75話 思わぬ事態
無事にダンスを終えて、パレットたちは軽食や飲み物を楽しむように見せかけて、王族の側に張り付いていることとなった。
パレットたちが何者なのか、探りを入れて来る貴族もそれなりにいたが、困った時はキールヴィスが助け舟を出してくれた。王様から助けろと言われているのかもしれないが、キールヴィスに感謝したい。
そうして時間をやり過ごしていたのだが。
パレットは今、一人で行動していた。トイレに行くためだ。緊張を強いられる時に限って、こういった生理現象は突如として訪れるものだ。
一応ジーンに声をかけて出て来たパレットは、その際同行の申し出を受けたが断った。ジーンは王族の護衛という役割がある。加えてパレットは、トイレに付いて来られるのは恥ずかしかった。それに会場からトイレに向かう姿は他にも結構見られるので、一人になることはないと思われた。
それでもパレットは狙われているかもしれないという、オルレイン導師の忠告を忘れたわけではない。なのでさっさと用を済ませて、会場に戻ろうとしていると。
「失礼しますわ」
トイレから出たパレットを、四人の若い女性が囲むように立った。
「……なんですか?」
突然のことに、パレットは眉を潜める。眼鏡がないので顔かたちは確認できないが、そもそも若い貴族の女性に知り合いはいない。
それに、化粧直しなどでそこそこ込んでいたトイレに、現在パレットたち以外に人がいない。
――なにこれ?
現状をさっぱり理解できないパレットの前に、彼女たちから一人が進み出て言った。
「ようやく一人になってくれて、助かりましたわ。復讐の機会が得られましたもの」
「……は? 復讐?」
パレットは思わず問い返した。
復讐を企てるならば、キリング公爵以外では、装飾や美容品の予算を却下された騎士ではなかろうかと思っていた。なのに見ず知らずの女性に、復讐だと言われた。パレットは貴族女性と揉めたこと以前に、貴族女性と会ったことすらないはずだ。
――それが、どういう流れで復讐?
王妃様に気に入られていることが原因だろうか。しかしそれも、パレットがあくまで王城の文官であるからだ。このことで旨い汁を吸えているどころか仕事が増えている現状で、妬まれても困ってしまうのだが。
戸惑うパレットを、彼女たちは怯えていると思ったらしい。
「助けを呼ぼうとしても無駄ですことよ、今この廊下は騎士によって封鎖されていますから」
得意げに語ってくれるところ申し訳ないが、パレットは彼女たちが何者なのか、未だわかっていない。
「なんの話だか、さっぱりわからないのですが?」
正直に尋ね返したパレットに、彼女たちはヒステリックに叫んだ。
「さすが下賤な身の者は、記憶力もお粗末なのね!」
「わたくしたちにあれだけのことをしておいて、よくもぬけぬけと!」
「王族の方々に覚えめでたいからと、いい気になって!」
彼女たちの声がわんわんと廊下に木霊する。それがうるさくて、パレットは両手で耳を塞いだ。
その時彼女たちの一人がドレスの下から、黒い筒状のものを素早く取り出した。それが魔法具であることを、パレットはアリサに聞いてすでに知っている。
「……っ!」
とっさに身構えたパレットを、筒から出た霧状のものが包み込んだ。その霧を吸い込んだ途端に、パレットの意識は朦朧とし、やがてその場に倒れ伏した。
***
パレットがトイレで女性たちに囲まれている頃。
ジーンは一人になったとたんに、こちらもまた若い女性たちに囲まれていた。
「このような場所でお会いできるなんて!」
「礼服姿も凛々しいこと!」
「お休みの日は、どう過ごしてらっしゃるの?」
矢継ぎ早に話しかけられ、ジーンは辟易とした。
――パレットがなんと言おうと、付いて行けばよかった。
ジーンがちょっと場を離れることは想定内で、トイレに行くことにそう神経質になるほどではないのだ。
パレットがいた時には助けてくれていたキールヴィスは、ジーン一人だとニヤニヤするばかりである。
――あんの野郎!
キールヴィスの内心がなんとなく知れて、ジーンはイラッとしてしまう。
どうにか逃げ場がないかと、ジーンが会場に視線を巡らせていた時。
「あ……」
ジーンはある一点に、視線が吸い寄せられる。ジーンがいる場所から離れた所で給仕をしている男の姿。だがジーンにははっきりと分かった。
――あの時、取り逃がした奴!
ソルディアの街の倉庫で取り逃がした、反乱を扇動していたと思われる犯人。あの時は夜で暗かったが、間近まで迫ったジーンは、はっきりと顔を覚えている。
しかし捕まえようと大声を出しても、逃げられてしまう距離だ。それに顔を知っているのはジーンだけ。他の者に捕まえさせても、知らぬ存ぜぬでとぼけられるかもしれない。ジーンしか顔を知らない相手を、自身が対処してよいとアレイヤードにも確認してある。
――今度こそ捕まえる!
