66話 王妃様の誘い
ジーンから告白紛いの嫌がらせを受けた翌朝、パレットは寝覚めの悪い顔で起き上がった。
――もう朝なのね……
ジーンとのあの会話のせいで、悶々と考えてしまったパレットは、ほとんど眠れなかった。パレットの隣で呑気に丸くなっているミィが、非常に恨めしい。
ぼうっとしていても仕方ないので、ベッドから出て大きく伸びをするパレットの視界に、豪華な花が活けられた花瓶が入った。ジーンに貰った花を捨てるわけにもいかないので、こうして飾っているのだ。それは美しい花であるのに、パレットを微妙な心境にさせる。かといって廊下に飾って、屋敷の者に詮索されたくもない。
「綺麗な花には、罪はないわよね」
自分を納得させるように、パレットは一人頷いた。
パレットはなるべくジーンと会わずに済むよう、朝食を一人早めに食べる。昨日の夕食時の気まずさを、もう一度味わいたくなかったのだ。屋敷の他の面々から違和感を覚えられたかもしれないが、今のパレットに必要なのは、自身の心の平穏だ。
こうしてパレットは、ジーンと顔を合わせたくない一心で、いつもよりもだいぶ早い時間に王城へと出勤した。自分一人だろうと思っていた管理室には、すでに室長が出勤していた。
「おはようございます、室長」
いつもこんな時間から仕事をしていたのか、とパレットは驚きつつも朝の挨拶をする。いつもと違う時間に出勤した部下に、室長の方も驚いた顔をしていた。
「パレット、ずいぶんと早いな。だが、誰もいないのであれば丁度いい」
二人だけの室内で、室長がパレットにそう声をかけてきた。
「なんでしょうか?」
余人に聞かれたくない話とは、得てして良くない内容であるものだ。パレットが固い表情で構えていると。
「君の今日の仕事は無しだ。代わりと言ってはなんだが、王妃殿下がお呼びだ」
「……はい?」
パレットは、室長の話が飲み込めずに問い返す。
――最近、理解が追い付かない話が多いわ。
せっかく朝早くにジーンから逃れてきたというのに、今度は王妃様ときたものだ。王妃様とは、パレットが王都に来たばかりの時以来、接触はない。
――王妃様が、私に用事?
眉間に皺を寄せるパレットに、室長は手をひらひらと振る。
「パレットが来たらすぐに寄越すように言われている。お待たせしてはいけないので、早く行きなさい」
「はぁ……」
こうしてパレットは室長に急き立てられるようにして、王妃様の元へと向かうことになった。
王妃様の部屋、つまりは王城の中枢へと向かうパレットに、行き交う貴族たちは邪魔なものを見るような目を向けてくる。恐らく、庶民のパレットがこの場にいることが気に食わないのだろう。基本財務の部署がある区域からは出ないパレットは、ジーンがこの視線を毎日受けているのかと思うと、彼の精神力に感服する。
――あいつらは無視よ、無視。
パレットは自分に言い聞かせながら、廊下を足早に通り過ぎて行く。
こうしてたどり着いた王妃様の部屋の前に、警護の騎士が立っていた。その騎士は短い黒髪で、容姿が整っているのは確かだが、いかんせんその表情が硬い、というよりも怖い。身体つきも、その服の上から筋肉質であることがうかがえる。腰の剣だって鞘などは美しい装飾を施してあるが、他の騎士のものより幅広のものだった。
――王妃様の警護をするのだから、実戦的な騎士様なのかしら。
パレットはそう考えるも、とりあえずはジーンではないことにホッとする。しかし、相手はパレット怪しんだ。
「何用だ」
短く問うてくる騎士に、パレットは彼を観察している場合ではないと思い出す。
「あの、パレット・ドーヴァンスです。王妃様がお呼びだと伺いました」
「そうか、しばし待て」
騎士はそう言うと、ドアを少し開くと室内にいる誰かと会話を交わす。すぐに結論が出たらしく、彼はパレットに視線を向ける。
「入っていい」
そう言う彼は、表情に嫌悪も好意も浮かべない。ジーンやラリーボルトと、また違うタイプの騎士だ。
「……失礼します」
パレットは表情を変えない騎士の横をすり抜けて、ドアをくぐる。
「まあパレット、よく来てくれたわ!」
室内では、王妃様の華やかな声が迎えてくれた。だがパレットは王妃様の歓迎ぶりよりも、室内の様子を見てぎょっとする。室内には大勢の人がいて、ドレスや布が所狭しと並んでいた。
――何事?
