その3
オルディアは仕事があるとかでその場を去ったので、代わりに護衛の赤騎士を連れた弟王子のエクスディアが案内してくれることになった。
「僕もアヤ姉さんに会いに行くところなのです」
王様そっくりの顔立ちのエクスディアに微笑まれると、わざわざ王子様に案内されるとは恐れ多いなんて言えなくなる。どうやら案内役を代わってもらうことはできないようだ。
宰相もすぐに帰宅するそうだが、パレットたちはそれに先んじて屋敷に向かうことになった。
宰相の屋敷は、王城のすぐ近くにあった。だがさすが王族の暮らす屋敷なだけあり、警備が厳重だ。
「いらっしゃいませ!」
屋敷の玄関で、銀髪の愛らしい少年が出迎えてくれた。年頃は五、六歳くらいの彼の名はハルキといい、宰相の息子だという。ハルキの容姿は父親そっくりで、宰相やオルディアの幼少期はこんな顔だったのだろうなと思われた。
――このあたりでは耳慣れない響きの名前ね。
どちらかというと、聖女様のアヤという名前に近い響きだ。そんな疑問がパレットの顔に出たのかもしれない。ハルキがはにかんだ笑顔で言った。
「僕のこの名前は、母上の父上の名前をいただいたのです」
やはり聖女様にゆかりの名前だったらしい。納得のパレットの前で、ハルキはミィを見て頬を赤く染めた。
「わぁ、そちらが魔獣ですか? カッコいいなぁ」
興味津々といった様子のハルキを、しかし何故かミィが警戒している。唸りこそしないものの、体勢を低くして落ち着きがない。
「ミィ、どうしたの?」
子供と遊ぶのが大好きなミィのこの行動に、パレットは首を傾げながらも落ち着かせようと背中を撫でる。ジーンもなにかあったらミィを抑えられる位置に移動する。
しかし、これにエクスディアが守ろうとする赤騎士の後ろから口を挟んだ。
「大丈夫です。魔獣がそのような行動をとる理由は、大方見当がついていますから」
「……理由、ですか?」
眉をひそめるパレットたちをよそに、ハルキがじりじりとミィに近付く。
「触ってもいいですか?」
ハルキがミィに向かって尋ねると、ミィはしばし尻尾を揺らした後、その前に伏せた。ハルキが恐る恐る手を伸ばすと、ミィは耳をピクピクさせながらじっとしている。
「……サラサラだ、すごく毛並みがいいんですね」
ミィの毛皮の感触に感動しているハルキに、パレットは小さく笑った。
「昨日、気合を入れてシャンプーしましたから」
ミィだってよそ行きのため、ちゃんとおめかしをしたのだ。
ミィが緊張しているのを察して、ハルキはすぐに手を離した。
「うちにいる子パンダたちだって可愛いけど、魔獣も素敵ですね」
「子パンダ?」
笑顔のハルキの言葉に、パレットは思わず問いかける。これにハルキは気を悪くすることなく答えてくれた。
「うちにいるヴァーニャの子供のことです。母上が子供をみんな子パンダと呼ぶんです」
なんでも父親のヴァーニャの名前がパンダなので、子供は子パンダなのだそうだ。
――聖女様って……
名づけのセンスが微妙だと思ったことは、パレットの心の奥に秘めておこうと思う。
ミィとハルキのふれ合いが落ち着くと、ハルキがパレットたちに向き直った。
「あの、謝罪が遅くなりましたが、お二方を呼びつけるような形になって申し訳ありません。ですが母上は今、王城に出入り禁止なのです」
幼いながらも丁寧な謝罪を口にするハルキに、パレットはさすが王族の一員だと感心する。それにしても、出入り禁止とは穏やかではない。なにか問題を抱えているのであれば、よそ者は歓迎されないのではなかろうか。
「そんな時期に宿泊などということになって、大丈夫ですか?」
ジーンも心配を口にする。
不安そうなパレットたちに、エクスディアが笑った。
「ああ、心配いらないよ。アヤ姉さんが妊婦なだけだから」
