76話 再会と危機
意識が急激に浮上したパレットは、目を瞬かせた。
「……うぅ」
起き上がろうとしたパレットだったが、すぐに自身の異変に気が付いた。どうやら縄で縛られているようで、身体が上手く動かない。その上猿轡のようなものをされているらしく、誰か呼ぼうにもうめき声しか出ない。
――どこよ、ここ?
パレットが首だけ動かして確認するも、周囲は暗闇の上、頬に草の感触がある。恐らく今いるのはパーティー会場の外だ。王城内の庭園のどこかなのか、パーティーの喧騒が遠くに聞こえていた。
――あの連中、どういうつもりかしら?
恐らくパレットを囲んだあの令嬢たちが、パレットをここに捨てたに違いない。彼女たちの恨みがどの筋からのものなのか、パレットは考えを巡らしながらも、縄から抜け出そうとしていると。
「いい様だな、パレット」
頭上から、そんな言葉が降って来た。聞き覚えのある声に、パレットは首を上に向けた。
――叔父さん?
貴族の従者の服装をして目の前に立っているのは、行方不明となっているはずの叔父だった。
――どうしてここに? っていうよりも、彼女たちとなんの関係が?
色々とわからないことだらけのパレットの視界に、叔父が手に短剣を握っているのが見えてぎょっとする。
「あのお方が約束してくださったのだ……」
そうボソリと零した叔父から、パレットは離れようとするも、縛られているせいで上手くいかない。這うようにしか動けないパレットを鼻で笑った叔父が、短剣を握りしめて一歩踏み出した。
「お前を始末すれば、私は貴族になれると」
叔父がそう言って、短剣をゆっくりと持ち上げる。叔父の言葉を聞いて、パレットは眉をひそめる。
――貴族なんて、そう簡単になれるものじゃないわ。
王族に多大な貢献をしたジーンですら、爵位という話は出ない。それだけ貴族と庶民の間にある身分の壁は、厚くて高いのだ。
――まあジーンの場合、そんな話があっても受けないかもしれないけど。
貴族とは面倒な者だと思い知らされたのは、パレットとて同じである。
叔父はキリング公爵領に入ったところまでは知れており、今までのことを考えても、叔父がキリング公爵に従っていると見て間違いない。オルレイン導師から忠告されるほどに目障りなパレットを始末する役を、貴族という餌で引き受けたのだろう。
叔父は饒舌に語った。
「ふん、お前は出世をしていい気になっていたようだが、従う人間を間違えたというわけだ。もうじき新しい時代が来る、その際に貢献者として取り立ててると、公爵は約束してくださった!」
狂気の宿った目で、叔父は笑った。
――そんな口約束、守るはずがないじゃないの。
キリング公爵にとって、ドーヴァンス商会はいざとなればどうとでもできる存在だ。だからこそ上手く利用され、危うくなれば切り捨てられた。ドーヴァンス商会に止めを刺したのはパレットであるにせよ、あの商会はとっくにキリング公爵から見捨てられた存在なのだ。
――この人、ドーヴァンス商会の現状を知らないの?
貴族の従者の恰好をしているところを見ると、キリング公爵と一緒に王都に戻ったのかもしれない。
――馬鹿馬鹿しい、自分に都合の良い事実しか見えてないのね。
本当は怯えてみせるのが身の安全のためなのだろう。しかし、叔父のあまりに浅慮な行動に、パレットは叔父を睨みつつもため息を漏らした。
「……その目だ」
叔父は身体を震わせると、短剣をパレットに向かって突きつけた。
「私は昔から、お前の見下した目が嫌だった! 見下し、憐れんでいるその目が!」
叔父はパレットを見てるようだが、その視線は自身を通り過ぎている気がした。
「お前もそして兄貴も! どうせ私を馬鹿にして、憐れんでいたのだろう!」
父の名前が出て、パレットは驚く。どんなに困った叔父であっても、見捨てなかった優しいパレットの父。しかし叔父は違ったようだ。
「私が死を覚悟した借金も、軽く肩代わりしてみせて! 馬鹿にしている! 格が違うとでも言いたいのか! どいつもこいつも!」
そう叫びながら、狂乱したように短剣を振り上げた叔父に、猿轡をかまされているパレットは、悲鳴を上げることができない。それに周囲には誰も近寄って来る気配はない。
――ここも、人払い済みだってことかしらね。
トイレでの件といい、たった一人を罠にかけるために、ずいぶんと人を動かしている。ただの庶民にしか過ぎないパレットを、背後にいるキリング公爵はずいぶんと買ってくれているようだ。
幸いなことにあまり機敏とは言えない叔父は、草むらに足をとられているので、パレットは転がりながら短剣を避けることができた。しかしそれも、いつまで持つかわからない。
しかしパレットは、そのことに諦めよりもむしろ、怒りが込み上げて来た。
――私はなんのために、パーティーに参加したの?
