商才の持ち主だ。
徹底指導されたコーヒーの味が人気を呼んで、なかなかの評判である。
「もっとも、マスターの淹れるコーヒーには到底叶いませんけどね」
私の隠しだて無い賞賛に、マスターは髭まみれの顔をもじゃもじゃにして、なんだかこそばゆい表情をしていた。
次回作はこのファミレスを舞台にしてみようか。私は密かに思った。