反乱を扇動していた男が、なにも企まずにこんな場所にいるはずがない。ジーンはアレイヤードとガーランドが王族の護衛に付いていることを確認すると、女性たちの集団から抜け出した。
「あ!」
「ジーン様!?」
突然なにも言わずにその場を去ったジーンに、女性たちは困惑する。
その様子を見たアレイヤードが目配せを送ったガーランドは、静かにジーンの後を追った。
男はジーンが追っていることに気付いたのか、静かに会場内を移動していく。そして会場に面したテラスから外に出たところで、男は足を止めた。
「やれやれ、このような再会をするとはね」
男はジーンの方を振り向くと、慇懃無礼に頭を下げて見せる。
「堂々とパーティーに入り込んで、なにを企んでいる」
剣の柄に手を伸ばして詰問するジーンに、しかし男はにこりと笑みを浮かべた。
「あなたに会いに来たのですよ」
そう言ったと同時に、木陰などから騎士たちがずらりと現れた。細剣を抜いてこちらを囲む騎士たちは、明らかにジーンの助っ人ではなさそうだ。
「お前ら、なにしているかわかってんのか?」
ジーンが睨みつけると、騎士の中からまだ成人して間もない青年が一歩前へ出た。
「ふんっ、王族の方々の前では取り繕っていても、やはり下品な奴だ!」
そう言い放ったのは騎士団長だった。
「騎士団長自らがお出ましとは、アンタらは相当暇なんだな」
ジーンの嫌味に、騎士団長は顔を真っ赤にした。
「このような下賤な輩が騎士であることが、私は我慢がならないのだ! それを質そうともしない陛下にも!」
彼がそう叫んで細剣を振り回すと、剣舞で映えるように磨き抜かれた細剣が、夜の月を反射して煌いた。
「いくらきさまが強くとも、数には敵うまい! みなの者かかれ!」
騎士団長の号令で、騎士たちがジーンに跳びかかった。しかし、剣舞でしか剣を使ったことのない連中のことだ。相手を仕留める意思のない剣など、ジーンにとって怖くもなんともない。
「ガキの遊びかよ」
ジーンは腰の剣を抜くことなく、素手で騎士たちに応対する。振り下ろされる細剣をかわし、相手の顔面に拳を叩き込む。美容に異常なほど熱心な騎士たちには、この戦法はかなり恐怖だったようだ。すぐに戦う意思を失くし、すすり泣き始める始末。喧嘩すらろくにしたことのないであろう騎士たちは、あっという間に誰も向かって来なくなった。
「やられるのが怖いんなら、最初から戦うんじゃねぇよ」
弱いものいじめをしたような気持になったジーンは、しかめっ面で告げた。正直ソルディング領の農民たちの方が、体力があるだけ強かった。
「やれやれ、当てにしていた戦力が来ないので、仕方なく動員したというのに。全く役に立たない連中だ」
あっという間に無力化された騎士たちに、男も呆れたようだ。
「次はてめぇだ」
ジーンがすらりと腰の剣を抜き、男に突きつける。しかし、相手は余裕の表情だった。
「いいのですか、こんなところでのんびりして。彼女がどうなっているのか、心配ではない?」
男の言いように、ジーンは目を見開いた。ここで言われた彼女という言葉に、閃く姿は一人しかない。
「パレットになにをした!?」
吠えるように問い詰めるジーンに、男は肩を竦める。
「私はなにもしないさ。ただ、彼女も敵がいるようでね、それをちょっとつついてやっただけだ」
いかにも扇動者らしいやり方に、ジーンは歯を食いしばる。
「じゃあてめぇを捕まえて、パレットがどこにいるのか聞き出すまでだ!」
ジーンがそう吠えて、剣に手を伸ばした時。
「ふん、それができるかな?」
男がそううそぶいて、黒い筒を取り出した。
――あれは、魔法具!?
ジーンが距離をとるよりも早く、男は魔法具を発動させる。黒い筒が光る文様を発し、ジーンを中心として炎が渦を巻いた。
「ぐっ……!」
ジーンが炎の熱から顔を庇うように腕を上げると、次第に炎は静まっていく。
しかし炎が消えた跡には、男の姿はなかった。
「ちくしょう!」
ジーンは身を翻し、会場に戻る。
――やはり、パレットと一緒にいればよかった!
後悔に責めたてられた、その時。
「おい、色男」
ジーンは木陰から、声がかけられた。
「お前……!」
思わぬ人物の出現に、ジーンは驚いた。