「え、妊娠されているんですか?」
妊婦だから王城に出入り禁止とは、さらに謎である。
「まずは、お部屋に案内しますね」
この謎はそのままに、使用人の先導のもと、ハルキ自らパレットたちを泊まる部屋に案内してくれる。その時通った庭に面した廊下で、聖獣の姿が見えた。たくさんの聖獣がいて、大きな身体のものから小さなものまで、庭を転げまわって遊んでいる。
「うわぁ……」
夢のような光景に、パレットは目を輝かせる。パレットの隣でも、ミィがコロコロと転がる聖獣に興味津々だ。
「これは、すごい」
この光景に、ジーンも目を見張っている。ちょっと離れた場所で小さなものたちが山を作っているが、あの一番下のものは潰れていないだろうかとパレットは気になった。
「城の庭園にもヴァーニャはいますが、あれらはこの屋敷のヴァーニャの子供たちを引き取ったものなのですよ。ほら、抱いてみますか?」
エクスディアが説明しながら、手近な場所を転がっている聖獣をひょいと持ち上げた。
「……では、失礼して」
パレットは差し出された聖獣を、震える両手で抱きしめた。ミィとはまた違った手触りで、少し重たい。
「ほらミィ、聖獣様は可愛いわね」
しゃがんでミィの目の前に聖獣を持っていくと、ミィはしげしげと眺めた後に、その顔をぺろりと舐めた。聖獣も嫌がることなく、ミィにされるがままである。
――よかった、喧嘩にはならないみたい。
パレットがホッと安堵していると。
「大きなにゃんこー!!」
屋敷の方から叫び声が聞こえた。
「え?」
「あ!」
驚くパレットの声に、ハルキの声が重なる。
「奥方様、お待ちください!」
使用人の悲鳴のような懇願を引き連れ、黒髪を軽く結い上げた女性が目をギラギラさせて駆けてきた。その後ろに、大人の聖獣様がドタドタと付いてきている。パレットはその女性のお腹がちょっと大きいことに気付く。
――もしかして……
パレットがその女性の正体に気付いた時。
「ウゥゥ……」
ミィが唸りを上げてパレットの後ろに隠れた。身体を低くして、警戒態勢に入っている。
「ミィ?」
どうしてミィがこんな態度を取るのかわからず、パレットは困惑する。思えばハルキに対してもおかしかった。
「魔獣が!?」
急に唸りだしたミィに、屋敷の警備が反応して剣を抜く。
「パレット、下がれ」
その不穏な空気に、ジーンがパレットを庇いながら腰の剣に手をかけた。
その時。
「全員、剣を収めろ」
宰相の命じる声が響いた。
「閣下!」
警備の者たちが慌てて剣を収めて頭を下げる。どうやら宰相がパレットたちに追い付いたようだ。
「どういう状況だ?」
宰相の問いかけに、エクスディアが肩を竦めた。
「アヤ姉さんが、魔獣見たさに突撃してきたんだよ」
この言葉を聞いて、宰相は深く息を吐いた。
「アヤ落ち着きなさい、勝手に出ずに私を待てと言っただろう」
諭す宰相に、女性は涙ながらに訴えた。
「にゃんこ、にゃんこに嫌われたー!!」
大変ショックを受けている様子の女性に、パレットはどうすればいいのか迷う。
「流れ人が魔獣に拒絶されるとは、概ね予想通りだ」
しかし宰相は、女性――アヤの悲痛な訴えをさらりと流した。
「魔獣はその身の内に、独自の魔法陣を抱えているという。そしてアヤは魔法拒絶の体質。魔獣は魔法を消されることを恐れて近寄れないのだろう」
さらにはそのような検証をし始める。
「父上、僕は?」
裾を引いて尋ねるハルキに、宰相は答えた。
「お前は流れ人の血を半分しか受け継いでいないから、まだ平気なのだろうな」
よくわからない解説だったが、アヤとミィの相性が悪いらしいということはパレットも理解した。
「モフモフがー、肉球がー」
「アヤ、お前にはヴァーニャがいるではないか」
