72話 オルレイン導師の忠告
パーティーの準備は、ダンスの特訓だけに手間取っていられるわけもなく、財務管理室の仕事も増えてくる。
なにせ国中の貴族が集まるパーティーだ。当然、様々な予算が計上されてくるし、それをより分ける仕事が大量に発生する。その中でも、怒りを通り越して呆れてしまう書類が、しつこく上がって来る。
「騎士団長は、何故このように備品が高額なのですか?」
処分する書類としてより分けている騎士団長の予算請求に、パレットは「馬鹿なのか」というセリフを堪えた自分を褒めてやりたい。大金貨二十枚という眩暈のするような金額が書かれた請求書を見て、パレットは破り捨てたくなる衝動に駆られる。騎士団長がこれを国の軍事費としての請求ではなく、個人で請求しているのだ。騎士団長が備品だと言い張るものは、だいたい美容品だとジーンから聞いている。
――国中の美容品を買占めるつもり?
貴族なのだから、美容品くらい自分の金で買えばいいだろうに。最も、他人の金で買うからこそ、贅沢ができるのかもしれないが。それにしたところで、この金額はない。
――個人でこの金額の美容品を買っていれば、いくら貴族でも破産するわね。
呆れるあまりに、開いた口が塞がらないパレットに、室長も肩を竦めてみせた。
「騎士団長はなんとも困った人物でね。先代も、ものの価値というものを理解していただけなかった」
室長はそう言って苦笑する。どうやら騎士団長は、親子そろって貨幣価値が理解できていないらしい。他人よりも高額な請求をすることが、ステータスだとでも考えているのかもしれない。
「騎士団長だけではない。他の騎士からも、剣の装飾での予算の請求が上がっていることだしな」
そう告げた室長の視線の先には、騎士団長のものとは別に、処分行きの書類として積みあがっている紙束がある。それらは全て、騎士からの請求書だ。
「あぁ、あの飾りの剣ですね……」
パーティーに向けて見栄えをよくするために、剣の飾りを新調したいという内容の請求だ。パレットはそんなもの、自分の金でやってくれと言いたい。
――彼らは、なんのために剣を持っているのかしら?
ジーンが言うには、細剣というのは決してお飾りのための剣ではなく、あれで実用に足る武器なのだそうだ。ただ、細剣を好むこの国の騎士が、本来の使い方をしていないだけだ。細剣を作っている鍛冶職人は泣いているかもしれない。
こうして着々とパーティーの準備が整っていく中、パレットをオルレイン導師が呼んでいるとの知らせが来た。
――何事かしら?
パレットが首を捻りながらオルレイン導師の部屋へ向かう。
「失礼します、パレット・ドーヴァンスです」
パレットがノックの後に声をかけると、入室の返事が返ってきた。ドアを開けると室内では、オルレイン導師が机に向かってペンを動かしており、何故かジーンが室内の片づけをしていた。
――え、どういう状況?
パレットがドアを開けたままの体勢で固まっていると。
「なにをしている、早く入れ」
オルレイン導師から注意された。パレットは慌ててドアを閉めて、とりあえず部屋の隅に立っていることにした。
「ふむ、揃ったな」
オルレイン導師はパレットを見ると、書き物をしていた手を止めた。
「オルレイン導師、とりあえずゴミはこのあたりに纏めてありますから」
「ああ、ご苦労だった」
片づけを終えたジーンを、オルレイン導師が労わる。
「最近は余計なことに忙しくて、掃除もままならん。だがこれで研究が捗る」
オルレイン導師が室内を見渡して、満足そうに頷いている。
「えーと、何事ですか?」
ジーンと交代して、掃除の続きをしろという話だろうか。パレットがそんな風に考えているのを、オルレイン導師は察したらしい。
「お前を呼んだのは掃除のためではない。これは待ち時間の有効利用だ」
パレットにそう釘を刺してきた。
「では、私はなにをすればよいのでしょうか?」
パレットの疑問に、オルレイン導師は向き直って答えた。
「そなたたちの手柄について、報告せねばならないだろう」
「手柄、ですか?」
