73話 パーティーの始まり
あっという間に時は過ぎ、王子殿下の誕生パーティー当日となった。パーティーの本番は夜であり、夕刻から貴族たちが続々と王城に集まるのだ。
その日は午前中から王妃様に派遣された女性たちがやって来て、パレットは風呂に入らされたりマッサージを受けたりと忙しかった。そして日差しが傾き始めた頃、軽食を食べた後にドレスを着せ付けられて化粧を施される。
「動かないでください」
「……はい」
「背筋を伸ばしてください」
「……はい」
彼女たちに言われる通りじっと立っているパレットは、普段あまり化粧をしないこともあり、化粧の粉が顔につく感覚がむず痒くて仕方がない。
そうして、じっと耐えることしばし。
「わぁ、パレットさん綺麗!」
「お姫様みたい!」
パレットが着飾るのを観察していたモーリンやアニタが、口々に褒めたたえてくれた。
――お姫様は言い過ぎだから。
王妃様の美しさを目の当たりにしているパレットは、二人の賛辞に気後れしか抱けない。だがパレットを飾り立てている女性たちは、二人の言葉を微笑ましそうに聞いている。
「どうでしょう、違和感などはありませんか?」
着せ付け人員の女性たちに言われ、パレットは最も違和感のあることを伝えた。
「なんだか、お腹のあたりが苦しいです」
パレットはドレスの下着で圧迫されているお腹をさする。これでは飲食が難しいのはもちろん、走ることもできない。そんな風に思っていたパレットに、彼女たちは真顔で諭す。
「貴族の方々は、コルセットでもっとぎゅうぎゅうに締めるんですよ。コルセットをしていない分楽なのです」
パレットが貴族の女性の逞しさを思い知るのは、これで何度目だろうか。
ともあれ、ようやくパレットの支度が終わると、後は出かけるだけである。パートナーであるジーンは、玄関ホールで待っているはずだ。
「お待たせしました」
階段を下りて玄関ホールに向かったパレットの視界に、騎士の礼服を着て、髪を後ろに撫でつけたジーンの姿が飛び込んで来た。いつもの騎士服よりも華やかな造りになっている礼服は、ジーンの秀麗さを一掃引き立てているように見える。
――すっごく、隣に立ちたくないのだけれど。
しかめっ面になりそうになるのをぐっと堪えたパレットに、ジーンが視線を向けた。
「……っ!」
驚いたように口を開けたジーンだったが、周囲の視線を気にして、慌てて態度を取り繕う。
――どこか変!?
王妃様が太鼓判を押してきた淡い水色のドレスだが、平凡な容姿なパレットには釣り合わなかったのではないだろうか。
――やっぱり、行くのを取りやめるのは無理かしら?
この期に及んで、パーティーに行きたくない衝動に駆られるパレットに、ジーンが近付いてきた。
「変なら最初に言ってください。心構えができますから」
神妙な表情で伝えるパレットに、ジーンは何事かを言いあぐねるように口を開いたり閉じたりするが、結局なにも言わない。その代わり、ジーンが胸ポケットから青い宝石のついた首飾りを取り出した。
「なにそれ?」
小ぶりだが装飾の美しい首飾りに、パレットは疑問の声を上げる。
「いいから、黙って後ろを向け」
有無を言わさぬ迫力を感じて、パレットは速やかに後ろを向く。するとジーンは手に持っていた首飾りを、パレットの首にかける。ドレスの淡い水色と宝石の青が、違和感なく合っていた。
「王族の側に控えることになるのだから、これくらいは飾っておけ」
しげしげと宝石を眺めるパレットに、背後からジーンがそう告げた。
その後、パレットたちは速やかに王城からの使いの馬車に乗り込むこととなった。しかしパレットはめかし込む際、眼鏡が邪魔になると言われて、現在裸眼である。眼鏡がないとなにも見えないというわけではないが、足元が不安になるのはどうしようもない。自然、ジーンにしがみつくような形で、馬車まで歩くこととなった。
ようやく馬車の座席に座ると、パレットはホッと安堵の息を吐いた。
「視界がぼやけて、転ばないか心配です」
不安を口にしたパレットを、ジーンがしげしげと眺める。
「眼鏡がないと、雰囲気が変わるな」
雰囲気が変わるというのならば、きっとぼやけた先をよく見ようと、いつもよりも眉間に皺が寄っているに違いない。それはあまり、よい変化とは言えないのではなかろうか。
そんな微妙な心境であるパレットを、ジーンはまだ心配していると思ったらしい。
「ま、今日の仕事はじっと立っていることだ。顔が見えないところで、顔見知りなんざ職場関係しかいないしな」
ジーンがそんな気休めの言葉をかけてきた。顔つなぎのパーティーならば、対人関係に気を使わなければならないだろう。だがパレットの今日の仕事はジーンが王族を護衛する、その付き添い、いわば飾りだ。
「それに、なかなか似合っている」
ジーンからついでのように告げられた賛辞に、パレットは照れた。手放しで褒められるよりも恥ずかしい気がする。
「お世辞は結構です。それにこれ、どうやって脱ぐのかわかりません」
なので憎まれ口よろしく、パレットがそんなことを愚痴ると、ジーンがニヤリとする。
「安心しろ、俺が協力してやる」
「いりません! モーリンに頼みますから!」
カッと頬を赤らめたパレットに、ジーンは大声で笑った。
そんな言い合いをしている内に、馬車が王城に到着した。
――さあ、これからよ!