入り口から動かないパレットを、王妃様自らがやって来て手を引いた。
「さぁさ、早く。時間はいくらあっても足りないわ」
パレットは手を引かれるままに、部屋の中央へと連れて行かれる。初めて会った時同様、美しい王妃様が楽しそうなのは結構なのだが、今からなにが始まるのか、パレットにはさっぱりわからない。
そんなパレットの様子を察したのか、王妃様が悪戯っぽい笑顔を見せて言った。
「パレットがパーティーに出席すると聞いた時から、わたくし決めていたのよ。あなたのドレスはわたくしが用意すると」
「私のドレス、ですか?」
パレットは今がどういう状況なのか、ようやく腑に落ちた。確かにパレットがパーティーに出席するならば、ドレスは必要だ。だが庶民で金持ちでもないパレットが、そんなものを持っているはずもない。そのドレスをなんと、王妃様が用意してくれるのだという。要するに、室内にあるあれやこれやは、全てパレットのためのものなのだ。このことは、恐れ多い以前に謎だ。
――出席を聞いた時からって言った?
パレットに今回のことを打診されたのは、昨日の夕食前だ。それなのに王妃様はドレスのために、このようにいろいろ準備をしていたとは。この準備も、一朝一夕でできることではないだろう。この話は、一体いつから動いていたのだろうか。
――ジーンが内緒にしていた?
一瞬脳裏にそんな考えが浮かぶが、その線は薄いだろうと打ち消す。なにせジーンはパレットと同じく、一昨日まで一週間の休みだったのだ。その前はソルディング領へ言っていた。準備に関わる暇はなかったはずだ。
そう冷静に考えるも、パレットの中の心が、急速に冷めて行くのがわかる。
――伴侶がどうのとか、やっぱり冗談だったんじゃないの。
これだけ下準備してあって、パレットが同行に頷かないという選択肢はなかった。ジーンは、上司命令でパレットを誘ったに過ぎないのだ。一瞬でも胸をドキドキさせてしまった、昨日の自分が馬鹿みたいだ。
だが王妃様の前で、暗い顔をするわけにはいかない。そう己を奮い立たせるパレットの内心を知ってか知らずか、王妃様がずいっと顔を近付けて尋ねてきた。
「ねぇパレット、ジーンはちゃんと情熱的に誘えたのかしら? 乙女の一大事に、無粋なことを言わなかったでしょうね?」
「なっ……!」
パレットは昨日のジーンとの会話を思い出し、頬を赤く染めた。あの時手を取ったジーンの、真摯な眼差しが思い浮かぶ。
――あれは、私をからかおうとしただけ!
そう自分に言い聞かせて、鼓動を落ち着かせようとするが、上手くいかない。
「まあ、ジーンはちゃんと誘い文句が言えたようね」
そんなパレットの様子を見て、王妃様は確信したようだ。
「ジーンがあなたをパートナーに誘うだろうと聞いた時、わたくし嬉しくって。あなたはわたくしの命の恩人だというのに、なにも報いることができていないでしょう? 今回はいい機会だと思ったのよ」
この時パレットは、うきうきした様子の王妃様を見て、ある結論に達した。
――ジーンってば、あの花束はこの追及をかわすため!?
こんなに張り切っている王妃様に、「仕事につき合え」などと言ったと知れれば、後々なんと詰られるかわからない。そう考えての予防線だったに違いない。そう思い至ると、もう一つ理解したことがある。
――昨日の室長の頑張れも、こういうことだったの!?
なにを頑張れと言うのかわからなかったが、室長はパレットが否応なしに巻き込まれることを、知っていたに違いない。
どうやら嵌められたらしいパレットは、目の前が暗くなる思いだ。
「わたくしの命の恩人のためですもの。あなたを会場にいる女性たちの羨望の的にしてみせますからね!」
張り切って扇を握りしめる王妃様に、パレットは顔を引きつらせた。
――なりたくないです、そんなもの!
だが、この言葉を口に出すことはできないのだった。




