9話 王城にて
ジーン・トラストが王都へ帰還したのは、アカレアの街を通り過ぎてから一週間後であった。普通に旅をすると半月程度の道のりを、半分ほどの日程で駆けてきたのだ。街に入って宿をとったのも最低限で、ほぼ野宿であった。おかげで現在、ジーンの姿は少々薄汚れていた。
今ジーンが直面している問題は、そのせいもあるのだろう。
「そのような汚らしい風体で、王城へ入ろうだなんて」
「ああみっともない、なにが間違ってこんな奴が騎士なんだ」
騎士二人に、ジーンは難癖をつけられていた。
この国における騎士の役割は、王族のそばに侍り、美しい身なりと所作でいること。これに尽きる。昔は違ったようだが、先代陛下の時代からこういう気風が出来上がったらしい。この国は海に囲まれていて、気候風土に恵まれていた。ここ数代平和主義の王が続いているため、他国への侵略などの戦とも無縁。唯一の隣国は内乱で忙しい上に国力も低下気味で、この国へ攻め入っているという危険が薄かった。そのせいで、騎士団は戦うことをしない年月が長かったのだ。その長い間に、戦うことは兵士の役目、着飾ることが騎士の役目という常識が出来上がった。
騎士は美しい身なりでいることが第一であり、戦いとはすなわち剣舞である。それを体現しているのが、目の前にいる騎士二人であった。汚れたら目立つであろう純白の騎士福に、年頃の乙女よりも念入りに手入れしているような、艶やかな髪と白い肌。戦うことを生業としているとは思えない姿である。
それに比べて、旅装のままの現在のジーンは砂埃にまみれている。
「少々身なりに問題があることは承知しております。ですが急ぎの用事なのです」
ジーンはイライラする内心を押し隠し、困ったように微笑んでみせた。それを口答えととったのだろう、騎士二人がキンキン声でわめいてくる。
「貴様に用事などあるものか。どうせどこかでずっとサボっていたのだろう!」
「とうとういなくなったと清々していたというのに、なにをしに戻ってきたんだか!」
正直ジーンはこの二人を張り倒して、渡すものをとっとと渡したら寝てしまいたい。
――こっちは、馬をかっとばして帰って来たんだ、疲れてるんだよ!
いい加減、感情が爆発しそうになっていると。
「なにをしているのだジーン。戻ったのならば、何故早く私のもとへ報告にこない」
会話に割入ったのは、長い黒髪を背に流し、青い衣を纏った、色白の若い男性だった。細い銀縁眼鏡をかけた切れ長の瞳で、その場にいる騎士たちをじろりと見つめる。
「「オルレイン導師!」」
現れた人物に、二人の騎士は今までの威勢の良さはどこに行ったのか、おろおろと顔を見合わせるばかり。それもそのはず、この男はオルレイン・ヴォイド、王に仕える筆頭宮廷魔導師である。平の騎士である二人とは、並べるのもおこがましい地位の人物なのだ。強きに弱く、弱きに強い。それが現在の騎士である。
「オルレイン導師、何故そいつなんかに声をかけられるのですか!」
ジーンが庇われる形になったのが気に食わないのだろう。一人が不満そうな顔をして口出しをする。しかし、オルレインはそれを鼻で笑い飛ばした。
「何故とは、それを問うような愚か者と会話する時間は私にはない。ジーン、早く来い」
「了解です」
この隙を逃してはならぬとばかりに、ジーンはオルレインに張り付いた状態で騎士二人の横をすり抜ける。あちらはまだなにかわめいているようだったが、ジーンは振り返りもしなかった。
ようやく騎士二人の声が聞こえなくなったあたりで、オルレインがジーンに尋ねた。
「どうだった」
「無事に」
短い会話だがそれで意味は通じている。オルレインは満足そうに口の端を上げる。
そもそもジーンが月の花の蜜を採取しに行く羽目になったのは、国王命令だったからだ。しかも国の上層部しか知らない、極秘命令だ。
城の一室に呼ばれたジーンは、国王直々に命令された。
「王妃の病を治すため、秘薬の材料を採って来い」
ジーンは実にこれが国王との初対面であった。
何故秘薬が必要なのかといえば、ことの起こりは一月前、王妃が病に倒れたことが始まりだ。最初は高熱を発するだけだったが、次第に全身に痣が浮き出るようになる。医者から王妃がカリン病にかかったことを知らされた。痣が全身に広がるにつれて、命の期限が減っていく病らしい。原因不明の上今のところ特効薬はなく、ただ死を待つしかできない不治の病だった。
死にゆく王妃を嘆き悲しむ国王に、宮廷魔導士のオルレインが進言した。
「奇跡の秘薬と言われる『月光水』を試されてはいかがでしょう」
それは古い文献に載っている幻の秘薬で、邪気を払いあらゆる病を治すという、まさしく奇跡の薬だ。眉唾物の話であっても、現状ではどうせ死を待つしか方法はないのだ。国王は早速その薬の作成を命じた。しかし月光水を作るにあたり、王都にない材料があった。それが満月の夜に咲くという、月の花の蜜だ。
この材料採取の役目に見事抜擢されたのが、他ならぬジーンである。王妃が病に倒れたことは、公には秘されていた。ゆえに誰にも知られずに、次の満月に咲くであろう月の花の蜜を採って来いと言われたのだ。
だが採取にあたっての問題があった。オルレインが言うには、月の花を守護している魔獣がいるらしいのだ。魔獣に対抗するには聖剣が必要だ。魔獣を殺す必要はないとのことだが、対抗できる武器を持っていないと、こちらが殺されてしまう。
しかし聖剣は国が管理する貴重な武器だ。これを貧民街出身の男に貸すことに、騎士団の団長が反対した。きっと盗んだまま帰らない、というのが団長の主張であった。それを取りなした副団長の発案で、代わりの魔法具を持たせることになったのだ。これについても騎士団長は噛みついていたが、オルレインが試作した魔法具の性能実験、ということで話がついた。
――ていうかよ、王妃様の病を団長が知らずに副団長が知っているって、普通逆じゃねえか?
