67話 告白の真意
王妃様に会いに行った日の夕刻、パレットは心身共にくたくたになって、屋敷に帰ってきた。
「パレットさん疲れた顔ね、大丈夫?」
「誰かにいじめられた?」
玄関で出迎えてくれたモーリンやアニタに心配される。今のパレットは、よほどひどい顔をしているのだろう。
「まあ、ちょっとね……」
パレットはかろうじてそれだけ返すと、フラフラと自室に向かった。
結局あれから一日中、王妃様の前で着せ替え人形よろしくドレス選びをしていた。パレットだって女だ、着飾ることが嫌いなわけがない。しかし、それも度を超すと苦痛になるということを、今日初めて知った。
――もうしばらく、ドレスは見たくないわ。
貴族の女性はあんな苦労をしているのか、とパレットはちょっと貴族に対する意識を浮上させた。
疲れたあまり、ちょっとだけ仮眠をとった後の夕食時。パレットにとって幸いなことに、夕食の席にジーンはいなかった。恐らく昨日早帰りした代わりに、今日残業しているのだろう。ジーンがいないのでホッと胸を撫でおろしたパレットと違って、それが不満なものがいる。
「みぃ……」
肉を貰う相手がいないミィはつまらなそうに、チラチラと空いたジーンの席を見ていた。ミィには悪いが、ここはパレットの心の平穏のために我慢してもらうしかない。パレットはミィをなだめつつも、落ち着いて夕食をとった。
そのあと、パレットはさっさと風呂を済ませてミィと寛ぐ。
「ミィも、ジーンにうんと噛みついてやって頂戴ね。からかうなんてひどいと思わない?」
パレットは昨日から心に溜まっていた愚痴を、ミィ相手に吐き出していた。ミィは利口な魔獣なので、パレットの膝の上でのんびりと愚痴に付き合ってくれる。
ひとしきりミィ相手に愚痴を言うと、パレットは心持ちすっきりした気分になった。そうして気分が軽くなると、次にパレットは眠気を覚える。なにせ昨日寝れなかった分、寝不足なのだ。このまま、今日は早めに寝てしまおう。パレットがそう思った時だった。
パレットの部屋の窓から、フロストを連れたジーンが帰宅した様子が見えた。ずいぶん遅くまで残業していたらしいジーンは、フロストの首を叩いて、なにやら笑顔で話しかけている。その呑気なやり取りに、パレットはふつふつと怒りが込み上げた。
――私は今日一日大変だったというのに、あっちはずいぶん楽しそうじゃないの。
怒りは、パレットの先程までの眠気を吹き飛ばす。今朝までの気まずい思いは吹き飛んで、パレットとしてはジーンに一言文句を言わねば気が済まなくなった。
「みゃ?」
様子の変わったパレットを、ミィが不思議そうに見上げる。
「そうよね、不満は本人にぶつけるべきよね」
パレットはそう呟くと、暗い笑みを浮かべる。だが、ジーンが帰ってすぐはさすがに良くない。パレットにもそれくらいの分別は残っていたので、ジーンが食事と風呂を済ませて私室に入った頃合いを見計らい、突撃することにした。
パレットはミィを一撫ですると、足取り荒くジーンの部屋に向かう。パレットの普通じゃない空気を察したのか、その後をミィが付いてくる気配はない。
そして、パレットはノックもせずにジーンの部屋のドアを開けた。
「ジーンのせいで、えらい目にあったんですからね!」
ドアを開けた先では、立ち尽くすジーンが驚いて目を見開いていた。風呂上がりのせいで髪は未だ水が滴っており、上気したした肌が妙に色っぽい。
――ああもう、色気にあてられている場合じゃないのよ!
パレットは強引に視線を動かし、ジーンの目を睨みつける。
「なんだ、藪から棒に」
ジーンがパレットの剣幕に、思わず一歩下がる。その一歩を詰めて、パレットは文句を繰り出す。
「私は今日朝からずっと、王妃様の前で着せ替え人形させられたんですよ!」
「ああ、あんた王妃殿下に呼ばれてたのか。だから朝食にいなかったんだな」
順序としては逆なのだが、ジーンはそのように納得したようだ。文句を言われても落ち着いた様子のジーンに、パレットの怒りはさらに増す。
「ジーンが王族のみなさんにどう言ったのか知りませんけどね、冗談を言う相手は見極めてください! おかげで王妃様相手に、恥ずかしい思いをしたんですから!」
このパレットの言い分に、ジーンのこめかみがピクリと動いた。
「……なにが、冗談だって?」
ジーンの声が若干低くなるが、それに気付かないパレットは、怒りのままに思いの丈を叫んだ。
「伴侶だとかなんだとか、私をからかうのは金輪際やめてください!」
パレットがそう言い切ると、ジーンの表情が急に凪いだ。
「ほぉう?」
ジーンが腹に響く声でそう言うと、ゆっくりとパレットに近寄って来る。
――え、なに?
急に態度を変えたジーンに、今度はパレットが後ずさる。パレットの予想と違う態度を取られ、パレットは眉をひそめる。てっきりジーンから、からかい交じりの謝罪が来ると思っていた。それなのに、どうしてジーンが怒っているように見えるのだろうか。
「えと、ジーン?」
ジーンの雰囲気のせいで、パレットの先程までの怒りが急激に萎む。弱気になったパレットと対照的に、ジーンの怒りは増しているようだ。その視線に気迫がこもっていた。
――ねえ、なんなの!?