オルレイン導師の言う意味が分からないパレットは、首を傾げる。ジーンを見ると、あちらも肩を竦めて見せた。
わかっていないパレットたちに、オルレイン導師は目を細めた。
「お前たちがキールヴィス殿下を助けたことによる、様々な影響についてだ」
オルレイン導師の言葉に、パレットは息を飲んだ。
あれからなにも言われないので、終わった話だと思っていた。しかしどうやら違うようだ。
「この話をするには、慎重に場を選ぶ必要がある。なのでフレデリックやアレイヤードではなく、私の口から話すことになった。この部屋ならば、覗き見や盗聴は不可能だからな」
「……はぁ」
オルレイン導師の言い方を聞くに、なにやら物騒な話が出てきそうな予感がして、パレットは眉間にぎゅっと皺をよせる。
そんな風に構えているパレットに、オルレイン導師が告げた。
「最も重要な情報を先に言うならば、ソルディング領を犯罪の温床とし、現在王位を脅かしているのはキリング公爵だ」
いきなり王位の話になり、パレットは停止しそうになる思考を必死に動かす。
「キリング公爵、ですか?」
貴族について未だ詳しくないパレットに、隣からジーンが注釈を入れた。
「キリング公爵は陛下の従弟で、王位継承権三位の人物だと聞いている」
一位が王弟殿下、二位が王子様、三位がそのキリング公爵なのだそうだ。公爵の母親が、前の国王の妹であるという。
「キールヴィス殿下が王城に連れて来られるまで、かの方は現在の陛下に次ぐ王位継承権の持ち主だった」
オルレイン導師は、王位をめぐる争いについて語った。
現陛下が王太子だった当時には、病や暗殺などが原因で兄弟がいなかった。たった一人残された王太子に、周囲からは不安の声があったそうだ。
――殺伐としているわね、王族って。
パレット自身も殺伐とした幼少期を送った自覚はあるが、兄弟を失くした原因に暗殺があるとは。つくづく高貴な身分とは嫌なものだ。
一方で、現キリング公爵は昔から王位に並々ならぬ関心を表していた。若いうちから領内の統治で手腕を発揮していた彼は、彼こそ王に相応しいという世間の声も高かったそうだ。
そうした世論の中、前の国王が病に伏し、王位の交代が囁かれるようになっていた頃。王城に住まう人々に激震が走った。突然、王の愛人の子であるという、キールヴィスの存在が明らかになったのだ。当時の王妃様がキールヴィスを引き取ると宣言したことで、騒ぎは加熱する。
「先の王妃殿下がキールヴィス様を引き取られたのは、現在のキリング公爵を警戒してのことだ」
王太子が王位争いに負けることは、自らの地位の失墜を意味する。彼女は王族の地位から追い落とそうとしている存在に対抗するため、暗殺の脅威に晒される王太子の身代わりが必要だった。
――身代わりって、自分の息子の代わりに死んでくれる存在ってこと?
今のキールヴィスの年齢から換算するに、当時のキールヴィスは物心がついたばかりではなかろうか。そんな時期にドロドロの王位争いに巻き込まれたとは、パレットはキールヴィスに同情する。
やがて前の国王が急逝し、現陛下が若くして跡を継いだ。そして現在に至るまで、キリング公爵の王座への執着は消えていないのだとか。
「大臣や要職につく貴族たちは、ほとんどがキリング公爵に買収されている。陛下のお味方は、本当に少ないのだ」
常に暗殺の危機に晒されているにも関わらず、守りの要である騎士団がふぬけている。この問題をどうにかするための策が、庶民の兵士からの騎士採用だったのだそうだ。
「騎士どもをふぬけさせたのも、キリング公爵だ。騎士の中から強くて身分のある者を、全てキリング公爵領に引き抜いていった。残ったのは、見栄ばかりを気にする騎士団長だ。本当はアレイヤードも引き抜きを掛けられたらしいが、あれは陛下の幼友達だから、嫌だと突っぱねたそうだ」
他の味方な人たちも、全て幼い頃の友人たちだそうだ。オルレイン導師もその一人だとか。
――あの騎士たちに、そんな事情があったのね。
驚きの事実に、パレットは相槌の声も出ない。