未だ嘆き続けるアヤに、宰相がそこいらの聖獣の子供を一匹拾い上げて抱かせる。
「この子たちも可愛いけど、やっぱりにゃんこも触りたいー!」
アヤにぎゅうぎゅうに抱き着かれて苦しいのか、子供がジタバタしている。そんなアヤを、一緒にやって来た聖獣が軽く頭突きした。子供を守ろうとしているのかもしれない。
「それにしても、流れ人を導くのが魔法を操る魔獣ではなくて何故聖獣なのか、これでわかった気がしたな」
「魔獣の方ががっちりと守ってくれそうだけど、近寄れないのならしょうがないよね」
宰相の言葉にエクスディアも頷く。
一方で、なにやらいけないことをしたのかと不安になったのか、ミィが尻尾を垂らしてしょんぼりしている。
「ミィは悪くないのよ、だから落ち込まなくていいの!」
「なんていうか、どんな生き物にだって相性ってものがあるさ」
パレットがミィをぎゅっと抱きしめて、ジーンも宥めるようにその背中を撫でる。
「みゃ!」
叱られないと分かったのか、ミィが尻尾を揺らした。
その夜、歓迎の晩餐が催された。
この場にはパンダという名のアヤが連れいてる聖獣も一緒で、豪華なフルーツ盛りを美味しそうに食べている。ミィにも分厚いステーキが用意されたが、やはりジーンの肉をちゃんと貰いに来た。
「いいなぁ、にゃんこ……」
まだ諦めきれないアヤが、ジーンとミィの食事風景をじっとりと見ていた。
「今はなにせ時期が悪い。アヤが出産した後なら、あるいは触るくらいはできるやもしれんな」
宰相が苦笑して慰めの言葉をかける。
パレットはアヤの熱視線のせいで居心地悪そうにしているジーンをちらりと見て、疑問を口にした。
「えっと、妊娠がなにか関係しているのですか?」
パレットは先だっての宰相の解説では、いまいち理解ができなかったのだ。なにせアヤに関してなにかあれば、国際問題に発展する可能性がある。なので不敬だとかいう認識をあえて飲み込んだ。
これに宰相は、気を悪くすることなく答えてくれた。
「教会からの発表がどこまで知れているかわからぬが、アヤは異界の流れ人、つまりこことは違う異界の人間だ。流れ人は我々と異なる理の元に生きているらしく、魔法を一切受け付けない。ゆえに魔法を内に宿す魔獣も受け付けないのだろう」
「異界の、流れ人ですか」
アヤが聖女であるという話は聞くものの、聖女の本質の話は初耳だ。もしかすると、王城の上層部は知っているのかもしれないが、後でオルレイン導師に確認するべきだろう。
頭の中で整理するパレットを待って、宰相は続けた。
「そして流れ人の子もまた、その異界の理を受け継ぐらしく、流れ人本人ほどではないものの、魔法を受け付けにくい体質で生まれる。それを腹に宿しているアヤは、いわば二人分の理を抱えているのだ」
説明が難しくなってきたが、要は子供を産むまでは、魔法に関する影響が倍増するということらしい。
ぎゅっと眉間に皺を寄せて考え込むパレットを、怖がっていると思ったのかもしれない。ハルキが窺うように口を挟んで来た。
「母上だって普通なら、気を付ければ魔法具を壊さないでいられるのです。でも今は魔力灯だって全滅してしまうのです」
「ハルキ、その言い方だと私が普段から破壊魔みたいじゃないの。そんなことはありませんからね」
アヤが慌てて弁解してきたが、宰相の表情を見るに、恐らくハルキが正しいのだろう。
「どちらにせよ、子供を産んだ後にまた挑戦すればよいことだ」
「そうね、出産後のお楽しみも大事よね!」
アヤが楽しそうなのはいいことだが、それだとパレットたちはもう一度ここへ来るという流れになるのだが。
――え、私またここに泊まるの?
隣を見ると、ジーンは「俺にふるな」というように肩を竦めた。