怒るべきは自分であるはずが、どうしてジーンが怒っているのだろう。パレットにはさっぱりわからない。混乱するパレットに向かって、ジーンが口を開いた。
「俺は女に冗談を真に受けられたことはあっても、真剣な告白を冗談だと流されたのは初めてだ」
「……は?」
ジーンが言った内容が、パレットの耳を右から左に流れて行く。相手がわかっていないことを悟ったのが、ジーンは再び言った。
「俺は昨日、この上なく真剣に告白したんだがな。それを冗談で流されるのは心外だ」
「こっ、告白!?」
パレットは脳にようやく理解が追い付き、顔を真っ赤にする。
――え、あれって本気の話だったの!?
「それを冗談だと? それこそ冗談じゃない」
ジーンの静かな怒りに、パレットは慌てて反論する。
「だって、ジーンだって最後は茶化すような言い方したじゃない! だからああ、からかわれたんだって……!」
「恥ずかしいんだよ、俺だって! 貴族式の正式な求婚の作法なんざ! ラリーのごり押しがなけりゃしねぇよ!」
ジーンも負けじと大きな声で応戦してきた。その顔色は若干赤い。それは怒りのためか、はたまた恥ずかしいからかは、パレットには判断がつかない。おかしい、不満を言いに来たのはパレットの方であるはずなのに。この展開は一体どうしたことだろうか。
そんなジーンが説明するには、ラリーボルトから「王妃様を納得させる申し込みの仕方」とやらを教わったのだそうだ。
『君が適当なことを言って王妃様から責められるのは、パレット嬢だからね』
そのラリーボルトからの脅し文句を聞いて、ジーンは渋々実行したのだとか。
「女をからかうためだけに、俺があんなこっ恥ずかしい真似をすると思われてたのか。そうか、俺をそんな軟派な奴だと思っていたんだな、あんたは」
「や、それは、その……」
ジーンが意外と真面目だとは、パレットだって気付いていた。けれどジーンはどこにいっても女性に人気がある男で、一方のパレットは、美人だとはお世辞にも言えない堅物女で。釣り合わないのは一目瞭然ではないか。そんな言い訳が頭の中をぐるぐるするが、ジーンが怖くて口に出して言えずにいる。
――ミィ、助けて!
ミィを連れて来ればよかった、と今になって後悔しても遅い。もうどうすればいいのかわからず、この場から逃げ出したいパレットの手を、ジーンが取った。昨夜と同じシチュエーションに、パレットの胸がドキリと鳴った。
「あの、手、はなして……」
「今度は庶民的に言うぞ。パレット、俺と結婚しろ」
パレットの抗議を聞き流したジーンが、ズバリと言った。昨日とは違い、直接的な言い方をされたパレットは、衝撃のあまり口をパクパクさせる。
「け、結婚って、なにもそんな大事なこと、身近で適当に済ませなくても……」
なんとかしどろもどろに抵抗するパレットを、ジーンが視線で威圧してくる。
「そいつは心外だ。俺はこの話を昨日の朝一番に副団長から聞いてから、仕事の間もずっと考えてたんだがな」
パレットは目を見開いた。ジーンも、悩んでいたというのか。こんな状況でなければ、パレットもときめいていたかもしれない。だが今現在、パレットの心の中を占めるのは、ときめきよりも反発心だ。ここで流されて頷いては、後々後悔しそうな気がする。そう構えるパレットに、ジーンがなおも言い募る。
「言ったろう、そこいらの奴には頼めないと。なにしろ、自分の結婚相手を、王族他の貴族にお披露目することになる。ある意味晒しものだぞ? 男にだって、それなりの覚悟がいるんだ」
そんなジーンの覚悟を、パレットはどうせ冗談だと流していたのだと知る。だがパレットは、なおも抵抗する。
「だって、ジーンが私を好きだなんて……」
あるはずがない、と続けようとしたパレットは、ジーンに睨まれて声が尻すぼみになる。
「そうか、あんまりおしゃべりだと軽薄だと思われるかと思っていたんだが。どこが好きかを敢えて言わせたいとは、あんたも悪い女だな」
ジーンがニヤリとした笑みを浮かべる。
「え、いや、そういうことじゃ……」
「あんたは基本真面目で善良な女だ。それに堅物に見せようとしているが、子供に弱いところがある。それに困っている弱者を見捨てることができない。そういうところが好きだな。あと、寝起きが意外と色っぽい」
「色っぽ……!?」
パレットの抵抗を無視してジーンから告げられた、今まで言われたことのない表現に、パレットは顔をさらに真っ赤にした。
「そうやって、すぐに赤くなる純情なところも好きだ」
胸の鼓動が激しすぎて、そのうち心臓が破裂して死んでしまうのではないだろうか。そう思えるほどに、パレットの全身がバクバクと脈打っている。
「アンタは、俺が嫌いか?」
ジーンが直球で聞いてきた。
「嫌いとか好きとか、そういう問題じゃなくて……」
「男と女の間で、それ以上になんの問題があるんだよ」
パレットの言い逃れも、ジーンにバッサリと切られた。
「一緒に生活して不自由がないことは、ソルディング領への旅の間で確認済みだ」
「うぅ……」
こうなるのであれば、旅の間に盛大に喧嘩でもしておけばよかった。パレットがそう思ったところで後の祭りだ。流されまいとするパレットの心を、ジーンに先読みされている気がする。
「今までアンタは、自分の人生を自分で決めてきたんだろう。けど、ここは俺に流されてもらおうか。俺はもう、アンタに決めたんだ」
ジーンの強い眼差しと言葉から、パレットは逃げる術はなかった。




