落下しています
僕はいま、落下中だ。
もうだいぶ長いこと落下してる気がする。気のせいだろうか。人は死ぬ直前に今までの人生を走馬灯のように振り替えるという。これがそうかもしれない。だとしたら最後は地面に叩きつけられて終わり。そんなのいやだ!しかしそう思ってはみても、どうすることもできない。
夜のランニングは危険なので、注意してるつもりだった。用をたしたくなり、脇の茂みに入ったのがまずかった。穴にすっぽりと落ちてしまったのだ。
走馬灯が3歳の記憶から始まり、高校の剣道部の部室で修羅の門を読んでいた記憶に差し掛かったとき、やっと疑問が浮かんだ。
「落ちるの、長くない?」
最初はパニックに陥っていたので、考える暇も無かったが、今は少し冷静になっている。あたりを見回しても真っ暗なのでなにも見えない。上はどうだろう。ゴウゴウと音をたてる強烈な風圧を受けながら体を反転させるのは骨が折れたが、なんとか体制を整えて上を見上げる。やはり暗闇で何も見えない。
いや、よく目を凝らすと微かな光が見えた。凝視していると、どんどん光が強くなってくる。数秒後には眩しくて目があけられないほど近くなっていた。
「大丈夫ですか!」
光の向こうから若い女性の声が聞こえる。人が落ちてきたのか?眩しくてよく見えない。
「手を出して!」
状況が掴めず混乱したが、言われた通り手を伸ばした。手を掴まれた感触がしたかと思うと、強い力で引き寄せられた。目の前に女の子の顔が現れた。ウサギの耳をつけている。ウサギの耳?
「どうも!初めましてっ!異次元管理局のマリコと申します!」
風の音に負けないようにと大きな声で話している。ウサギの耳にワンピース、肩からポーチを下げている。異次元管理局だって?
「どうもっ!自分は林隼人といいますが!」
負けじと僕は返事を返す。落下しながら挨拶を交わすとは希有な経験だ。
「林さん!すみません!私の不始末で、貴方を穴に落としてしまいました!つきましては落下を止めて地上までお送りしたいと思いますが条件がひとつ!」
まっすぐこちらを見つめてマリコさんは叫ぶ。
「今回のことを誰にも口外しないで下さい!規則がありまして、約束をしていただかないと助けることができません!」
「えっ!?」
「ですから!今日穴に落ちたこと、私と出会ったこと、全て口外しないでいただきたいのです!」
「ええと、よくわからないけどとにかくわかった!約束するよ!だから助けられるものなら助けてくれ!」
「ありがとうございますっ!それではっ!」
そう叫ぶと、マリコさんの胸のあたりから蒼白い光が放たれた。ペンダントにつけられた宝石のようなものから出ているようだ。ガクンと衝撃があり落下速度が急激に落ちる。一瞬止まったかと思うと、今度は上に向かって上昇し始めた。
「しっかり捕まって下さい!異次元の穴が閉まろうとしています!飛ばしますよ!」
そう言うが早いか、ぐんぐん上へ加速していく。見上げると、丸い穴に夜空が見える。マリコさんが言うように縮まってきているようだ。通り抜けられるかどうか、ギリギリのところで地上へと脱出した。空中で静止したあとゆっくりと降り立った。
「危ないところでした。お怪我はありませんか?」
マリコさんが低姿勢で訪ねた。
「怪我は無いようですが…。これはどういうことですか?」
僕は呼吸を整えて聞いた。質問したいことは山ほどある。
「すみません、疑問はいろいろおありでしょうが、答える権限をわたしは持っておりません。ですので、今夜起こった全てのことは、無かったことにしてこれからの日常をお過ごしください。それでは!」
そういうと、マリコさんの体は浮き上がった。このまま帰ろうというのか。
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
「くれぐれも口外しないで下さい。約束ですよ。」
また胸のペンダントが光り出し、マリコさんは勢いをつけて夜空を飛んで行った。
しばらくあっけにとられていた僕は、我に返ると地面を探したが、どこにも穴は見当たらなかった。
家に帰り、疲れ果てて寝てしまい、朝起きると、あれは夢ではなかったかと思ってしまう。しかし僕にはあの晩が確かにあったという証拠の品をもっている。あの時、マリコさんにしがみついてしたときにポーチの中からそれとなく失敬してしまったもの、マリコさんが首に下げていたものと同質のペンダントだ。いろいろ試してみても光りはしないが、きっと大切なものに違いない。
異次元管理局のマリコさんとまた出会うため、僕は今日もペンダントを身に着けて夜のランニングに出かける。