王族の護衛をするジーンのために、パレットはこのパーティーに参加しているのだ。
――その私が、ジーンの足を引っ張るのは駄目でしょう!
怒りが、パレットに理性を取り戻したようだ。パレットの脳裏に、すっかり忘れていたアリサからの贈り物のことがひらめいた。
『もしすっごくピンチになったら、ぎゅっと目を瞑って、そのブレスレットを叩くといいよ』
今をピンチと言わずして、いつ言うのか。縄で縛れていても、手首は動く。パレットは叔父の手が届かない場所まで一気に転がり、目を閉じてブレスレットを叩いた、次の瞬間。
パパパパァン!
耳をつんざく激しい破裂音と共に、まばゆい光が一瞬闇夜を照らした。
――眩しい!
目を閉じてもなお眩い光は、恐らくパーティー会場からも見えたことだろう。その光を至近距離で見てしまった叔父は、這いつくばって手で目を覆っている。
――今のうちに、逃げなきゃ!
どうにかして立ち上がろうと、パレットが奮闘していた時、こちらに駆け付ける足音が聞こえた。
――助けが来た!
たまたま近くにいた者が、様子を見に来たのかもしれないと、期待したパレットだったが。
「そこにいるのは誰だ!」
そう声を掛けながら駆け付けたのは、眼鏡がない上に暗闇では良く見えないものの、騎士の服装をした集団だった。
――しまった……!
トイレで囲まれた女性たちの話を思うと、騎士は見方ではないと考えるべきだろう。警戒するパレットに、騎士の一人が話しかけてきた。
「アンタ、ジーンの彼女だろ?」
砕けた喋り方をした騎士に、パレットは内心首を傾げる。
――騎士、よね?
純白の騎士服は暗闇にも良く目立ち、眼鏡のないパレットにも判別できる。しかしジーン以外の騎士という人たちは、こんな軽い口調をしない。
「お、よく見りや喋れねぇじゃんか」
パレットの猿轡に気付いた騎士が近寄ると、しゃがんで猿轡と縄をほどいてくれた。
「ありがとう」
ようやく自由になれたパレットは、礼を言いながら目を眇めて騎士を見る。美容品の香りもしないし、あの飾り立てた細剣も持っていない。その代わり、兵士の使う武骨な剣を腰に下げていた。
「あなたは、ひょっとして兵士?」
それに、この騎士の声に少し聞き覚えがある。時折ジーンと一緒に王都の外に出かける際、たまに門で立ち話をしていた兵士ではないだろうか。
「お、正解! 騎士団の副団長さんに、騎士の代わりに王城の守りを頼まれたんだが、そこでジーンを見かけてな。すっげぇ形相でアンタを探してくれって言うから、こうして探してたってわけだ。あの彼女がこんな別嬪さんに化けるとはねぇ」
彼がそう軽口を叩いている間、他の騎士たちは短剣を持っている叔父を危険人物とみなして拘束している。今度こそ助かったという実感が湧くと、パレットは彼が言ったことを内心で反芻した。
――ジーンが、私を探してた。
そのことに迷惑をかけたと思うと同時に、嬉しくなってしまったのはパレットの我が儘だ。
――早く、会場に戻らないと。
きっと、ジーンが待っている。