己をを騎士に取り立てた恩人である副団長に、ジーンは頭が上がらない。団長は家柄が良いので団長の役職をもらっているだけで、実質騎士団を切り盛りしているのは副団長なのだ。この役目にジーンを指名したのも、副団長であるらしい。
こうしてなんとか出発にこぎつけたものの、王都からトカレ村までの道のりを考えて、満月までの時間はギリギリであった。ジーンは帰り同様に、行きの行程も結構な強行軍でアカレアの街まで向かったのだ。
アカレアの街に着いた時は、ジーンは正直くたびれ果てていた。しかし魔獣の話を聞いていたので、一人での採取は難しいのでは、と道中ずっと考えていた。なので解決策として、領主に兵士を一人貸してもらおうと考えたのだ。
一応渡されていた王の命令書を見せて、領主から人員を借り受ける段取りを取り付けたまではよかった。しかし女を紹介された時は、領主を殴ってやろうかと思ったものだ。しかもむっつりと不機嫌そうに表情を固めた、面白みのない女。眉間に皺を寄せる癖があるらしく、それが彼女を老けて見せていた。
彼女も不本意そうな顔をしていたが、上司の命令に渋々従う様子を取り繕いもしなかった。おそらく扱い辛いと思われているのだろう、ロクな説明をせずに、領主は彼女を追いだした。
――厄介ごとを押し付けられたか?
ジーンは己の不幸を呪った。
だが事態はどう転ぶかわからないもので、領主につけられたパレットは段取り上手だった。そのおかげでジーンは森に入る準備を丸々任せられ、ゆっくり休む暇ができたことは幸いだった。月の花の蜜が採取できたのも、パレットの功績が大きいのは確かなのだ。
――なにか褒美が出されても、いいんだろうがな
なにせ採取のために体を張ってくれたのだ。パレットだって報いられるべきだろう。
ジーンはオルレインの研究室に連れていかれた。
「早速渡してもらおう」
「これです」
ジーンは月の花の蜜の入った小瓶を、革袋に入れたまま手渡す。
「月の花の蜜は日の光に当ててはならないと、現地の奴が言っていました。だから私はは日の光はおろか、たき火の灯りにも当てないように注意して帰ってきたんです」
月の花についての注意事項は、オルレインから聞かされていた。しかし採取後の月の花の蜜の取り扱いにちついて、聞かされていない情報があったのだ。なので月の花の蜜を観察するのも、野宿の際に火を消して行ったのだ。夜の闇にぼんやりと虹色に輝く月の花の蜜は、好事家に鑑賞用とされるという話に、なるほどと納得したものだ。
――薬の材料としても、なんか効き目がありそうに思えるしな
なにか不思議な力を秘めている、そんな気持ちにさせられるのだ。
「なるほど、月光水が幻の秘薬と言われるゆえんは、月の花の蜜の扱い辛さもあるのやもしれぬ」
オルレインもこのことは知らなかったようだ。渡された小瓶入りの革袋を、興味深そうに眺めている。
「私からの情報だけに頼らず、現地でも情報を集めたことは、褒めてやってもいい」
そう言ってオルレインが満足そうにうなずく。実際に情報を集めたのはパレットなのだが、ジーンは敢えて言うこともないと黙っていた。
「秘薬を作る環境も、考え直さねばなるまい」
日の光や人口の灯りを排除するのであれば、時間帯を選ぶ必要があるだろう。しかしそれは、ジーンが考えることではない。
「私の仕事は終わりですね」
「ああ、ご苦労だった」
思考はすでに秘薬の作成に入っているオルレインが、おざなりな言葉を返してくる。ジーンは軽く頭を下げて、研究室を後にした。
ようやくお役御免になり、ジーンは兵舎に直行した。今は昼を過ぎたばかりの時刻で、宿舎には人影がなかった。
「ああ、つっかれたぁ」
シャワーを浴びて旅の汚れを落としたジーンは、ベッドに寝転がる。久しぶりの自分のベッドの感触に、ジーンは数秒で眠りに落ちたのだった。