馬車から降りると、パレットは気合を入れて背筋を伸ばし、ジーンの腕に捕まって歩く。
二人並んでゆったりと進んでいくと、王城の入り口で人の出入りを見張っている騎士が見えた。美しい装飾の施された細剣を見せびらかすようにして立っている騎士は、なにかを警戒しているとは思えない。事実、招待客たちはみんな、素通りしていく。
しかしそれがパレットたちが通るとなると、突然道を遮るように立って声をかけた。
「剣を寄こしてもらおうか。貴族でもないきさまがこの会場に入るのすら許されないのに、そのような品性のない武骨な武器を持ち込まれては困る」
そう言ってキッと睨んで来た騎士に、パレットは表情を険しくする。
――ジーンは戦力として会場に入るのだもの、剣を取り上げられるわけにはいかないわ。
それを足止めしている騎士もわかっているだろうに、それでも剣を預かろうとするとは。王様以外からの圧力がかかっているとしか思えない。まだ見ぬ敵はどうあっても、ジーンを無力化したいらしい。
だがこれに、ジーンは涼しい顔で反論した。
「不要だ、陛下の許可がある」
ジーンがそう言って、懐から折りたたまれた紙切れを突きつけた。それはパレットも目にしたことのある、国王の署名の入った本物だ。
「それに、剣を持ってくるのは上からの命令だ。それを取りあげたければ、それなりの言い分を用意してもらおう。最も、陛下の許可証より強い命令があれば、の話だが」
「くっ……」
国王の署名入りの許可証を見せられ、ジーンに論破された騎士は、一瞬渋い顔をした後、咳ばらいをして道を開けた。
他の招待客の視線を引いたが、パレットたちは無事に会場に入ることができた。
一方、パレットたちを送り出した屋敷では、派遣されて来た女性たちが片づけをしながら、きゃあきゃあと騒いでいた。
「素敵だったわね」
「いいわぁ、若いって」
うっとりとしている彼女たちの様子に、片づけを手伝っていたモーリンとアニタはお互いに顔を見合わせる。確かにドレスを着たパレットは素敵だったが、彼女たちはそんなものなど見慣れているだろうに。
「素敵って、なにがですか?」
モーリンが尋ねると、彼女たちの一人が興奮したように頬を赤らめて、答えてくれた。
「人前で堂々と婚約者に宝石を贈るなんて、度胸があるじゃないの!」
確かにモーリンも、ジーンがあんな洒落た首飾りを用意していたなんて、とても驚いた。女性から贈り物をされることは数あれど、ジーンの方から贈り物をしたという話は聞かないからだ。
「確かに、高価な首飾りみたいでしたけど……」
「それもそうでしょうけど、それじゃなくて」
モーリンの反応に、彼女たちはふふっと笑った。
「己の瞳の色の宝石を贈ることは、『私の愛であなたを包みます』という意味があるのです」
「ドレスの色も、同じ青系だったしね」
「いいわぁ、私もあんな風に贈られたい!」
きゃっきゃと盛り上がっている彼女たちを見て、モーリンはふと思った。
――パレットさんは、これを知っているかしら?
庶民では愛する人に花を贈ることは多くあれど、宝石を贈ることに意味があるなど、モーリンは知らなかった。
――あの二人、妙なことで喧嘩になるから。
パレットが後で知って、それこそ痴話喧嘩になるのでは、とモーリンは思うのだった。