「キリング公爵が王位を手にするための戦力を付けるにあたって、手に入れようと苦心していたのが攻撃用魔法具だ」
隣国ルドルファンでの謀反騒ぎで、犯罪者や武器などの流入が多くなった際、それを先陣切って取り締まったのが、キリング公爵だそうだ。
「世間では国を守る守護神的な扱いだったが、奴の狙いは攻撃用魔法具の入手だ」
隣国の謀反騒動を、自身の国民へのアピールに利用すると共に、武器や攻撃用魔法具が国に接収されてしまう前に手に入れようとしたらしい。
「ということは、ソルディング領で消えた魔法具は……」
「キリング公爵領へ移動させたのだろう」
この根拠として、ソルディアの街で捕物騒ぎがあった直後、ドーヴァンス商会の馬車がキリング公爵邸に入ったのが確認されているそうだ。
ジーンも初耳な話があったようで、パレットの横で神妙な顔で聞いている。
それにしてもいよいよ叔父も、国家級の犯罪に足を突っ込んでいることが明らかとなった。
――途中でキリング公爵の野望を知っても、もう抜け出せなくなったのでしょうね。
強いものに弱い叔父だ。公爵という身分の人に、強く意見ができるはずもない。
――ジェームスのためにも、本当に危ないことになる前に、逃げ出す度胸があるといいのだけれど。
パレットが叔父一家のことを心配していると。
「パレット、他人事のような顔をしているがな、お前はキリング公爵の陰謀に深入りしているのだぞ?」
「はい?」
またまた驚くべきことを言われて、パレットは目を丸くする。そんなパレットの様子を見て、オルレイン導師はあきれ顔をした。
「王妃殿下のための薬を手に入れたのは、お前だろう。あれとて、キリング公爵の手にかかったため、臥せることになったのだぞ」
ジーンと係わることになったそもそもの始まりに言及されて、パレットはあっけにとられる。
「……ご病気だったのでは?」
パレットの意見を、オルレイン導師は鼻で笑った。
「病気であれば、いくら原因不明とはいえ、王妃殿下の周囲で同じ症状の病人がいなければおかしいだろう」
確かに個人を特定してかかる病気など、聞いたこともない。その事実に、言われて気が付いた。
「あれは本来ならば、王子殿下を狙ったのではないかと、私は睨んでいる。大人の王妃殿下だからこそ生き延びたが、まだ幼い子供の王子殿下であれば、数日のうちに死んでいただろう」
オルレイン導師の推測に、パレットは眉間にぐっと力を込めた。いつもミィと一緒に転げまわるようにして遊んでいる王子様。もしかすると、彼が死んでいたかもしれないとは。
パレットは元気な王妃様の姿しか見たことがないが、「月の花」という奇跡に縋るしかなかったことを考えるに、相当酷い病状だったことは伺える。
パレットがキールヴィスと初めて王城で会った時、彼は一人でいた。国で一番偉いはずの王様が味方が少ないというのなら、愛人の子であるキールヴィスなど、味方がいないどころが敵しかいないのではなかろうか。ソルディアの領主館で話した印象だと、王位に執着しているわけでもなさそうだ。
そうなると、どうとでもできるキールヴィスよりも邪魔になるのは、次の国王となる確率の高い王子様だというわけか。
「その王子殿下も、お前たちが連れ込んだ魔獣の子のおかげで、すっかり健康的になっている。最近は自分の身を守るために、剣術を習っているそうだ」
暗殺を恐れて閉じ込めるように育てられた面影は、今の王子様にはほとんど見られないそうだ。
――確かに、お屋敷でもいつも先頭で遊んでいるものね。
以前は、弱々しい王子では国王は務まらないという声があったそうだ。しかしわんぱく王子様へ成長した今、そんな声は聞こえてこない。これもキリング公爵の計算違いな件らしい。
「お前たちの屋敷で、毒の混入騒ぎがあったそうではないか。あれは王子殿下ではなく、お前を狙ったものかもしれないのだ」
オルレイン導師にそんな嫌な指摘をされ、パレットはしかめっ面をした。
「覚えておけパレット。お前はとっくに、キリング公爵から邪魔者だと認識されているのだ」
オルレイン導師の忠告は、パレットの心に重く響いた。




